ブログ アーカイブ

2010年4月16日金曜日

4月16日・近場の桜の行方は?ー熊野那智大社の「桜花祭」ー

 きのうアップしたように、全国的な異常気象のなか、桜前線はどこまで北上してるのかを調べてみた。そうすると、東京はすでに「葉ざくら」、仙台がほぼ満開ということであった。

 そこで、もう一度地元に戻って近場の「桜情報」を当たってみた。そうすると、先日紹介した熊野古道中辺路の「秀衡桜」の兄弟と思しき同じ「秀衡桜」が熊野三山の一、熊野那智大社にも伝説として伝わっていて、この桜が見頃を迎えた記事とここを拠点として千日詣の難行苦行の荒修行を行われた花山法皇を偲んで、毎年この時期に「桜花」が催された記事が目についた。

 同大社の名物桜には「秀衡桜」のほか、熊野への信仰篤く都合34回の熊野詣を行幸された後白河法皇お手植えの「枝垂桜」のいい伝えもあり、話題豊富。
 高さ133m、日本一の高さを誇る御神体のこの飛瀑をバックにして巫女による舞楽の奉納があり、おごそかに「桜花祭」を執り行ったとあった。



       (クリックで拡大します ↑)
 余談になるが、花山法皇といえば、986年2年足らずで藤原氏の陰謀により退位させられ、失意を癒すべく熊野詣をし、熊野古道の中辺路を一路熊野本宮大社への途次、近露の里のほど近い峠で食事を摂るとき箸の代わりに手折った木の枝から血のようなものが滴り落ち、これを見た法皇は「血か、露か」と云われたという。この血か、露か、が今の地名の「近露」となったと聞く。
(写真は牛馬童子像、花山法皇がモデルという)

 また、箸の代わりに木の枝を手折ったので、この峠を「箸折峠」と名付けるともある。法皇は熊野に逗まられ、那智大社を根城に千日詣の荒修行に勤しまれ、歌人でもあられた法皇は熊野を詠んだ歌をも遺されている。
 また、法皇が詠まれた歌が真言宗西国三十三ヶ所の「御詠歌」としていまに伝えられている。
 千数百年の昔から、かつては「蟻の熊野詣」とまで謂われたほど信仰篤い参詣道であるここ熊野古道には、各時代の伝説がいまだに伝えられている。では、急ぎ熊野那智大社を目指して旅を急ごう!


熊野那智大社
 那智山の中腹にあり、那智大滝に対する原始の自然崇拝を祭祀の起源とする神社である。主として熊野十二所権現を祀るほか、那智大滝を神格化した「飛瀧権現」を併せ祀っている。背後に那智の原生林を神域として、大滝を祀る自然信仰を顕著に遺されている霊場である。
 古来の神々を崇めるとともに、弥勒信仰、補陀落信仰など多様に重なりあう特異な信仰の姿を形成しています。
 当初、神殿は大滝の下にあり、古代に現社地に遷座して以来行われている「扇会式例祭」は「那智の火祭」と呼ばれ、毎年7月14日に執り行われている。

自然の恵みに感謝し桜花祭ー熊野那智大社 滝前で舞奉奏・14日

 那智勝浦町那智山の熊野那智大社(朝日芳英宮司)で十四日、神前に桜を供えて自然の恵みに感謝する「桜花祭」が営まれ、頭に桜のかんざしをつけた巫女(みこ)二人が那智の滝前で優雅に「浦安の舞」をささげた。
 
 平安時代に花山(かざん)法皇が那智の山で千日修行した際、咲き誇る桜をめでて

  「木(こ)のもとを/すみかとすれば/おのづから/花見る人と/なりぬべきかな」と詠んだ故事にちなんだ祭典。

※花山法皇(968~1008)。第65代天皇。
 984年に17歳で即位するも、986年、藤原氏の陰謀により在位2年を待たずに19歳の若さで退位、出家し、法皇となりました。信じていた者に裏切られ、深く傷付いた法皇は、追われるように京を発ち、熊野に向かいました。那智の山中、那智の滝の上流にある「二の滝」近くに庵を結び、千日の修行をしたと伝えられる。
 修行し歩(あり)かせ給けるに、桜花のさきたりける下に休ませ給てよませ給ける

「木(こ)のもとを/すみかとすれば/おのづから/花見る人に/なりぬべきかな」・『詞花和歌集』巻第九 

 桜の木の下を住処ととすると、花を見る人に自然に(自分の意志とは無関係に)なってしまいそうだなあ。
おそらくは熊野那智での修行中に詠んだ歌。

「石走る/滝にまがいて/那智の山/高嶺を見れば/花の白雲」

この歌は花山院の代表歌で、後世、この歌を本歌取りして詠まれた歌は多い。 

 烏帽子(えぼし)に桜の小枝を飾った朝日宮司以下神職は、本殿に桜をささげて神事を執り行ったのち、那智の滝前の別宮に移動。笛、太鼓の雅楽に合わせて巫女二人が舞を披露した。小雨が降る中、白いしぶきをあげて落ちる豪快な滝の前で、サクラの花の髪飾りを付けた巫女が舞う幽玄な光景に、観光客らが見とれていた。

 訪れた観光客らは古式ゆかしい桜花祭を見入り、高さ133メートルの日本一の滝を入れて優雅な舞をカメラに収める人も大勢いた。













滝前で「浦安の舞」をささげる巫女
  ------------------------------
「古木、品よく」熊野那智大社で秀衡桜見ごろ・4月14日

 那智勝浦町の熊野那智大社(朝日芳英宮司)にあるヤマザクラの古木「秀衡(ひでひら)桜」が、見ごろを迎えている。平安時代末期、奥州藤原氏第3代当主の秀衡が夫人と熊野詣でをした際にもってきたという伝説がある。白山桜(しろやまざくら)とも言われ、雲かかすみかと言われるほど白い花をつける。樹高約15メートル、幹回り約2メートル。1965年に県の天然記念物に指定されている。
 昨年10月の台風18号で、高さ5~6メートルの所の枝(直径約25センチ)が折れ心配されたが、今年も立派に花をつけ関係者をほっとさせている。

 那智大社の「秀衡桜」と「内庭の枝垂桜」(後白河法皇手植えと伝わる)は、ともに昭和40年4月14日に県天然記念物に指定された。満開の秀衡桜は、18日ごろまでが見ごろという。

 

見ごろを迎えた「秀衡桜」=熊野那智大社





社殿の前にある枝垂桜が見ごろです

 
 枝垂れ桜は中世の“蟻の熊野詣”において歴代上皇中もっとも多い34回の御幸をなされた後白河上皇御手植によるものです。
 この桜は花の形が極めて小さく、その上品なことは比類なく後白河上皇が編纂した「梁塵秘抄」に収められた熊野詣の今様のように、人々の祈りの素朴な姿を、その桜を通じて今に伝えているのでしょうか。 春になると、社前の枝垂桜が花を添えますが、この枝垂桜は、最初、後白河法皇がお手植されたものといわれ、いまは何代目かは知りませんが、室町時代の図絵にこの桜が画かれています。

4 件のコメント:

  1. しげやん^^おはようございます^^
    昨日は寒かったね^^今日も曇っているし雨になるようです
    東京では葉桜で仙台では満開と聞くにまさしく日本列島縦長
    って言うことですね^^
    那智勝浦には以前話したことがありますが一度だけ行ったことがあります^^でも桜のころではなかったのが残念です

    返信削除
  2. RE: atitiさん
    しげやん、きょうは天気が悪いので巣篭もりです。
    きのうは地元高野山でも雪がチラついたそうですよ!
    きょうも3月下旬の気温で、寒いです。

    きのう桜の開花状況を調べました。上にもありますが、
    桜の名所として全国的に有名な青森の弘前公園の桜は
    いまだ、蕾の状態。したがって北海道ではまだ蕾まで
    にはなってません。
    開花後は如何に花冷えが続いたかということです。

    返信削除
  3. しげやんさん こんにちは。
    お江戸は、霙かと思うような冷たい雨がしとしと降っています。
    いったい、天気どうなっちゃったんでしょうね。
    今日は出かけたんですが、手袋やマフラーが欲しくなりました。
    花冷えを通り越してます!
    しげやんさんも、気候の変わり目、お大事になさってくださいね♪

    返信削除
  4. しげやん07102010年4月16日 21:15

    RE: megさん
    一体どうしたことでしょうかね?地元高野山では雪が降り
    ました。関東でもあすは雪の予報が出てました。
    農作物にも冷害の影響が拡がってゆくことでしょう。
    megさんには、歌舞伎座の建替え、4月末で閉鎖でしょう
    から、アチラコチラに出向くことになるのですか?
    地方興行が多くなるよう新聞に出てました。

    返信削除