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2011年4月20日水曜日

20日・初夏に向かって季節は進む!茶畑に川に!

希望の桜・元気と勇気をもらった
 季節は進んでいる。確かな足取りで!
被災地でも津波で痛めつけられた桜の樹が健気に花を付け、希望の花とか心が落ち着き癒やしてくれるとか、被災者にもひとときの心の平安を与える東北の「花便り」であるが、

 地元では「夏が近づく八十八夜」を二週間後に控えて、一足早く熊野本宮大社では、この19日「新茶祭」が催された。
一方川の方では、夏の風物詩「鮎釣り」の早期解禁日を5月1日に控えて元気な若鮎の遡上が確かめられた。マニアによって撮影された遡上スナップをお目に掛けよう。

「願い込め一葉一葉 熊野本宮大社で新茶祭」
新茶祭用の茶摘み風景

 新茶を摘み取る女性たち=田辺市の熊野本宮大社

 新茶を神前に供えてお茶の品質向上と製茶産業の発展を願う「新茶祭」が19日、熊野本宮大社(田辺市)であった。

 神社が所有する約10アールの茶畑で、巫女(みこ)や信者の女性たち7人が5、6センチに伸びた茶葉を摘み取った。お茶は地元特産の音無(おとなし)茶で、摘み取った後に本殿に供えられた。後日宮内庁に献上されるという。

 本宮町茶業生産組合によると、大社の周辺などでは約7ヘクタールの畑に40戸ほどの農家が音無茶を栽培している。まろやかなのが特徴。今年は冷え込みと遅霜で例年より収穫減となる見込みだという。
  ◇           ◇
「稚アユ 懸命のジャンプ」・和歌山有田川


 初夏のアユ釣り解禁を前に、稚アユが銀鱗(ぎんりん)をきらめかせて、有田川の清流をさかのぼっている。
遡上する若鮎
 
 パソコン教室講師で全日写連会員の戸根治さん(69)=和歌山市畑屋敷東ノ丁=が14日に撮影した=写真。

 河口から約5キロ上流にある有田市辻堂の岸で、約10匹の稚アユが泡立つ潮止めのせきを跳びはねて越えていた。

 有田川では、例年6月から8月末までアユをねらった鵜飼(うか)いが催され、夏の風物詩として人気を集めている。  

2011年4月15日金曜日

15日・64年ぶりに小学校教科書に復活される「稲むらの火」

  3月11日発生の東日本大震災から5週間が経過した。未曾有の規模の地震・津波という天災に加えて福島第一原発の人災ともいえる原子力放射能汚染を収めきれずに、復旧が遅々として進まない。
 政府は14日、復興ビジョンを描くため「復興構想会議」なるモノを立ち上げた。菅首相は冒頭「ただ元に戻すという復旧ではなく、改めてつくり出すという、創造的な復興をお示しいただきたい」と要請したとある。
 だが、見方によってはヤタラと委員会や会議を立ち上げて、首相としてのリーダーシップをとることなく、そこへ丸投げしようとするいつもの菅首相の逃げの姿勢が丸見えである。原子力利用を積極的に推進してきたのは長年にわたる自民党・公明党政権に他ならず民主党も同様であった。いまや国難に見舞われたわが日本の国には、政党間のいや同じ党内の争いをしている時間は許されず、国を挙げて取り組むべき多大な課題であろう。

 はたして、構想会議の特別顧問に就いた哲学者の梅原猛氏は「天災」や「人災」という言葉に触れたうえで、震災について「わたしは『文明災』だと思う。原発が人間の生活を豊かにし、便利にする。その文明がいま裁かれている」と指摘した、とある。わたしが、さきにブログで梅原氏だとこう言うだろうと、予告した通りであった。

 そうしているなか、地元紀州で安政の大地震で襲ってきた大津波から村人を高所に誘い、さらに再び津波から村を守るため村人の失業救済を兼ね、当時の金額にして4665両という大きな私財をなげうち約4年間を掛けて広村堤防を築き、ラフカディオ・ハーンに「生きる神」と称えられ、小学校教科書にも「稲むらの火」として採り上げられた逸話が再び採用されたそうだ。
濱口悟陵

紀州・広村

 この主人公濱口悟陵こと第7代濱口儀兵衛は、ただ単に大津波から村人を救っただけにとどまらない。その後の考え方行いが数段凄いと云わざるを得ない。それも私財を投じてである。彼はその思想として「経世安民」(うまく世を治め、民心を安定させる)を生涯貫き実行したことでも知られ、わたしもブログで昨年10月17日「稲むらの火祭」と濱口悟陵、20日「稲むらの火」に見られる濱口悟陵の偉業とその精神として詳しく記述しているので併せてご覧頂き、ここでは64年ぶりに教科書に採り上げられたことを紹介させて頂くに留めたのでご理解下さい。この際学ぶべきは小学生のとどまらず、それに先だって政治家諸氏には是非この精神をこの度の復興に生かした諸施策として行われることを望みたい。
   ◇        ◇
津波の教訓、64年ぶり教科書に 「稲むらの火」が復活
広村堤防

 江戸時代に紀州藩広村(現・和歌山県広川町)を襲った大津波から人々を救った実業家浜口梧陵がモデルの物語「稲むらの火」が、浜口の伝記の形で、4月から使われる小学5年の国語教科書に載る。
 物語は1937年から10年間、国定国語教科書に載っており、64年ぶりの復活だ。津波の教訓を子どもたちに再び伝えることになる。


「百年後のふるさとを守る」


稲むらの火















 発行する光村図書出版(東京)によると、教科書は全国の公立小の6割で使われる。東日本大震災の発生前から掲載が決まっていた。鷲巣学編集本部長は「子どもたちに助け合いの気持ちや郷土への思いを学んでほしい」と話している。
 物語は1854年、安政南海地震で広村が大津波に襲われた際、浜口がわらに火を放ち、暗がりで逃げ惑う村人を高台に誘導したという実話に基づく。作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が明治時代に英語で小説化し(A Living God 生きる神さま)、それを基に地元の小学校教員が児童向けに翻訳、再構成した。
 
 今回の伝記は「百年後のふるさとを守る」と題し、防災に詳しい河田恵昭関西大教授が書いた。物語の概要を紹介した上、その後の話として、浜口が次の津波に備えるため私財を投じ、住民とともに4年をかけて全長約600メートルの堤防を完成させた史実を取り上げた。
 「稲むらの火」はアジア各国の言語にも翻訳され、2004年のスマトラ沖地震による津波被害後には、当時の小泉純一郎首相とシンガポールのリー・シェンロン首相との間で話題になったこともある。
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「稲むらの火の館(濱口悟陵記念館)」アドレス
http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/

2011年4月11日月曜日

11日・東日本大震災から一ヶ月!被災地は・・・いま

 3月11日の大震災から1ヶ月が経った。今日現在の死者の数は13.116人、行方不明は14.377人を数えるという。阪神大震災時は1ヶ月経過した時点で、行方不明者は2名だったというの比して、今回の大震災が如何に凄まじかったかがこの数字が示すのを見てよく分かる。それに原発事故による放射能汚染を食い止める手立てが未だにできず、累積放射線量が高い地域が新たに避難指示の対象に加わりそうである。
春、必ず来る・・・
 
 これらのなか、「桜前線」は静かに北上し、壊滅的な被害を受けた福島県いわき市久之浜で、津波を耐え抜いたサクラが開花したことが報じられていた。黙っていても、自然の摂理はスバらしい!被災地の人には「生きる希望の花」であろう。

 この度の「東日本大震災」の地震・津波の規模の桁外れの大きさと福島原発が大津波に被災し、全ての電源が使えなくなり原子炉冷却制御不能に陥り、原子炉水素爆発と放射能汚染を拡大し続けているが、この解決には数年を要するとのことである。

 これらのなかにあって、物理学者、随筆家、それに俳人であった寺田寅彦の話が引き合いに出される。「天災は忘れた頃にやって来る」という有名な言葉を遺した寺田であるが、宗教学者で昨年の南方熊楠賞を受賞した山折哲雄氏は彼のことを引いて次のように論じている。


山折哲雄氏
 1935(昭和10)年に「日本人の自然観」という文章で、日本列島が何千年もの昔から自然の脅威にさらされてきたことを論じ、日本の自然環境はきわめて不安定であるが、その根本原因は地震と台風にあるという。
そのため自然がひとたび荒れ狂うとき、日本列島に住む人々は、その脅威の前に頭(こうべ)を垂れ、自然に反抗することを諦めてきた。むしろその厳父にごとき自然から生活の知恵を学び、日常的な対策を立てて災害に備えるようになった。
 
 それだけではない。そのような生き方の中からいつの間にか「天然の無常」という感覚が育ち、自然の中にカミの声やヒトの気配を感じるようになったのだと山折はいう。物理学者が自然の前に首を垂れて、天然の無常に聞き入っているのである。無常観は仏教以前からのものだ、といっているところが大切な点ではないだろうか、と氏は説く。
 そして話は岡潔に及ぶ。岡の場合はどうだったのか。昭和40年のことだが、文芸評論家の小林秀雄と対談し「人間の建設」のなかでドキッとするようなことを語っている。彼は世界に知られた数学者で文化勲章を受章しており、晩年は奈良の住んで、ほとんど孤高の研究生活を送っていた。

 さて、小林秀雄との対談の話題は多岐にわたり、その中で、特に自然科学の命運に関する彼の発言に次のような箇所がある。
 世に20世紀は理論物理学の時代だったというけれども、それならこの科学の王者はどんなことをやったのか。第一の仕事は「破壊」だった。原水爆の発明はそもそもそうだったではないか。それに対して「破壊」に代わるべき「創造」を科学は何一つしてはいない。それから、もう一つ、理論物理学をはじめとする自然科学がやったことは「機械的破壊」だった。
 彼がいったことに、なるほどと思わないわけにはいかないには、工学的テクノロジーの異常な発達であり、それが今日の驚異的な「遺伝子操作」につながっていることは周知のことだ。この対談で岡によれば、自然科学は「葉緑素」一つつくることができないのである。
 山折はいう、科学技術の発達のおかげで人類はどれほどの恩典を受けてきたのかは知らない訳ではない。
 だが、上の二人の先覚者が、その人生の晩年に主張していたことに、いま改めて胸をつかれる。「天然の無常」という認識の深さ、であり、科学技術の限界についてである。
 一言でいえばそれは、”科学技術よ、おごるなかれ”ということだったと思う。   ◇        ◇
 もう一人、いまは「黙して語らず」であるが、独自の論理を唱える有名な哲学者梅原猛氏は、「一神教」と「多神教」について、このように語っている。
この二つの文明は、その農業生産の方法によっても思想を異にする。小麦農業は人間による植物支配であり、牧畜もまた人間による動物支配である。このような文明においては、人間の力が重視され、一切の生きとし生けものを含む自然は人間に支配さるべきものとされる。そして集団の信じる神を絶対とみる一神教が芽生える。
 それに対して、稲作農業を決定的に支配するのは水であり、雨である。その雨水を蓄えるのは森である。したがってそこでは自然に対する畏敬の念が強く、人間と他の生き物との共存を志向し、自然の至る所に神々の存在を認める多神教が育ちやすい。
 西の文明の優位は決定的であるように思われる。なぜなら近代ヨーロッパは科学技術文明というすばらしい文明を生み出したからである。この文明によって多くの人間は、かつて味わったことのない豊かで便利な生活を享受することができるようになった。
 しかしこの文明の限界も二十世紀後半になってはっきり見え始めた。人間による無制限な自然支配が環境破壊を起こし、やがて人類の滅亡を招きかねないという危惧がささやかれる。そして一神教は他の一神教と厳しく対峙して無用の戦争を巻き起こし、二十世紀の起こった人間の大量殺戮が二十一世紀にはより大規模の起こる可能性すらある。このような状況において、あえて人類の末永い繁栄のために西の文明の二つの原理である「人間主義」と「一神教」を批判する必要があろう。と述べている(『神殺しの日本』反時代的密語)。
 わたしが手にしたこの本は3月第1刷発行、まさしく梅原猛氏は、この度のことが起こることを起こるべくして起こった、と預言していた気がした次第である。
”人間よ、おごるなかれ! 科学技術よおごるなかれ”であろう。

 いまはただ一つ、世界の叡智をもって一刻でも早く怒れる原子炉を鎮めることだと、そのときが早く来たらんことを祈るのみ・・・!

2011年4月8日金曜日

8日・東日本大震災に寄せてー無常ということー瀬戸内寂聴


 「無常ということ」について、日本人は『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」で始まる『平家物語』、鴨長明の『方丈記』の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」に代表される日本中世文学は、仏教的無常観を抜きにして語ることはできない


 同じように、単に「」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち「無常」を感じるからとされる。


 満開の桜もこの週末、風雨とともに散りゆく運命にあるが、散り際の潔さは決して褒められたことではないが、戦中は死に行く軍人にその散華の姿を求められた。
山桜
「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。
「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよいであろう。
 評論家小林秀雄の代表作の一つに「無常という事」というのがある。彼の著作はいずれもが難解であるが「無常」を「常ならむ」と、捉えればよいのだろうか! 
 
 きょうは、東日本大震災ということもあって、それから約1ヶ月弱、東北は
岩手の中尊寺で今東光氏を導師として得度し、仏門に入った瀬戸内寂聴さんが東日本大震災に寄せた「無常」の想いを掲載させて頂こう。

「あらゆる物が消えても、人はやっていける」と瀬戸内寂聴・4月6日
「瀬戸内寂聴氏の説法」

 
 東日本大震災で多くの物が失われ。しかし、それでも残っている物がある。作家、僧侶の瀬戸内寂聴氏が「人生にとっていちばん大事なもの」を説法する。
 * * *
 被災地で暮らす方々は、その日を生きるのに精いっぱいで、今夜の寒さをどうするか、明日の食事をどうしようかと、気持ちを高めて一日を乗り切っているのが現状であることと思います。心の痛みについて考えたり、感じたりしている時間はないことでしょう。

 けれどもしばらく経つと、哀しみや沈んだ気持ちがどっとやってくるわけです。気持ちもウツになるでしょう。そのとき私たちは、被災者のことを決して忘れずに、誰か一人でもいい、被災地に暮らしているお友達でもいい、話し相手になったりずっと付き合ったりしていく気持ちでいるべきです。

 人生にとっていちばん大事なのは、目に見えないものですよ。

 心は目に見えないし、神も仏も目に見えません。だけど、その目に見えないものが、人生を本当に左右させているんです。

 戦後の日本人は、金や物といった目に見えるものばかりを大事にしてきました。外国人がびっくりするほど勤勉に、もとにあったものを取り戻そうとしました。

 お茶碗一つ取り返したら、今度はお盆が欲しい。その次は机も欲しい。着るものがあったら、次は飾る宝石が欲しい。その情熱によって、何もなかった日本は世界で有数の経済国になったでしょう。

 でも、そのとき心はどうだったのでしょう。幸福を守るのはお金ではなく目に見えないものなのに、それをどう扱ってきたか。だからこそ、いま最も疎かにしてはならないのは心です。祈りです。そして知識ではなく、人に優しく振る舞い、困っている人たちを助けようとする智慧です。

 たとえあらゆる物が消えてしまっても、体が残れば必ず心は残る。心さえ失わなければ、人はなんとかやっていける。私たちはその心を大事にしていかなければなりません。自分のためではなく、誰かのために祈る心。自分以外の人のための祈りは、いつか報われるときがくるからです。
    ◇          ◇
 東日本大震災で自分の価値観が大きく変わってしまった人も多いだろう。私たちは今をどう生きるべきなのか。作家、僧侶の瀬戸内寂聴氏(89)が説法する。
   *   *   *
 あのような自然の威力の前で、人間はいかに無力なのでしょう。

 家族は手を握っていても、その手を離さざるを得なかったでしょう。離して生き残った人は、それはつらいでしょう。目の前で家が潰れたり、肉親を失ったりする悲しみや絶望は、体験していない者には決して分かりません。

 それでも―─と私は思うんです。その哀しみや狼狽やつらさも、いつまでも続かない。この世のことはすべて生々流転、移り変わるのです。

 私は今年の正月で数えの90歳ですから、もう卒寿です。90年間生きてきて、いろんな目に遭ってきましたし、いろんなことを見てきました。

 子供の頃から日本が戦争をしていたので、物心付いたときから「非常時」という言葉を耳にタコができるくらい聞かされてきました。私たちにとって、「非常時」が日常でした。

 厳しい時代だったけれど、それでも嫌なことより楽しい思い出の方が記憶に残っているのは、私が子供だったからでしょう。

 大人になってさらに戦争がやってきた。私は中国の北京で終戦を迎えました。
恐怖と心細さの中で命からがら日本へ引き揚げると、日本は焼け野原。郷里の徳島も空襲で、母親は防空壕で焼け死んでいました。

 どん底とは、まさにこのことだと思いました。だけど、そのつらさを忘れないで、人間はやっぱり生きていくしかないんです。

「無常」という言葉があります。仏教で「無常」と言えば、人間が死ぬことを意味するでしょ。でも、私はそれだけじゃないと思っています。
「無常」とは読んで字の通り、常ならずということ。同じ状態が人生で続くことはあり得ない。

 90年間を生きてきてつくづく思います。人生には良いことも悪いことも連れだってやってくるんですね。

 そして良いことばかりが続くことはなく、同じように悪い状態が永久に続くこともないんです。どん底の場所に落ちても、人は無常を思い、忍辱(辛抱する)を貫き通すしか術がないんです。

 家を失い、肉親が死に、一人ぼっちになった人たちの哀しみは計り知れません。でも、いま以上に不幸になることはあり得ない。もうこれ以上の困難は起こらないのだと、私たちは上向きになるしかないのです。そのことを信じる。どんなに雨が降り続いても、必ずやってくる晴れの日をじっと待つのです。
 必ずそれは終わります。あるとき気付けば、暗い運命にも光は射し始めるんですよ。

2011年4月6日水曜日

6日・近頃都(首相官邸)で流行るモノ!

 いまは、昔、後醍醐天皇の御代、「建武の中興」が行われた時代、この政治を皮肉った賀茂の河原の「二条河原」に掲げられた落書であるが、混乱した時代と政治の不信感をよく表したいまに生きる傑作であろう。

 未曾有の規模の東関東大震災被災とそれに被災し「原子力安全神話」を覆し、恐怖の放射能汚染をを垂れ流し続ける東電福島第一原発事故で世界中に危機感を募らせ、被災地救済も遅々として捗らないいまの政権に対して、どのような「落書」が今様風に登場するのか見物である。

 歴史は繰り返すといわれるが、後醍醐天皇の建武から680年近く経っていまの世にも同じことが繰り返されている。
 ”失敗から学ぶ”とよく聞かされるが、政治家のはこの言葉は死語なんだろうか?パロディーで自分を慰めるしか仕方がないイマの世の中、生かされている幸せを感じつつ、せめて身の丈にあった義援金を拠出して自分を慰めよう。

『二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)』

『建武年間記(建武記)』に収録されている文である。88節に渡り、建武の新政当時の混乱する政治・社会を批判、風刺した七五調の文書。専門家の間でも最高傑作と評価される落書の一つである。

 鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が開始されてから程なく、1334年(建武元年)8月に建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原(鴨川流域のうち、現在の京都市中京区二条大橋付近)に掲げられたとされる落書(政治や社会などを批判した文)で、写本として現代にも伝わる。

 建武政権に不満を持つ京都の僧か貴族、京童であるとも言われているが、中国の『書経』・『説苑』由来と見られる文言や今様の尽くし歌風の七五調の要素を持つ一種の詩をかたどった文書であり、漢詩や和歌に精通している人物が書いたことは間違いないと思われる。落書の編者は「京童の代弁者」を装いながらも、実際には必ずしも民衆の不満の代弁者であった訳ではない。

(本文)
“ 此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨(りんじ)
召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
生頸(なまくび) 還俗(げんぞく) 自由(まま) 出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
追従(ついしょう)  讒人(ざんにん)  禅律僧 
下克上スル成出者(なりづもの)
器用ノ堪否(かんぷ)沙汰モナク  モルル人ナキ決断所
キツケヌ冠上ノキヌ  持モナラハヌ杓持テ  内裏マシワリ珍シヤ
賢者カホナル伝奏ハ  我モ我モトミユレトモ
巧ナリケル詐(いつわり)ハ  ヲロカナルニヤヲトルラム

為中美物(いなかびぶつ)ニアキミチテ  マナ板烏帽子ユカメツヽ
気色メキタル京侍  タソカレ時ニ成ヌレハ  ウカレテアリク色好(いろごのみ) 
イクソハクソヤ数不知(しれず)  内裏ヲカミト名付タル
人ノ妻鞆(めども)ノウカレメハ  ヨソノミル目モ心地アシ
尾羽ヲレユカムエセ小鷹  手コトニ誰モスエタレト  鳥トル事ハ更ニナシ
鉛作ノオホ刀  太刀ヨリオホキニコシラヘテ  前サカリニソ指ホラス

ハサラ扇ノ五骨  ヒロコシヤセ馬薄小袖
日銭ノ質ノ古具足  関東武士ノカコ出仕
下衆上臈ノキハモナク  大口(おおぐち)ニキル美精好(びせいごう)

鎧直垂猶不捨(すてず)  弓モ引ヱヌ犬追物
落馬矢数ニマサリタリ  誰ヲ師匠トナケレトモ
遍(あまねく)ハヤル小笠懸  事新キ風情也

京鎌倉ヲコキマセテ  一座ソロハヌエセ連歌
在々所々ノ歌連歌  点者ニナラヌ人ソナキ
譜第非成ノ差別ナク  自由狼藉ノ世界也
犬田楽ハ関東ノ  ホロフル物ト云ナカラ  田楽ハナヲハヤル也
茶香十炷(ちゃこうじっしゅ)ノ寄合モ  鎌倉釣ニ有鹿ト  都ハイトヽ倍増ス

町コトニ立篝屋(かがりや)ハ  荒涼五間板三枚
幕引マワス役所鞆  其数シラス満々リ
諸人ノ敷地不定  半作ノ家是多シ
去年火災ノ空地共  クソ福ニコソナリニケレ
適(たまたま)ノコル家々ハ  点定セラレテ置去ヌ

非職ノ兵仗ハヤリツヽ  路次ノ礼儀辻々ハナシ
花山桃林サヒシクテ 牛馬華洛ニ遍満ス四夷ヲシツメシ鎌倉ノ 右大将家ノ掟ヨリ 只品有シ武士モミナ  ナメンタラニソ今ハナル
朝ニ牛馬ヲ飼ナカラ  夕ニ賞アル功臣ハ  左右ニオヨハヌ事ソカシ
サセル忠功ナケレトモ  過分ノ昇進スルモアリ  定テ損ソアルラント  仰テ信ヲトルハカリ

天下一統メズラシヤ  御代ニ生テサマザマノ  事ヲミキクゾ不思議ナル
京童ノ口ズサミ  十分ノ一ヲモラスナリ  
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このごろ都(首相官邸 )の流行るもの!

 東電のお陰でおこる「計画停電」に 停電による「通勤難民」
パニック怖れる「買い占め騒動」 水も放射能怖く「ペットボトル」頼み
そのうえ放射能は拡がり続け、陸地や海にも高濃度!野菜も魚も食べられぬ
 
 春が来るとは言いながら、東北の春はまだ来ない 四月というのに避難地は
零度以下の気温にて 吹雪く雪にて凍える身体をお互いに慰め合って 
支え合って生きている慰めてくれるのは 絆で結ばれた国の民 

 肝心要の政府には頼りのならぬ不信感
東電に至っては なんの謝罪も今になし 
この訴えはどこへいってゆけばいいんか 
ああい菅、こんな世に誰がした。
枝野官房長官
菅首相


 テレビやラジオを通じて流れ来るのは「金子みすず」の詩の話。
聞けば聞くほど 涙が止まらない。
頼れる内閣誰もなく、(ア)菅かスッカラ菅に オウムの官房長官。
そこにはこんなパロディーが流行ってる

 

官邸周辺ではやるパロディー詩!

●笑いたくないが、笑っちゃう
 近ごろ都に、はやるもの。ACの大量広告と、いきなり中継が始まる枝野官房長官の要領を得ない会見。ウンザリしているのは官邸記者も一緒のようで、こんな戯れ歌が出回っている。

・「大丈夫?」っていうと、「大丈夫」っていう
・「漏れてない?」っていうと、「漏れてない」っていう
・「安全?」っていうと、「安全」って答える


そうして、あとで怖くなって
・「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、「ちょっと漏れてる」っていう
こだまでしょうか?いいえ、枝野です ええオウムです

 AC広告で使われている金子みすゞの詩をもじったものだが、
別パターンもある。


・「安全?」って聞くと、「安全」と答える
・「健康被害は?」と聞くと、「直ちに影響はない」っていう


詐欺師でしょうか? いいえ、枝野です


 他には、AC広告のこんなパロディーも。


「こころ」は見えないけれど、震災利用の「下心」は透けて見える
「思い」は見えないけれど、「思い上がり」は誰にも分かる


 
スッカラ菅、ア菅のことをちゃかしているのは、言うまでもない。
そしてオウム官房長官枝野のことも!

2011年4月4日月曜日

4日・東電福島原発の驚くべき考え方の格差、東電VSソフトバンク孫氏!

 放射能拡散が続きその解決に数ヶ月を要すると報道されている東京電力・福島第一原発関係の記事で、まことに驚くべきコトを目にした。

東電・福島第一原発
 その一つは、東京電力、その記事を掲げますので、みなさんどう思われます?放射能汚染の被災者、いや日本の国民、全世界の人々を愚弄した余りにもひどい不感症的内容の記事なので、あえて見て頂きたい。
 3・11に自社がおこした福島第一原発事故をどう考えているのか?
あくまで「想定外」の津波による事故と、逃げを打ち通す積もりなのか?
4/3付け「朝日新聞」掲載記事
     ◇                    ◇
 その2は、ソフトバンク創始者で社長の孫正義氏、現在は帰化し日本国籍を取得しているが、在日韓国人3世、孫氏は東日本大震災に、驚くべき多額の義援金拠出を申し出た。以下その経緯を報道されたなかなら引用した。


<東日本大震災>ソフトバンク孫氏 個人で義援金100億円・(毎日新聞4月3日)
孫正義氏


 ソフトバンクは3日、孫正義社長(53)が東日本大震災の被災者への義援・支援金として、個人で100億円を寄付すると発表した。
 またソフトバンク代表としての役員報酬(09年度実績は約1億800万円)も、引退するまでの分全額を寄付する。
 このほか、ソフトバンクグループも企業として10億円を寄付するという。  義援金は日本赤十字社や共同募金会を通じた寄付のほか、NPO支援、震災遺児支援などに充てると説明している。
 
 孫社長は今回の寄付についてコメントしていないが、震災後に福島県を訪ね、インフラ復旧などへの協力を申し出たり、震災で両親を亡くした震災遺児に18歳になるまで携帯電話を無償貸与する方針も打ち出すなど、公私両面で被災者支援に取り組んでいる。


”名誉や批判などは覚悟の上!孫さん 活発な行動の真意を明かす”・ITライフハック4月3日
 東日本大震災に対して、ソフトバンクの創設者 孫正義氏は、活発に活動している。時には、副大臣と喧嘩をするほどだ。なりふり構わず行動しているようにも見てとれるが、そこには同氏なりの考えがある。

孫正義氏は、自身のTwitterで活発な行動の真意を明かした。
東電経営陣、言語道断!
 孫正義氏が気に掛けていることのひとつに原子力発電所の事故がある。同氏は、原子力発電所について、どう思っているのだろうか。

「一般的に原発はコストパフォーマンスが高いと言われていますが、数万年にも及ぶ廃棄物の管理、事故で生じる環境、経済的リスク…経営者の観点からリスク対効果について意見を聞いてみたい。」とのコメントに対して、孫正義氏は「原発の真のコストパフォーマンスは最悪。」と、コメントしている。

「東電の今年の計画に福島原発7、8号機増設と言う事が上がっているようです。国に上げるのに、改定して提出出来なかったって意味がわかりません。わかりません東電が…」とのコメントに対しては、「東電経営陣、言語道断!」と、孫正義氏は東京電力に対して批判している。

 原子力発電所は、発電効率が高く発電時に二酸化炭素を排出することがないため、「地球環境にやさしい」という表現がなされてきた。孫正義氏は、原子力発電所の建設については、あくまで反対の構えだ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
「この原発による国難が無事に何事も無く過ぎて「お前が騒ぎ過ぎた」と批判された時、私は心の底から喜んで辱めを受け入れます。
本当に皆と一緒に日本の無事を祝福。私自身の名誉や批判などは、人々の命の尊さと比べる次元のものにあらず。」と、孫正義氏は、これまでの活発な活動の真意を明らかにした。

「私自身の時間の3割をこの国難の為に費やしています。今は、平常時の1.5倍増の仕事時間です。」とつぶやいていることからも、孫正義氏がどれほど気に掛けているのかが見てとれる。
 孫正義氏を嫌っている人の中にも、同氏の行動を賞賛している人は多い。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という故事成語がある。一身を犠牲にするだけの覚悟があって初めて、活路を見出せるというものだ。孫正義氏の行動は、まさに、この故事成句ではないだろうか。

2011年4月3日日曜日

3日・開花から1週間、きょうも桜の咲き具合を見に回りました!

  今年の桜の開花宣言3月27日から1週間、温暖な日々が続いたので開花もやや進み、4,5分咲といったところ、それにしても「自然の摂理」はスバらしい。
世の中に何がおこっても、そういうことに関係なく花を付けて呉れる。
 きょうは、地元桜の名所・紀三井寺の山門登り口の桜と、近場「紀三井寺緑道」の桜の様子をお目に掛けよう。 
紀三井寺山門入り口の桜

 今日は日曜日、曇り空、気温10度程度の肌寒であるが、このなかバべキューを愉しむグループの姿も見られた。
「紀三井寺緑道」琴の浦側入口
紀三井寺緑道・琴の浦トンネル付近
紀三井寺競技場付近
紀三井寺競技場公園
紀三井寺緑道琴の浦側
温山荘園
温山荘。枝垂れ桜
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 話が替わるが、わたしの処から約100km南へ下った「熊野古道」(田辺市)中辺路町近露の里に「名物桜」がある。
 それもこの地を支配してきた豪族で、元弘の変で有名な大塔宮護良親王「熊野落ち」(「太平記」)のとき、宮にお味方し、守護した野長瀬一族の末裔の家の樹齢二百数十年の古木桜なのである。
 大塔宮熊野落ちについては、このブログでも昨年12月26日「熊野古道」の項で、大塔宮熊野落ちの故事を紹介したが、そこにも一部登場する。

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 和歌山県田辺市中辺路町近露、野長瀬智子さん(87)方で、市の天然記念物に指定されているシダレザクラが見ごろを迎えている。風格ある老木がピンク色に染まり、季節感を漂わせている。 


 サクラは江戸中期の1747(延享4)年、野長瀬家19代六郎可盛(よしもり)が、京都から苗木を取り寄せたと伝えられている。先代、野長瀬盛孝(医師、2001年死去・「野長瀬の流れ」の著書も著している)の後、現在はその細君の智子さんが、野長瀬の家名と中辺路町指定の天然記念物で、紀南を代表する大木のシダレザクラを守っておられる。 

 樹高は約10メートル。小ぶりの花をつけた枝が辺りに張り出し、そばを通る道路上に垂れ下がっている。
 趣あるシダレザクラを撮ろうと、開花を待ちわびた写真愛好者らがシャッターを切っている。近所の家族連れも散歩をしながら楽しんでいる。

 野長瀬さんは「花が咲いたので、サクラのそばに長いすを用意した。気軽に立ち寄ってもらえたら」と話している。 花は天候にもよるが、10日ごろまで楽しめるという。
          
【見ごろを迎えているシダレザクラ(1日、和歌山県田辺市中辺路町近露で)】

「野長瀬一族についての故事」
 国道311号線を近露に入ると、間もなく道の北側に小さな丘陵が見えてくる。その明るい共同墓地の地続きに、「野長瀬一族の墓」がある。南朝を守った強者たちをまつるその墓には、五輪塔が五十四基と、宝篋印塔が六基。県文化財。 
 野長瀬家は、もともと清和源氏の流れをくみ、盛経の子、経忠が野長瀬姓を名乗り吉野に住んだ。寛喜元年(1229年)、その子の頼忠が庄司六郎と称し近露へ。元弘二年(1332)頼忠の孫・盛忠が、奈良を追われて熊野へ落ちのびる大塔宮護良親王を足利軍から救出、その功で横矢姓を賜わった。さらに後醍醐天皇に加勢し、河内・千早城に孤立した楠木正成に、はるぱる山を越えて兵糧を運んだという。
 先代の盛孝氏(大正二年生)は28代目。(田辺市)中辺路町は、一族と正成の友情にちなみ、千早赤坂村と姉妹縁組みし、歴史の町の友好を結ぶ。 盛忠の流れをくむ野長瀬家と横矢家は近露に多い氏姓である。

野長瀬一族の墓・県指定文化財


2011年4月1日金曜日

4月1日・これからの日本の進み向かうべき道は?

 今日は4月1日、新年度に入った。「エイプリル・フール」でブラック・ジョークの一つでも云いたいところだが、軽はずみな冗談も云える雰囲気ではない。
 下に掲げたように、東北太平洋沖大震災の天災に加えて、東電福島原発事故という人災がらみの大事故によって、国には莫大な財政支出と、計画停電等によって経済的にも大きなブレーキが罹ってくる二重苦、三重苦ともいえる大負担が今後の国民にのしかかってくるからだ。どうしても重い気持ちになりそうだ。
 
 今朝の新聞を見ると、「復興へ新税検討」ー「震災国債」を発行ー
原発新増設 見直し示唆(現在53基)ー首相、東電存続「議論を」と、大きくこの二本立てである。
 それにしても、未曾有の「東北太平洋沖大震災」の天災と、被災して放射能を垂れ流し汚染を続ける東電・福島第一原発の爆発、放射能汚染の広がりは、未だに見通しが立たず、方向として1~4号機の廃炉が決まったが、廃炉にするにしても数十年かかる見通しという気の遠くなる人災。
 いま最大の課題は損傷した原子炉内の温度を100度未満にする「冷温停止」の状態に持ち込むことだ。とにかく水で冷やすしかない。高い放射能を放出し続ける危険きわまりない状況下での過酷な作業が待ち受けている。
すでに1~3号機のトレンチと呼ばれる地下壕に溜まった放射能に汚染された水を構内にあるタンクを空にして、そこへ入れるかプールを作ってそこへ貯水するしか方法がなさそうである。安易に海に流出さすことができない。原発の排水口付近は、いまでも高濃度に汚染された海水である。どちらにしても時間がかかるし、高い放射能に曝されての作業である。

いずれにせよ、今回の原発事故は独り日本だけの問題ではなく、世界全体の大問題であり、現実と近未来のエネルギーにかかわる大問題なのである。

 きのうは、G8(主要8ケ国)議長を務めるフランスのサルコジ大統領が来日、全面的支援を表明するとともに、今回の福島原発事故を日本だけの問題ではなく、5月下旬の主要国首脳会議(G8)で世界の主要議題とすることで、日本の菅首相とも意見の一致した、とあった。

仏・サルコジ大統領

菅首相










 
 フランスには59基の原発があり、米国に次ぐ世界2位の原発大国、消費電力の約8割を原子力で賄う。原子力関連産業が国の基幹産業だとか、世界3位の日本の原発事故が、原発不信の波を拡げ、仏国の原子力政策に影響しかねないと懸念している。
 また、同時に世界的な原発会社フランス・アレパ社の最高経営責任者が来日、原子力事故処理の専門家派遣や放射能防護服1万着の提供等、強力な支援を申し出ている。
 
 東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて、仏原子力大手アレバのアンヌ・ロベルジョン最高経営責任者(CEO)は31日、経済産業省で海江田万里経産相と会談した。
 ロベルジョンCEOは「日本が必要とするなら、いくらでも専門家を派遣する」として、事態の収束に全面協力する意向を示した。


 ロベルジョンCEOは会談で、アレバが米スリーマイル島での原発事故で燃料棒取り出しにあたったことや、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、英国での軍施設での事故にも対応した経験があることを明らかにし、「日本にアドバイスできるよう努力したい」と述べた。

 アレバはすでに日本に対し放射性物質(放射能)除去の専門家2人を派遣しているほか、放射線防護服1万着、防護マスク3千個、放射線測定のための環境測定車両2台などを提供している。海江田経産相は「アレバの迅速な対応に感謝したい。危機を乗り越えるため、世界の英知を結集したい」と話した。

 アレバは原子力発電所の建設や核燃料の処理などを手がける原子力大手。アレバが扱う加圧水型の原子炉は福島第1原発の沸騰水型とは仕組みが違うが、核燃料処理にかかわるノウハウが、福島原発1~3号機の地下で見つかった高濃度の放射性物質を含んだ水の処理などに役立つと期待されている。
 
 同じく原発第1位、104基をもつ米国も、早い段階から事故対応に協力する姿勢を示してきたが、米国の原子力規制委員会(NRC)の専門家が来日時に「データを」と頼んでも、東電社員が数人が対応する程度だったという。
 その後、NRCと日本の経済産業省原子力安全・保安院、東電の会合の場が設けられたが、東電側は「ここは情報交換の場だ」とデータを開示せず、米側が激怒。対応のまずさにやっと気づいた日本政府が動き、22日に正式な日米協議の場が発足、協議では、米側はロボットの提供や「遮蔽(しゃへい)」や「リモートコントロール」など、さまざまな対策で助言し、全面支援の態勢が整いつつある。危機に際しての感度の鈍さが気に掛かる。
オバマ米・サルコジ仏大統領夫妻

 それにしても、今回の原発事故に対する東電、日本政府の不感症的対応のまずさは何だったのだろうか?東電の重大事故隠蔽体質、それとも政府は対岸の火事視か?原子力発電を推進してきた国策を採りながら原発の重大事故に危機管理の考え方が備わっていなかったのか、「日本の国を滅ぼす」と佐々淳行氏がいう民主党内閣の不信が募るばかりである。これは「大いなる人災」というべきであろう。
 そして、もう一言、これは日本の原子力の専門家の不甲斐なさ、世界有数の頭脳をもちながら、何のこともなしえなかったことを、どう捉えたらよいのか。

 この点について、前東大総長・三菱総研理事長 小宮山宏氏は「3.11」原発事故以後「科学とどう向き合っていけばいいのか?」に対して、「科学者たちがあまりに専門分化して、一人一人が、まるで針のようになっている。特に原子力の専門家たちが顕著です。社会に対してだけではなく、分野の違う科学技術者との間にも壁を設けて、強固な『原子力村』をつくっている。タコツボ化しているように見えます。今回の事故は、これによる弱点が出てしまったのだと思います」と・・・
 以下氏の対策へと続きますが、今回の事故は東電・政府のみならず国民全員でもう一度原点に戻って考えるべき、余りにも大きな課題ではないでしょうか?

 今回で国が背負った課題は余りのも大きくて、なおかつ重い、借金に借金を重ねてきたまだそのうえに借金を、2重、3重のローンを抱え、長年を掛けて、これを返済してゆかねばならない覚悟を決め、敗戦の瓦礫のなかから立ち上がってきたわが国の過去に想いをいたし、国を挙げての合意のもとに微力を尽くさねばと想う、新年度の初日である