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2010年2月5日金曜日

5日- 落ちた偶像「朝青龍」と相撲協会!その2


























 


ここにきて、「しげやん」から相当厳しい辛口コメントです!「相撲道」が本来の姿に立ち返ってもらえるべく苦言を呈します!


大相撲の横綱「朝菁龍」引退事件に思う―協会・親方も同罪か?―


■相撲協会が今直ぐ執るべき処置は、ただ一つ「朝青龍」の即刻厳重処分でした
 (1)相撲協会の曖昧な対応 

前回書いてきたように、横綱「朝菁龍」の今までの協会の忠告を無視した傲慢な態度に対して、これに対し日本相撲協会は、なにかと言うと朝青龍に「反省を促す」とか「成長を期待する」程度のコメントを発表しただけで、注意するでも無く全く生ぬるかった。と言うよりも日本の国技たる「相撲」が外国人力士にナメられて居るという状況の本質が見えて無いかったようです。

 はっきり言って従来の相撲協会の朝菁龍の対応はとても理解に苦しみました。 一方、前横綱審議委員会の「厳罰処分も有り得る」の発言ですが、当然然るべきだったと思います。

 ここにきて相撲協会もようやく重い腰を上げ、朝青龍の今回の冬場所中(10年1月場所)の泥酔暴行事件の処分に向かいました。従来から相撲協会の封建的で封鎖的な態度に、日本の国中から批判・非難の声が高まり協会の改革そのものが求められ、対応を迫られるということも背景にあったのでしょう。
 
(2)相撲協会は何故朝青龍を処分出来なかったのか?
 
 相撲協会が何故毅然とした態度が取れないのか?、これはもう明白です。貴乃花引退後、横綱は武蔵丸(=ハワイ出身の外国人力士)1人だったのを、人気回復の為モンゴル出身の朝青龍を横綱に昇格させざるを得なかった、という協会側の”事情”と、その武蔵丸が既に引退したなかで、1人だけの横綱・朝青龍を下ろせない、という場所の”事情”とが重なって居るからでしょう。それを今日まで引きずってきました。


 のちには「白鵬」が横綱に昇進し二人横綱が誕生はしたのですが、長い間朝菁龍を甘えさせてきました。

そんな協会側の弱腰に成らざるを得ない状態を”肌で感じている”からこそ、朝青龍は「協会はオレを下ろせる訳無い」とタカを括り、”怖いもの無し”で増長して仕舞ったのでしょう。しかし、ここで看過すると「悪しき前例」を作る事に成る、ということをもう一度関係者に熟考して貰いたいです。 

 (3) 相撲協会の課題

 協会および部屋の親方衆は事態の本質を把握し、これを今後改善して行かねばなりません、時間が掛かる作業ですが。では本質は何か、それは日本に於ける「相撲」の持つ意味、についての力士への教育が疎かにされて来たことです。マスメディアの大衆迎合路線に合わせ、「相撲」を単なるスポーツに堕落させた -これは日本の祭を単なるイベントに堕落させたのと同期しています。

 ■相撲関係者が今後時間を掛けて取り組むべき課題 

(1)相撲協会と部屋の親方衆に対する課題 - 力士の教育と視聴者啓蒙
 
 野見宿禰(ノミノスクネ)や当麻蹶速(タイマノケハヤ)の故事を持ち出す迄も無く、相撲には「五穀豊穣に感謝し神に武芸を奉納する」という、日本固有の伝統を持つ神聖な儀式・祭(=祭儀性)の側面が有り)、そこに体現されるのはまさに大和魂です。だから数多くの日本の伝統的武芸の中で唯一「国技」と呼ばれるということを、日本人・外国人の区別無く力士を目指す若い人に教育して行く必要が有ります。

 江戸時代迄は大関が最高位で、あの雷電も大関でした。横綱とは地鎮祭で神域に張る注連縄(しめなわ)の意味を有して居ます。皆さんも神社の鳥居や神木や或いは山上の磐座(イワクラ)と呼ばれる大きな岩に注連縄(シメナワ)が張って在るのをご覧になったことがあると思います。注連縄を張った内側は神聖な空間で、注連縄は俗界との結界を示して居るのです。


 そして注連縄の周りに「」を撒いて清めるのです。土俵はまさに注連縄であり土俵の内側の神聖性を表して居るのだということ、胴体に注連縄を巻いた「横綱」という存在は単に強いだけの存在では無い、ということがこれでお解りでしょう。
 
 また、力士が土俵に上がって塵手水を切るのは何故か?、いきなり取り組まないで何回も「見合い」をするのは何故か?、「見合い」の度に何故塩を撒くのか?、土俵入りは何の為に行うのか?
 
 相撲には単に勝負に勝つ以外の種々の「」や「決まり」(=約束事)や「仕来たり」(=慣例)が存在し、それらが総合され一つの様式を成していることがお解り戴けると思います。力士の肥満体もその様式の一つと考えられ、相撲は様式の競技なのです。協会及び部屋の親方衆は日本の「国技」である「日本の相撲の歴史と仕来たり」をもっと大切にし、力士に教育し更にテレビ中継などを通して一般視聴者にも啓蒙して行く必要が有ります。

 (2)日本人力士に対する苦言・注文 

 上で朝青龍が”怖いもの無し”で増長して仕舞ったと述べましたが、増長させたのには日本人力士の不甲斐無さが有ります。私は相撲は日本の国技故に常に日本人が横綱を張るべきなどとはいいません。そこは実力の世界ですが、今回の不祥事のウラには大関という地位で微温湯(ぬるまゆ)に浸かって”チンタラ”“チンタラ”やっている日本人の”万年大関”陣の不甲斐なさの影響があると見ています。

 何故微温湯(ぬるまゆ)かと言うと、大関の地位は2場所連続負け越しせぬ限り安泰だからです。日本人大関陣がしっかりして精神的な部分で示しを着けていたら、こんな不祥事は起こらなかったでしょう。   

 私は日本人の”万年大関”陣に猛省を促し心を入れ替えて精進することを強く望みます、彼等は元々「力」は有るんですから。

 ■相撲は「心技体」 - もう一度「心」を取り戻せ!
 
 相撲は昔から「心技体」と言われ、この三拍子揃った力士を理想とし、中でも取り分け信義とか公正さとか感謝とか、「」の修練に一番の重点を置いて来ました。だから「心技体」と言う様に「」が最初に挙げられて居る訳で、「心を以て技と体力を制御する」意の表れです。 

 この「」の部分を戦後のマスコミが世論を煽り”精神主義”とか”非科学的”と決め付けて削ぎ落としてしまいました。又、親方制度や徒弟制度を”古い”とか”閉鎖的”とか批判し、果ては土俵に女性を上げないのは女性差別だとか?

 その結果、部屋の親方は「」以外のことについては注意しなく成り、稽古も”科学的”な「技」「体」のみに主眼が置かれ、畢竟それならば体力に勝る”外人助っ人”を力士にした方が手っ取り早い、という事に成ったのがこれ迄の流れではないでしょうか。
 
 私が今回の事件で想い起こすのは、精神性が伴わない、ただ強いだけの”幼稚な”ヤツである朝青龍に対しても私は、国技である「相撲道」たる「」の教育・指導を受けずに「」が欠落した横綱になった朝菁龍よりも、そのように育てた親方と見て見ぬ振りをし続けてきた相撲協会の責任が問われてしかるべきだと思います。

 ■結び - 全ては近代以降、特に戦後の教育に起因ー 

 戦後わが国の教育界やマスコミに誘導された世論は、こうした日本固有の伝統を全て”古い”とか”閉鎖的”という単純な発想で有らゆる分野で「自分たちの拠って立つアイデンティティー」を悉く否定して来ました。これは多くの批評家が指摘する様に、日本人が自らの立脚点を失った時、何処へ行ったら良いのでしょうか?、流れに身を任すしか無いのです!
 
 この様に考えを整理して来ると、今回の不祥事もその根っこの部分は単に大相撲界だけの問題では無く、私は日本人の「心の空洞化」という一つの現象のなかで、国技である大相撲界という環境のなかで起こるべくして起こった、ということがお解り戴けるでしょう。それ故に「たかが相撲」だけの問題ではないのです。

 われわれ日本人には、「茶道」「華道」「書道」「柔道」「相撲道」のように、高い精神性が備わった「道」(「技」=技術、「法」=形式・方法といった方法論ではなくて、より崇高な精神性が伴う)という、古くからの崇高な精神性が備わっていました。今や、もう一度この「」なる精神性・倫理性に立ち返るべきときではないでしょうか?
 
 相撲界も、現在の日本を覆っている「自己喪失の流れ」に呑み込まれ、「心の教育」を怠って来た結果として、相撲の精神は空洞化し、”唯強ければ良い”という単なる格闘技スポーツに堕落した結果が、今回の朝青龍の不祥事なのです。先ず相撲協会がこの点を認識しない限り相撲の復興は有りません。

 横綱は力量だけでなく、品格抜群とされるからこそ横綱とされる建前であり、これは横綱昇進条件ともなっています。

横綱の品格基準は日本相撲協会によると
• 一、 相撲に精進する気迫
• 二、 地位に対する責任感
• 三、 社会に対する責任感
• 四、 常識ある生活態度
• 五、 その他横綱として求められる事項
である。

 しかし、これらを基準として横綱の品格を判断しても、多数者の見解として「品格抜群」といえるか疑問を持たれる横綱は少なくない。今回の「朝菁龍」もこのうちの一人である。


朝青龍引退は「当然」が約8割…スポーツ報知緊急アンケートの結果は!

 横綱・朝青龍が4日に現役引退を表明したことを受け、スポーツ報知は同日午後4時頃からwebサイトで約3時間、緊急アンケートを行った。泥酔暴行問題から引退に至った朝青龍の判断について、58%が「妥当」、21%が「甘すぎる」と回答。引退を当然と受け止めた人が79%と多数を占めた。

 有効回答数は2302件。甘すぎると答えた50代男性は「相撲の品格を重んじるなら引退ではなく解雇とすべき。一般企業では懲戒解雇が当たり前の事件」と意見。

 一方、厳し過ぎると答えた40代男性は「品格だけで相撲は取れない。平成を代表する力士であっただけに、このような終わり方は残念」と感想を寄せた。

今回はゴルフの石川遼選手のことも、同時に取り上げようと考えていましたが、「相撲道」にもの申すことが、思いの他ながくなりましたので、次回にまわさせていただきます。                 以上
        

6 件のコメント:

  1. 品格ってむずかしいですね。
    外国の力士を入れると決めたときから、変わってきたのでしょうか。
    もっと変わってもいいようにも思いますが。
    漆芸家の情報ありがとうございます。
    どちらかというと、新しいものより古いもののほうが好みなんです。
    芸術家支援のためには、新しい作家さんも応援しないといけないんでしょうが・・・、

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  2. RE: megumeguさん
    品格、やはり人間の徳性なんでしょうか?
    日本の「道(ドウ)」と呼ばれるものには、品格が求められ
    ていると思います。
    人間にも「上品」「中品」「下品」と3つの「格」があり
    ます。その下に位置するのが「餓鬼」「畜生」の類でしょう!
    地元で古いもの気が懸て置きます。根来なんかも使い古して
    禿げて自然に朱色と黒が混じり合ってるのだ風情があります。

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  3. こんばんは♪
    朝青龍の引退は当然のことでしょうね。本来は除名処分でしょう。
    格闘技の選手が暴力を振るった場合は、凶器を使ったと同じことです。警察は現行犯逮捕もしくは参考人として双方をその場で最寄の交番または警察に出頭させ、事情聴取すべきでした。便宜供与といわれても仕方のない対応だったと思います。
    それにしても、16日の対戦相手、二日酔いの朝青龍に負けてるのね。そちらも、情けないことだわ。

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  4. しげやん^-^
     朝青龍の引退は当然の事です
    天狗になりすぎた!もう少し横綱としてのお手本を見せてほしかったですね!モンゴルからきて苦労もしたでしょうに
    とても残念です!
    品格ってその人に自然と備わっているものですね。
    うまく繕っていてもそのうちお里がばれます
                  atiti

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  5. RE: EYASUKOさん
    早春賦の歌詞「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯、歌は思えど 時にあらずと声も立てず、時にあらずと声も立てず・・♪」
    と同じ寒さが続いている昨今ですが、お身体のほうは、如何ですか?ご自身のブログの更新が20日程なく、お姿も見えずで案じておりました。もうおヨロシイのでしょうか、お伺いします。

    朝青龍のことは、カネガネその品格を懸念しておりましたが、最後は、自分のナセル業に陥りました。相撲道は格闘技ではありません。わが国の古くからの国技です。その神聖な相撲道に大きな汚点を残してくれました。剣道や柔道でも、それを喧嘩の道具に使うことは厳しく禁じられています。武士にあつても相手の背後から斬り付けることは武士道に反することとして戒められていますが、朝菁龍にあっては、どう見ても彼の仕出かしたことには、弁解の余地はありません。

    相撲協会の対応もですが、親方である高砂親方(元大関・朝潮)の態度はまくとに不甲斐ない限りです。上にも辛口コメントを書き殴りましたが、これでやっと収めようと思います。

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  6. RE: atitiさん
    横綱「朝菁龍」ほど、魅力的ないいところと悪いところが
    同居した相撲取は珍しいです。相撲道でいう「心技体」の
    「心」が最後の最後まで分からず仕舞でした。
    ”強けりゃいいんだ”“勝てばいいんだ”ということだけが
    何よりも優先されて、「心」がなかった。まことに残念の極
    みです。武士は相手の背後から斬り付ける、これは武士には
    最も忌み嫌われた所作です。
    相撲でも勝った相手が倒れているのに手を差し伸べて相手の
    起き上がるのを助ける。これが本当の相撲です。
    この点、朝菁龍は勝負が付いているのに、さらに駄目押しを
    する、これは横綱にあるまじき行為です。
    まだ若いんだから、プロレスか格闘技の世界に行ったらいい
    でしょう!それが、品格のない朝菁龍の行き先です!
    高砂親方(元大関・朝潮)も不甲斐なしです。同罪です!

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