♪春が来た 春が来た どこに来た。
山に来た 里に来た、♪
野にも来た。
「節分」 ・「立春」にこと寄せて・・・!
節分とは、季節の移り変わる時を意味します。しかし、今では冬から春への変わり目、立春の前日、その年越しの夜をさす言葉になりました。
節分の翌日は立春なので、どこか明るい気分が漂います。
歌舞伎の『三人吉三巴白浪』(さんにんきちざともえのしらなみ/作・河竹黙阿弥)の大川端の場のお嬢吉三のセリフ「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よく浮か浮かと、浮れ鳥の只一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から縁起がいいわえ~!」ではありませんが、もうここには冬の気配はなく、春の気分が横溢しています。七五調のこのセリフを口にすると、誰もが気分は春になるから不思議です。
さて、節分の翌日は立春。
新暦のお正月ではなく、この日に「立春大吉」と書いて年賀状を送る人がいます。『立春大吉』とは、立春の日に、禅家で門口に貼る札の文句です。その年賀状は、どこか春の匂いがしていい感じです。
二十四節季の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされます。
春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を”Spring”とします。これに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心として、その中間に各季節の区切りとして、四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけました。ここに中国暦法の大きな特徴があるといわれています。
■ 節分の由来って何?
2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。
■ なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?
一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?
陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。
「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。わが国で有名な「鬼退治」のお話は桃太郎がよく知られていますが、のちほど述べるとして、まずは、「鬼門」からお話ししましょう。
では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。
五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。
■ 節分行事、巻き寿司を食べるのは?
節分の日、「巻き寿司のまるかぶり」が節分のイベントととして世間に浸透してきたのは、大阪が発祥の地といわれており、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った行事をマスコミが取り上げ、全国の食品メーカーがそれに便乗して全国に広まったそうです。
太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる事により、1年間良い事あるそうです。
巻き寿司を使うのは理由は、「福を巻き込む」からで、また、まるごと食べるのは、「縁を切らないために包丁を入れない」という事です。
また、恵方とは陰陽道で、その年の干支に基づいてめでたいと定められた方角の事を表します。
『鬼の雑学』・・・わが国に広く伝わる「鬼退治」のお話を掲げてみましょう!
○「桃太郎」の鬼退治の「鬼」(岡山・桃太郎は鬼を倒すために、非常に強力な象徴を率いて攻めていきました。まず桃太郎自身が「桃」から生まれていますが、桃は中国古代より悪霊邪気を祓う聖なる植物とされていました。そして、連れているお供が犬・猿・雉ですが、これは十二支でいうと、申・酉・戌と対応しており、これは方位に直すと、ちょうど西の方位をカバーしています。西は五行では金に相当し、金気はいわば剣であり、鬼を倒すのに力強い存在なのです。
○「酒呑童子」(京都・酒呑童子はほかの多くの鬼たちと一緒に大江山に住んでいました。
都では鬼による被害が大きいため、鬼退治をすることになり、その任務に源頼光が任命されました。頼光は配下の四天王と呼ばれる渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武、および友人の藤原保昌(後世では彼の名前は消えてしまった)、および彼らの家来数名を連れ、大江山に向かいました。(坂田金時は「足柄山の金太郎」として有名。渡辺綱は一条戻橋や羅城門(羅生門)でも鬼に遭遇しています。)
○茨木童子(京都・ある時、渡辺綱が夕暮れ時に一条戻り橋を通りかかりますと、呼び止めるものいました。見ると肌の白い20歳くらいの美女でした。この美女が鬼に化けたのです。
○羅城門(羅生門)の鬼(京都・羅城門とは、京の都の南端(現在の東寺の近く)にあった門ですが、平安時代初期の頃から、いろいろ怪異談があったようで、ここで鬼に遭遇した人も多数あったようです。茨木童子の所でも書いたように、羅城門で渡辺綱が鬼に遭遇した話があります。
○安達ケ原の鬼女(福島・安達ヶ原(あだちがはら)に鬼女の伝説が伝わっています。この鬼女はこの地の一つ家に住んでいて、訪ねてきた旅人を取って食っていました。この物語は「黒塚」の名前でも知られています。能でもこの鬼女が演じられています。
○紅葉狩りの鬼女(長野・「紅葉狩り」能や歌舞伎で知られる「紅葉狩」の主人公・紅葉に関する伝説があります。信州の山奥に強力な盗賊の一味がいるということを聞き都では、平維茂にその討伐が命じられました。維茂は精鋭250騎を連れて戸隠におもむき、紅葉の館を攻めようとしますが、いったんは紅葉の妖術で天変地異が起き、退散します。しかし、維茂が北向観音に17日間参籠して、観音様より降魔の剣を授かると、その剣の法力で紅葉の妖術は破られ、紅葉は維茂に討たれてしまいました。紅葉の命日は10月25日と伝えられます。享年33であったとのことです。
「節分」を詠んだ句
春や来し 年や行きけん 小晦日 松尾芭蕉
節分の 何げなき雪 ふりにけり 久保田万太郎
年のうちの 春やたしかな 水の音 (加賀)千代女
節分や 肩すぼめ行く 行脚僧 幸田露伴
節分や、相撲取りも 裃にて 司馬遼太郎
このうち、幸田露伴が詠んだという句は異質です。節分の鬼を払う修正会(しゅうしょうえ)によって、「鬼は外 福は内」と豆を投げられ、鬼を追い払うところに居合わせた行脚僧の破目を、どこかおかしみを誘いながら詠んでいる句です。永井荷風は、早くから露伴を敬愛していたことで知られています。露伴の葬儀のときに、荷風は門外にたたずんで、静かに弔意を表したエピソードは有名です。
露伴の娘の幸田文は、随筆家、後に小説も書きました。その子である玉も随筆家で、またその子である奈緒はエッセイストとして知られます。私は,露伴はあまり読んだことがありませんが、娘の文の随筆が好きで本も所蔵しています。 以上
節分とは、季節の移り変わる時を意味します。しかし、今では冬から春への変わり目、立春の前日、その年越しの夜をさす言葉になりました。
節分の翌日は立春なので、どこか明るい気分が漂います。
歌舞伎の『三人吉三巴白浪』(さんにんきちざともえのしらなみ/作・河竹黙阿弥)の大川端の場のお嬢吉三のセリフ「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よく浮か浮かと、浮れ鳥の只一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から縁起がいいわえ~!」ではありませんが、もうここには冬の気配はなく、春の気分が横溢しています。七五調のこのセリフを口にすると、誰もが気分は春になるから不思議です。
さて、節分の翌日は立春。
新暦のお正月ではなく、この日に「立春大吉」と書いて年賀状を送る人がいます。『立春大吉』とは、立春の日に、禅家で門口に貼る札の文句です。その年賀状は、どこか春の匂いがしていい感じです。
二十四節季の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされます。
春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を”Spring”とします。これに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心として、その中間に各季節の区切りとして、四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけました。ここに中国暦法の大きな特徴があるといわれています。
■ 節分の由来って何?
2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。
■ なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?
一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?
陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。
「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。わが国で有名な「鬼退治」のお話は桃太郎がよく知られていますが、のちほど述べるとして、まずは、「鬼門」からお話ししましょう。
では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。
五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。
■ 節分行事、巻き寿司を食べるのは?
節分の日、「巻き寿司のまるかぶり」が節分のイベントととして世間に浸透してきたのは、大阪が発祥の地といわれており、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った行事をマスコミが取り上げ、全国の食品メーカーがそれに便乗して全国に広まったそうです。
太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる事により、1年間良い事あるそうです。
巻き寿司を使うのは理由は、「福を巻き込む」からで、また、まるごと食べるのは、「縁を切らないために包丁を入れない」という事です。
また、恵方とは陰陽道で、その年の干支に基づいてめでたいと定められた方角の事を表します。
『鬼の雑学』・・・わが国に広く伝わる「鬼退治」のお話を掲げてみましょう!
○「桃太郎」の鬼退治の「鬼」(岡山・桃太郎は鬼を倒すために、非常に強力な象徴を率いて攻めていきました。まず桃太郎自身が「桃」から生まれていますが、桃は中国古代より悪霊邪気を祓う聖なる植物とされていました。そして、連れているお供が犬・猿・雉ですが、これは十二支でいうと、申・酉・戌と対応しており、これは方位に直すと、ちょうど西の方位をカバーしています。西は五行では金に相当し、金気はいわば剣であり、鬼を倒すのに力強い存在なのです。
○「酒呑童子」(京都・酒呑童子はほかの多くの鬼たちと一緒に大江山に住んでいました。
都では鬼による被害が大きいため、鬼退治をすることになり、その任務に源頼光が任命されました。頼光は配下の四天王と呼ばれる渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武、および友人の藤原保昌(後世では彼の名前は消えてしまった)、および彼らの家来数名を連れ、大江山に向かいました。(坂田金時は「足柄山の金太郎」として有名。渡辺綱は一条戻橋や羅城門(羅生門)でも鬼に遭遇しています。)
○茨木童子(京都・ある時、渡辺綱が夕暮れ時に一条戻り橋を通りかかりますと、呼び止めるものいました。見ると肌の白い20歳くらいの美女でした。この美女が鬼に化けたのです。
○羅城門(羅生門)の鬼(京都・羅城門とは、京の都の南端(現在の東寺の近く)にあった門ですが、平安時代初期の頃から、いろいろ怪異談があったようで、ここで鬼に遭遇した人も多数あったようです。茨木童子の所でも書いたように、羅城門で渡辺綱が鬼に遭遇した話があります。
○安達ケ原の鬼女(福島・安達ヶ原(あだちがはら)に鬼女の伝説が伝わっています。この鬼女はこの地の一つ家に住んでいて、訪ねてきた旅人を取って食っていました。この物語は「黒塚」の名前でも知られています。能でもこの鬼女が演じられています。
○紅葉狩りの鬼女(長野・「紅葉狩り」能や歌舞伎で知られる「紅葉狩」の主人公・紅葉に関する伝説があります。信州の山奥に強力な盗賊の一味がいるということを聞き都では、平維茂にその討伐が命じられました。維茂は精鋭250騎を連れて戸隠におもむき、紅葉の館を攻めようとしますが、いったんは紅葉の妖術で天変地異が起き、退散します。しかし、維茂が北向観音に17日間参籠して、観音様より降魔の剣を授かると、その剣の法力で紅葉の妖術は破られ、紅葉は維茂に討たれてしまいました。紅葉の命日は10月25日と伝えられます。享年33であったとのことです。
「節分」を詠んだ句
春や来し 年や行きけん 小晦日 松尾芭蕉
節分の 何げなき雪 ふりにけり 久保田万太郎
年のうちの 春やたしかな 水の音 (加賀)千代女
節分や 肩すぼめ行く 行脚僧 幸田露伴
節分や、相撲取りも 裃にて 司馬遼太郎
このうち、幸田露伴が詠んだという句は異質です。節分の鬼を払う修正会(しゅうしょうえ)によって、「鬼は外 福は内」と豆を投げられ、鬼を追い払うところに居合わせた行脚僧の破目を、どこかおかしみを誘いながら詠んでいる句です。永井荷風は、早くから露伴を敬愛していたことで知られています。露伴の葬儀のときに、荷風は門外にたたずんで、静かに弔意を表したエピソードは有名です。
露伴の娘の幸田文は、随筆家、後に小説も書きました。その子である玉も随筆家で、またその子である奈緒はエッセイストとして知られます。私は,露伴はあまり読んだことがありませんが、娘の文の随筆が好きで本も所蔵しています。 以上
しげやん^-^おはようございます^^
返信削除今日は節分!しげやんは豆まきしますか?
atitiはもう長い事したことがありません^^
豆の数も沢山食べるようになってしまったなぁ~^^
今日もお昼からパトロールに出かけます^^
しげやんも頑張っているからatitiも頑張らないとね
旅行に行ってから足の調子が今のところいいです。
出かけた後はいつも調子いいのです。痛みってストレスが関係してるのかな?
atiti
RE: atitiさん
返信削除作家の夏樹静子さんをご存知ですか?彼女にまつわるストレスの有名なお話があるので、紹介しましょう!ストレスが如何に身体に思わぬ悪影響を及ぼすということです!
作家だった夏樹さんは、1993年1月ごろから、痛みが現れた。整形外科、内科、婦人科、神経内科で検査したがわからない。精神科まで受診したが、これといった疾患はみつからなかった。民間療法 、鍼灸、気功、整体、カイロプラクティック、マッサージなどためしたが、治らない。
2年半たつころ、無気力状態になり、ひきこもるようになった。仕事はできなくなった。
95年夏、知人の紹介で心療内科の医師の訪問を受けて、心身症との診断を受けた。96年1月入院 。
「仕事への執着が、あなたの重しになっているのです。作家としての人生を断念し、一主婦として生 きなさい。夏樹静子の葬式を出そう。」
こうして、治療が始まった。絶食療法を始め、執筆をやめた。痛みが軽くなり、2カ月で退院。やが て、完治して1年後、作家活動を開始した。
夏樹さんは、心因性疼痛(疼痛性障害)だった。心身症の一つである。心理的なストレスによって、 痛みの症状が現れた。夏樹さんの場合には、種々の療法が効かず、心理療法が奏功した。
心身症は、種々あって、薬物療法や心理療法が行なわれる。
このような心身症には、行動療法、自律訓練法、作業療法、絶食療法、内観療法、森田療法、太極拳 、ヨーガ、呼吸法による心理療法も行なわれる。心理的な要因によって症状が起きたのだから、心理療 法が症状の軽減に貢献するわけだ。
RE: atitiさん
返信削除しげやんとこ、大豆やイワシは食べますが、「豆撒き」は
長いこと、やったことがありません。
最近は「豆」よりも「落花生」を撒く家が多いと聞いてます。
落花生の方が撒いたあと拾っても衛生的で、食べても美味し
いです。
昔は柊に鰯の頭を指して玄関に飾ったものですが、最近では
見掛けなくなりましたし、しげやんとこもやってません。
しげやんさん
返信削除家では欠かさず豆まきやってますよ。
例年は大豆ですが、今年は黒豆を用意しました。
巻き寿司は昔はそんなになかったような。
商魂たくましいですね。
其角さんの句、團十郎さんは鬼なのかな?
鬼のほうが逃げていくような気がします♪
RE: megさん
返信削除其角の句「今ここに 団十郎や 鬼はそと」からすれば、
団十郎が鬼退治する役回りですね!
黒豆で、豆撒きですか?それは豪勢な・・・黒ダイヤです!
黒豆も丹波産になると税分値が張ります。お母さんからの
差し入れですか、それとも実家では黒豆は丹波と決めてるん
ですか?
RE:
返信削除megさん
恵方巻の巻き寿司は、近所のセブンイレブンの店主が予め
近所を回って注文を取りに来ます。これを利用してます。
先ほど配達されてきました。毎年磁石が付いてきます。
これで、恵方を確かめて食べる仕組みになっています。