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2010年1月12日火曜日

12日・「ウサギとカメ」の寓話とエジソンの名言について!














 小学生の頃「もしもし亀よ亀さんよ、世界のうちでおまえほど歩みののろいものはない、どうしてそんなにのろいのか」♪♪という歌をうたいました。そこからまた歌は続くのです。「な-んとおっしゃるウサギさん。そんならおまえとかけくらべ向こうのお山の麓までどちらが先にかけつくか」♪という展開になります。この勝負の結末は、ウサギが途中で昼寝をしたために追い越されて亀の勝ちになります。
 
 兎と亀が競争するこの物語は、ウサギの立場で言えば油断大敵。亀の立場に立てば、足の遅い亀でも一生懸命努力精進すればウサギにも勝てる。人間あきらめずに頑張ればできる! 為せば成る。ということでしょう。  
 
 この物語はイソップ寓話やJ・ド・ラ・フォンテーヌガ書いた寓話詩にも収められています。「いくらウサギが俊足であっても、継続した努力を怠れば、鈍足でも努力を怠らなかったカメに追い抜かれる」という例え話として多く用いられ、明治時代の初等科の国語の教科書には油断大敵というタイトルで掲載されていました。このように、我が国だけでなく世界的なお話なんです。

 子供のころは、このお話をそのまま素直に受け取っていましたが、よく考えるといくつかの問題点が見えてくるのです。実際問題として「ウサギ」と「カメ」が競争することがあり得るのか?
われわれ人間同士の競技では「相撲」を除いて、大方はハンディーやクラスを付けたやり方で競います。例えば、レスリング・重量挙げ・柔道など体重別にクラス分けをして競技をします。また、ゴルフ競技ではプロを除いてアマチュア競技ではハンディーを付けて競技します。

 ただし、われわれの一般社会に出てみると、世界的な大企業も中小零細企業も同じ土俵で戦わなくてはなりません。そこで生き残ってゆくためには、お客のニーズを見据えた商品開発、「先手必勝」といわれるように創造的な商品開発など大は大、小は小なりにほかには真似ができないオンリーワンの会社にならなければ生き残りが難しいでしょう。いつも地に足がついたうえにクリエイティブな商品開発が求められます。また、商品の寿命も年を追って短くなってきていますので、時間的と経済的制約のなかで競わなくてはなりません。コストの問題もあります。

 このように、今の世で求められているのは「お客のニーズにピッタリの商品」「業界に先駆けた創造的な商品」ということになりそうです。世界全体が大不況のなかでも中国だけは経済成長を遂げ、GDPはわが国を追い抜いて米国についで第二位、自動車販売では大きく米国を抜いて世界一位、世界の製造工場の感さえあります。

 このように、日本でも中国と同じ品物を作っていたのでは、材料・加工賃は中国と同じか安くなければ対抗できません。そこには創造的な商品開発や生産工程の合理化により、「差別化」といわれるほかの商品との違いを明確にしたものを生み出してゆくしかありません。中国を上回る効率化と付加価値化しかありません。生産コストの低下を求めて世界中が労賃の安いところにまだまだ流れることでしょう。

 先日から「温故創新」ということを書いてきましたが、このように「創造」+「継続的であくなき努力」が求められている世の中です。中国も今は成長をとげていますが、やがては「一人っ子政策」により人口が減少ししぼんでゆくと思いますが、日本のほうが先に「少子高齢化」が進行するのではないでしょうか?
現在の世界の国々の人口とそれを構成する年齢層のグラフをみ、経済・技術のレベル等を勘案するとき、どこの国が繁栄しどこの国が衰退するなど世界の国々の将来の姿がほぼ浮かんできます。

 これら、難しいことは専門家にお任せし、「創」「創造」と同様大切な「継続的であくなき努力」「努力」ということに関連してあと一言付け加えるならば、世に「秀才」「俊才」といわれる人は物事に取り組むに当たって、困難な問題に直面すると、これは難しい!と諦めが早い。これに対して「凡才」「鈍才」は時間を惜しまず粘り強く取り組み、最後はものにするということがあります。

 では「努力」するということについて、1300以上もの発明をした偉大なアメリカの発明王といわれたトーマス・エジソのン名言を次に挙げておきます。エジソンの代表的な発明には、白熱電球、電話機、蓄音器、トースターなどがあり、エジソンがいなければ人類の科学的な進歩は約100年は遅れていただろうとされています。

トーマス・エジソンの努力に関する名言集

 なぜ成功しない人がいるかというと、それは考える努力をしないからだ。最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。

ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているにすぎない。

 ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。

決して時計を見るな。これは若い人に覚えてもらいたいことだ。

1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である。

 首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。

 完璧だと思っても、もう一押しすれば、おまけが手に入る。人生における失敗者の多くは、諦めた時にどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちである

発明するためには、豊な想像力とゴミの山が必要だ。
 
 私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
                                     以上

5 件のコメント:

  1. しげやんさんこんにちわ。

    長く欠席お許しください。

    まとめて読もうと来たら
    もうこの爆発のような
    情報量は一体どうしたらいいの!!!

    読みきれないのでまたにすると
    何か宿題がどんどんたまるように思います。

    エジソンさん
    なんとかしてください。

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  2. しげやん^-^コンニチハ~^-^
    流石しげやん沢山書き込んでいるのでまいった!!まいった!!ワハ^-^このひらめきと言うもの持ち合わせているのでしょうか?ひらめきと感はどう?
    atiti感は働くんだけどなぁ~^-^
    会社に於いて社長を取り上げてみるとやはりサラリーマンとは物事の捉え方が違う!一歩先を読んでいる!
    これは感かな?!ひらめき?^-^
    いずれも仕事なり関わっていないとひらめきや感も衰退してくるね^-^
                   atiti

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  3. RE:        ばっちゃんさん
    BLOG休止中と昨年11.12月の体調不調時のストレスが
    桜島の噴火のようにマグマを放出中です。もうしばらく
    すれば自然と収まってくるでしょう!

    ばっちゃんさん、脂肪を燃焼しようとすれば、ある程度
    の運動量をある程度の時間を継続的にやらないと燃えま
    せん。しげやんのボケ防止の意味もあり、時間はゆっく
    りありますから、書いていることは少しは役にたてると
    思うので、本屋で立ち読みするようにちょこちょこ立ち
    寄りくださいな!24時間開いていますから!

    それに、ばっちゃん節も聞きたいのでコメントもお忘れ
    なく!        BY しげやん0710

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  4. Re: atitiさん
    BLOGのどこかで書きましたが、物を眺めるのに真正面だけでなく裏や上・下・斜めといろんな方向がありますしたがって、柔軟に物を見ることでしょうか?

    感性とか創造力は人それぞれです。作家や芸術家はこれらに恵まれた人々でしょう。
    「創造力」は、残念ながら、しげやんにも持ち合わせがありません。それ故「創」には憧れます。感性も持ち合わせたいです。BLOGに取り組んでいるのも、少しは役にたつんじゃないかと思うからです。

    平社員と社長、やはり見る観点が異なります。同じ景色を平地で見るのと、山の上から見るのとでは景色が変わってくるでしょう!
    それから、上に立つほど「危機管理」能力が問われます。
    判断一つで会社を危うくしてしまいますから~。
                 By  しげやん0710

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  5. atitiさん
    『勘』と『閃き』の関係について!いろいろ考えましたが結局こういうことではないでしょうか?

    「勘」といえば直感力や動物的に本能的に働く感性とでもいをうか、「閃き」もこれと同じように今まで積んできた経験から瞬間的にパッと感じる無意識に働く動物的な勘とでもいおうか、以下もう少し考えてみよう。

    岡部元中央競馬騎手の著作「勝負勘」から名言といわれる「勝負勘を得る手がかりは努力と経験であり、勝利を獲得するポイントは、その瞬間に選択しなければばならない」という一言です。
    勝負勘=押し引き又はここぞの決断と言えなくはないだろう。
    麻雀は勝負事であるから、勝負勘が無いと勝てないのは自明の理。
    ここで注目したいのは、勝負勘の素養が「努力と経験」で培うものということ。
    努力は、とにかく麻雀が上手くなろうと、色々な事を絶えず貪欲に吸収しよういう姿勢であり、経験は、正に自分の理想の型を、無いかもしれない、或いは何時得られるかをわからない型を何時も求めつつ実践するものではないだろうか!

     かの有名なエジソンは「99%の汗と1%のひらめき」という名言を残しました。それは論理と感情の関係にも似ています。言うなれば、99%の論理力と1%の直観力です。アイデアマンと呼ばれている人達も、おそらく最初は1%の発想から出発するのです。ただ、言いっぱなしではダメで、それを実現して初めて意味があるのです。状況によっては50%の論理力と50%の直観力でもいいのです。いずれにしても、私が言いたいのは、論理と直観の両方がなければいけないということ、そして、アイデアやプランを実行するときには強い論理力が必要だということです。

     1%のひらめきを実現するには、99%の論理力が必要になるのです。逆に言えば、ヒット商品のアイデアの基となる1%の「ひらめき」を生むためには、99%の「論理力」という土壌がなければならないのです。
    「ひらめき」と聴くと、あるとき偶然生まれる、空から降ってくる天からの啓示?的な?…そんなもののような感じを受けてしまいがち。しかし、実のところはそうではないのではないか?と。もしかしたらひらめき、直感とは「必然」なのではないか、との思いがある。
    スポーツだってそうだろう。右か左か。ある究極の選択を迫られた瞬間に、頭は右だと分かっている…しかし身体が「左だ!」と言っている…そういうことに出くわす瞬間があるそうだ。しかもそれは一流であればあるほど、だ。一流である自分の「経験」から導き出される、論理を超越したモノ…。動物的な勘。これこそがひらめきの正体なのではないだろうか。
    一見、こいつは非論理的だ。しかしてそれは非・論理的でありながら、実は最も論理的なのである。心理っぽく言えば、意識の処理を超えた、無意識の処理の賜物、だろうか。

    99%の経験の集積が、1%のひらめきと直観を生むのだ。そのひらめきを起こしたくば、一日一日の修練こそが大切であり、陽の当たらない陰での努力が必須になる。

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