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2011年10月31日月曜日

(速報)「東京スカイツリーの第1展望台」が報道陣に初公開!

「東京スカイツリーの第1展望台」が報道陣に初公開 
 超高速エレベーターも初お目見え
    フジテレビ系(FNN) 10月30日(日)

2012年5月に開業する東京スカイツリーで、360度のパノラマを誇る第1展望台が報道陣に公開され、超高速エレベーターも初お目見えした。

360度の大パノラマが初めて公開された、高さ350メートルの第1展望台。

完成すると、カフェができる予定で、隅田川の眺め、そして、晴れた日には関東一円が見渡せるという。


さらに、このスカイツリーは、地震対策も万全だという。
日本古来の耐震設計である、五重塔の「心柱(しんばしら)」の仕組みを応用し、さらに「オイルダンパー」と呼ばれる揺れを軽減する装置が設置されている。

このオイルダンパーは、地震の際、鉄筋コンクリート製の心柱と塔本体の間のクッションとなり、心柱と塔本体が別々に動くことで、地震の揺れを最大50%減らすことができるという。

さらに、地震などの際に使う非常階段も公開された。

心柱の中にある非常階段は、地上までおよそ2,000段あるという。


東京スカイツリーは、2012年5月22日に開業予定で、半年前となる11月22日からは、団体予約がスタートする。.


(動画アドレス)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20111030-00000543-fnn-soci

2011年10月30日日曜日

熊野古道「道普請」募集、全国からボランティア243人駆け付け!

 観光立県を推し進める和歌山県だが、今回の台風12号は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』のうち熊野三山・熊野古道がかなり大きな災害を被った。
 県や関係市町村は復旧に懸命で、「道普請」ボランティアも募った。この反響は予想以上に大きく当初予定の150人が最終的に243人に達した。
 わたしは地元の大災害に対し僅かばかりの義援金を募金するに止まったが、全国から熊野古道復旧の「道普請」ボランティアに、このように大勢のボランティアが参加してくれたことに、われわれ日本人には如何に自然を愛し歴史あるモノを保存して行こうという気持ちが強いことかと救われた気持ちを強くした。
ではこのことを新聞の報道記事から紹介しよう

◎熊野古道復旧の「道普請ツアー」に全国から243人AGARA紀伊民報 10.29)

 世界遺産・熊野古道を補修しながらガイドと歩く和歌山県主催のイベント「環境保全ウオーク」が29日、田辺市本宮町であった。台風12号で古道が被害を受け「修復に協力したい」と全国から応募が急増。
 当初予定の150人を上回る243人が参加した。県は「古道は安全に歩けるとPRしていきたい」と話している。


 台風12号豪雨による土砂崩れや橋の流失で、古道は各地で被害が確認されている。復旧が進み一部を除いて通行可能だが、道が荒れたり、石が転がったりした箇所もある。 イベントは大手旅行会社と協力して企画。参加募集中に台風があり、被害を知って申し込みが急増したため定員を拡大した。関西を中心に、東京都や神奈川県からの参加もあった。年齢は7~79歳と幅広く、約65%を女性が占めた。


山崩れで損傷した熊野古道

全国から参加したボランティア達









 

 参加者は、重さ約5キロの土の入った袋を持って本宮町伏拝を出発。200メートルほど歩いた地点から傷んだ部分に土を入れ、踏み固める「道普請」を行った。その後、発心門王子から赤木越コースで湯の峰温泉まで約10キロを歩いた。


 長女(10)、長男(8)ら家族4人で参加した会社員宮本昇さん(45)=大阪府豊中市=は「被災地に役立てたらと思い参加した。来る途中でバスから道路の崩れを見て被害を実感した。復旧に向け頑張っている和歌山に少しでも貢献できれば」と話した。


 ガイドを務めた熊野セラピストの生熊哲也さん(54)=那智勝浦町=は「古道復旧に全国からこんなに集まってくれてうれしい。作業をすれば愛着もわく。ぜひ、また来てもらいたい」と目を細めた。


 県観光振興課の山西毅治課長は「短期的にはイベントを通じ、古道は安心とPRしたい。先人が日常的に保全に努めてきた結果、古道は世界遺産に登録された。台風被害を機に、保全の大切さも全国に発信したい」と話した。


 「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された道は300キロ超。県によると、大半が山中の土の道で、風雨で傷みやすく「常にどこかの補修が必要」という。


 2004年の世界遺産登録で古道を歩く人が急増。県は登録5周年を機に09年7月から企業や学校、ボランティアと連携した「道普請」制度を始めた。これまでに延べ約1万2千人が参加している。
        ◇               ◇
◎熊野古道の「大門坂茶屋」 来月1日から営業再開・和歌山産経・2011.10.29 )

 台風12号による豪雨の影響で休業中の那智勝浦町の観光施設「大門坂茶屋」が11月1日から営業を再開する。町観光協会は「平安衣装の体験などを楽しんでほしい」と呼びかけている




  大門坂茶屋は被害が大きかった同町市野々から熊野那智大社に向かう熊野古道にある木造の茶店風施設で平成12年春にオープン。女性向けの平安衣装体験のほか、オリジナルタオルや通行手形などの土産物を販売している。







平安衣装姿で熊野詣
  今回の台風で施設の被害は免れたが、近くに住む女性従業員4人が被災。自宅の後片づけなどに追われていたが、勤務に復帰できるようになり、茶屋を再開させることにした。 午前9時~午後4時の営業予定。
 町観光協会は「大門坂茶屋の営業再開は町の観光復興に向けた一歩で、秋の観光シーズンに間に合った」としている。問い合わせは同協会((電)0735・52・5311)。

2011年10月29日土曜日

久々に「たま駅長」登場、米国CATV局が取材と「たま電」の詳細について!

 読売新聞25日(火)号によれば、和歌山電鉄貴志川線貴志駅「たま駅長」が米国のCATV局の取材を受けたそうだ。それも動物専門のケーブルテレビだとか、テーマも「Must Love Cats](猫たちを可愛がらねば・・・)の日本編だというから、愛情たっぷりに描かれるに相違ない。

 「たま」は過去にも度々映画化されてきた。例えば昨年はフランスの女流監督により『ネコを探して』(仏題:La voie du chat)に、日本の猫および職業を持った猫として出演した。
 NHKでも「アナログテレビ放送終了予告」のキャスター役に起用されたり、スポット的なTV出演は数多い。DVDや絵本としても発売され、日本一有名なネコと、人間さまより働き手で、和歌山電鉄では常務取締役執行役員とNo.3の立場にあり、和歌山県からも多数の観光客を誘致した功績により爵位を授与され、さらに観光招き猫大明神の神号を与えられた。
では、本題に入り、その記事を紹介のあと、「たま電車」の内外の写真、絵本などの紹介もこの機会にしておこう。

◎「たま駅長」、米のCATV局が取材

                     
      アメリカの動物専門ケーブルテレビ局の取材を受ける「たま駅長」
      と小嶋光信社長(25日、和歌山電鉄貴志駅で)


 和歌山電鉄貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫の駅長「たま」が25日、米国の動物専門CATV局「アニマルプラネット」の取材を受けた。

 猫専門番組「Must Love Cats」の日本編に取り上げられた。進行役のジョン・フルトンさんが、「たま」の絵が描かれた電車に乗って駅に着くと、たまは小嶋光信・同電鉄社長に抱かれて登場した。

 「たま駅長の人気ぶりは」の質問に、小嶋社長が「乗客が15%以上増え、ミラクルな猫です」と回答。でも、たまは恥ずかしがったのか、すぐにカメラの前から逃げてしまい、少し離れた所で取材を見守っていた。

「たまミュージアム貴志駅」

貴志駅内「たまカフェ」
盛装した「たま駅長」

「たま駅長」&「たま電車」

「たま電車」の「たま」の絵拡大図
      (一コマ、一コマづつクリックすればその画面が拡大します ☟ )
「たま電車車内アラカルト」

「たま電車」車内風景

「たま駅長」の絵本宣伝ポスター

「たま」が電車になる(「たま電」)
                                       (おわり)

2011年10月27日木曜日

りら創造芸術高専「演劇祭」で元劇団「四季」の沢木順さん講演!

(「りら創造芸術活動」の続き)

 去る23日地元紀美野町真国宮「りら創造芸術高等専修学校」で「りら演劇祭」が催され、生きるシリーズ第2弾「シロとミミと家族」を上演、併せて元劇団「四季」のトップスターだった沢木順さん(66)が同校の「生きる底力」シリーズの一環として講演、「生きる力とは感動すること」と冒頭発言し、情熱あふれるパワフルな演技で観客を魅了した。以下詳細は「わかやま新報」の記事でご覧下さい。

 わたしなりに「底力」というと頭に浮かぶのは、普段はおとなしく目立たないが、いざという時に発揮される強い力という、不撓不屈の信念とエネルギーを感じる。
 この学校が「生きる底力」を掲げるとき、目指すは”若い情熱で、若いエネルギーで目的に向かって達成するまでひたむきに立ち向かう真摯なチャレンジ力”を求めているのを感じる次第である。そこに受け手には素直さ・純粋さまで感じられる。

       (記事をクリックし拡大してお読み下さい)


沢木 順
北海道真狩村生まれ、鎌倉育ち、早稲田大学で演劇を学び、卒業後東宝ミュージカル『ファンタスティックス』のオーディションに主役のマット役に抜擢され、それから沢木順のミュージカル人生が始まる。その後、『ラ・マンチャの男』他の出演を経て、1975年劇団四季に入団。


以後、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ユダ役、『コーラスライン』ボビー役、『キャッツ』ラムタムタガー役、『オペラ座の怪人』ファントム役、『ユタと不思議な仲間たち』『エビータ』他、数多くのミュージカル舞台に立ち、退団後2004年には日本人で初めてのソロミュージカル『YAKUMO ー小泉八雲外伝ー』に挑戦し、見事大成功を収めている。最近では、ミュージカル『ハムレット』クロディアス役を好演し、現在はロックアーティストになる事を夢見ながら、ミュージカル以外にCD、コンサート等で活躍している

2011年10月25日火曜日

”形あるモノはいつかは毀れる”・白浜「円月島」・串本「橋杭岩」欠落する!

 台風12号により紀伊半島は局部的に山崩れや大洪水で、大きな災害が生じ、世界遺産に登録された熊野三山や熊野古道に一部災害を被ったが、これとは直接の関係はなさそうだが、観光名所である「白浜」と「串本」の観光のシンボルであり国の名勝・天然記念物に指定されている「円月島」と「橋杭岩」のいずれも一部崩落する事故があった。
”形あるものは、いつかは毀れる”の喩えどおり、天然記念物や有形文化財等は、この喩え通り地道で継続的な保存が望まれよう!

◍[白浜・円月島で3度目の崩落]

 白浜町の観光のシンボル「円月島」の東側で、岩肌の一部に新たに崩落したとみられる跡があることが、町観光課が確認して分かった。落ちた土砂は少なくとも数トンに上るとみており、同課では近く詳しく調査する予定。
 円月島は、堆積(たいせき)岩の一つ「れき岩」でできており、2005年9月に北側で、08年10月には南側でも規模の大きな崩落があった。同課は「大きな地震が起きたわけでもないのに相次ぐとは」と危機感を強めている。

円月島・崩落した部分

 崩落個所は、近くの県道から真正面に見えるアーチ部分の一部とアーチ部南側の根元付近とみられている。根元付近に生えていた樹木(高さ推定1・5メートル)が、根をむき出しにしてぶら下がった状態になっているのを近くの住民が、4月中旬に見つけた。
 観光課職員が5月27日に島に渡って確認したところ、干潮時にできるアーチ部真下の潮だまりが、崩落によるとみられる石や土砂で完全に埋まった状態になっていた。

 同課では昨年10月に南側の崩落を調査した際、この潮だまりの大きさも調べており、水深が2メートル弱、幅約2・5メートル、奥行き約3メートルあった。また、ぶら下がった状態になった樹木もなかったという。
 同課は「アーチ部の真下は何十年も前から深い潮だまりだった。埋まっている石などを調べてみないと断言できないが、付近が崩落し、その土砂で埋まったとしか考えられない」と話している。

 円月島は南方熊楠記念館のある番所山の南端から南に約100メートルの海上に浮かぶ無人島で、正式名称は「高島(たかしま)」。1974年に町文化財に指定されている。
 大きさは南北約115メートル、東西約20メートル、高さ約26メートル。中央に海食でできた縦約15メートル、横約12メートルの穴がある。風光明媚(めいび)な白浜を象徴する存在で、観光パンフレットでは必ず掲載され、いまも多くの人が島を背景に記念写真を撮っている。穴に沈む夕日の見物も観光資源となっている。

円月島
夕日が沈む円月島











 

 同課によると、「白浜町誌」に39年にアーチの部分に大きな亀裂が見つかったという記載があるが、その後、最近まで大規模な崩落の報告はなかった。しかし、2005年9月に北側の岩肌が幅8メートル、高さ9メートルにわたって崩落、08年10月には南側で幅5~9メートル、高さ13メートルにわたって崩れているのが確認され、島の保全が大きな課題となっている。

保全検討委を発足
 白浜町は2日、円月島保全検討委員会を発足させた。
 委員は和歌山大学システム工学部の江種伸之准教授と町文化財保護審議会委員、町内の地質業者、町幹部ら6人。
 町観光課では「島の変化を注視し、特にアーチ部分の保全では補強が可能かも含め、一歩踏み込んだ視点で協議していきたい」と話している。
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◍「串本・橋杭岩の一部が崩落」 住民が大きな音聞く
 
 橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県串本町にある奇岩群。大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。
直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。

 吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。この橋杭岩の一部が崩落していたことが分かった。
 国道42号側から3番目にある通称「黒岩」の上部が欠け、落下した。

 近くの住民が14日ごろに大きな音を聞いたといい、19日に地区から町教委に連絡があった。20日に県教委文化遺産課が崩落を確認した。同課によると崩落した原因は不明だが、橋杭岩には所々に亀裂があり、高波や強風などによって崩れることがあるという。

 大きな形状の変化はないが今後も崩落の危険があるため、観光客が近寄らないように町が表示板を設置した。

崩落した後
崩落する前


橋杭岩群

橋杭岩空中写真
【一部が崩落した橋杭岩。上部が欠けて下に落ちたとみられる(20日、和歌山県串本町くじの川で)】(紀伊民報AGARAより転載・2011年10月21日)

2011年10月23日日曜日

「りら創造芸術高専」23日演劇祭”劇で生命の大切さ伝える”

りら創造芸術高等専修学校:劇で命の大切さ伝える 23日演劇祭--紀美野・和歌山。県動物愛護センターの依頼で制作


 「りら創造芸術高等専修学校」(紀美野町真国宮)は、多くの命が失われた東日本大震災を受け、今年度は「命」や「生きる」をテーマに公演を続けている。
 23日に同校で開く演劇祭では、年間約3000匹の犬や猫が殺処分される同町の県動物愛護センターの依頼で制作した、劇「シロとミミと家族」を上演する。

(クリックすれば大きくなります。拡大してお読み下さい)
 
家族同様に飼育されてきた犬・ネコが、こうも簡単に捨てられるのか、この演劇は人の勝手さで捨てられた犬・猫の生命の尊さを「生きる底力」と題して演じる。
          ◎ 演劇「生きる底力」
劇は犬のシロと猫のミミが飼い主家族の留守中に「近所迷惑」を理由に処分しようとする大家から逃げ、家族を捜す物語。ペットが捨てられる現状や動物愛護センターの役割などを盛り込んだ。

  同校では開校の07年から雑種犬「バナナ」を飼育している。元々は野良犬で、通報を受けた同センターが収容。当時の生徒がバナナの命を守ろうと同センターと交渉し、引き取った経緯がある。寄付などで基金を作り飼育費に充て、同センターから犬の飼い方を学ぶ講習会も受けている。
 ミミ役の2年、前田千咲さん(16)は「劇を作る中で殺処分のことを知り、ショックだった。劇で命の大切さが少しでも伝わったらうれしい」と話している。
演劇祭は午後3~6時。入場無料。元劇団四季の俳優、沢木順さんの講演、生徒が開発したプリンやぜんざいの販売もある。問い合わせは同校(073.497.9111)。
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(PS.昨日「りら創造芸術高等専修学校のことを転載許可をお願いしたのに対し、早速回答を寄せて頂いたモノです)・2011/10/23 (日) 12:26
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  ◯崎 ◯光様(ニックネーム:しげやん0710) 

りら創造芸術高等専修学校の鞍と申します。

この度は、ブログで本校生徒による活動のご紹介ありがとうございます。

本校は開校5年目の新設校ですが、設立当初から地域住民の方から多大な、

そして情熱的な支援をいただいています。

「芸術とは自己をコミュニケートしたいという人間の欲求である。」

というムンクの言葉にもあるように、芸術を中心とした本校の教育活動が

地域との交流を生み出し、生徒向上の機会となる一方、地域力向上の機会とも

なっていると感じています。

是非、1156日の民族祭にもご来場ください。
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学校法人 りら創造芸術学園 りら創造芸術高等専修学校

   〒640-0086 和歌山県海草郡紀美野町真国宮56
           
T E L :073-497-9111
      
F A X :073-497-9120
       
E-mail:lyra@lyra-art.jp

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地元の「創新」ー「和歌山電鉄」と「りら創造芸術高専」のコラボ催しー

(創新の部)
プレイベント開催から4.5日経ってニュース性が薄れたが、本公演は11月5,6日、生憎海南市黒江の「漆器まつり」、大野の「家具・木工品まつり」それと日方の「日用家庭用品まつり」と重なるが、どこでも「◯◯まつり」というのが何処に行っても目白押し。

ここで採り上げたのは、「たま駅長」「たま電」「おもちゃ電」や「いちご電」等で地元に密着し、創新的な経営で「貴志川線」を見事立ち直らせた和歌山電鉄(社長・小嶋光信・・・10月10日のブログで小嶋社長の講演内容要旨を紹介)と和歌山でも過疎地といわれる高野山と海南市の間の高野山よりに位置する紀美野町真国宮の「りら創造芸術高等専修学校」の生徒達32人が、11月5.6日に開催するイベント「世界民族祭」のプレイベントとして和歌山電鉄貴志川線の電車に乗り込み車内で、ミュージカル風なタップダンスや日本舞踊を披露した。その組み合わせを紹介したい。
和歌山電鉄たま駅長&たま電車
(クリックすれば拡大します。大きくしてお読み下さい)
(以上わかやま新報より)
貴志川線ノ車内の演奏風景

平成21年開催の世界民族祭「わんぱく」IN真国宮の案内
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◎ 「りら創造芸術高等専修学校」(りらそうぞうげいじゅつこうとうせんしゅうがっこう)とは和歌山県紀美野町真国宮56に所在する高等専修学校。学校法人りら創造芸術学園が運営している。

 

  ジャズダンス指導や舞台発表に取り組むダンスアートカンパニー「アルカ」を主宰し舞台活動を続けるかたわら和歌山県橋本市の「きのくに子どもの村学園」で舞台芸術の講師を勤めていた山上範子が理想の教育を目指し、廃校となった紀美野町立真国小学校の施設を利用して、地元自治体や地域住民の協力により設立。

・学校名の由来

紀美野町の星空と校舎
 芸術・音楽の星、こと座(Lyra)に由来する。「紀美野町はみさと天文台が設置されているほど星がきれいな土地であり、その地で宇宙とのつながりを感じ、自然あふれる環境の中で芸術作品を創造していく喜びを感じてもらいたい」という想いが籠められている。

・沿革                                                                         

・2007年 - りら創造芸術高等専修学校開校。
・2009年11月 - 和歌山電鉄貴志川線の電車内で能楽を公演(世界初)
・2009年11月・伝統芸能『真国御田の舞』を和歌山県インターネット放送局で発信。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/nettv/p_ch1/ch1_movie/01_matsuri/2009/04_makuni.html
・2010年2月- 後継者不足から途絶えていた地元の伝統芸能『真国御田の舞』を                              生徒が復活させ奉納公演                                     ・2010年9月- 和歌山県友好団の一員としてトルコを訪問。メルシン市にて舞台発表 ・2010年10月 - 和歌山電鉄貴志川線の電車内でタップダンスを公演(世界初)
・2010年11月・世界民族祭IN真国(紀美野町)・・・和歌山県インターネット放送局
http://www.pref.wakayama.lg.jp/nettv/p_ch1/ch1_movie/01_matsuri/2010/03_sekai.html

・2011年11月・「第3回世界民族祭IN真国」開催予定(5,6日)

     
 
生徒達が演じるミュージカル舞台
                                         以上

2011年10月21日金曜日

那智の滝 流出の〆縄張り替え、朝日宮司「熊野は不屈!」


那智の滝 災害で流失のしめ縄張り替え、朝日宮司「熊野は不屈」!

この度の台風12号により熊野三山は山崩れ、洪水等で大きな被害を被ったが、なかでも熊野那智大社がもっともひどい。高さ133mのご神体である「那智の滝」が姿、流れが変わるほどひどかったし、社殿が約半分ほど山崩れでなだれ込んだ土砂で埋めつくされ、世界遺産に登録されているため、文化庁による被害調査があった。
社殿に溜まった土砂搬出は地元那智勝浦町の観光旅館組合の全員が自分のホテル、旅館の復旧を後回しにしてボランティアで土砂搬出に汗を流した。曰く那智の滝と那智大社は那智勝浦町の観光のシンボル的存在だから、と・・・

高さ133mの那智の滝にかけられたシメナワはこの度ようやく神職のてによって掛け替えられた。このシメナワは滝の水流の3~4m上に架けられているが、洪水で押し流された岩石や樹がこのシメナワを切断したわけで、その凄まじさがわかろうというもの。
このしめ縄は新年を前に年末に再び掛け替えられるが、和歌山県では今回の災害を受けて滝の上流にダムを造る計画だとか、ただ背後の山や滝は世界遺産の登録されているので、慎重を要するとかいう。いずれにせよ局部的ではあるが、今回の台風12号は紀伊半島に大きな置き土産を残してくれたモノだ。自然のおこす脅威とは人智では計り知れない怖さを改めて知らしめてくれた。普段の備え怠りなく、ということを教訓として残した。地元和歌山県は海岸線が長く、東南海・南海大震災が予想される中、山脈は紀南・熊野にゆくほど険しく、山は豪雨による山津波と海も山も津波の心配が絶えない土地柄なのである


せき留め湖の例


 熊野那智大社(朝日芳英宮司)の、ご神体「那智の滝」の滝口で19日、台風12号の大雨で流された大しめ縄の張り替えが行われた。朝日宮司によると災害で大しめ縄がはずれたことはこれまでなく、「正月前の張り替えまで、張らずにいようとも考えたが、熊野の不屈さを示そうと思った」と思いを語った。


 落差133メートルのご神体・那智の滝は、9月3日と4日の台風12号の大雨で増水し、滝つぼが土砂で埋まるなど大きな被害があり、滝口に渡してあった大しめ縄も流された。


 本殿で神事を行った後、白装束に烏帽子(えぼし)姿の神職5人が長さ26メートル、重さ4キロのさらし木綿を寄り合わせた大しめ縄を担いで約2キロの山道を歩き滝口へ。水の落ち口から2メートルほど内側に、慣れた手つきで真新しい大しめ縄を張り渡した。


 大しめ縄は通例、例大祭「那智の火祭り」を控えた7月上旬と、正月前の12月下旬に行っていて、今の時期の張り替えは異例。朝日宮司は「洪水で切れたのは初めてだと思う。神事をしていても落ち着かなかった。奉納してくれている人がすぐに送ってくれたので、張り直すことにした」と語り、張り替えで熊野の元気さを取り戻したいとの気持ちを示していた

2011年10月19日水曜日

「安珍・清姫伝説」で知られる紀州道成寺に舞踊奉納

(「温故の部)

 道成寺 (どうじょうじ)は、和歌山県日高町にある天台宗の古刹である。701(大宝元)年創建と伝わる。道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫(聖武天皇の母)伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃、長唄の古典芸能の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに見える古い話である。

道成寺境内
道成寺本堂
 拝観の際には縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法はユーモラスで有名である。
芸能界では「道成寺もの」を演じるに当たって前もって奉納演舞する例が多い。
この度の台風12号により日高町内は被災した。なお、花柳流の奉納は初めてのことである。

 

 

 

 

 

釣鐘に中に隠れた安珍を清姫が蛇になり妬き殺すの図

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◎日本舞踊花柳流家元 道成寺へ・・・!
  ・日高町「道成寺11月日舞・奉納舞台 被災の日高川町民は無料公演
花柳寿輔さん

 日高川町道成寺の特設舞台で11月13日、日本舞踊花柳流による初の奉納舞踊が行われる。開演は午後5時から(小雨決行)。

 花柳流の主催で、釣り鐘里帰りをはじめ、歌舞伎、能、文楽など数々の道成寺関連イベントを手掛けている「おいでよ日高実行委員会」が後援。4世宗家家元の花柳壽輔(じゅすけ・80)さんが長唄「紀州道成寺」、花柳ツルさんが長唄「京鹿子(きょうがのこ)娘道成寺」を披露する。

「紀州道成寺」は安珍清姫伝説の後日談で、壽輔さんは白拍子を演じ、住僧は花柳基さん、能力は花柳源九郎さん。「京鹿子娘道成寺」ではツルさんは白拍子花子を演じる。道成寺の小野俊成副住職による「お話し」もある。

  高台にある道成寺には台風12号が接近した際、付近の住民らが避難に集まったという。小野副住職は「境内には明治時代の水害で亡くなった方々の供養塔があり、今回町内で亡くなった3人の供養もしている。家元が舞うこの公演を、被災者たちを元気づける機会にしたい」と話している。

 壽輔さんは昭和42年に5代目花柳芳次郎を襲名し、当時の花柳流3世家元だった3代目花柳壽輔の後見人となった。平成19年、3代目の死去後に4代目を襲名した。文部省芸術祭奨励賞、国際エミー賞優秀賞、イタリア賞、舞踊芸術賞、日本芸術院賞など受賞多数。18年には旭日小綬章受章。社団法人日本舞踊協会常任理事、全日本舞踊連盟副会長など務めている。
 
 入場料はA席(指定)5000円、B席(自由)3000円。台風12号で被災した町民は無料で鑑賞できる。問い合わせは役場まちみらい課内おいでよ日高実行委員会事務局へ。こんな辺鄙な地方で、しかも本物の道成寺で、こんな豪華な舞台が見られるなんて、まさに夢のような話。辺鄙な片田舎が輝く一瞬になろう。

2011年10月18日火曜日

復興と鎮魂の祈りをを込め熊野速玉大社「御船祭」開催さる!

 わたしのブログの視点は地元の「温故創新」を訪ね歩る記として、古くから残された伝統や歴史、それと伝統を踏まえた創造的なことを拾い上げて綴っているが、「温故」の代表的なモノを挙げれば何をさて置いても奈良・東大寺の修二会(通称・お水取り)を超えるものはない。東大寺の修二会は「不退の行法 」といわれ、752年(天平勝宝4年)はじめられて以来、現在まで一度も途絶えることなく今日まで伝えられている、東大寺がある限り続く「不退の行法」である。
「修二会」は1667年(寛文7年)に二月堂が火災で失われたときも三月堂で行われ、物資難から諸々の行事が中止せざるを得なかった太平洋戦争の戦中戦後も続けられた。2011年3月で1260年、1260回を数えた。

 今年は、東大寺お水取りの頃、3月11日未曾有の大震災と津波が東日本を襲った。東大寺のお水取りも「東北地方復興」の祈願が加わった。
ことに東北地方の海岸部は壊滅的な災害に見舞われた。これらの中で地域の伝統行事は自粛と被災地を元気付けるため敢えて無理を承知で行うとの二派に分かれ、賛否両論があるのはみなさんよくご存じの通りです。

 これと同じことが、規模は小さいが地元紀伊半島で発生した。台風12号がもたらした長時間にわたる、これまた超が付く豪雨、これによって山津波が多くの集落をのみ込み、また洪水となって家や人をのみ込んだ。これらによって「せき止め湖」という自然の脅威が残したダムで下流の住民は避難を強いられている。東北と同じようなことがわたしの住所から100km余り南で現実におこったのである。

熊野速玉大社
 世界遺産に登録された熊野三山・熊野古道も土砂で大きな被害を被った。
このなかで、新宮市にある「熊野速玉大社」も下に記すように被害が出た。
そこで本年の秋の例大祭を如何にするかという決断に迫られたのである(10月15日 本殿祭、神馬渡御式・10月16日 神御輿渡御式、御船祭)
結論は以下の報道にある通り・・・
熊野速玉大社で「御船祭」 復興と鎮魂の祈り込め・2011.10.16(「紀南新聞」より)

災害前の御旅所
被災した御旅所
熊野速玉大社(上野顯宮司)の例大祭神事は16日午後、神輿渡御(みこしとぎょ)と船渡御の御船祭(みふねまつり)が盛大に執り行われた。
 台風12号の大雨による洪水、土砂崩れで新宮市街地でも大きな被害を受けていて、今年の例大祭には鎮魂と安寧、復興への思いを掲げた。神輿渡御では、大きな被害があった地区を中心に威勢良く神輿が練り住民を元気づけた。御船祭は競漕を行わず隊列を組んで神霊を遷(うつ)した神幸船(しんこうせん)を御船島、御旅所(おたびしょ)へ導いた。

神輿渡御には若者ら約50人が参加。上野宮司が神輿に神霊を遷し、境内で一練りした後出発。神馬、神職に続いてまちへ出た神輿は「ワッショイ、ワッショイ」と大きな掛け声を掛けて約1時間半、上本町や大王地、谷王子などを巡った。主要な交差点で、担ぎ手が一層大きな声を上げながら神輿を揺らすと、見物人から拍手が起こっていた。

熊野川河原に神輿が到着した後、「御船祭」が幕開け。例年通り早船が出発後、船形に並び替え、諸手船(もろとぶね)や神幸船を先導する、古式にのっとった形で御船島を目指した。この後、1隻ずつ順に島に入り時計回りに3周した。一部の船には神輿から引き継いだ「祈 鎮魂安寧 復興成就」と「祈 天地正大 甦(よみがえ)る日本」ののぼりを掲げた。

熊野区の艫(とも)取りを務めた山口芳生さんは「艫取りが打ち合わせをして臨んだ。競漕ではなかったが、厳かに祭りができた」と感想を語った。

祭りを終えた上野宮司は「河原の整地や草履の奉納など、いろいろな地域の方の助けで無事、斎行することができて感謝している」と振り返り、「例大祭では初めて、式典の前に黙とうし参列者の皆さんとともに鎮魂を祈り、日本、熊野の復興を願った。15日の神事で神様をおよびした時、雷が鳴り、神さまが下った思いがした。早船にものぼりを掲げ、みんなで復興成就を祈る祭りができた」と話していた。
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文化庁職員による現場調査

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島を廻る従来の早船競漕


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災害を被った今年の御船巡り
 ・熊野速玉大社」HP.:http://kumanokaido.com/hayatama/
※本年度御船祭について・ この度の台風十二号により、熊野地方は甚大な被害を被りました。
熊野速玉大社では、鳥居、太鼓橋、駐車場、職舎が水没しましたが、幸いにも社殿はじめ各建物には 被害が及びませんでした。 しかし、「お旅所」はあとかたもなく流され、御船島も濁流により様相が大きく変わってしまいましたことは、洵に残念でなりません。  
 
両所とも古来から重要な神事の行なわれる場所であり、世界遺産コアゾーンにもなっておりますので、文化庁とも協議をすすめながら復元計画をすすめております。
熊野地域全体がこのような苦しい情況にありますが、この様な時にこそ皆様の協力のもとに、先人から受け継いできた例大祭を厳修し、御神威をいよいよ高め、熊野の復興と亡くなられた方々の鎮魂安寧の祈りを捧げる時であると思います。

検討の結果、十五日の本殿祭、神馬渡御式、及び十六日の神輿渡御式は予定通り行ないますが、諸事情を考慮して今年の御船祭では競漕を行なわず、本来の祭の趣旨に添って神様の御供として、島を廻る形で行うことになりました。
どうかご理解ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。どうか 是非皆様の御参拝を心よりお待ちしております。

熊野速玉大社宮司 上野 顯・熊野速玉大社 役員一同・御船祭出船区 役員
祈願・ 「黄泉(よみ)がえりの}が「蘇りの」熊野となりますように・・・!

2011年10月17日月曜日

幕間狂言・「たすきがけ」「たらいまわし」人事に見るロシア・中国

 先月下旬から15日まで「和歌浦の風景」とお隣の海南市黒江(わたしが生まれ育った処)の今昔をシリーズでアップしてきましたが、次の企画を考える合間に幕間を利用して近い将来のロシアの大統領選挙と中国の共産党首脳人事について、チョットのぞき見してみよう。

  いずれも独裁国家であるのはご存じの通りですが、お隣の北朝鮮は社会主義国家というものの金一族による世襲制独裁国家で、ある「国別民主主義度の調査」ではワースト!でした。これはもちろん論外です。

 そこでロシアや中国で行われようとしている首脳人事は、どう見ても「たすきがけ」あるいは「タライ回し」人事にしか見えない。「たすきがけ」「タライまわし」という言葉は、わがが国でも昔から使われ、どちらも余りいい印象のある言葉ではない。

「たすきがけ」人事・出典: 『ウィキペディア』
たすきがけ人事(- じんじ)とは、会社・団体・組織などの人事において採用される手法のひとつ。ある役職が、2種類以上の相異なる性質の集団を出身した人物により、規則的に交替で担当されることを指す。語源は、和服を着用する際のたすきが、両肩から交互に紐を下ろし結ぶことから。
・  「たらい‐まわし〔たらひまはし〕
1 あおむけに寝て、足でたらいを回す曲芸。
人や物、また権利・地位などを、ある限られた範囲内で、順送りにすること。「病院を転々と―にされる」「権力の座を―する」
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ロシア国旗
・ロシアの例・「たすきがけ」人事

「プーチン首相、大統領復帰へ―メドベージェフ氏が支持表明、自らは首相へー(2011年 9月 25日 )
【モスクワ】 ロシアのメドベージェフ大統領は24日、来年の大統領選でプーチン首相の出馬を支持することを明らかにした。

 これにより、プーチン首相がメドベージェフ氏の強力な後継者として大統領に復帰することが確実となり、独裁的な体制がさらに数年続くほか、ロシア政府の西側諸国との関係は先行き不透明なものになる可能性が強まった。
   「統一ロシア」の党大会で支持者に応えるメドベージェフ大統領(右)とプーチン首相(左)

 来年3月の大統領選については、両氏のどちらが出馬するかとの観測が数カ月続いていたが、両氏はモスクワで開かれた最大与党「統一ロシア」の党大会で相次いで登壇し、首相職と大統領職を交換することで合意したことを明らかにすると、会場の党員は歓呼でこれを承認した。
ただ、政治アナリストは、この演出された合意劇はプーチン氏の振り付けだとされる。

  メドベージェフ大統領は同党大会で「ウラジミール・プーチンをロシア大統領候補として支持することが正しい」と述べた。
次に演壇に立ったプーチン首相は、この提案を受け入れた上で、自身が大統領に選出されれば、メドベージェフ氏は首相として「若く、精力的な新政権の首班になることができる」と述べた。
 
  メドベージェフ大統領はこの日の演説で、次期大統領をめぐるサスペンスに終止符を打ったが、多くの者にとって退位演説のように聞こえたという。メドベージェフ氏は大統領として、改革的政策を掲げ、ロシアの悪名高き追従的な 裁判制度の改善や汚職取り締まりなどを訴えた。また石油など天然資源の輸出依存から技術革新に基盤を置く経済への移行を求めた。

  しかしメドベージェフ氏の国内改革政策は目立った成果を生み出さず、オバマ米政権が打ち出した米ロ関係の「リセット」方針へのメドベージェフ氏の対応にも、プーチン氏が批判的な態度をあらわにした。
(出典・典拠及び「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版が使用することを許諾します」もしくは「バロンズ・オンラインが使用することを許諾します)

  このことについて、ロシアのプーチン首相が党首を務める最大与党「統一ロシア」が、10月14日、来年3月の次期大統領選にプーチン氏を推すことを正式に発表した。と同時にメドベージェフ現大統領が首相に転じて「双頭体制」を保つ構想を改めて示した。これこそまさに「たすき掛け」人事のモデルであろう。

 さらに、メドベージェフ大統領のときに大統領の任期を4年から6年に延長されているので、プーチン大統領時代が最低6年以上続くことになる(ロシアでは、大統領の任期は一期4年で、2期以上勤められない規定があり、プーチン氏は大統領退任に当たり、次期大統領候補にメドベージェフ氏を推し、自らは首相に就任することを宣言した。このちき、わたしは4年後の任期満了時には再びプーチン氏が大統領に名乗りを上げるのではないかと予想した。予想は現実のこととなった。

・ロシアにおける主要政党
2008年現在、国家会議(連邦議会下院)に議席を持つのは、以下の4政党である。
統一ロシア中道中道右派、穏健な保守主義
ロシア連邦共産党左派共産主義
ロシア自由民主党極右民族主義
公正ロシア中道左派社会民主主義
このうち、プーチンが党首を務める「統一ロシア」が議席の圧倒的多数を占める。

「タライ回し」人事・中華人民共和国(中国)
中国国旗(五星旗)
 ・まさに中国共産党の一党独裁国家である。

習氏、次期中国最高指導者に確定 12年党大会で交代へ
【北京共同】中国共産党の第17期中央委員会第5回総会(5中総会)は18日、政治局常務委員の習近平国家副主席(57)=序列6位=が中央軍事委員会副主席に就任することを決め、4日間の日程を終了、閉幕した。国営通信の新華社が伝えた。習氏は軍の重要ポストに就くことで、胡錦濤国家主席(67)=同1位=の後継者として次期最高指導者になることが事実上確定した。
   
 習氏は2012年の第18回党大会を経て胡氏が兼務している党総書記を継ぎ、翌13年春の全国人民代表大会(全人代)で国家主席に選ばれる見通し。胡氏が兼ねている軍の最高ポスト、中央軍事委主席の交代は2年度ずれ込む可能性もある。
  

 習氏は新中国成立後の「革命第5世代」と呼ばれ、同世代の李克強副首相(55)=同7位=も13年の全人代で温家宝首相(68)=同3位=の後を継ぐとみられる。習氏は党内や軍から幅広い支持を得ており、今後は党、国家、軍の最高権力を掌握している胡氏から習氏に党内の求心力が移っていくことが予想される。
5中総会は、新中期計画「第12次5カ年計画」の基本方針も決定。総会コミュニケは国際協力を進め、主権保護にも力を入れると強調した。
 
・近い将来の中国にたいする米国の見方
12年の国家主席交代前に制御不能に!?民主化運動を受けて中国指導部が焦り―米下院議員・2011年6月5日 
3日、訪中した米下院議員が、中国共産党指導部は12年の同指導部交代前に制御不能になる可能性を危惧していると指摘した。
        (写真は河南省鄭州市で開かれた新中国展覧会で展示の歴代国家主席。)

 2011年6月3日、訪中した米下院議員のチャールズ・ブスタニー氏は、中国共産党指導部が1年~1年半前と比べ自信を失っていると述べた。同指導部は経済、政治、軍事などあらゆる領域について焦燥感をあらわにしており、12年の同指導部交代前に制御不能になる可能性を危惧しているという。

  ブスタニー氏は、中国の高度経済成長には既に陰りが見え始めているとの認識を示し、10%を超える成長はもう戻ることはないという事実に中国指導部は直面しなければならない、と述べた。今年の経済成長率は7~8%の水準にとどまる見通しだが、これは中国経済の台頭後初めてのことだと同氏は指摘した。
同氏はまた、中国が北アフリカと中東から広がっている民主化運動の矛先が独裁政権打倒に向かっていることと、同運動における米国の影響力に怯えていると指摘。民主化運動のうねりが中国に押し寄せてくれば、12年の指導部交代前に制御不能になる可能性も否定できないという。同氏はさらに、経済における労働コストの増大とインフレ、大量の農村人口が都市に流入することによる社会の不安定などを懸念材料として挙げている。

・習 近平(しゅう きんぺい、シー・ジンピン、Xi Jinping、1953年6月1日 - )は中華人民共和国の政治家。中華人民共和国副主席、中華人民共和国中央軍事委員会副主席、第17期中国共産党中央政治局常務委員、中国共産党中央書記処第一書記、中国共産党中央軍事委員会副主席、中国共産党中央党校校長。党内序列第6位[1]。太子党のひとりで、父は習仲勲(元国務院副総理)。中国の最高指導者である胡錦濤の後継者に事実上確定している人物である。

・わたしなりに、中国共産党首脳の政治姿勢を見ていると、やはり中国共産党一党独裁国家そのものという感じが拭えない。中国では中国共産党の下に「国家」と「憲法」がおかれ、国家よりも共産党も方が上位にある。したがって、少数の中国共産党幹部の意のままに処理できる。また、贈賄・収賄はまかり通っている。幹部の汚職もよく話である。最近の例では、例の「超高速鉄道」の追突事故、それに続いての「地下鉄追突事故」、そのいずれもが信号設備の不具合が事故原因という。
 ハード面については経済大国・中国の威信をかけて最新鋭の設備を導入したが、ソフト面では最新鋭のハードを使いこなす人材・技能が備わっていないのではなかろうか?それに、事故後に採った措置や改善策が何も聞こえてこない。

 昨年のノーベル平和賞受賞の中国人が国家に批判的だと云う理由で出国できず、軟禁状態だったという。最近ようやくある程度自由の身になったと伝えきくが、中国共産党に批判的なモノは押さえ込み或いは弾圧が未だに続いているようである。

 しかし、エジプトや隣国リビヤで生じた独裁者打倒の民衆蜂起は、いまや世界的な趨勢、瞬時にして世界中を駆け巡る情報化社会は中国民衆にも及ぶ。押さえようにも押さえ切れるモノではない。米国下院議員が発言していることが、やがて中国でも現実のこととなって来るに違いない。16日の報道によれば中国共産党の第17期中央委員会第6回全体会議が15日、北京ではじまり、主要議題は「文化体制改革の深化」。経済成長に見合う文化面での発進力を高めつつ、市民間に拡がるインターネットなどのメディア管理は緩めず強化する。そんな「社会主義文化強国」の建設を指向するという。

  「格差ノー・デモ世界を駆け回る」と世界80カ国超、1千超の都市で「失業への不安を抱え、貧富の差の拡大に怒るわかもの」がデモをしたとある。わが国でも東京・六本木はじめ都内の複数の場所でもでもがあったという。おそらく時間の差はあれ、この流れはやがて中国にも拡がるに相違ない。中国共産党のメディア管理強化は大衆の圧倒的な数と力のまえに多量の血を流すことにならないかと心配だ。