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2016年1月2日土曜日

海南市「春日神社」書初会・1/1~2(毛筆・硬筆)

わが遠祖が大和「春日の地」から勧請してきた伝承がある海南市「春日神社」の「書初め会」開催される!

・祭神・主祭神は「天押帯日子命」・三世孫「彦国葺命」

・歴史・御祭神、人王5代「孝昭天皇」の長子・天押帯日子命(上の宮)は、春日の朝臣の遠祖、3代孫・彦國葺命(下の宮)の庶族がこの地に在住し、祖神として祀ったのがはじまりである。

1378年(永和4年)に山名義理が紀伊国守護となった折、新たに守護所となった大野城防衛のために築城したとさた春日山城跡の碑が社殿の西約80mの場所に建っている。

 わたしの家の遠祖が天平時代に大和春日の地から紀州大野郷へ勧請してきたと伝承される地元・海南市大野中の「春日神社」では毎年1月1~.2日に「毛筆・硬筆の書初め会」が開催され、県下を中心に数百人が腕を振るっている。


「大野十番頭祭の祭祀」

 この神社では毎年6月第一日曜日が「大野(春日)十番頭まつり」が復興され、はるか昔春日の地からこの紀州・大野の地へ祭神を勧請してきたと伝承される「十番頭(毎年1年交代で神主を務めたと伝えられている)」の後裔たちの遠祖を偲ぶ会が開催され、毎年十家の後裔が歳周りで神職を務めている)まつり」が開催されている。神社の伝承に則り、鎌倉時代末期に鎌倉幕府に対抗して挙兵した「大塔宮・護良親王」が熊野落ちの際、宮にお味方申し上げ宮を一時お匿い申し上げ、その警護の任に当たったと称する十番頭の後裔たちの寄付によって建立された石碑が境内にある。因みにわたしの家の遠祖は春日小野氏と伝わっている。小野妹子の系統になるのであろうか?遡ろうにも遡れない!

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・2016・01/01~2「春日神社・書初め会(毛筆の部・1日、硬筆の部・2日)   

 今年が「毛筆の部」が21回目、硬筆が20回目と毎年歴史を重ねている。ことに毛筆の墨は平安時代からこの地の特産品であった「松煙墨(松代墨)」が使われ、一種独特の墨の香りが会場いっぱいに拡がり、書初め会にふさわしい雰囲気を醸し出す。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

  

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・「春日神社」の紹介

〒642-0022 和歌山県海南市大野中1056番地

電話番号:073(483)7547

http://www.kasuga-kainan.com/index.html

 JR海南駅と春日神社

平成十年十月十日に高架駅として新しく生まれ変わった海南駅は、海南市にふさわしい駅となりました。
海南駅周辺は、昔は海辺であり、日方から名高にかけて細長い砂浜(砂州)がのびていました。(室町時代末期ごろまで)
この砂州では、春日神社の馬場が設けられ県下各地から寄り集まった馬が速力を競い合うので、見物客も大勢かけつけました。
今は、馬場町という地名に名残りを留めています。春日神社の秋祭り「おみこし行列」も海南駅周辺で行われていました。また、「井松原合戦」の古戦場としても知られています。
昔は、海岸沿いに松林が並んでいて、「井松原」と呼ばれていました。

大塔宮と大野十番頭

鎌倉末期の元享二年(一三二二)三月、「大塔宮護良親王」が熊野参詣の途中、春日神社に宿座したとき、「大野十番頭(春日十番頭)」が、その警護にあたりました。
「大野十番頭」というのは、春日神社の神主を努めた十人衆で大野郷(現在の海南市西部と和歌山市南部の一部)を治めた地方豪族で、大塔宮さまからそれぞれ受領名を賜ったと伝えられています。
護良親王が、春日神社で歳越をされたので親王を祀ったお社を「歳越神社」と呼ばれていました。今は、その社も無く春日神社に合祀されています。参道の階段の途中に開けたところがありますが、ここが「歳越神社跡」です。

 春日山城と大野城

春日山城は、中世の城で紀伊国守護の城「大野城」の支城でした。
「守護所」というのは、紀伊国の現在の県庁にあたるもので、和歌山県の県庁所在地が昔、ここ海南市にありました。(和歌山市に移る前のお話です。)知事にあたる守護大名が海南で紀伊国を統治していました。
その守護大名の城が「大野城」です。(近世でいうと、和歌山城にあたります)この「春日山城跡」からは、守護所跡や大野城跡など大野の里が遠望できます。
大野城主として、もっとも知られているのは、山名義理です。

春日神社

春日神社は、紀伊国神名帳に「正一位春日大神」と位置づけられている格式の高い神社です。
海南市では「正一位」を与えられたのは、現存社では、春日神社だけで聖武天皇から代々の祈願所として朝廷の厚い保護を受けていました。
祭神は、「天押帯日子命(『古事記』)」で古代大和豪族ワニ氏の祖にあたります。
また、元春日という神林よりご神意により、吉方位を撰び現在の地に移転鎮座したため「方位除け」の神様としてまた、「厄除け」の神様として崇拝されています。

「井松原合戦」古戦場跡

現在の海南駅付近一帯での合戦でした。
天正五年(一五七七)八月十六日、日方勢(織田信長方)と名高勢(雑賀孫市方)の大合戦が繰り広げられました。春日十番頭もやもえず二つに分かれて戦いました。
一日の戦いで二百人の戦死者を出すというすさまじい戦いでした。織田信長の紀州雑賀攻めの戦いです。

松代王子社跡

熊野三山を遥拝したり、休息するところに設けられた九十九王子社中、海南市には五つの王子跡があります。
そのひとつが「松代王子」で春日山にあります。
この「松代王子」付近では、海南特産の古代墨(松煙墨)や硯などが昔、生産されていました。
今、一月二日には、この「松煙墨」を使用した「紀州古代墨席上書初会」が毎年、春日神社で行われています。
ここより、熊野古道を北に行くと「松阪王子」、南に行くと「菩提房王子」があります。

春日万葉の森

昔より鎮守のもりとして護り続けられてきた、この森には北方系の珍しいクモや本州では、ここにしか生育が確認されていない南方系のネジロツブゾウ虫など貴重な虫類や植物があり、シイの木の群生クスノキ、ホルトノキ、ツガなどの大きな木が生い茂っています。
平成九年には、海南市の指定文化財(天然記念物)になりました。
この春日万葉の森周辺からは、縄文時代のひとびとの集落も見つかっています。古代の人々も春日の森のような森林の中で生活していたのでしょう。

「大野十番頭」後裔たちの寄付により建立された大塔宮・護良親王ご逗留記念の碑

 年中行事

▼1月1日古代あま酒まつり・紀州古代墨席上書初会
  2日新春硬筆書初会
  9日~11日春日の宮えびす祭
▼2月11日節分ぶりぶり大祭(厄除・方位除祈願)
▼5月初旬春日万葉まつり(春祭)
▼6月初旬大塔宮十番頭まつり
  中旬古代米の田植え

                                                (後半・略す)

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