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2010年3月31日水曜日

4月1日・今日は「新年度入りにエイプリル・フール・デー!」


   4月の花・左から「サクラ」「フジ」「チューリップ」



 

今年もはや、4月を迎えた。今日4月1日は365日の内の1日というのではなく、特別意味がある「1日」ということではないだろうか?すなわち新年度入りのスタートの日である。

「暦」にはカウントの仕方が、暦年と(会計)年度との両方があって、我が国では新暦で新年が1月1日、役所や大半の会社は今日4月1日から「新年度入り」ということになる。
 そうそう、今日はもうひとつ、「エイプリル・フール」の日でもある。
 そういう訳で、きょうは「新年度」と「エイプリル・フール」についての雑学を披露しましょう。



「会計年度のはなし」・「役所の一年は4月から・・・」         
 
 暦における一年の始まりは1月ですが、日本の社会生活にはこれとは別に4月始まって翌年の3月まで続く1年の周期があります。これが会計年度。単に「年度」と言っても通じるほど我々の生活に浸透しています。

 さて、このように生活に深く浸透している会計年度、どのようにして生まれ、どうして4月からとなったのでしょうか?江戸時代には将軍さまに御台所さまも、われわれ庶民も師走の大晦日まで大忙し、明けて新しい年を迎えました、と云っても、当時は旧暦でしたが・・・それに勘定は盆暮れ勘定の超信用経済時代。

 これとは、異なりいまは、暦による「年」と「(会計)年度」が並立している。
I.「会計年度とは?」 
 
そもそも会計年度とは何でしょうか?「会計年度」を辞書で調べると、「予算を執行するための一定の期間。日本の官公庁では4月1日に始まり3月31日に終わる。」と言うようなことが書いてあります。
 
予算の執行・・・ということは役所に限った話しではありませんが、4月から始まる一年間を会計年度としたのは、「お役所」からと言って間違いないでしょう。

 官公庁の会計年度が4月1日から始まる1年間と言うことは、しっかり法律(財政法や地方自治法)によって定められています。ですから年度末にあたる3月頃になると、その年度の予算の帳尻を合わせにお役所は躍起となるのです。そして役所がらみの道路工事が3月頃になると増えるというわけです。

現行の法律による会計年度の期間
1.財政法・地方自治法によって、国、普通地方公共団体の会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終わるものとする。と定められています。
2.会計年度はいつからある? 
 現在のような4月に始まる政府機関の会計年度は明治19年(西暦1886)から始まったものです。ざっと120年ほどの歴史と言うことになりますか。(都道府県、市町村はやや遅れて明治23年と明治22年から)
3.なぜ会計年度が出来たのか 
 
今は当たり前のこととして受け入れてしまっているこの会計年度ですが、どうして暦の一年と同じく1月に始まって12月に終わるものでは無いのでしょうか。わざわざ二種類の一年を作る必要がなぜあったのでしょうか?

1.税金徴収の都合
 暦年と異なる会計年度が必要な理由として挙げられるものに、税金徴収の時期があります。かつての日本は、主たる産業が農業(主力は稲作)でしたから、政府が税金として徴収するの主な財源も当然この農業に対して課税したもの(地租)でした。
 稲作の場合、その収穫時期はもっぱら秋。税(地租)は物納ではなくお金で徴収しましたから、秋に収穫した米が現金化されてから徴収というのが一番無理のない姿。とすると、税金の徴収が一段落して、収入がハッキリした段階で、次の「一年」の予算を定めて実行に移すタイミングとしては、4月頃が都合がよいのです。

2.そしてもう一つの理由
 明治のはじめの頃は、会計年度の開始時期は何度も変更されています。最終的にイギリスにならって、4月からになりました。 日本の「会計年度」の始めが4月になった理由の一つは「イギリスが4月からだから」

 では本家のイギリスはなぜ4月からなのでしょうか。実は、イギリスの会計年度が4月からとなった理由にはイギリスのグレゴリウス暦への改暦が関係しているのです。
 イギリスがグレゴリウス暦を採用したのは1752年のこと。 1751年までは年初は3月25日だったと言うことになります。3月25日なんて半端な日付が「年の初め」とは何とも奇異に感じるかもしれませんが、この日付は古い時代の春分の日。つまりは、春分をもって一年の始まりと考える「春分年初」の考えかたの伝統が残っていたものなのです。
 
 1752年になって、イギリスでは諸外国とのやりとりの便を考えてグレゴリウス暦へと移行しました。
ついでに年初も至極まっとうに思える1月1日に変更されました。
まあ、これはこれで良かったのですが、そう簡単にいかない問題があります。これがお金の問題。「その年の支払いはその年のうちに!」が原則。
 
 暦を変えるのはいいですが年の初の日付の変更はすなわち、「年の終わりの日付の変更」と同じことですから、「その年の支払いは・・・」の期限が急に変更になってしまうわけです。
 
当時のイギリスでは中世以来の伝統として、「年の払いは、年明け後1週間まで猶予する」というシャレた習慣が残っていました。とすると、昔ながらの3月25日を年初とすると、3月31日はまだその猶予期間中。
 
それなら、税金も含めた1年のお金のやりとりは3月31日を〆切として精算するという方式に変えれば、今までの商習慣を少しも変えることなく、なおかつ、多少は区切り良い 「4月1日から翌年3月31日までを、経済活動の1年とする」とできると考えたのです。

 そして生まれたのがイギリスの会計年度です。

「かくして、お役所の1年は4月に始まる」 
 イギリスで18世紀半に行われたグレゴリウス暦への改暦の結果生まれた4月からの会計年度は、19世紀後半のお金に困っていた日本の明治政府へ伝わりこれが採用され、それから120年。

今でも日本のお役所はこの会計年度という4月から始まる1年のサイクルで活動しています。これに対して民間の会社では、特別決算時期を決められていませんから、その会社の自由に任せられていますが、お役所と合わすと、何かと都合が良いので、大方の会社は3月決算、4月1日から新年度が始まるとしています。

「会計年度の雑学」・よその国では?
暦年と会計年度が一致している国と、一致していない国は、さまざまです。
  国々の会計年度例
 年度期間 主な国
 暦年   中国・韓国・フランス・ドイツ・オランダ・ベルギー・ロシア他多数
 4~ 3月 日本・イギリス・カナダ・デンマーク・インド・パキスタン他
 7~ 6月  オーストラリア・ノルウェー・スウェーデン・ギリシャ他
10~ 9月  アメリカ・ハイチ・ミャンマー他

(外国との関係)
 その中で当時の日本との関係から重要な国としてはイギリスとアメリカ。会計年度の初めはイギリスは4月、アメリカは10月。日本は、当時世界一の経済力を誇ったイギリスの会計年度に倣って4月としたのだと言われています。

(新学期・新学年)
 4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括ります。 元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっているのが普通でした。1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになりました。
 ただし、大学や高等学校では欧米の習慣に合わせて9月に新学期を始めていました。

 4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになります。これは、学校教育法で保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から就学させる義務を負う。と規定しているためです。「年齢計算ニ関スル法律」では年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算スとし、「民法」第143条では年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしています。

つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学するわけです。
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エイプリル・フール・デイ
 4月1日はエイプリル・フール・デイです。この習慣はヨーロッパが発祥であることは想像できますが、いつ頃、どこで、どんな事が切っ掛けになって始まったのか諸説が別れています。
 

 この習慣が日本に紹介されたのは古く江戸時代からで、当時は「不条理の日」といい、普段、付き合いや義理を欠いている失礼をわびる日とされていました。
 軽い悪戯で嘘をついたり人を担いだりしても咎められないという風習が18世紀頃から欧米でおこり、日本にも大正時代に伝わってきました。「万愚節」などといっていたときもありましたが、今では「エープリル・フール・デイ」で、担がれた人を「四月馬鹿」と呼んでいます。

 エイプリル・フール・デイのルーツについては、いろいろな説が伝えられています。そのひとつが、ノアの箱船を起源とするものでノアは洪水がおさまってきた頃を見計らって、陸地を探すためにハトを飛ばすのですがハトは陸を見つけられずにノアのもとへ戻ってきます。伝説ではこれが4月1日とされており、「無駄なことをさせられる日」だというものです。
 
 一方、フランスでは、エイプリル・フールのことを「4月の魚(Poisson d'Avril)」といいます。一説によると、1564年国王シャルル9世がグレゴリオ暦を採用し一年のはじまりが4月1日から1月1日にうつされ、子どもたちは1月1日にお年玉をもらい、4月1日には誤魔化しの贈り物をやり取りしたことから始まったとされています。また、4月生まれは魚座ではないことから、「4月の魚=嘘」となったとも、4月になって暖かくなると、魚がいとも容易く沢山釣れることから由来している、ともいわれています。

 エイプリル・フール・デイの起源は他にも、キリストがユダに裏切られたのを忘れないように設けられたというもの、一日だけ主人と使用人が入れ替わるという古代ローマの逆さまのお祭りがルーツというもの。
 ローマではこの日だけは主人が奴隷に仕え、道化師が聖職者になり、といった逆さまのどんちゃん騒ぎが行われたといいます。いつもなら身分の一番高い人が座る席に道化(FOOL)を座らせて無礼講の君主(The lord of Misrule)としたことから、という異説もあります。
 
 こうしたヨーロッパ起源説に対して、アジア由来の説もあります。その昔、インドの仏教徒たちは、3月25日から31日までの一週間、座禅を組んで修行をしましたが、つらい修行が終わった4月1日には、悟りの境地から再び迷いの世界に戻ってしまうため、からかいの行事を行うようになったというものです。
 
 諸説がうずまくエイプリル・フール・デイの起源ですが、洋の東西を問わず、「嘘をついてもよい日」ということには違いがないようです。欧米、特にヨーロッパでは、放送局や新聞社といったマスメディアまでが大嘘の報道を流す、という日本では考えられないようなおフザケが行われます。
 
 過去にあった報道では「火星人が来襲した」、「国連が財政不足解消のため月の土地を一般に販売する」、「市内の運河に鮭が押し寄せてきて手づかみで取れる」、「欧州合同原子核研究機関(CERN)で新粒子発見」などといったものがあったそうです。 嘘は嘘でも、あとで笑えるユニークなもの、悪気のない嘘に留めておきたいものです。


 4月1日には、TVニュースでジョークニュースを報道したりといった事が広く行われています。インターネットが普及してからは、実用性のない冗談コメント募集が公開されたり、ウェブサイトではジョークコンテンツを公開するといったことも行われています。
  ジョークの規模についても、簡易なものから大きな労力をつぎ込んだものまで存在し、ウェブサイトにおいては個人発から大手企業発まであります。

 逆に習慣を逆手にとって、ありえない内容に見えて事実の内容であったり、翌日以降に「嘘ではない」「本当に実施する」といったウラのウラをかいた記事が書かれることもあります。これらのネタは、一種のファンサービスの行為にもなり、一種のお祭りとみなすこともできます。
 
 時に、閲覧者から嘘の情報の内容についての問い合わせが来ることもあり、以前には(BBC(英国放送協会)の「ビッグ・ベンのデジタル化」など)。ビッグ・ベン (Big Ben) とは、英国の首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計台 (Clock Tower) の大時鐘の愛称。この時計台は世界的に有名で英国を象徴するモデル、高さ96.3m、11階建て、1859年竣工と歴史ある建造物、この時計がデジタル化により時計の針が不要になり、この針をオークションするというニュースに、世界中がアッと驚いたといいます。

 恒例行事としてジョーク記事を作成している場合、『ネタ切れ』を防ぐためにその年度の時事的・風刺的な内容のジョークになっているものも多く、4月1日のみの刹那的なジョークではない、一年の総決算的な要素も持ち合わせていると見ることができる。

 なお、かつては通信社が配信した嘘記事を日本の新聞社が本当のニュースとして掲載したことがあったほか、2005年に日本の新聞社が掲載した「スマトラ沖地震の余波で沖縄南端に新島が出現」という記事を、韓国の新聞社がニュースとして掲載するなど、別のメディアが真に受けて情報元のメディアに騙されてしまった事例もあります。

 また、エイプリルフールに便乗し、4月1日に発動するコンピュータウィルスを設置するなどの犯罪行為が行われることもある。これらのなかには笑おうも笑えないハナシもあるとか、悲喜こもごもの一日となる。みなさんもこの種のジョークに振り回されない4月1日でありますように・・・!

 かつて東京新聞は「東京タワーが傾く。原因は足元の“おなら”」と嘘報道した(2006年)ことがあり、人々を驚かせた!


マジ?」「エイプリル・フール!」




人に迷惑をかける嘘はNG.笑って許せるシャレた嘘につとめましょう

4 件のコメント:

  1. メールで情報を頂戴し、ありがとうございます。
    なぜだか、どうしても、メルアドのほうにお返事ができません。それで、こちらにお返事させていただきます。

    弥生時代の専門の方にきいたところ、学界では、邪馬台国は畿内という方向になっているようです。それとは別に、北九州にも、邪馬台国に匹敵する国があったという見方だそうです。邪馬台国が突出した唯一の政権ではなく、各地にそれぞれの文化を持つ有力な政権があったということでしょうね。現在の地方分権の動きにもふさわしい流れのように感じます。

    今日は、関東は暖かく桜も満開になりました。とはいえ、こちらがお花見に行きたい、と思う頃には散ってしまうのが常で(苦笑)。

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  2. RE: 玲小姐さん
    再々の書き込みトラブル申し訳ありません。
    ですが、メールしたように送られたメールはその都度全部
    着いていました。何回にもわたり申し訳ありませんでした。

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  3. しげやん^^おはようございます^^
    昨日はエイプリルフールでしたね。さて何か嘘をつきましたか?ふふ
    昨日、今日と天気が悪くて・・・・-0-
    昨日大門川へ桜を見に行ってきましたがまだ満開ではなくってショボかったよ^^
    この間お正月だったのにもう桜の季節になって早いねぇ~^^
                    atiti

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  4. RE:        atitiさん
    今日は家でゆっくりでしたが、あすは散髪の帰りに紀三井寺
    遊歩道へ桜見物に回ります。満開と聞いていますので再度
    花見をしておきたく思います。今後余り機会がないですから!
    エイプリルフールの嘘、3月31日夜のしげやんのメールは
    嘘ではありませんよ!そのお積りで・・・!

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