2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
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- 28日・「スポーツ後進国に成り下がった日本か?」-バンクーバー五輪総括ー
- 27日・「感動をありがとう!・10」ー想像の次元をはるかに超えた女子フィギュアーの戦いー
- 26日・「バンクーバー五輪・女子フィギュアー競技」の舞台裏のかけ引き!
- 25日・「感動をありがとう!・9」-高橋選手銅メダルの陰に「たま駅長」のご加護あり!-
- 24日・「感動をありがとう!・8」ー氷上の美を競うアジアン女性たちー!
- 23日・「感動をありがとう!7」-女子フィギュアーに期待!-
- 22日・「感動をありがとう!6」世界映画祭・米女子ゴルフ・五輪カーリング
- 22日・「感動をありがとう!・5」不屈」おやじ、ご苦労さん!
- 21日・「感動をありがとう・4」日本最年長、スケルトン越選手とそれを支える匠達!
- 20日・「感動をありがとう・3」五輪フィギュアー高橋選手とゴルフ石川遼選手!
- 19日・五輪余話・「カナダ・バンクーバー」そぞろ歩き案内!
- 18日・[感動をありがとう!..2」]「4年前の屈辱をバネに!バネが弾んで銀と銅メダル!」
- 17日・「感動をありがとう 上村愛子!」ー涙の数だけ大きくなれるー
- 15日・「品格」とは?-その2-
- 14日・「品格」とは?-国家・社長・上司・男・女・子供の品格ー
- 13日・世相を映した川柳「サラリーマン川柳優秀作オンパレード(2)
- 12日・世相を映した川柳・サラリーマン川柳優秀作オンパレード(1)!
- 11日・明日、石川遼選手の米国第2戦目が開始予定!頑張れ遼くん!
- 10日・「苦しくとも笑顔を・・・!」ープロ野球・巨人高橋由伸選手に高橋尚子がインタービューー
- 9日・「ハイチへ千羽鶴を贈ろう運動」の行方は?
- 8日・“ゴルフの若鷹・石川遼選手!世界へ羽ばたけず!”
- 7日・泥酔暴行の責任をとり「朝菁龍、引退表明!」その3
- 6日・「世界へ羽ばたけ!若鷹・石川遼選手!」
- 5日- 落ちた偶像「朝青龍」と相撲協会!その2
- 5日・競技の世界、落ちた偶像「朝青龍」と「夢」を「目標」にまで高めたゴルフの石川遼選手!
- 3.4日合併・「節分・立春」にこと寄せて!
- 2日・「ツクシ誰の子スギナの子、ツクシの坊やがカオ出した!」
- 2月1日・「二月(如月・きさらぎ)という月は・・・」
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2010年2月20日土曜日
21日・「感動をありがとう・4」日本最年長、スケルトン越選手とそれを支える匠達!
有終の美へ!肉体改造7年 スケルトン・越和宏 W杯最年長45歳
スケルトンの日本の第一人者、越和宏(システックス)はワールドカップ(W杯)の出場選手で最年長。昨年12月23日は45歳の誕生日だ。ミスで11位に沈んだ2006年トリノ冬季五輪後も現役を継続。3度目で最後の五輪となるバンクーバー大会での有終の美をめざし、格闘が続く。
◇ ◇
4日の今季W杯第3戦。イタリア・チェザーナの会場で越は、スタート地点の氷に温度計をあてた。マイナス4度だった。「思ったより高い。氷は軟らかくなる」 事前につけておいたそりの刃は、マイナス5度以下の硬くて滑りやすい氷を想定。走りは悪いが、安定感に優れた刃だ。
今季序盤の2戦は2本目の滑走に進めない惨敗続き。この第3戦でそりを横滑りさせたら五輪が一気に遠のく。「でも今日の氷なら、リスクを承知のうえで、よく走る刃で勝負すべきだ」。刃を交換した時、レース開始まで1時間を切っていた。 結果は2回目の滑走に進んで11位。同じチェザーナが会場だったトリノ五輪と同じ順位だが、刃の交換に踏み切れた今回は意味が違う。
「土壇場で、迷いなく決断する勝負師に近づけたのでは」
越が「勝負師」と呼ぶのはトレーナーを務める松本整さん(50)。出会いは8位だった02年ソルトレーク五輪直後のテレビ対談。45歳で競輪選手を引退する直前、高松宮記念杯で優勝した伝説の人だ。限られた力を効率的に使う理論を構築していた。
「力が分散しないよう、そりを真っすぐ押せ。足が後ろに流れないように」。スタート時の初速が課題の越に、松本さんは、たたきこんだ。片方の足の着地時、他方の足の位置が前か後ろかで、次の着地までの時間も変わってくる。 一連の動作を支えるのは股関節の柔らかさ。こうした肉体改造は、7年目になる二人三脚で可能な限り徹底した。越はW杯優勝経験もある巧みなそり操作技術の持ち主。
「初速は改善した。あとはがけっぷちですくまず、踊れるかどうかだ」と松本さんは言う。
五輪代表の選考対象レースはW杯の第4戦まで。越は第4戦で23位と後退したが、第3戦の11位で命拾いし、国際ランキングで日本男子トップ。選考基準には「選手の将来性を優先」という若手重視の項目もあるが、出場枠が想定通り2ならば、若手とともに代表に選ばれる公算は大きい。
ただ、越は「低迷続きなら、五輪を辞退する覚悟が必要だ」と言う。五輪代表の決定は1月中旬。W杯は年明け後も続く。「残りのW杯で結果を出し、メダルを狙える選手としてバンクーバーに行きたい」
◇ 越和宏(こし・かずひろ) 長野県王滝村出身。木曽高時代は陸上選手。仙台大でボブスレーを始め、92年アルベールビル五輪代表入りを目指したが逃す。スケルトンに転向し、99年W杯で初優勝。そり競技としては日本選手初の快挙だった。現在所属する長野市のソフト開発会社「システックス」で07年にスケルトンクラブを結成。本番の前夜も晩酌を欠かさない。173センチ、82キロ。
越和宏(スケルトン)…やめない男 人生かける!
昨年12月23日に45歳になった男が、自分を筆頭とする日本勢の不振にヤケになったように吐き出した。「こんなんじゃ、誰が五輪に出ても同じ。ドングリの背比べだよ」。ワールドカップ(W杯)第4戦は23位。1回目で20位に入れず、2回目に進めない屈辱は今季、既に3度目だ。
◇ ◇
「さすがにバンクーバーが最後でしょう」。その次がないだろうことは、覚悟している。集大成の五輪に向け、氷上練習の開始を例年より早めた。「早く内定を」とスロースターター返上を誓ったものの、結果がついてこない。
ソリを操る技術は世界トップクラス。だが、スタートのスピードを得る課題克服に苦心が続く。スタート失敗の今季開幕戦は、前日までの好調さが、「当日の朝、起きてから数時間で変わった」。薄氷を踏む調整に狂いは許されない。
全日本チームの高橋宏臣監督は「欧米勢がスピードに加え、技術も身に着けてきた」と現状をにらむ。自身もスタートのベストを更新しながらも、ライバルはそれ以上に成長する。それでも、冬季では主力とされる「フィギュアやスピードスケートを超えたい」と言う日本スケルトンの先駆者は、意地と使命感が強いだけに簡単には引けない。
◇ ◇
ボブスレーで代表を逃した1992年のアルベールビル五輪はスタッフとして参加した。だが、「五輪は選手で出なければ意味がない」と痛感し、当時、非五輪種目のスケルトンに傾倒して十数年が過ぎた。「何度投げ出したくなったか分からないが、いつもやめない選択をしてきた」。最近では11位に終わったトリノ五輪の決意が節目。カーブミスで流した涙が40歳過ぎの4年間の支えで、「人生を懸けている」。
W杯第3戦では11位に入り、力を証明した。国内選考の結果を待つ中年男の執念には、すごみが漂う。最後の大舞台に届くだろうか ?
越選手と世界に挑み続けて10年!・仁儀吉寿さん=1月(和歌山市和歌町)
■そり製作 和歌山・仁儀さん
バンクーバー五輪のスケルトン競技に出場する「中年の星」こと越和宏選手(45)のそりを作り続けてきた職人が和歌山にいる。町工場の経営者が世界に挑み続けて10年。改良に改良を重ねたそりが、越選手と共に3度目の五輪に挑む。
和歌山市和歌町の仁儀(にぎ)吉寿(よしひさ)さん(49)。
金属加工工場「ニギテック」の3代目社長だ。ただ1人の従業員、清水喜臣さん(33)と共に、住宅の手すりなどを作っている。
昨年末に長野市であったスケルトンの全日本選手権。競技会場の「スパイラル」に仁儀さんの姿があった。「もうちょっときつく」「締まりを強くして」。滑走のあと、越選手とやりとりしながら、ねじの締め方や部品の角度を10分の1ミリ単位で調整した。
越選手は「そりは本当にいい。世界一のものになっていると思います。あとは僕だけです」と語ったという。
越選手が仁儀さんの工場を訪ねてきたのは2000年の初め。別の和歌山出身選手のためにそりを作ったのがきっかけだった。越選手はいきなり「世界で勝てるそり、作って下さい」と言った。「田舎のおっさんになんちゅうこと言ってくんねん」と思ったが、仁儀さんの頭の中にはその時、高校時代の悔しい思い出がよみがえっていた。
和歌山工業高校の野球部員だった仁儀さん。「箕島を倒して甲子園に行くんや」と夢見たものの、3年間、正選手になれなかった。「一生懸命練習しているのに何でや」と監督を恨んだこともあった。結果が出ないまま野球をやめ、家業を継いだ。
越選手と出会った時は39歳。金メダルへの熱い思いを聞き「中途半端だった青春をやり直すチャンスかな」と思い、そり作りを引き受けた。
最初のそりを作ったときは、自腹で約400万円を出した。自らそりでコースを滑走したこともあり、あざだらけになりながら、改良を重ねてきた。
資金が豊富で何台ものそりを持つ外国選手に対抗するため、そりを組み立て式にした。材質や硬度を変えたパーツを組み合わせれば何種類ものそりができる。この10年で越選手が使った組み合わせは100パターン以上になる。
01年には仁儀さんの作ったそりでワールドカップを制した越選手だが、五輪では最高8位。今季のワールドカップでは11~24位と、なかなか上位に食い込めないでいるが、仁儀さんは、越選手の注文に合わせた部品を遠征先に送るなどして支え続けた。
「今回のソリには僕の魂を全部込めた。もう一回青春をさせてくれた越には、ほんまに感謝したい」
越は2010年1月、バンクーバーオリンピックの代表選手に決定した。45歳での冬季オリンピック出場は日本選手として史上最年長である。2月19日、20日にウィスラー・スライディングセンターでの競技に挑み、全4回戦を完走して20位。「もっといい内容のオリンピックにしたかった。僕がやっているのは時代遅れのスケルトンだった」「このままの状態でやっていても、トップアスリートがやっていることには届かない。次の世代に受け継いで行くことが僕の使命、仕事じゃないか」と話し、引退を示唆した。
最後の選手生活は終わった。
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しげやん^^おはようございます
返信削除atitiはフィギアが好きかな!^-^冬季にもいろんな種目があって面白いですね^^
しげやんはどんな種目が好きでしょう??^^
atiti
RE: atitiさん
返信削除一応は何でもというとこですが、なかでも男女フィギュアー
スケート、スピードスケート、ジャンプ、滑降、大回転、
カーリングと云ったところでしょうか!
これだったら殆どと云うことになりそうです!
24.26日の女子フィギュアースケートが楽しみです!