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2010年2月20日土曜日

21日・「感動をありがとう・4」日本最年長、スケルトン越選手とそれを支える匠達!




 
有終の美へ!肉体改造7年 スケルトン・越和宏 W杯最年長45歳

スケルトンの日本の第一人者、越和宏(システックス)はワールドカップ(W杯)の出場選手で最年長。昨年12月23日は45歳の誕生日だ。ミスで11位に沈んだ2006年トリノ冬季五輪後も現役を継続。3度目で最後の五輪となるバンクーバー大会での有終の美をめざし、格闘が続く。    
◇                        ◇
 4日の今季W杯第3戦。イタリア・チェザーナの会場で越は、スタート地点の氷に温度計をあてた。マイナス4度だった。「思ったより高い。氷は軟らかくなる」 事前につけておいたそりの刃は、マイナス5度以下の硬くて滑りやすい氷を想定。走りは悪いが、安定感に優れた刃だ。

 今季序盤の2戦は2本目の滑走に進めない惨敗続き。この第3戦でそりを横滑りさせたら五輪が一気に遠のく。「でも今日の氷なら、リスクを承知のうえで、よく走る刃で勝負すべきだ」。刃を交換した時、レース開始まで1時間を切っていた。 結果は2回目の滑走に進んで11位。同じチェザーナが会場だったトリノ五輪と同じ順位だが、刃の交換に踏み切れた今回は意味が違う。

「土壇場で、迷いなく決断する勝負師に近づけたのでは」 
 越が「勝負師」と呼ぶのはトレーナーを務める松本整さん(50)。出会いは8位だった02年ソルトレーク五輪直後のテレビ対談。45歳で競輪選手を引退する直前、高松宮記念杯で優勝した伝説の人だ。限られた力を効率的に使う理論を構築していた。

「力が分散しないよう、そりを真っすぐ押せ。足が後ろに流れないように」。スタート時の初速が課題の越に、松本さんは、たたきこんだ。片方の足の着地時、他方の足の位置が前か後ろかで、次の着地までの時間も変わってくる。 一連の動作を支えるのは股関節の柔らかさ。こうした肉体改造は、7年目になる二人三脚で可能な限り徹底した。越はW杯優勝経験もある巧みなそり操作技術の持ち主。
「初速は改善した。あとはがけっぷちですくまず、踊れるかどうかだ」と松本さんは言う。 
五輪代表の選考対象レースはW杯の第4戦まで。越は第4戦で23位と後退したが、第3戦の11位で命拾いし、国際ランキングで日本男子トップ。選考基準には「選手の将来性を優先」という若手重視の項目もあるが、出場枠が想定通り2ならば、若手とともに代表に選ばれる公算は大きい。 

 ただ、越は「低迷続きなら、五輪を辞退する覚悟が必要だ」と言う。五輪代表の決定は1月中旬。W杯は年明け後も続く。「残りのW杯で結果を出し、メダルを狙える選手としてバンクーバーに行きたい」   
◇ 越和宏(こし・かずひろ) 長野県王滝村出身。木曽高時代は陸上選手。仙台大でボブスレーを始め、92年アルベールビル五輪代表入りを目指したが逃す。スケルトンに転向し、99年W杯で初優勝。そり競技としては日本選手初の快挙だった。現在所属する長野市のソフト開発会社「システックス」で07年にスケルトンクラブを結成。本番の前夜も晩酌を欠かさない。173センチ、82キロ。








越和宏(スケルトン)…やめない男 人生かける!

 昨年12月23日に45歳になった男が、自分を筆頭とする日本勢の不振にヤケになったように吐き出した。「こんなんじゃ、誰が五輪に出ても同じ。ドングリの背比べだよ」。ワールドカップ(W杯)第4戦は23位。1回目で20位に入れず、2回目に進めない屈辱は今季、既に3度目だ。
◇             ◇
 「さすがにバンクーバーが最後でしょう」。その次がないだろうことは、覚悟している。集大成の五輪に向け、氷上練習の開始を例年より早めた。「早く内定を」とスロースターター返上を誓ったものの、結果がついてこない。 

 ソリを操る技術は世界トップクラス。だが、スタートのスピードを得る課題克服に苦心が続く。スタート失敗の今季開幕戦は、前日までの好調さが、「当日の朝、起きてから数時間で変わった」。薄氷を踏む調整に狂いは許されない。
 
 全日本チームの高橋宏臣監督は「欧米勢がスピードに加え、技術も身に着けてきた」と現状をにらむ。自身もスタートのベストを更新しながらも、ライバルはそれ以上に成長する。それでも、冬季では主力とされる「フィギュアやスピードスケートを超えたい」と言う日本スケルトンの先駆者は、意地と使命感が強いだけに簡単には引けない。
◇              ◇
 ボブスレーで代表を逃した1992年のアルベールビル五輪はスタッフとして参加した。だが、「五輪は選手で出なければ意味がない」と痛感し、当時、非五輪種目のスケルトンに傾倒して十数年が過ぎた。「何度投げ出したくなったか分からないが、いつもやめない選択をしてきた」。最近では11位に終わったトリノ五輪の決意が節目。カーブミスで流した涙が40歳過ぎの4年間の支えで、「人生を懸けている」。
 
W杯第3戦では11位に入り、力を証明した。国内選考の結果を待つ中年男の執念には、すごみが漂う。最後の大舞台に届くだろうか ?



越選手と世界に挑み続けて10年!・仁儀吉寿さん=1月(和歌山市和歌町)
 ■そり製作 和歌山・仁儀さん

 バンクーバー五輪のスケルトン競技に出場する「中年の星」こと越和宏選手(45)のそりを作り続けてきた職人が和歌山にいる。町工場の経営者が世界に挑み続けて10年。改良に改良を重ねたそりが、越選手と共に3度目の五輪に挑む。

 和歌山市和歌町の仁儀(にぎ)吉寿(よしひさ)さん(49)。
金属加工工場「ニギテック」の3代目社長だ。ただ1人の従業員、清水喜臣さん(33)と共に、住宅の手すりなどを作っている。

 昨年末に長野市であったスケルトンの全日本選手権。競技会場の「スパイラル」に仁儀さんの姿があった。「もうちょっときつく」「締まりを強くして」。滑走のあと、越選手とやりとりしながら、ねじの締め方や部品の角度を10分の1ミリ単位で調整した。

 越選手は「そりは本当にいい。世界一のものになっていると思います。あとは僕だけです」と語ったという。
 越選手が仁儀さんの工場を訪ねてきたのは2000年の初め。別の和歌山出身選手のためにそりを作ったのがきっかけだった。越選手はいきなり「世界で勝てるそり、作って下さい」と言った。「田舎のおっさんになんちゅうこと言ってくんねん」と思ったが、仁儀さんの頭の中にはその時、高校時代の悔しい思い出がよみがえっていた。

 和歌山工業高校の野球部員だった仁儀さん。「箕島を倒して甲子園に行くんや」と夢見たものの、3年間、正選手になれなかった。「一生懸命練習しているのに何でや」と監督を恨んだこともあった。結果が出ないまま野球をやめ、家業を継いだ。

 越選手と出会った時は39歳。金メダルへの熱い思いを聞き「中途半端だった青春をやり直すチャンスかな」と思い、そり作りを引き受けた。
最初のそりを作ったときは、自腹で約400万円を出した。自らそりでコースを滑走したこともあり、あざだらけになりながら、改良を重ねてきた。

 資金が豊富で何台ものそりを持つ外国選手に対抗するため、そりを組み立て式にした。材質や硬度を変えたパーツを組み合わせれば何種類ものそりができる。この10年で越選手が使った組み合わせは100パターン以上になる。

 01年には仁儀さんの作ったそりでワールドカップを制した越選手だが、五輪では最高8位。今季のワールドカップでは11~24位と、なかなか上位に食い込めないでいるが、仁儀さんは、越選手の注文に合わせた部品を遠征先に送るなどして支え続けた。

「今回のソリには僕の魂を全部込めた。もう一回青春をさせてくれた越には、ほんまに感謝したい」

越は2010年1月、バンクーバーオリンピックの代表選手に決定した。45歳での冬季オリンピック出場は日本選手として史上最年長である。2月19日、20日にウィスラー・スライディングセンターでの競技に挑み、全4回戦を完走して20位。「もっといい内容のオリンピックにしたかった。僕がやっているのは時代遅れのスケルトンだった」「このままの状態でやっていても、トップアスリートがやっていることには届かない。次の世代に受け継いで行くことが僕の使命、仕事じゃないか」と話し、引退を示唆した。
 最後の選手生活は終わった。

2 件のコメント:

  1. しげやん^^おはようございます
    atitiはフィギアが好きかな!^-^冬季にもいろんな種目があって面白いですね^^
    しげやんはどんな種目が好きでしょう??^^ 
                  atiti

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  2. RE: atitiさん
    一応は何でもというとこですが、なかでも男女フィギュアー
    スケート、スピードスケート、ジャンプ、滑降、大回転、
    カーリングと云ったところでしょうか!
    これだったら殆どと云うことになりそうです!
    24.26日の女子フィギュアースケートが楽しみです!

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