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2012年6月29日金曜日

「紀州海南山椒の餅・爽(そう)ざんしょ」 を開発・発売

近場の海南市で地元特産の紀州備長炭・梅地鶏の卵など、あくまでも地元特産品に拘り、幾多の試行錯誤を経て誕生したのが「黒江ぬりもの館」が企画・発売した「黒いバウムクーヘン」に代表される「黒いスイーツ」の数々、今度は黒いカステラが誕生した。同館の黒いスイーツはいまや市認定の推奨品。手土産・引き出物・通販等で人気商品で「ぬりもの館」店内のカフェでも食べることができ、地元住民憩いの場所ともなっている。
 
 

   これに刺激を受けたのか今回は海南商工会議所女子部のメンバー有志が、これまた和歌山県の特産山椒を材料にして企画・発売したのが下に紹介する山椒入りお餅「爽(そう)ざんしょ」です。近くの方は一度お試しあれ、病みつきになっても知らないから・・・!

「日本一の山椒を活用」ー海南の女性ら山椒餅開発ー「わかやま新報」6.22号

 海南商工会議所女性会(神出美千子会長)は、全国一の生産量を誇る県の山椒(さんしょう)を使った 「紀州海南山椒の餅・爽(そう)ざんしょ」 を開発、 販売を始めた。 地元の名産品作りに取り組む主婦と老舗和菓子店 「駿河屋」 の職人がコラボレーションし、後味爽やかな一口サイズの餅が誕生。 梅干しのような県を代表する土産物を目指し、日本一の山椒の里としての和歌山、海南のPRへ張り切っている。

山椒の実













山椒は和歌山県が国内生産量の約8割を占める特産品。 有田川町はじめ海南市や紀美野町といった長峰山脈周辺で多く作られている。 昨年夏、 商議所の角谷勝司会頭から 「日本一の山椒を使って日本一の名産品を」 と提案があり、 女性会会員のうち希望者が集まって部会 「サロン」 を結成。 市内に支店がある駿河屋に協力してもらった。

 初めは 「山椒はウナギにかけるものでしょ」 「小粒でもピリリと辛い山椒を菓子に?」 という思いもあったが、 自分たちで菓子を手作りしたり、 イベントで茶店を出したり、 収穫を体験したりと熱心に研究。 試食や意見交換を重ねながら試行錯誤を続け、 山椒の爽やかさを残しつつ甘さ控えめ、 後味すっきりに仕上げた。

 ネーミングやパッケージにもこだわった 「爽ざんしょ」 は1箱175㌘入りで600円。 今のところ商議所だけの取り扱いで、 20箱以上の予約注文、 約1週間後の引き渡しとなっている。

  「爽ざんしょ、 どうざんしょ」。 神出会長は 「本当にいいものができました。 駿河屋さんやメンバーの努力のおかげ。 ぜひ一度ご賞味ください」 と笑顔を見せ、 「紀州・和歌山、 海南が山椒の里だと全国にアピールし、 名産品とともにまちをPRしていきたい。 これからもサロンの活動を続けて、 いろんな商品にシリーズ化していきたいですね」 と話している。 購入や問い合わせは商議所(℡073・482・4363)まで。 (以上「わかやま新報」6.22号より)

2012年6月25日月曜日

国名勝「和歌浦」の「塩竃神社」前の和合の松」倒れる!

4月21日にこのブログで紹介した「玉津島神社2」ですが、 6月23日午前、「玉津島神社」西となりにある「塩竃神社」入り口付近にある「和合の松」と呼ばれる和歌浦を象徴する名物の松が突然倒れた。塩釜神社によると、神社隣の松が突然、メリメリと音を立てて倒れたという。たまたま通りかかった乗用車はフロントガラスがひび割れするなどした。松は根元から折れていた。樹齢約300年といい、幹の中がシロアリの被害で空洞になっていたことから、上の枝葉や木自体の重さに耐えられなかったとみられる。 神社は安産の神をまつり、松は「和合の松」と呼ばれている。県が管理する国有地にあった。

 台風や豪雨とは関係なく、松の木の内部がシロアリに食われガランドウになり、近年木の勢いが弱っていたモノが倒れ、通りかかった自動車を直撃しましたが、運転手が軽傷で免れたのは神の御加護か、せめてもの幸いでした。
 また、和歌浦を一躍有名にした山部赤人の万葉集歌「わかの浦に 潮みち来れば かたお無み・・・」の歌碑も同時に倒れた。現地では早急な復興を急ぐが、「和合の松」は昨年3.11に被災した陸前高田の数万本の松原でたった一本だけ残り「奇蹟の一本松」と称えられた松同様「松ぼっくり」から二世が誕生するのか、今後を祈りたい。(記事・画像は「魅せられて和歌浦」和歌の浦みちしるべの会のブログから拝借しました。お断りと御礼申し上げます)

名勝和歌の浦 塩釜神社 巨木和合の松、倒れる。
 6月23日土曜日、9時45分頃、塩釜神社横の和合の松が倒れた。車を直撃したが、幸いにも運転手の人は軽傷ですんだ。また山部赤人歌碑も同時に倒れた。長い間、和歌の浦干潟を見守るかのように、塩釜神社入り口に立っていた和合の松。名勝和歌の浦の象徴的な松であった。生死あるものは必ず死ぬが、和合の松も倒れた。平成22年8月に名勝和歌の浦になったことに安心したのだろうか。これから変わりゆく名勝和歌の浦を、もっと見守り続けてもらいたかった。
塩釜神社の和合の松。輿の窟の前に立ち、和歌の浦干潟を見守り、伽羅岩を風雪から守っています。江戸時代中期18世紀の桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう)の絵に描かれていた松です。
大正期の塩釜神社 「和合の松」
今年の和合の松 少し弱っていますが、まだまだ元気です。
倒れた和合の松。自動車の運転手は軽傷ですみました。
心配そうに見守る市民。
内部はシロアリに食われていました。
山部赤人歌碑「わかの浦に 潮満ちくれば かたお無み・・・」
復元しようと試みるも土台に問題があり、後日のこととなった。
和合の松の松ぼっくり。和合の松、再生を誓う

2012年6月22日金曜日

この度の和歌山集中豪雨お陰で被害を免れました。

19日の台風4号に続く台風5号は低気圧に変わりましたが、これが梅雨前線を刺激し、和歌山県北部では21日深夜から22日早朝にかけて記録的な集中豪雨に見舞われ24時間の降雨量が179m/mと6月としては観測史上最高を記録しました。和歌山市南部を流れる和田川が氾濫し床上浸水は37軒、床下浸水は75軒に上っています。

わたしも昨晩は夜中じゅう、定期的に側溝や道路の冠水状況を観察しましたが、満潮時刻とは重ならずに何とか浸水を免れましたことを、ここにお知らせします。以下和歌山市で冠水した時の状況を参考までにお伝えします。

全国的に大雨、和歌山市では大規模冠水(22日・TBSニュースより)

全国的に大雨、和歌山市では大規模冠水
 21日から22日朝にかけて全国的に大雨となりました。和歌山市では極めて広い範囲で冠水、水の深さは2メートル近くになった場所もありました。

「和歌山・和田川流域に来ています。付近一帯が水没している様子がわかります。かなり広い範囲です」(記者)

バイクを停めた人と住宅の前に湖のような光景が広がります。辺りには、コイが泳いでいる姿も見えます。これは、和歌山市の南部に位置する和田川流域の午前の映像です。住宅と田んぼが広がる地域で大規模な冠水が起き、浸水の被害が相次ぎました。こちらの住宅では、床上まで水が押し寄せ、畳や家具が水浸しとなりました。

前線を伴う低気圧の影響で、21日から22日朝にかけ、太平洋側を中心に降り続いた大雨。和歌山市では午前5時までの24時間の降水量が179ミリに達し、6月の観測史上最高を記録しました。例年の6月なら1月分に相当する量です。

「怖かったですよ。(大雨で)屋根が落ちるんじゃないかと思った」(住民)

この大雨により、市内を流れる和田川が増水。田んぼにたまっていた水が川に流れずにあふれ出し、広い範囲が冠水したとみられます。

「和歌山電鉄・貴志川線の線路です。線路の下ギリギリのところまで水が上がってきています」(記者)

現場近くを走る和歌山電鉄は、始発から全線が運休。小学校と幼稚園も合わせて5校が臨時休校しました。

「一面、浸水しています。川と田んぼの境が全くわかりません」(記者)

冠水した田んぼでは40代の男性が溺れ、消防に救助される事態も起きました。

植えたばかりの稲も被害を受けました。

「この辺りの住宅街も水であふれ、かなりの被害が出ました。多いときで胸の位置まで水が来ていたといいます」(記者)

水深は深いところで一時2メートル近くに達したといいます。

日中、雨が上がった現場ではポンプ車などを使って排水作業が進められました。

浸水被害のあった住宅では、住民が後片づけに追われました。

「(家の外は)この辺まで水が来た。できれば引っ越せるなら引っ越したい」(住民)

これまでに確認されているだけで、床上浸水は37軒、床下浸水は86軒に上っています。時間とともに水は引き始めていますが、復旧作業は今も続けられています。(22日17:51)

2012年6月17日日曜日

南海加太線が開業100周年を迎える!

このブログでも100年前後の歴史あるできごとをいくつか採り上げてきました。
そのなかには先に紹介した和歌山電気軌道の紀三井寺~琴ノ浦開通に合わせて「毛見トンネル」が(明治44年)、夏目漱石が講演のため来和し和歌浦・望海楼に宿をとりすぐ西隣に当時東洋一の高さを誇ったエレベーターに昇降したなど(明治44年)、彼が著した「行人」に詳しい。
それより10年前の明治34年2月には日本に亡命中の中国の革命家・孫文がいまは無き和歌浦・あしべ屋で世界的博物学者南方熊楠とロンドン以来の旧交を温めたエピソードが残され、その跡に最近案内板が設置され、和歌浦の観光に一役買っています。


話は本題に戻りますが、昨16日が現在の南海電鉄加太線が開業100周年を迎え、記念の式典他イベントが開催されました。そこで100年の歴史をもつ(南海電鉄)加太線のことを紹介しよう。

 

南海加太線が開業100周年記念のイベント多彩!(WBCより)


南海電鉄は、紀ノ川駅から加太駅を結ぶ加太線が、今月(6月)16日に開業100周年を迎えるのを記念して、加太駅100周年記念事業実行委員会をつくり、様々なイベントを行います。


南海加太線は、1912年6月16日に、当時の加太軽便(けいべん)鉄道が、現在の和歌山市北島(きたじま)地区にあった和歌山口駅(現・紀ノ川駅)と加太駅を結ぶ路線を開業したのが始まりです。




南海電鉄では、和歌山市や加太観光協会などとともに加太駅100周年記念事業実行委員会をつくり、開業日の今月(6月)16日から記念イベントを実施することにしています。


記念事業として、和歌山大学の原田利宣(はらだ・としのぶ)教授の指導のもと、和歌山大学システム工学部デザイン情報学科の堀切川和也(ほりきりかわ・かずや)さんがデザインしたヘッドマークの電車が9月2日まで運行されます。
ヘッドマークのデザインは、開業した100年前と変わらない、加太の美しい景色と夕日がモチーフになっています。
また、100周年を迎える加太駅を含めた5つの駅の入場券がセットになった記念入場券が南海和歌山市駅や加太駅など8つの駅と公式オンラインストアで販売されます。
入場券に同封されるパンフレットには、開業当時の路線図や写真、年表も同封されるということで、加太線の歴史を感じることができます。
記念入場券は1セット750円、800セット限定で今月(6月)16日から8月19日まで販売されます。
このほか、記念グッズやオリジナルカードも用意されていて、盛りだくさんの内容です。
詳しい問い合わせは、南海テレホンセンター電話06・6643・1005です。
                         「加太の夕景色」

2012年6月13日水曜日

梅雨の晴れ間に近場散策(今昔)

 わたしの自宅から250m位の処に、かつて和歌山電気軌道線が走行していた線路跡(「琴ノ浦」~「紀三井寺」駅)が「紀三井寺緑道」として遊歩道になり、「琴ノ浦出入口」としてウオーキング・散策・登下校・イヌの散歩・自転車通行等に大いに利用されている。
 通称「市電」と称された和歌山電気軌道の前身の会社が1909(明治42)年の和歌山県庁前~和歌浦口開業、その後延伸を続け1911(明治44)年11月には紀三井寺~琴ノ浦が開通、翌1912(明治45)年には黒江まで延伸した。丁度100年前のことである。この電気軌道は1971(昭和46)年全線廃線となってしまった。
 この廃線あとの「紀三井寺~琴ノ浦」約3kmが「紀三井寺緑道」になり、途中に紀三井寺競技場公園が設置され市民の憩いの場所となり、緑道は四季それぞれの花が楽しめる心を和ましてくれる遊歩道となっていまに活かされている。この「琴ノ浦」~「浜の宮」には新旧トンネルが4本通っていて一番東側の電気軌道のトンネルがこれから紹介しようとしている100年の歴史を数えるトンネルなのである
 旧和歌山水力電気(和歌山電気軌道、のちの南海電気鉄道の軌道路線)が掘削した鉄道用隧道。1971年(昭和46年)廃止。現在は「紀三井寺緑道(遊歩道)」として利用されている。
坑門は煉瓦でイギリス積み。笠石、帯石に切石を使用。要石も存在し、迫石は三重県で多く見られる楯状迫石となっている。
坑門の扁額、北側には「鵬雲洞 明治44年11月 書」南側には「而開圖○」とある。
内部は複線が敷ける広さを有し、アーチは吹き付けで覆われており、元の状態は確認できない。また退避坑の跡も確認できる。

北側「・浜の宮「鵬雲洞」

南側・琴ノ浦「「而開圖○」




「紀三井寺緑道」南側出入口(琴ノ浦)

 このトンネルから西へ200mほど歩むと「濱宮神社」という小規模ながら古い佇まいを漂わす古刹に行き着く。この神社の由緒によれば崇神天皇の御代、天照大神の御霊が伊勢の鎮座されるまでのしばしのあいだ、この地に鎮座あそばしたという元伊勢の謂われがあるそうだ。
この地は古くから半農半漁の集落で、この神社から200m西は海浜である。昔は和歌浦湾に面する遠浅の漁場で冬は海苔のヒビ竹が建ち防風林の松林が立ち並ぶ風光明媚な地で、人工開発の波が押し寄せるまでは、春は潮干狩り夏は海水浴で賑わった美しい海岸線を誇ったが、平成の時代になり、この濱の西南に和歌山マリーナシティーという人工島が埋め立て造成され、ここ浜の宮の海岸も近代的な人工浜に生まれ変わり、ウインドサーフィンのメッカや海水浴場に生まれ変わってしまった。昔の姿はここに祀られた神のみぞ知るばかりに変貌を遂げた。ここの磯を南東に回り込めば「琴ノ浦」に出る。いにしえはここの浦の打ち寄せるなみの音が琴の音に聞こえたことから名付けられたそうだが、ここも大正末期から昭和初期の埋め立てにより、昔の姿いまいずこと言った感がする





神社の西100mの処に昔から鳥居が建っている。漁民の信仰の対象であったのだろう
鳥居の奥に見える橋はマリーナシティーへのサンブリッジ 

現在の浜の宮ビーチ

人工島「和歌山マリーナシティー・約50㌶」
  平成10年竣工・ポルトヨーロッパ・黒潮市場・ヨットハーバー・ホテル・マンション・娯楽施設等々


濱宮神社の分社として「御前神社」がマリーナシティーに祀られていることを皆さんご存じでしたか?  近場の今昔のお話でした。

2012年6月10日日曜日

第2回「軽トラ市」開催される(JR海南駅前広場)!

梅雨の合間をぬって今日は朝から薄日がさす好天気、前回の好評を受けて本日第2回目軽トラ市開催中です~!(画像提供: まちづくり海南」:    http://mzkainan.ikora.tv/
「軽トラ」も前回の14台から20台に増えて即売品が前より増えて◯球団の監督さんのようにここも「絶好調~!」。

 次回は7月の第二日曜日に当たる8日09:00~11:00の予定だそうです。
回を重ねる毎に盛り上がり、開催回数も増えて欲しいモノですね!


第1回「軽トラ市」
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前回よりも、商品が充実していて凄い人で賑わっていますik_20