(小休止の予定を延ばして今年のサクラの名残の意味で最後の「サクラ」の記事をアップします。「桜守」の話からサクラの花から花の命を、樹から樹の命を学びとろう!)
地元紀三井寺のサクラは早くに終うて、「葉ざくら」になっていて、松尾芭蕉が遥々訪ねきた紀三井寺の桜がすでに散り果て”見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺”と詠んだのと同じで、わたしのブログでも去る17日に「駆け足の 春、桜もはや 葉ざくらに!」とサクラの終焉宣言をしたのだが、きのうTVを見ていたら兵庫の宝塚ではいまが満開、将来のタカラ・ジェンヌを養成する宝塚音楽学校の入学式に合わせて桜並木の桜吹雪が降り注いでいるさまや新潟は佐渡では小学校の校庭の桜が満開の様子が大きく映し出されていた。
一方、地元紀三井寺の桜の開花を示す標本木が老衰か寿命がきて、「桜守」の手で再生を目指すことが報じられていた。この標本木の桜の木もソメイヨシノの木だという。 きのうの新聞の見出しは、長寿サクラ「これからも」/紀三井寺、とあった。そう、老木を再生させ来年以降も花をつけるよう蘇らせようという試みである。
紀三井寺というサクラの名所で標本木として数十年にわたりお役を努めてきた大事な木であるだけにこの木に対する思い入れもひとしお深いことなんだろう、花といえば桜、サクラと日本人の特別な関係をを強く感じた。
そこで、アンコールの意味もあり、サクラの花、桜と「桜守」をもう一度振り返りたくてキーを叩いた。さきに3月27日は「サクラに日」に因んで、サクラ、桜守について書いたが、再度日本一の桜守といわれる佐野藤右衛門さんに登場願って「日本人と桜」「桜守」のことをお伺いし、また来年の桜に楽しみを託し願おうとしたい、と思う次第である。
◎枝など枯れ 樹木医(桜守)が治療/開花の標本木
和歌山地方気象台が毎年発表するサクラ(ソメイヨシノ)の開花情報の目安となっている和歌山市紀三井寺の標本木が19日、樹木医の「治療」を受けた。標本木は紀三井寺の境内にあり、寺が管理しているが、ここ数年、幹の内部や枝の一部が枯れるなど衰えが見えていたことから、今月初めに樹木医(桜守)に診断を依頼していた。
寺と気象台によると、標本木は樹齢が八、九十年で、市民に春の訪れを告げる木として数十年にもわたって親しまれてきた。今年も満開のサクラを咲かせていた。
ところが数年前に強風で枝の一部が折れてから木を腐らせる菌が入り、徐々に傷みが進んでいた。樹木医の診断はかなり「重症」で、大規模な治療を施すことになった。
この日は、診断したかつらぎ町の樹木医(桜守)浦嶋清さん(74)が息子の克也さん(40)とともに、枯れた枝など傷んだ部分をチェーンソーやのみで切り落とした。切り口には殺菌する液をはけで塗って保護した。
浦嶋さんによると、木の根元を人が踏むことによって土が硬くなり、根が水や酸素を吸収しづらくなったことも原因の一つとみられる。このため、周りの土を掘り起こして肥料や土壌改良材などを土に混ぜる作業もする予定。
前田泰道(たいどう)副住職(52)は「長い間サクラの開花を知らせてくれた木。元気にこれからも長生きしてほしい」と話した。
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「サクラと桜守」の話
桜をこよなく愛し、日夜、桜と向かい合って生きる、京都の三代目桜守・佐野藤右衛門さんに、桜を通して得た人生哲学をディープな桜のあれこれをうかがいました。
3代目桜守でいらっしゃるそうですが、そもそも「桜守」とは、どういうお仕事なんでしょうか?
「うちは代々、仁和寺(にんなじ)の御室御所(おむろごしょ)に仕えて百姓をしてたんやけど、11代目が植木職を始めて、それがわしの16代目まで続いてます。
特に『桜守』と言われるようになったのは、14代目のおじいの時代から。おじいが無類の桜好きで、日本各地にある名桜を後世に残すには、その跡継ぎを作っておかねばならん、と思ったらしいです。
それで日本中、それこそ千島や樺太までも渡って、接ぎ穂をもらって歩いたらしいです。その『桜狂い』を継いだのが、わしの親父とその弟の叔父。親父たちもおじいと同じく、日本全国を歩いては、まだ名の知れていない桜や、すでに枯れてしまった名桜を復元したりしてましたけど、シベリア鉄道の沿線を桜で埋め尽くそう、なんて大した計画を持ってたらしいですわ。
残念なことに戦時中でしたから、思う通りには行きませんでしたが。そのまた親父たちの遺志を継いだのが16代目(桜守としては3代目)のわし、ということになります」
佐野さんご自身が、「桜守」を継ごう、と思われたきっかけはあったんですか?
「祇園にある円山公園の枝垂桜は皆さんご存知ですねえ? あの桜は実は2代目なんです。先代の枝垂桜は、それこそ名桜で、明治・大正・昭和と祇園の夜桜として、知らない人はおらんくらいでした。
親父が、その先代の枝垂桜から種をもらってきて、うちの畑に撒いたんです。100ほど発芽したらしいですが、戦後まで無事に残ったのが4本。それを、わしが生まれたのを記念して、わしが生まれたその日に植えたんです。
戦後まもなく昭和22年に先代の枝垂桜が枯れてしまい、親父が4本のうち1本だけはわしのために置いておいて、残り3本を京都市に寄附したんです。寄附した3本のうち、1本は元の親桜があった場所に、ほかの2本は円山公園の東のはずれに植えました(1本は火事で焼け、1本は枯れ、現在残っているのは円山公園の枝垂桜のみ)。だから、円山公園の枝垂桜は、わしと同じ80歳、わしとは兄弟みたいなもんですわ。
そう、その兄弟みたいな桜のうち、わしのために、とうちに残しておいた残りの1本が、不思議なことに親父が死んだ時に枯れたんです。親父が倒れたその年から、なんや桜もおかしゅうなって、じわじわ弱ってきた。なんとかその年は花を咲かせ、花が散った1ヵ月後に親父は亡くなりました。
親父の死後、突然、その桜が勢いよく葉を出したもんやから『これなら来年も大丈夫やな』と思った矢先、突然枯れた。不思議なもんでしょう。それまで、親父の手伝いはしてましたけど、親父のように桜にのめりこむとは決めてなかった。でもその時『自分も桜をやらんといかんなあ』と、つくづく思ったんです」
桜が大好きな日本人ですが、“通な”桜の楽しみ方をおうかがいしたいのですが。
「『桜はどうですか?』と聞かれたら『桜は咲きますなあ』としか言えませんなあ。今の人らは急いでいかん。炊飯器ですぐにご飯が炊ける、お風呂かてボタン押したらすぐに沸く、みたいな暮らしをしとるからいかんのや。
桜というのは自然の一部。自然の摂理っちゅうもんを考えんといかん。
ところで、皆さん、よう知ってはるソメイヨシノ。あれはクローン桜やっちゅうこと知ってますか? 彼岸桜と大島桜の変種やという説と、東京の染井村の植木屋が作ったっちゅう節と2つありますが、接木が簡単で、成長が早く、花が枝いっぱいに咲くから、明治から昭和初期にかけて大流行したんや。日露戦争の戦勝記念や、紀元2600(1940)年記念やいうては、日本中に植えまくったわけです。めしべが退化して花粉もないソメイヨシノは自生もできへん、鳥も寄りつかん、クローン桜や。
だから日本国中どこで見ても、みんな同じ。そんなもん愛でてもほんまの花見とは言わんわな。その全国のソメイヨシノが今一斉に枯れてきている。
それで初めて『ソメイヨシノの寿命は100年くらいやな』っちゅうことが分かったんです。成長が早いとされるソメイヨシノをとっても、自然界というのは、そんな長いスパンで動いているんや。だから、お城の中にソメイヨシノが植わってるのは、どう考えてもおかしいし、もっと言うたら、遠山の金さんの”桜吹雪”がソメイヨシノなんもおかしいわな。戦国時代にも江戸時代にもなかった植物なんやから。まあそんな冷めた目で見てみるのも、おもしろいんとちゃいますか」
では、改めて“本物の花見”とはどういうものなんでしょうか?
「日本に自生している桜は、大島桜、山桜、彼岸桜の3つ。桜の種類といえば300以上あるけど、実を成して自生できる桜はこの3つだけ。あとは突然変異か品種改良したものばかりやからみんなめしべが退化してる。接木でないとあかんのや。だから素人はこの3つだけ覚えといたらよろしい。
まずは、“自然に咲いている桜”、つまりは今では少なくなった里山や、もっと山奥にある桜の中から“自分だけの桜”を見つけてください。自生の桜というのは当然のことながら、環境に左右されるから咲かない年もある。『今年は雨が少なかったから、あの桜は無事に咲くやろか、台風が来たから、倒れてはせんやろか』。自分の桜を見つけたら、年中その桜のことが気になりますやろ?
そうして春になって見に行ったら、無事に花をつけている。その時の感動といったら、いわゆる花見のどんちゃん騒ぎなんかでは得られないものがありますわ。
桜にとって“花が咲く”のは一年の最後なんです。実をつけて新しい命を生み出し、新芽を吹くための最終段階。それが分かれば、新緑の桜の美しさ、寒い時期にエネルギーを溜め込んでいる桜のたくましさに気づくはず。
そうやって桜の一年と自分の一年を重ね合わせて、自分を振り返る、しいては自然界のことを考える手立てとする。それが、わしが考える“本物の花見”です」
なるほど。桜と自分の人生を重ね合わせて見るわけですね。
「わしらは、桜の一分・二分咲きのことを『ほころびかける』、五分咲きのことを『笑いかける』と言います。笑いかけの桜はまるで子供のはにかみのよう、そして満開の桜は、華やかな娘の姿のように見えます。そして、姥桜。しわくちゃの幹にもなんともいえない風格が漂い、そしてわずかに残った枝に咲く花には、色気を通り越した色香を感じます。
それから、桜が咲くのは、西行も歌で詠んでますが、昔から“如月の望月”つまり、旧暦2月の満月、と相場が決まっているんです。
そう、桜の営みというのは、女性の一生と同じ。桜にのめり込んでるわしは、なるほど女好きですわ。だから桜を理解しようするのは、女性を理解しようとすることと同じこと。そんな風に“相手を思いやる心”をも桜から学ぶことができると思います」
※植木職人(佐野)藤右衛門としては16代目、桜守3代目となる。パリのユネスコ本部の日本庭園を手始めに、世界各国の日本庭園造築にかかわる。1999年、勲五等双光旭日章を受賞。桜の調査のために全国各地を駆け回る。主な著書に「桜のいのち庭のこころ」「桜よ 『花見の作法』から『木のこころ』まで」などがある。
2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
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しげやん^-^こんばんは~^^
返信削除紀三井寺の標本木が老衰!!??^-^
何かピンとこない感じですよね^^人間だと驚くのにね!
何気なく花見をしていますが桜守がおり受け継がれていくんですね^-^この桜守にとって桜は自分の子供なんでしょうね!
いろんな仕事がありますね^-^
RE: atitiさん
返信削除この桜守の佐野さんのお話、面白いですね!
日本国中で一番お多いソメイヨシノ、クローン桜だとは、
道理で花に蜜がなくてミツバチや蝶チョが寄ってこない、
魅力がない自分で実をつけ子孫を増やせないのですね、
それゆえ接木で増やすしか方法がない、桜の木としても弱い
のです。
山桜のように強い桜の木でないとダメなんですね!
吉野山の桜は大方シロヤマザクラなんです。