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2010年3月17日水曜日

3月18日・「只今!」南紀に小旅行していました(その1)!

 旅行先で招かれざる「春」に出会いました。その名も「春一番!」と中国から遠来の使者「黄砂」

        (上・那智勝浦町航空写真)


         





 (上・紀の松島、右・下 勝浦漁協市場関係写真)





(漁港の正面はホテル浦島遠景)










(マグロはえ縄漁法豆知識)
勝浦漁協 魚市場に水揚げされているまぐろ類に関するQ&A
(まぐろはえ縄漁法)
Q.漁師さんは、どのような仕事をしていますか。

A.釣針にムロアジ、マイワシ(大)、サンマ、サバ、イカなどの餌を1匹付けし、幹縄・枝縄・浮玉など
 次々とほうり込む作業を行います。(投縄と言う)
 幹縄の長さは、50km  から150km
  枝縄の間隔は、40m   から 60m
  枝縄の長さは、30m   から 50m
  浮玉間の枝縄は10本から20本
  水深は、50m から250m
  釣針の数は、500個 から2,000個
ほうり込んだ縄を揚げて魚を船に揚げ内臓を取り除き保存する。(揚縄と言う)
幹縄・枝縄・浮玉は、次の投縄準備のため整備保管する。
上記作業を繰り返し漁船が満船になるまで続けます。

Q.投縄から揚縄終了までどのくらい時間がかかるんですか。
A.投縄 所要時間 4時間から6時間 ・ 揚縄 所要時間 8時間から15時間

Q.どのような船に乗っていますか。
A.船 の 種 別      鮮  魚  船
  船 の 大 き さ 10トン から 100トン
  乗組員 1人から 12人
  1航海所要日数 5日から 50日
  水 揚 げ 量 3トンから30トン
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 去る6日、わたしが参加しているあるグループの会合の余興に、昼食時間に「マグロの解体ショー」があり、参加していたわたしもご相伴に預かり「活けマグロ」の刺身とニギリを賞味した。このときのマグロの口触りの感触が忘れられずにワンス・モアと言いたい処だったが、それが今回のグルメ小旅行に相なった。

 そこで、善は急げ!春の彼岸に入るまえに、ということで15日から行動を開始し17日の午後帰り着いた南紀・那智勝浦まで足を伸ばした約200kmの気まま旅だったが、この二泊三日の小旅行の途中でも一風変った招かれざる「春」に二つも遭遇した。

 出発した15日夜は、雨交じりの強風が吹き荒れ、小型台風並みの悪天候であったが、明くる16日の報道によれば、一月遅い「春一番」が吹き荒れたいとか、道理で突風まがいの風が強かった訳だ。           
    ☆                       ☆
近畿地方に春一番!」(3月16日17時 紀伊民報)
 気象庁は15日、近畿地方で春一番を観測したと発表した。昨年(2月13日)より約1カ月の遅れ。

 春一番は、立春から春分までに、日本海で低気圧が発達し、初めて南寄りの強風(風速8メートル以上)が吹いて気温が上昇する現象。県内では和歌山市で最大瞬間風速29・6メートル、潮岬(串本町)で同24メートルを観測した。

   ■県南部でまとまった雨 西川で時間33ミリ
 紀伊半島付近を低気圧が通過した影響で、15日から16日にかけて和歌山県南部を中心にまとまった雨が降った。西川(和歌山県古座川町)で時間雨量33ミリ(15日午後10時20分まで)を記録した。
 和歌山地方気象台によると、降り始めからの累積雨量で最も多かったのは西川134ミリだった。続いて色川(那智勝浦町)112・5ミリ▽新宮市102・5ミリ▽龍神村(田辺市)72ミリ▽本宮町(同)50ミリ―となっている。

 だが、勝浦駅に降り立ちホテル「浦島」に向かった。ホテルのなかでは外の悪天候もなんのその!

お風呂は全国にその名を知られた露天風呂「忘帰洞」、これは紀州徳川藩主の後裔徳川頼倫がこの湯に浸かって寛いでゆったりすると帰るのも忘れるということから命名されたそうだが、間口25メートル、奥行き50メートル、天井の高さ15メートルの露天風呂から太平洋を眺める眺望は天下絶景という言葉が当てはまる。

 夕食はもとよりマグロ尽くし、刺身があれば他に何も要らない刺身好き、酒は持参の新潟銘酒「久保田千壽」飲むほどに酔うほどに、心は春の気分で、ひねもすのたりの酔い心地、外の嵐はなんその!そういう次第で久方ぶりに腰を据えて酒食に堪能した一夜でした。
 
 勝浦温泉・ホテル「浦島」  http://www.hotelurashima.co.jp/

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『忘帰洞』は、まさに見たがままですが、≪忘帰洞の湯に浸かれば家に帰るのを忘れてしまうほどの 名湯≫という意味です。この名前は、大正初期元紀州藩の徳川頼倫公が来遊され「帰るのを忘れるほど」 と賞めて名づけられたものです。頼倫公が賞めた理由は湯の良さはもちろん、忘帰洞が天然の洞窟で あることにもあるでしょう。この天然の洞窟は、熊野灘の荒い風波に侵食されてできた、まさに間口 25m、奥行き50m、高さ15mにも及ぶものです。
 

その大洞窟の中の湯に浸りながら望む日の出、洋上の月、 足下の磯をかむ荒波など、まさにその名にふさわしい絶景を ぜひあなたご自身の目でお確かめ下さい。
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4 件のコメント:

  1. しげやん^^こんにちは~^^
    ホテル浦島は以前に母といって来ましたよ^^
    勿論忘帰洞にもねー^
    しげやん元気になって良かったね!atitiもうれしいよ^-^
    家族で行ってきたんですね^^
    これからももっともっと元気になって温泉や観光を楽しみましょうね^-^お金は生きてるうちに使って楽しまなくっちゃ!ワハ
                 atiti

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  2. RE: atitiさん
    南紀にはよく出かけていましたが、主として熊野古道が
    メインでしたので、湯の峰が多かったです。
    ホテル浦島は久方ぶりの利用です。かつての高級ホテルの
    イメージではなく、料金も比較的安くで宿泊出来ました。
    これから先も近場を中心に、意識的にも出かけろように
    努めます。お金は沢山あるのでしたら、重くてどこへも
    行けませんが、幸か不幸か生憎あまり重くないのでどこへ
    でも手軽に行けます。atitさん、声を掛けてください。

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  3. おかえりなさーい

    そうそうしげやんは
    久保田だったなあと
    私は白ワインを
    飲みました。

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  4. RE: ばっちゃんさん
    わかいころから、アルコールの海を漂い廻り、流れ着いての
    先が、日本酒海、そう!気がつけば日本人だった!

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