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2010年3月27日土曜日

3月28日・「紀三井寺のサクラ」

 わが国で「花」といえば、「サクラ」の花を指す。この日本人の「サクラ」の花好きは、どこから来たのだろうか?どういう遺伝子のなせる業なんだろうか?少しこれを探ってみよう!



 春を代表する花は、日本では「」、その次に「梅」ということになる。ところが俳句歳時記で「」の項をひくと、花一般をさすのではなく、「桜」に限定されている。
 つまり「花」といえば「桜」のことで、「花の雲鐘は上野か浅草か」(芭蕉)の花も「人体冷えて東北白い花盛り」(金子兜太)の花もなのである。 
 いつ頃からこのようなことになったかというと、中古・王朝時代からのようだ。
それ以前はむしろ梅のほうが優勢だった。「万葉集」で詠まれた花のランキングを調べてみると、1位は萩で141首、2位が梅の118首、3位は松、4位は藻、5位は橘、6位は菅、7位は薄、そして8位に桜の40首あまりが位置する。梅のほぼ3分の1ほどしか詠まれていないのである。
 これが「古今集」になると、桜の53首に対して、梅は29首と逆転する。

 その理由としては、まず桜が日本にもともと在来し、東アジアに広く分布していたのに対して、梅は橘などと同じく中国原産で、奈良時代以前に渡来したものだという事情がある。
 外来のものへの好奇心や憧れは今日の私たち以上に強いものがあったはずで、梅は中国文化を象徴するものとして、当時の貴族たちの憧れの的となったのである。
 ちょうど明治以降のバラに対する日本人の嗜好には、西洋文化への憧れが濃厚に含まれていたのと同じである。

 桜は観賞用というよりも、当初は実用性において認識されていたようだ。福井県の鳥浜遺跡からは、5千年以上も前の縄文前期の弓が多数出土しているが、その中に桜の樹皮を巻いて補強しているものが発見されている。桜の樹皮を張り皮として茶筒や小箱に使ったり、曲げ物の綴じ目に用いたりする細工は今日にも続いている。

 木材としても、緻密で加工しやすく家具材や船材に利用され、「中華には梓を以書を刻む。日本には桜を用ゆ。材堅くして良材なり」(大和本草)といわれているように版木としても広く用いられてきた。浮世絵の版木もサクラの板を何回も削って再使用している。

 その桜が観賞用の花木として梅の地位を奪った背景には、視覚的な興趣がより重視されるようになった美意識の変化がある。
 「色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし窓の梅ぞも」(古今―春上三三)と詠われているように、梅は色や形よりも香の面で尊ばれた。
 
 それに対して、咲き散る桜の花の動きや色の微妙な変化に一喜一憂するような鑑賞態度が生まれてきたのである。日本国語大辞典第2版には209もの「」を冠した熟語が収録されているが、その多くは桜の色を利用して作られたことばである。
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 前置きは此のぐらいにトドメて、現実の「お花見」を楽しみましょう!いや「」より「団子」?  それとも”酒なくて なんの己が かな”? 
きのう27日は「3x9=27サクラに日」、久方ぶりの晴天に恵まれチョット紀三井寺まで足を伸ばしてきた。というのも、朝日新聞土曜日Beランキングに「一度は訪れたい桜の名所」がランク・アップされていて、これを見ると紀三井寺は第20位とあった。

 いまは6.7分咲きだが、このところの悪天候に逆戻りして強風に見舞われれば、まさに「花の生命は短くて・・・」ということになり兼ねない。

 そこでそういうことになる前に一度は見ておこうということで、一路紀三井寺緑道を一走りに相成った。
 それに、先にアップした松尾芭蕉の句碑も見たいから、流石に週末と快晴で人の波が続いている。頬にあたる風は冷たくて、日陰になれば肌寒いが、陽が射す処は心地よい。

 では、紀三井寺の「サクラ」を存分にお楽しみ下さい。お日様が射している明るい画像と暮れなずむ夕暮れどきの画像とを、両方アップしておきます。さらに紀三井寺から和歌浦湾の遠景の景観もカメラに収めて帰ったので、それともう一度芭蕉の「句碑」の画像も添えておきます。
 

(和歌浦遠景-紀三井寺より)





















(下・夜桜風景)












「芭蕉句碑」
 

”見あぐれば さくらしまふて 紀三井寺” 
 芭蕉の句碑は紀三井寺正面参道山門から登る231段の中程、清浄水の所にあります。 芭蕉は貞享4年(1687)に江戸を発ち旅に出ました。翌年和歌浦を訪ね桜見たさに紀三井寺まで足を伸ばしましたが・・・ときすでに遅し、あとのまつり!と相成った次第である!

4 件のコメント:

  1. しげやん^^こんにちは~^^
    紀三井寺は本当にさくらがきれいです^-^
    この頃は行きませんが^^遠くから眺めるだけでも美しいです
    さくらは本当に心を癒してくれますね^^
    やはり日本人なんでしょうか!!^^
                 atiti

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  2. RE: atitiさん
    紀三井寺のサクラは「日本桜100選」にも選ばれていて
    朝日新聞の読者が選んだ順番でもBEST20に入ってます。
    江戸時代でも松尾芭蕉が紀三井寺の桜を見物したいと、はる
    ばるやって来たが、すでに散ってしまっていたという句が
    残っている位ですから、昔から早咲で有名だったのでしょう。
    サクラは日本人の心の花と言えましょう!
    その上、散り際も潔くて見事です。潔さの象徴でもあります。

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  3. 紀三井寺の櫻、昼も夜も素敵ですね!
    東京は二部咲きぐらいで寒さが戻ったので、次の週末が見ごろになりそうです♪

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  4. RE:       megさん
    紀三井寺のサクラは昔から有名でした。ですが、先にも
    アップしたように木の寿命は6.70年だとか、桜の名所は
    樹木のメンテに随分気を使うことでしょう。
    そこで「桜守」さんの出番があるのでしょうか、日本人は
    サクラ命ですから!
    桜が咲く頃は天候も不順なことが多いです。
    そこで「さくら吹雪」や「花筏」が登場する訳でしょう!

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