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2010年3月25日木曜日

3月26日・「徳川夢声の話術」その3.ー夢声の俳句ー

        写真は昭和三十一年三月、菊池 寛の墓参りをする徳川夢声。

 徳川夢声の「話術」について、いろいろ述べてきました。「座談十五戒」にもあるように、結局分かりやすい平凡な言葉で、至極あたり前に喋る、ということではないでしょうか

 彼は俳句を好みました。俳句はご存じ五七五の十七文字のなかに季節を初めあらゆるものを歌い込む、そうしてみれば如何に短い言葉で、如何に全体を表現するかが尊ばれる訳です。
 
古い中国の老子の言葉に、「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかい そにしてもらさず)というのがあります。この意味は平たく云えば、「天(神、自然の理法、摂理)の網は抜け穴だらけ、すきだらけのように見えるが、結局は悪は必ず その報いを受けていく」というほどの意味です。

 この言葉は、徳川夢声がいう「話術」の極意に通じるものがあると思います。なぜなら短い言葉で、全体をすべて表す、ということになるのではないでしょうか。

そこで、彼が好んだ俳句から、いくつかを引き彼の考え方に迫ってみたいと思います。

 
 俳句好きな彼は、1934年(昭和9年)から久保田万太郎が宗匠の「いとう句会」に所属し、句歴三十年に及びました。号を「夢諦軒(むていけん)」といいました。戦時下の句に〈口軽き吾れを悔ゆるや豆の花〉とあるが、言論の不自由な当時、とがめられる舌禍があったのかも知れません。号は「無定見」の洒落である。定見がなく、その時々で自分に都合よく判断することをご都合主義というが、彼はユーモアにも秀で自虐的なブラックユーモアにも巧みであったので、「夢諦軒」と称し、軍国主義のオカミに盾突いた心境だったのであろう。彼は毎日のように俳句をつくり続けたので、膨大な凡作の山ができたそうです。

※いとう句会
昭和9年4月より、渋谷・大和田町の「いとう旅館」にて催された句会。久保田万太郎を宗匠に、「万太郎人脈」に連なる作家、編集者、画家、俳人、俳優、実業家らが参会し、句会というより「文壇サロン」の色合いが濃かった。
  同人には、久米正雄、高田保、徳川夢声、渋沢秀雄、川口松太郎、堀内敬三、森岩雄、佐佐木茂索、宮田重雄、内田誠、秦豊吉、五所平之助、小島政二郎、大場白水郎?、伊志井寛、小絲源太郎?、らが名を連ね、富安風生、水原秋桜子、中村汀女、獅子文六、永井龍男、車谷弘、柳永二郎、籾山梓月、小寺健吉、安住敦、戸板康二らもたびたび参加しました。

 名の由来となった「いとう旅館」は戦災で消失し、会場は田園調布にある渋沢秀雄邸に変更。『いとう句 藻』(私家版、昭和11年7月)、『いとう句会壬午集』(私家版、昭和18年5月)『句集・いとう句会』(いとう書房、昭和23年10月)、『いとう句会随筆集・じふろくささげ』(黄揚書房、昭和23年2月)など句集や随筆集も少なくない。昭和38年に要である万太郎が急逝し、同人も相次いで物故。昭和40年代には、その歴史に幕を閉じました。



夢声が詠める句4首と名言1言

雪の夜 長き「武蔵」を 終わりけり

徳川夢声というひとがいた。ラジオがまだ娯楽の王座にあった時代、夢声の朗読は「話術の至芸」として日本国中知らないものはなかった。特に有名だったのが吉川英治の『宮本武蔵』の朗読で、その本物を聞いたことがない田舎の子供でも口真似ができたほどである。ラジオではNHKで昭和14年から15年まで続き、その後戦時国民意識高揚に18年から20年1月15日まで続いた。
 
 この句はその最後の日に作られたものである。夢声は俳句好きで久保田万太郎の「いとう句会」に所属し、句歴三十年に及んだ。日記代わりに作ったので膨大な凡作の山であるが、そこがいかにも夢声らしい。  「武蔵」の朗読は戦後復活し、昭和36年から38年に「ラジオ関東」で放送され、レコードになった。私達が聞いたのはそれかもしれない。句日誌『雑記・雑俳二十五年』(オリオン書房)所収。
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 春の宵 歯痛の歯ぐき 押してみる

 この気分は経験者にはよくわかる。ずきずきする歯ぐきを、本当は触りたくないんだけど押してみる。押すことによって痛みを一段深く味わう、こんな倒錯した心理は、歯痛を経験したことのない者にはわからないだろうな、と半分は空威張りしているのだ。
 
 この素朴のようでいて下手でなく、平凡のようでいて非凡のような句の作者こそ誰あろう。戦前・戦後ラジオや映画で大活躍をした「お話の王様」徳川夢声。この句は、実は歯痛どころではない大変な時代の産物だった。時は昭和20年(1945年)3月13日、あの東京下町を焼き尽くした東京大空襲の3日後のこと。同じ頃の句に「一千機来襲の春となりにけり」「空襲の合間の日向ぼっこかな」とある。句日誌『雑記・雑俳二十五年』(オリオン書房)所収。
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 凍つる夜の 独酌にして 豆腐汁

季語は「凍(い)つる」。現在は1月7日までが通常「松の内」と呼ばれるけれど、古くは15日までが「松の内」だった。江戸時代には「いい加減に正月気分を捨ててしまえ」という幕府の命令も出たらしい。大きなお世話だ。掲出句の情景としては、妻が作ってくれたアツアツの豆腐汁に目を細めながら、気の向くままに独酌を楽しんでいる姿と受けとめたい。妻はまだ台所仕事が片づかないで、洗い物などしているのかもしれない。 

 外は凍るような夜であっても、ひとり酌む酒ゆえに肴はあれもこれもではなく、素朴な豆腐汁さえあればよろしい。寒い夜の小さな幸せ。男が凍てつく夜に帰ってきて、用事で出かけた妻が作っておいた豆腐汁をそそくさと温めて、ひとり酌む・・・・と解釈するむきもあろうが、それではあまりにも寒々しすぎるし、上・中・下、それぞれが切ない響きに感じられてしまう。ここは豆腐汁でそっと楽しませてあげたい、というのが呑んべえの偽らざる心情。豆腐のおみおつけだから、たとえば湯豆腐などよりも手軽で素っ気ない。そこにこの俳句のしみじみとした味わいがある。この場合「・・・にして」はさりげなく巧みである。
 
 現在、徳川夢声(むせい)を知っているのは60~70代以降の人くらいだろう。
活動弁士から転進して、漫談、朗読、著述などで活躍したマルチ人間。その「語り芸」は天下一品だった。ラジオでの語り「宮本武蔵」の名調子は今なお耳から離れない。渋沢秀雄、堀内敬三らとともに「いとう句会」のメンバーだった。「夢諦軒」という俳号をもち、二冊の句集を残した。「人工の星飛ぶ空の初日かな」という正月の句もある。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所収。
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 不機嫌に みな眠りをり 夏の汽車

 もちろん観光などといったしゃれた旅ではない。夢声のことだから、仕事での旅で夜汽車に揺られているものと思われる。御一行はもはやお互いによく知った顔ぶれであって、特に珍しくもないし、もちろん気をつかう必要もない。仕事の疲れと夏の暑さゆえに、みなくたびれて無口になり、不機嫌な様子で目を閉じているのだろう。といって、本気で眠りに落ちているわけではあるまい。現在のような冷房車ならともかく、せいぜい扇風機がカタカタまわっている車内は、暑くてやりきれない。座席だって居心地良くはない。起きていてもつまらないから、無理に眠ろうとしてみるのだが、なかなか眠れそうにもない。句からは面々の不機嫌な様子が見てとれるのだけれど、どこかしら可笑しさも拭いきれないところが、この句の味わいである。
 
 作者も「やりきれんなあ」と内心で呟きながら、そこに少々の苦笑も禁じえない。快適な汽車の旅をただ満喫してはしゃいでいるようでは、詩にも俳句にもなろうはずがない。

 せいぜい今はやっているテレビの旅番組の、いい気なワン・シーンにしかならない。掲出句のような光景は、なかなかお目にかからないことになってしまった。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋わたるぞと・・・・の歌が皮肉っぽく聴こえてくるようではないか。夢声には「青き葉のあまりに青し水中花」という涼しい夏の句もある。また2冊の句集『句日誌二十年』『雑記・雑俳二十五年』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。
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 徳川夢声の名言・「不愉快なのは、自己的な親の方が愛情深い親よりも孝行者に恵まれることだ。」
 - 解説 -自分のなかで愛情深く接していると思っていても、相手にとって思っているように感じていると は限りません。自分の伝えたいことを明確にもちましょう

 
これにて徳川夢声に教わった「話術」のお話の幕を閉じます!

2 件のコメント:

  1. しげやん^^
    話術ってその人に身についた物もあるのかなぁ~^^
    とても流暢に話す人っていますよね^^
    atitiはまず正直にそしてできるだけ人の話を聞く努力をしようと思います。atitiすぐマが開くと退屈させてはいけないと話してしまうところがあっていつも反省しています!
                     atiti

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  2. RE: atitiさん
    この話術の神様、徳川夢声には教えられること大ありです。
    しげやんは、誰かとハナシをするときには、次のことに
    気を付けてます。
    相手と同じ目線で話すこと、偉ばらない、へりくだらない
    相手と対等に、これが対話です。相手より上からモノ申せば
    命令になり、下からいえばへり下った哀願になる。
    そして、上司にヒラメになりたくない、自分の主張はキチン
    とモノ申します。

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