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2014年6月11日水曜日

続(和歌山)漱石の手紙、県立博物館に寄託

和歌山)漱石の手紙、県立博物館に寄託・6月11日

さきに、夏目漱石の未発表の俳句が和歌山市の旧家で発見されたことをお伝えしたが、文化財としてひろくみなさんにみて貰いたいとの意向で県立博物館に寄託することになったそうだ。
わが国では重文級の作品は、家の奥深くに仕舞い込むことがおおいなかで、一般公開に踏み切られた同家の決断には敬意を評したいと思う。
なお、今回も朝日新聞の記事を丸ごとお借りしましたことを追記します。


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夏目漱石の手紙や俳句が貼られた掛け軸について説明する松田智子さん=県庁
 

 和歌山市内の旧家で見つかった文豪・夏目漱石(本名・金之助=1867~1916)の直筆の手紙や俳句が10日、県立博物館(同市吹上1丁目)で保管されることになった。「文化財として将来的に皆さんに見てもらいたい」と、手紙を保管していた猪飼家が同館へ寄託することを決めた。
 手紙と俳句は、漱石が教師として愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現松山東高)から熊本県の第五高等学校(現熊本大)に赴任する1896(明治29)年に、同僚だった教師の猪飼健彦さんに宛てたもの。

 健彦さんのひ孫にあたる松田智子さん(55)は10日に市内で会見し、手紙などが見つかった経緯を説明した。今年5月に実家の押し入れを整理していた際、健彦さんの字で裏側に「漱石夏目金之助君俳句及手簡」と書かれた掛け軸を発見。同じ掛け軸に貼られていた封筒にも、漱石の字で「金之助」と書かれていた。

 松田さんは20代の頃にも、父親の弘直さん(86)から「漱石の手紙」との説明で手紙と俳句を貼った掛け軸を見せられたが、当時は「価値に気付かなかった」という。「実家では、管理の仕方にも戸惑う。世の中の財産として県立博物館に預け、皆さんに見てもらった方がいい」と述べた。(平畑玄洋)

2014年6月10日火曜日

漱石の未発表俳句、和歌山で見つかる 

漱石の未発表俳句、和歌山で見つかる 同僚教師に手紙・朝日新聞・6月10日

夏目漱石については、このブログでも和歌浦の名所案内の記事のなかで、和歌浦の「望海楼」に宿をとり、翌日講演会を開催したこと、望海楼の西に設置されていた東洋一と称するエレベーターに搭乗したことなどが漱石の小説「行人」に記されていることを紹介したが、

「100年前の和歌浦と夏目漱石の関わりの話」:http://o-shige3.blogspot.jp/2011/09/100.html


今回は漱石の未発表の俳句で、それも小説「坊ちゃん」に当時松山中学校で教鞭をとる友人の漢文教師として登場する実在の人物であり、その孫が祖父の遺品から発見されたそうだ。


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夏目漱石が猪飼健彦さんに宛てた手紙。末尾には俳句を添えている
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 文豪・夏目漱石(本名・金之助=1867~1916)の未発表の俳句を添えた手紙が和歌山市内の旧家で見つかった。教師として愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現松山東高)から熊本県の第五高等学校(現熊本大)に赴任する1896(明治29)年に同僚だった教師に宛てた手紙に添えられた直筆の句で、研究者は「漱石の当時の心境を知る第一級の資料」とする。
 

 手紙(縦約15センチ、横約51センチ)の末尾には俳句がしたためられ、俳句1句ずつを記した2枚の短冊(縦約35センチ、横約6センチ)もある。この3句のうち2句が未発表とみられる。これらは封筒とともに掛け軸に貼られた状態で、和歌山市の元会社員、猪飼弘直さん(86)の自宅で保管されていた。

 猪飼さんの祖父、健彦(たけひこ)さんは、小説「坊っちゃん」(1906年)の舞台として知られる愛媛県尋常中学校で漱石と同じ時期に教鞭(きょうべん)を執っていた。漱石の手紙は健彦さんに宛てたもの。お別れのあいさつに漱石を訪ねたが会えなかった健彦さんが手紙を送り、それに対する返礼だという。
 

 漱石は手紙で「昨日は御来訪被下候処(ごらいほうくだされそうろうところ) 何の風情も無之(これなく)失敬仕(つかまつり)候」と不在をわび、健彦さんが手紙に添えた短歌の短冊を「君の記念に可致(いたすべく)」として箱にしまうと記したうえで「花の朝 歌よむ人の 便り哉(かな)」という自作の俳句で結んだ。
 

 漱石の研究者で国文学研究資料館(東京)の野網(のあみ)摩利子助教(日本近代文学)によると、手紙も含めて筆跡は全て漱石のもので、この句は発表されていない。野網さんは「熊本への旅立ちを間近にして、春の季語を含んだ『花の朝』を用いた巧みな俳句」と評価。手紙とあわせて「文面から漱石の律義な人柄が伝わる。短歌に対して俳句で返礼したという、切り返しの妙も感じられる」と指摘する。

 漱石が短冊に記した俳句のうち「死にもせで 西へ行くなり 花曇(はなぐもり)」も未発表とみられる。野網助教は「東京から松山へ、さらに熊本へと西に向かい、のちに西洋に渡る漱石の前半生を凝縮したような興味深い俳句だ」と話す。残る短冊には「其(その)夜又 朧(おぼろ)なりけり 須磨の巻」と詠まれ、「漱石全集」にも収録されている。漱石がこの前年、親友の俳人、正岡子規に贈ったとされる。(平畑玄洋)
■手紙の文面
昨日は御来訪被下候處(くだされそうろうところ)
何の風情も無之(これなく)
失敬仕候高什数(つかまつりそうろうこうじゅうすう)
首正(しゅまさ)に落掌拝(らくしょうはい)
誦仕候(しょうつかまつりそうろう)永く筐底(きょうてい)
に蔵(ぞう)して君の記念
に可致候先(いたすべくそうろうまず)は御禮(おんれい)
迄草々頓首(までそうそうとんしゅ)
 卯月八日(うづきようか)
    金之助
 猪飼様
   研北(けんぽく)
花の朝歌よむ
人の便り哉(かな)
■漱石直筆の俳句
其(その)夜又朧(おぼろ)なりけり須磨の巻
          愚陀佛(ぐだぶつ)
死にもせで西へ行くなり花曇(はなぐもり)
          愚陀佛
(いずれも研究者・野網摩利子さんによる)
     ◇
 〈夏目漱石と俳句〉 漱石は30歳前後の若い時期を中心に俳句に熱心に取り組み、約2500句の俳句を作ったとされる。近代俳句の祖といわれる正岡子規(1867~1902)とは20代の時に大学予備門で出会い、子規からは俳句の腕を磨き合う「畏友(いゆう)」と呼ばれる間柄に。漱石が愛媛県尋常中学校に英語教師として赴任した際には、下宿先「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」で子規と約50日間同居した。
 
 

坊っちゃんの地、交流の句 教師漱石の実像映す手紙発見・6月10日

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夏目漱石が猪飼健彦さんに送った年賀状の文面
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 夏目漱石直筆の手紙と俳句が新たに発見された。愛媛から熊本へ赴任する際の同僚とのすれ違いが、情感のこもった俳句を生んだ。のちに「坊っちゃん」の舞台として取り上げた地に別れを告げる「教師・漱石」の実像がうかがえる。
 
 漱石の手紙を受け取った猪飼健彦さんは1868(明治元)年、現在の和歌山市の士族の家に生まれた。67(慶応3)年生まれの漱石より一つ年下。猪飼家に残る資料によると、国学院(現国学院大)で「国文」「国史」などを修め、95(明治28)~96年にかけて「坊っちゃん」の舞台となる愛媛県尋常中学校で国語や日本の歴史を教えた。
 

 漱石もちょうど同じ時期に同校で英語を教えていた。当時は帝国大を卒業して2年後で、最初の小説「吾輩(わがはい)は猫である」を発表する10年前。むしろ俳句に熱心に取り組んでいた。国文学研究資料館(東京)の野網摩利子助教は「健彦さんが国語教師として漢文を教えていたとすれば、高い漢文の教養を持つ同世代の漱石と親しかったことが想像できる」と分析する。
 

 漱石は手紙で、健彦さんが送った短歌について「高什数首正(こうじゅうすうしゅまさ)に落掌拝誦(らくしょうはいしょう)仕(つかまつり)候永く筐底(きょうてい)に蔵(ぞう)して君の記念に可致(いたすべく)候」と記した。素晴らしい作品として箱に収める、と約束する内容だ。野網助教は「健彦さんも漱石の応答の句を大切に思い、掛け軸に飾ったのではないか」とみている。

 熊本県の第五高等学校に移った3年後には、漱石から健彦さん宛てに「謹(つつしん)で新年の御慶申上(およろこびもうしあげ)候 小生儀(しょうせいぎ)大分県下旅行中にて」とする年賀状も届いた。漱石が愛媛を離れた後も2人の交流が続いていたとみられる。

 漱石の手紙や俳句が飾られた掛け軸を木製の箱にしまい、大切に保管してきた健彦さんの孫の弘直さん(86)は「祖父が松山時代、漱石の同僚だったことは母から聞かされました」と語る。健彦さんの長女である弘直さんの母親は、健彦さんに「『坊っちゃん』の登場人物のモデルではないのですか」と尋ねたことがあるが、健彦さんは答えようとしなかったという。

 「坊っちゃん」の作中には堅物で「愛嬌(あいきょう)のある御爺(おじい)さん」と描写される「漢学の先生」が登場する。弘直さんは健彦さんがこのモデルではないかと考えているが、「小説に登場する教師はあまり良い人物には描かれていないから、言いたくなかったのでは」とも想像する。(平畑玄洋)
     ◇
 〈小説「坊っちゃん」〉 無鉄砲でけんかっ早い東京育ちの数学教師「坊っちゃん」が、赴任した四国の中学校を舞台に、教頭「赤シャツ」らと葛藤を繰り返し、最後は同僚の数学教師「山嵐」と一緒に教頭らを懲らしめるという痛快な物語。「愛嬌のある御爺さん」として漢学の教師が登場する。「漢学の先生はさすがに堅いものだ」「左隣の漢学は(生徒の処分に関して)穏便説に賛成と云(い)った」などと、物静かな人物として描かれている。
     ◇
夏目漱石の歩み
1867年 0歳 東京都新宿区で生まれる
1890年 23歳 帝国大に入学
1893年 26歳 東京高等師範学校の英語教師に
1895年 28歳 愛媛県尋常中学校に赴任
1896年 29歳 熊本の第五高等学校に赴任
1900年 33歳 英国に留学
1903年 36歳 英国から帰国、東京帝国大などで教鞭(きょうべん)を執る
1905年 38歳 「吾輩は猫である」を雑誌「ホトトギス」に発表
1906年 39歳 「坊っちゃん」や「草枕」を発表
1907年 40歳 朝日新聞社に入社、「虞美人草」を連載
1914年 47歳 「こころ」を連載
1916年 49歳 「明暗」を連載。永眠
 
全文朝日新聞社の掲載記事から拝借しましたことをお断りします。また、NHKでもこのことが電波にのりました。

2014年6月6日金曜日

サッカーW杯対戦国料理を平らげ「さむらいJAPAN」を応援!

日本 監督アルベルト ザッケローニ
キャプテン長谷部 誠
FIFAランキング47
W杯出場5大会連続5回目
W杯優勝回数0
W杯最高成績ベスト16 (2002, 2010)

 

 
 
 
 
  



サッカーワールドカップ2014/ブラジル大会まもなく開幕!






昨夜5日夜NHK全国放送の電波にのり 、和歌山市の最北西部にある「休暇村紀州加太」の
サッカーW杯対戦国料理をたいらげ、「さむらいJAPAN」を応援しよう!との変わったアイデア料理が紹介され、和歌山の片田舎が紹介されました。

一寸したアイデアであってもそれを試して、あたかも静かな池面に小石を投げ、小石の波紋が拡がるように波及効果が拡がれば、それだけ反応が感じられるということです。


ただし、対戦相手国の料理が気に入り、「さむらいJAPAN」でなく対戦相手国を応援することはなきようよろしくお願いします。



サッカーW杯対戦国料理を平らげ「さむらいJAPAN」を応援!


サッカーのワールドカップを前に、和歌山市では日本代表が対戦するコートジボワールやギリシャなどの国の料理を食べて日本代表を応援しようという催しが行われています。

和歌山市加太の宿泊施設では、日本代表の勝利を願って1次リーグでの対戦相手のコートジボワール、ギリシャ、コロンビアのそれぞれの料理を組み合わせたコースが人気を集めています。

このコースは「グルメワールドカップ会席」と名付けられ、
▼コートジボワール料理の海鮮鍋
▼ギリシャ料理のエビのトマト煮込み、
▼コロンビア料理の揚げカレーパンなど11品を味わうことができます。
それぞれの国の料理は宿泊施設のスタッフたちが各国の料理の本などを調べて作り上げたオリジナルメニューだということです。

 訪れた人たちは日本代表の活躍に期待を膨らませながら対戦相手の国の料理を平らげていました。
大阪・泉南市から訪れた40代の女性は「日本代表に一戦一戦勝ってほしいという気持ちでそれぞれの対戦国の料理を食べました。本田選手にゴールを決めてもらいたいと思います」と話していました。

宿泊施設の磯辺龍太営業課長は、「各国の料理を味わうこの催しを通して、ワールドカップを盛り上げていきたい」と話しています。
このコース料理は和歌山市にある「休暇村紀州加太」で今月25日まで味わうことができます。
事前の予約が必要です。 NHK全国放送:06月05日 18時33分

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グルメワールドカップを開催♪・日本VSギリシャ・コロンビア・コートジボアール



[休暇村紀州加太] エンパナーダ風スパイシー揚げカレーパン
[休暇村紀州加太] アヒアコ風豆乳じゃがいもスープ
[休暇村紀州加太] 日の丸ちらし寿司
[休暇村紀州加太] アカエビのトマト煮込み
[休暇村紀州加太] 料理人渾身のお造り富士山盛り
[休暇村紀州加太] 熊野牛鉄板焼き
[休暇村紀州加太] 蒸しあわび


小さい画像をクリックすると拡大表示します。また拡大表示された写真をクリックすると、さらに大きな画像でご覧いただけます。


宿泊可能期間2014年4月1日~2014年6月25日
料金15,120円~16,200円 (1名様あたり)
※料金は消費税込み価格です。
子供料金[小学生]  7,200円
[幼児(4~6歳)]  3,600円
[幼児(0~3歳)]  0円
※幼児(0~3歳)は寝具・お食事不要の場合
チェックイン15時00分~18時00分
チェックアウト10時00分まで


泊数

1泊~3泊


予約受付締切

宿泊日1日前の18時まで


ポイント

☆★休暇村紀州加太で対戦国の料理を食べ尽くそう!!★☆というコンセプトのもと、料理人が試行錯誤して出来上がった創作料理です♪