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2014年5月29日木曜日

日本サッカー教会幹部の熊野三山必勝祈願・28.29日

熊野三山でW杯の必勝祈願 日本サッカー協会関係者が来県                                                         
2014年05月28日/WBS
 
先日の「なでしこJAPAN」記念碑設置と直後のアジア選手権初優勝という快挙があった日本サッカー協会ですが、女子につづいて男子でも日本サッカー教会幹部の熊野三山必勝祈願が行われました。

 
サッカーのワールドカップブラジル大会の開催を前に、日本サッカー協会の関係者がきのう(5/28)、和歌山県を訪れ、熊野三山の一角、熊野那智大社で必勝祈願にのぞみました。
 
必勝祈願する川淵顧問(右端)、仁坂知事(左端)
必勝祈願する川淵顧問(右端)、仁坂知事(左端)

 きのう和歌山県を訪れたのは、日本サッカー協会の川淵三郎(かわぶち・さぶろう)最高顧問と田嶋幸三(たしま・こうぞう)副会長で、熊野三山で神の使いとされる「八咫烏(やたがらす)」が日本サッカー協会のシンボルマークとなっている縁で、必勝祈願を行いました。

 きのう午後3時過ぎから那智勝浦町の熊野那智大社で行われた必勝祈願には、和歌山県の仁坂吉伸(にさか・よしのぶ)知事も駆けつけ、川淵最高顧問らとともに玉串を捧げてワールドカップ・ブラジル大会での日本選手の活躍を祈りました。

 熊野三山に参拝するのは初めてという日本サッカー協会の川淵最高顧問は、「ここに参拝して、なでしこジャパンがワールドカップを制することができたので、今回も、日本代表には、私がお参りに来てよかったと思える結果を残してもらいたい。ワールドカップでは、予選リーグ突破がとりあえずの目標ですが、予選を突破できれば、ベスト8に入る力はあると思います。八咫烏には、いまもお願いしましたが、最後は神頼みですね」と話していました。
インタビューに応じる川淵顧問
インタビューに応じる川淵最高顧問

 川淵最高顧問ら一行は、このあと、那智山青岸渡寺にも参拝し、さらに、那智勝浦町にお目見えしたばかりの「なでしこJAPAN」の記念碑を視察し、紀伊半島大水害の慰霊碑に献花しました。
29日は、新宮市の熊野速玉大社と田辺市本宮町の熊野本宮大社にも参拝してワールドカップでの必勝を祈願します。

2014年5月28日水曜日

城下町の風景Ⅱー⑦河岸の松と石屋さん・時鳥松

ニュース和歌山とは、「城下町の風景」Ⅱの転載を一括的に掲載のお許しを得ています。

⑦の河岸の松と石屋さん・時鳥松(ほととぎすまつ)が掲載されましたので、ここに転載します。

 

 
         
画=西村中和、彩色=芝田浩子

河岸の松と石屋さん⑦時鳥松(ほととぎすまつ)

 和歌川に架かる大橋東詰の北側には時鳥松という、青々と枝葉が茂る実に見事な松がありました。左の絵には川沿いの道や屋形船から、その松を眺める人々が画かれています。
 時鳥松の由来を述べると、新通に黒岩道碩(どうせき)という医者がいました。その妻は井口屋という商人の娘で、彼女の祖母も大橋東詰の商家の出でした。その家を閉めたとき、彼女の祖母は河岸に松を植えたそうです。彼女の大伯父は、この松にホトトギスがしばしば鳴くのを見て時鳥松と名付けました。
 その人も祖母の実家も井口屋もなくなりましたが、3人の娘が残りました。その一人、道碩の妻は跡取りがなく絶えた家のことを夢にみて、夢で聴いた和歌を都の姉に伝えました。それを都の高貴な人たちが知るところとなり、和歌や漢詩を詠んで彼女に送りました。その数は10や20ではなかったそうです。絵図をみると、時鳥松は柵で囲われ、札が立てられています。おそらく、この松の由来が記されているのでしょう。
 石屋の店先には、たくさんの原石や燈籠などが置かれています。石工たちは、帆掛舟のように布を張り日陰で石を加工しています。道端はまるで作業場のようです。石屋は船による運搬に便利な川沿いに店を構えました。そういえば、最近まで和歌山市立博物館の裏の市堀川沿いに石材置場があったのを思い出しました。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)

◇     ◇
 江戸時代の地誌書「紀伊国名所図会」の絵に色をつけ、当時の暮らしを解説する『城下町の風景』の第2弾。次回は6月11日号に掲載します。
ニュース和歌山2014年5月28日号掲載

2014年5月22日木曜日

第一生命・第27回「サラリーマン川柳」BEST10発表!

”歌は世につれ世は歌に連れ”といいますが、その中でも川柳はとりわけ時代を映す鏡です!

今日は世間で好感をもって楽しみにされている恒例の第一生命サラリーマン川柳(第27回)BEST10が発表されましたので、厚かましくも転載させて頂きました

第27回サラリーマン川柳ベスト10

第27回 第一生命サラリーマン川柳コンクール 私が選ぶサラ川ベスト10 全国投票結果発表!!
第27回サラ川ベスト10 やくみつる氏が斬る!!
私が選ぶサラ川ベスト10 第1位 得票数5,204票 うちの嫁 後ろ姿は フナッシー 段三っつ
第2位 得票数4,969票 もの忘れ べんりな言葉 「あれ」と「それ」 政権はママのもの
第3位 得票数3,695票 妻不機嫌 お米と味噌汁 「お・か・ず・な・し」 不幸な男
第4位 得票数2,955票 帰宅して うがい手洗い 皿洗い しゅうくりーむ
第5位 得票数2,910票 おもてなし 受けてみたいが あてもなし えんかつ
第6位 得票数2,714票 「イイネ」には、 「どうでもイイネ」が 約五割 ほんで?
第7位 得票数2,207票 やられたら やり返せるのは ドラマだけ 夢追人
第8位 得票数2,147票 「オレオレ」に 爺ちゃん一喝 「無礼者!」 ビート留守
第9位 得票数2,116票 いつやるの? 聞けば言い訳 倍返し 受験生ママ
第10位 得票数2,021票 わんこより 安い飯代 ワンコイン 春の夢
11位から100位をご覧になりたい方はこちらへ
  • ※川柳、雅号は、すべて応募者の表記にしたがっているため、一部当て字等での表記で掲載しています。
  • ※作品の著作権は、すべて第一生命に帰属しています。無断での転載、使用はご遠慮ください。

熊野八咫烏が取り持つ縁、「なでしこjapan」記念碑がお目見え

「なでしこ記念碑」がお目見え 熊野古道、八咫烏が縁・05月20日

 三本足の八咫烏といえば、熊野三山の神の使者として、日本サッカー協会のシンボルマークとなっていることは、みなさんよくご存じのとおりですが、この度熊野那智大社がある和歌山県那智勝浦町が熊野の守り神「八咫烏」が取り持つ縁で、「なでしこJAPAN」の記念碑が建てられ、披露された。

これは熊野古道の大門坂駐車場にあり、熊野古道の新名所として「なでしこJAPAN」の活躍とともに人気スポットになること間違いナシであろう!

祈・「なでしこJAPAN」の大活躍!!!

 
 大門坂の駐車場に設置された「なでしこジャパン」の選手らの足形をあしらった記念碑=20日、和歌山県那智勝浦町
大門坂の駐車場に設置された「なでしこジャパン」の選手らの足形をあしらった記念碑=20日、和歌山県那智勝浦町

 
 

世界遺産に登録されている和歌山県那智勝浦町の熊野古道の名所、大門坂の駐車場に20日、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の澤穂希、川澄奈穂美両選手らの足形をあしらった記念碑がお目見えした。日本サッカー協会のマークに使われている伝説の鳥「八咫烏」が熊野三山の守り神とされている縁で町が設置した。

 記念碑は高さ約1・9メートルの石柱にサッカーボールをつかむ八咫烏の銅像が載せられ、これを囲むように2011年女子ワールドカップ(W杯)の選手13人の足形の銅板がはめ込まれている。

2014年5月19日月曜日

韓国・陸のセウォル号事件、完成目前に傾く7階建てビル、撤去作業中に倒壊

韓国、完成目前に傾く7階建てビル、撤去作業中に倒壊/ソウル・5月19日

 
写真・図版
 
韓国中部の忠清南道牙山(チュンチョンナムドアサン)市で12日、完成目前に大きく傾いたビル。韓国・聯合ニュースの撮影=AFP時事。
  

 韓国中部の忠清南道牙山(チュンチョンナムドアサン)市で18日午前、完成目前に大きく傾いたため撤去作業中だった7階建てのビルが倒壊した。聯合ニュースによると、同日から2日間にわたって撤去する予定だったが、掘削機で3~4階の柱を壊す過程で突然倒壊した。傾いてはいないが同じ形状で隣に建設されたビルは、安全診断の結果に応じて今後の対応を決めるという。

旅客船セウォル号の沈没事故後、韓国国内で安全への関心が高まる中、12日にビルが傾き、韓国メディアは「あちこちにセウォル号」(朝鮮日報)などと大きく報じた。今回も、撤去作業中に予期せぬ倒壊が起きたため、改めて安全管理態勢が問われそうだ

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韓国の旅客船沈没、不明277人 死者6人に!・ソウル、珍島・4月17日

 
写真・図版
 
沈没する旅客船から乗客を救出しようとする韓国の救助艇や漁船。韓国海洋警察庁提供=AP
写真・図版
浸水中の韓国の旅客船=16日、AP
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 韓国の旅客船セウォル号(6825トン)が16日朝、南西部の珍島(チンド)付近で沈没し、韓国海洋警察庁によると17日午前1時の時点で乗客乗員462人のうち179人が救助されたが、男女6人が死亡、277人が安否不明になっている。多くの人が船内に閉じ込められている可能性があり、必死の救助活動が続いている。
 船体は一部が海上に出ている状態で沈没。海洋警察庁や海軍などから200人近い潜水士らを動員して救助にあたっているが、潮流が速いため、船内に入るのもなかなか難しい状況だという。救助は夜を徹して続けられる。船内への進入も引き続き試みられている。
 乗客の家族の一部は16日深夜、記者団に対し、「船内にいる子どもからメッセージが届いた」と訴えた。取材に応じた家族によると、16日午後10時40分ごろ、沈没した船内に取り残されたという男子生徒から、兄に携帯電話の文字メッセージが届いた。生存者がおり、救出を求める内容で、「今ここは船の中、何も見えない。男子数人と女の子が泣いている。まだ私は死んでいない」と記されていたという。管轄する海洋警察庁は「確認できない」と話している。
 聯合ニュースによると同船は5階建ての構造で1、2階が機関室や駐車場、3~5階が客室などになっているが、内部構造はかなり複雑だという。
 韓国政府は船体を引き揚げるクレーン3台を現場に向かわせているが、到着は18日になる予定で、被害の拡大が懸念されている。韓国国防省によると、黄海上で警戒任務にあたっていた米海軍の艦艇も、支援のため現場海域に向かった。
 韓国政府によると、船体は浸水により転覆、沈没した。韓国メディアによると仁川から済州島に向かっていた同船は、霧のため出発が3時間近く遅れ、急いでいたとの指摘も出ている。ただ、沈没現場周辺の漁船員らの証言では当時、波は高くなく、視界も悪くなかったという。韓国メディアは岩礁とぶつかった可能性などを指摘しているが、原因はわかっていない。
 旅客船には、修学旅行中の京畿道安山市の高校2年生や引率教員らが乗っており、死者のうち3人は同校の生徒と確認された。 


教訓:海外旅行が急増中の現在、旅行先の国の安全度を前もって調べることが必須である。
安いからだけでは、"わが身”が護られないからだ。生命は地球よりも重たい。                    

2014年5月9日金曜日

11日開催「和歌祭」の最終仕上がり状況!

神輿おろしと渡御行列の和歌祭、11日開催 /                                           

2014年05月09日 WBS ニュース


 

11日の開催をめざして、最終仕上げに熱が入ります。前回につづいてWBSからのニュースです。

紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)の例大祭「和歌祭(わかまつり)」が、あさって(11日)、和歌山市の和歌浦(わかうら)一帯で行われます。

和歌祭は、江戸時代初期の1622年から続く、和歌山を代表する祭りのひとつで、勇壮な神輿(みこし)おろしと華麗(かれい)な渡御行列(とぎょぎょうれつ)で知られています。

紀州東照宮の西川宮司と御所神輿

紀州東照宮の西川宮司と御所神輿

 

 祭りは、午前11時半、紀州東照宮の境内から、白装束(しろしょうぞく)の男たちに担がれた神輿が、急な石段を駆け下りる「神輿おろし」で、まず、ヒートアップします。

 

 続いて正午からは、和歌祭の音といわれる摺鐘(すりがね)・太鼓(たいこ)や餅搗踊(もちつきおどり)、雑賀踊(さいかおどり)など地元の踊り、また、薙刀振(なぎなたふり)、母衣(ほろ)、舞姫(まいひめ)など華麗で、多種多彩な時代衣装の渡御行列が紀州東照宮を出発、芸能や演舞を披露しながら和歌浦一帯を練り歩き、毎年、多くの見物客らでにぎわいます。

 

 和歌山県文化遺産課によりますと、今回の祭りでは、江戸時代の絵巻物や古写真を参考に餅搗踊の囃子方(はやしかた)の衣裳と餅花傘(もちばなかさ)の幕が新調され、本来の囃子方の風情(ふぜい)を取り戻しているということです。

衣裳が新調された餅搗踊の囃子方(写真提供・和歌山県文化遺産課)

衣裳が新調された餅搗踊の囃子方(写真提供・和歌山県文化遺産課)

新調された餅花傘の幕(写真提供・和歌山県文化遺産課)

新調された餅花傘の幕(写真提供・和歌山県文化遺産課)

 

 ところで、紀州東照宮の西川秀紀(にしかわ・ひでとし)宮司は、「祭りが近づいてくると、そわそわしてくる。いい祭りなので、ぜひ見てほしい」と話し、今年初めて、和歌祭実行委員会の委員長となった地元の建設会社専務の中山豊若(なかやま・とよわか)さんは、「全体を仕切るのは責任重大」としながらも、当日は「神輿おろしも渡御行列も楽しんで」と多くの見物客の来場を呼びかけています。

和歌祭実行委員長の中山さん

和歌祭実行委員長の中山さん

 
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稽古大詰め 11日、和歌浦一帯で「和歌祭」/05月08日 わかやま新報

 
 江戸時代から受け継がれる、和歌山市和歌浦西の紀州東照宮(西川秀紀宮司)の大祭「和歌祭」が11日、和歌浦一帯で行われる。竹籠(かご)を背負い歩く母衣(ほろ)、太鼓や端唄(はうた)を響かせ歩く「唐船」(とうぶね)などさまざまな練り物があり、演者たちの稽古も大詰め。小学生らによる団扇や餅花踊りも、本番に向けて連日練習が重ねられている。
団扇太鼓、餅花踊を練習する演者
団扇太鼓、餅花踊を練習する演者
 

 団扇太鼓と餅花踊の練習は小学生の放課後、同宮参道で。太鼓や母衣などの経験があり、9歳から毎年和歌祭に参加している松井瑛雄(てるお)さん(85)を中心に指導に当たっている。
 団扇太鼓の演者は左手に太鼓を右手に枹(ばち)を持ち、餅花踊の演者はササを持ち、一歩一歩振りを付けながら練り歩く。演者は足の運び方や太鼓をたたくタイミングなどを真剣に習得していた。
 和大付属小3年の菅谷信太朗君(8)は「踊りは楽しい。本番までに完璧に覚えたい」と熱意を見せる。松井さんは「当日、子どもたちの練習の成果が出ることを祈ります」と話している。
 当日は午前11時半から同宮の108段を勇壮に駆け下りる「神輿おろし」が行われた後、正午に行列渡御が出発。同宮を出て、海岸通り、和歌浦漁港、片男波海水浴場、万葉館、不老橋、あしべ通りを練り歩く。その間、4カ所で演舞が披露される。この他、各種伝統芸能披露やフォトコンテストが催される。
 西川宮司は「参列者1000人が動く、素晴らしい祭り。演者の熱意で天気も晴れてくれたら」と話している。
 雨天中止。行列渡御が行われる正午~4時ごろは交通規制あり。詳しい規制についてはホームページ(http://www.wakamatsuri.com/)で案内。問い合わせは実行委(℡073・444・0808)まで。

2014年5月1日木曜日

約400年の歴史を誇る紀州徳川家戦国江戸の時代絵巻「和歌祭」(5/11)

5月に入りました。今日はメーデー、世に言うGWの真っ直中です。各地各場所で多彩なイベントが繰り拡げらレようとしていますが、これらのなかの一つに「和歌祭」があります。一時は衰退の危機を迎えましたが、かつては徳川御三家の一つ紀州徳川藩の催事として日本三大祭りの一つに数えられた時代がありましたが、近年心ある人々の手によって復活を遂げつつある「和歌祭」を採り上げたいと思います。

和歌祭公式サイト | 400年の歴史を誇る紀州徳川家 戦国江戸の時代絵巻

戦国の時を超えた、春の饗宴

紀州徳川家 戦国江戸の時代絵巻 和歌祭 

  初代紀州徳川藩主御入国から始まった「和歌祭」は徳川家康公および初代紀州藩主徳川頼宣公(南龍公)を祀り、徳川御三家の格式があり、戦前までは全国三大祭りの一つに挙げられていましたが、時代の変遷とともに一時は衰退しましたが、歴史ある和歌祭に心を寄せる多くの人々の声の高まりにより、近年復興の気運が高まり、それも若い青年達が400年の歴史ある和歌祭を復活させようと意欲的な取り組みが行われています。

また、地元和歌山大学では国立大学では初めての観光学部の創設など学部・学生挙げての取り組みの成果が形となって現れるなど盛り上がりつつあり、地域住民の祭りとして定着化しつつあることは将来にむかって喜ばしい限りです。みなさんもぜひご参加下さるようお願いします。

 「和歌祭」公式HP: http://wakamatsuri.com/

上に挙げた祭礼出し物のうち、むかしの行事が復活した一例として唐船御船歌の復活の経緯を簡単に紹介してみましょう。

◎ 御船歌練り歩き/2014-04-23(水)

    来月11日に開催される和歌山市の紀州東照宮の大祭、和歌祭を前に今日、和歌山大学のキャンパスで御船歌の練り歩きが行われました。
和歌山市栄谷の和歌山大学では今日、和歌山大学紀州経済史文化史研究所の吉村旭輝特任准教授や和歌祭の練り物の一つ「唐船」の曳き手、それに和歌山大学の学生らあわせて15人が和歌祭の衣装を身にまといキャンパスを練り歩きました。
吉村特任准教授は平成22年、和歌祭の練り物の一つ「唐船」で歌われていた和歌の浦の賛歌「御船歌」をおよそ30年ぶりに復活させました。
御船歌の復活を契機に祭りをPRしようと翌年の平成23年から大学での練り歩きを始めました。
吉村特任准教授と参加した学生らは、太鼓やホラ貝、幟を持ってキャンパスを一周し「御船歌」を唄いながら和歌祭をPRしました。
また、和歌山大学の図書館の3階にある紀州経済史文化史研究所の展示室では、和歌祭の練り物の一つ母衣(ほろ)の歴史を辿る企画展「和歌祭の母衣ー武具から風流へ、風流から武具へ」が来月16日まで開催されていて、企画展と和歌祭りへの来場を呼びかけています。        

◎和大紀州研・和歌祭御船歌練り歩き /2012.04018                                            

和歌山大学の構内で、(2012.04)きょう(18日)午後、毎年5月の紀州東照宮(とうしょうぐう)の大祭「和歌祭(わかまつり)」の芸能の一つ「御船歌(おふなうた)」の一行が練り歩き、和歌祭をPRしました。

「御船歌」を唄いながら練り歩く吉村さん(先頭)ら(4月18日・和歌山大学にて)

これは、和歌山大学紀州経済史文化史研究所(紀州研)学芸員の吉村旭輝(よしむら・てるあき)さんらが、おととし(2010年)、和歌祭の芸能「唐船(とうぶね)」の中に出てくる謡(うたい)「御船歌(おふなうた)」をおよそ30年ぶりに復活させたものです。
きょう(18日)の昼休みの時間を使って、吉村さんと和大の学生ら8人が衣装を身にまとい、太鼓やホラ貝、幟などを持って行列し「御船歌」を唄いながら和歌祭をPRしました。

また、このほか観光学部などの有志の学生らおよそ30人が、朝鮮半島に渡った紀州雑賀衆(さいかしゅう)の子孫と言われる「沙也加(さやか)」の装束や「にわか面(めん)」などを身につけて練り歩きました。

そして、行列の締めくくりに、去年(2011年)吉村さんらが新たに復活させた長唄「あめふり」も披露されました。吉村さんは「間もなく始まる和歌祭の芸能そのものを展示品として披露し、多くの人に祭りにより親しみを感じて欲しい」と話しています。

ところで、和歌山大学図書館3階では、来月(5月)18日まで、紀州研主催の企画展「和歌祭 渡り物と練り物の芸能」が開かれていて、きょう(18日)披露された謡(うたい)や長唄の歌詞をはじめ、関連する史料が数多く展示されています。