ブログ アーカイブ

2010年1月10日日曜日

11日・「ショパンイヤー」にはばたくピアニスト・辻井伸行さん!






 前回まで「温故創新」や「創新」のためにそれに適った「努力」を惜しまず続けることを書いてきたが、偶然のことに昨夜21時読売テレビで【天才じゃぁなくとも夢をつかめる10の法則!】と題して、昨日UPの石川遼選手、今回の全盲のピアニスト・辻井伸行さんについては子供の才能を見出しそれを伸ばす方法、それに坂本龍馬については人生逆転の方法について2時間のスペシャル番組で放映されたので、ご覧になった方もおられるのでは、と思いますが、如何でしたか?

 今日は昨日の石川遼選手に続いて、昨年アメリカの第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝した全盲のピアニスト・ 辻井伸行さんのインタービュー記事を紹介することにしましょう!みなさんはここから何を受け取るでしょうか?

 そこには生まれながらにしての才能に加えて創造+努力の跡が窺がえる。また、今年はまさに「ショパン・イヤー」、辻井さんは3月にCD発売を目指して目下録音中と聞くが、世界中の有名ピアニストがこぞって競演となること間違いない!頑張れ!辻井伸行さん!

「初恋の人に曲を!」ショパン・イヤーにはばたくピアニスト・辻井伸行さん!
 「ピアノは友だちのような存在ですね」。昨年6月、米テキサス州で行われた第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝したピアニスト、辻井伸行さん(21)。その彗星(すいせい)のようなデビューは、日本のクラッシック界の話題を一気にさらった。「ショパンイヤー」である今年3月に出すアルバムに込める思いや、自らが目指す音楽的境地を意欲的に語った。


 ――音楽に最初に触れたきっかけは
 辻井 1歳ぐらいのころなんですが、母がロシアのピアニスト、ブーニン演奏のショパン「英雄ポロネーズ」のCDをかけていていて、それに合わせて毎日、足をバタバタさせていたそうです。聞きすぎてCDに傷が付いてしまって、他の方が演奏した同じ曲のCDを買い直したんですが、反応しなくなった。それで母が試しにもう一度ブーニンのCDを買ってきたら、反応したそうなんです。「この子は演奏家を聞き分ける力があるんだな」と思った母から、おもちゃのピアノを買ってもらって、母が口ずさむジングルベルの歌に合わせて弾いていたみたいですね。でも記憶は全然残っていません。div>

 ――その後、7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で1位になったのが初の表彰でした
 辻井 まさか小学1年生で優勝するとは思わなかったもので、名前が呼ばれたときは、「えーもうウソー」と、思わず叫んでしまって。本当にうれしくて、ピアノをまた頑張ろうという気になりましたねdiv>

 ――当時は毎日ピアノを何時間ぐらい練習していたのですか
 井 今はコンサート前などは1日8時間ぐらいは練習していますが、小さいころは(練習時間自体は)少ない方で、練習以外でピアノに触れて、作曲とかして遊んでいましたね


 ――子供のころから、ずっとピアノが共にあったんですね
 辻井 そうですね。今でも「辻井さんにとって、ピアノはどんなものですか」と聞かれると、「ピアノは友だちみたいな存在です」っていつも言っているんです。本当にそれはずっと、小さいころから変わらないですね。ピアノを嫌いだと思ったことは一度もありません


 ――毎日、ピアノに向かう時間はどういう心境でしょうか
 辻井 弾くことはすごく好きなんで、どんなに大変なときでも練習は楽しいなと思って、うれしい気持ちで座ってますね。自然な感じです


 ――バン・クライバーンコンクールで優勝したときはどうでしたか
 辻井 お客さんたちがアメリカ人で、盛り上がっている様子でした。一次予選は通りたいという気持ちがあったんで、すごく緊張しました。でもだんだん舞台が進むにつれてリラックスして、最後は何も考えず、ただ無心でお客さんに感動していただけるような演奏をしようと思って、それだけを考えて弾きましたね


 ――ロシアのピアニスト、エフゲニー・キーシンを尊敬していると聞きました
 辻井 彼の弱音の美しさに特にひかれますね。生で聞くと、すごく美しいなと思います。他の方ではもう亡くなってしまっているんですがルービンシュタイン(ポーランド、1887年~1982年)とか、リパッティ(ルーマニア、1917年~50年)とかが好きですね」

 ――近づきたい、目標にしたいというピアニストは
 辻井 人の演奏を聴くということはすごく大事なんですが、自分の音楽を作ることも大事です。少しは影響されることもあると思いますが、いまは自分の音楽を作ることを重点的に考えています。自分の、辻井伸行にしか出せない音を作っていきたいなと思います

 ――今年は生誕200周年を記念したショパンイヤーです
 辻井 ショパンは19歳ぐらいで素晴らしいコンツェルトを書いていて、自分もこんな曲を書いて「初恋の人」に贈りたいなっていつも思って弾いていますね。ピアニストにとってはあこがれの作曲家です

 ――3月にショパンの曲を収録したアルバムを出されますが、ファンへのメッセージなど
 辻井 今月、ベルリンでレコーディングを行います。ショパンには有名な曲が多いし、ご存じの曲もたくさんあると思います。今年はショパンイヤーなので、もっとショパンに親しんでもらえればうれしいなと思います 

――昨年6月のバン・クライバーンコンクールの優勝以降、多忙な日々ですが、気分転換などは
 辻井 今は忙しくてなかなかできないんですが、水泳が好きで、リゾートでは1日中泳いでいます。あとスキーや山登りのほか、カラオケなんかも。演歌が好きで、氷川きよしさんや、石川さゆりさんとか。演歌以外では(井上陽水さんの)「少年時代」なんかも歌いますね

 ――今後の目標などは
 辻井 いろいろ挑戦してみたいことはありますが、世界中で演奏できる機会が多くなったので、もっともっとたくさんの人に名前を知ってもらって、僕の音楽を聴いてもらえればと思います。将来的にはベートーベンだったら辻井のベートーベンを聞きたいとか、そういうふうに言われるぐらい1人の作曲家を掘り下げていきたいですね

 ――ご両親には
 辻井 早く独り立ちして、両親を安心させてあげたいですね。本当にここまでサポートしてくれて感謝しています。あとは自立して、いいパートナーを見つけていきたいと思う。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Szopen, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。彼の作品は小品が多く、殊に女性のファンが多い。ショパンは39年という短い生涯のなかで「愛の遍歴」を重ねており、女流作家ジョルジュ・サンドと9年に及ぶ恋は、あまりにも有名でこの間に名曲を数多く遺している。

 今年の2010年はショパン生誕200年に当たる記念すべき年―「ショパンイヤー」である。これを記念して数多くの有名なピアニストのCDが覇を競って発売されることだろう。

「ノクターン」、「別れの曲」、「幻想即興曲」など、数々のピアノの名曲を生み出し、今なお多くの音楽ファンの心を捉えて離さない”ピアノの詩人”ショパン。その偉大な作曲家がこの世に生を受けてから、来年2010年で200年を迎えます。その記念すべき”ショパン・イヤー”の華やかなスタートとして、ショパン決定盤とも言えるショパン・コンピ『永遠のショパン』が㈱EMIミュージック・ジャパンよりリリースされました。

 誰もが耳にしたことがあるショパンの名曲が、アルゲリッチやポリーニ、ブーニンなど、ショパンコンクールの優勝者・入賞者たちを含む、EMI クラシックスならではの世界的超一流ピアニストたちの演奏で、CD2枚組全34曲2,000円というスペシャル・プライスでリリース!ブックレットには、ブーニン、そして、ショパンの生涯を描いた小説『葬送』の作者で芥川賞作家の平野啓一郎氏のコメントの他、ショパンの生涯についての分かりやすい解説を掲載しています。
また、「ショパン生誕200周年記念特設サイト」もスタート。アルバム『永遠のショパン』の全曲ストリーミングをはじめ、様々な企画が満載です。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
•ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(The Van Cliburn International Piano Competition)は、アメリカで開催される国際的なピアノコンクール
来歴
•チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、ヴァン・クライバーンを祝して1962年より原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース。
• 設立当時、世界最高額の優勝賞金1万ドルを提供することでチャイコフスキー国際コンクールに負けない国際コンクールを目指した。フォートワースは富裕層が多数住んでいる都市で高額な資金提供が可能であった。当時ピアノ教師だったランクフォード夫人が運営していたが、その後石油資産の相続人マーサ・ハイダー夫人に代わり、ハイダー夫人はダラスとフォートワースの上流社会をまとめて多数のスポンサーを獲得、このコンクールを破格の規模にまで大きくして商業主義のスタイルをコンクール運営に持ち込んだ。その後、運営は指揮者アルトゥール・ロジンスキの息子、リチャード・ロジンスキが引き継いでいる。

•優勝者には現在優勝賞金2万ドルの他にコンサート契約が多数含まれている。そのため優勝者は優勝後に多数のコンサートを続けていくうちに消耗させられて演奏家として大成しない、とまで言われた。(注:これは日本語の某書に典拠を見出すことが出来るが、クライバーン国際のコンテスタント全員が大成していないわけではない。ツアー圏に日本が含まれなかった年度のせいか?)その唯一の例外はラドゥ・ルプーで、彼は優勝後にコンサートを全てキャンセルして再び勉強のためモスクワに戻った。近年、この膨大なコンサートは以前に比べて数を減らされてはいるが、依然として優勝後3年間のツアー契約がついている。

•2009年は、辻井伸行が日本人として初めてヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、日本での話題を呼んだ。この年度は特にレヴェルの高い激戦であり、「下手だから落ちるわけではない」とクライバーン本人が異例の釈明を行っている。
備考

•他の大きな国際コンクールとの相違点は、コンクールのための課題曲をアメリカ人から公募し作曲コンクールを併設していること、それと「練習曲を選ぶ必要がない点」である。かつては大量の課題曲をこなす必要があると恐れられていたが、この点については回を追って改善されている。

•にもかかわらず、練習曲の全曲(例えばショパン)でプログラミングを構成するコンテスタントもお  り、加えて難易度の高いプログラミングを好むヴィルトゥオーゾ志向のコンテスタントが他の国際コン クールに比べて多い。
•                                           以上

6 件のコメント:

  1. しげやん^-^またきたよwwww^^
    人間活きていく以上目が見えないほど辛い事はありません
    何処が悪くていいってことはありませんが目が見えないときれいな景色、料理、など等見えないから人生の半分以上楽しみがなくなります!しかしこの辻井伸行さんは凄い事しましたね!やれば出来る!って言っても誰でもできる事ではありません。そんなことを思えばatitiたちもっと頑張らなくては!盲目のピアニストって言われていますが
    「ピアニストがたまたま盲目だったんです」って辻さんのお母さんが仰っていました!子供への思いがこの中に凝縮されていますよね^-^これからも頑張ってほしいですね
                 atiti

    返信削除
  2. Re: atitiさんへ
    盲目とは音楽を志すものにとっては、大きなハンデーでしょうね~!第一音符が読めない、点字の音符はまだ聞いたことがありません。何回もなんかいも同じ曲を聴いて覚えこくのでしょう。それにしても大変な努力がいりましょう。モーツアルトの逸話に小さいころ一回聴いた音楽を覚えて音符にかいたと云われていますが、同じように音に対する鋭い感性が備わっているのでしょう!
    彼を見ていると純で伸びやかで屈託がない、きっと立派な家庭で両親の愛情をいっぱいに受けて、自分が好きなピアノに打ち込んでいる姿が見て取れます。
    まだまだ、大きく成長することでしょうし、そうなってほしく思います。   BY  しげやん0710

    返信削除
  3. 辻井さんのコンサートを2年ほど前に聴きに行きました。
    辻井さんがどんどん有名になるのが、うれしいです♪

    返信削除
  4. RE:  megumeguさん

    わたしはバン・クライバーン・コンクールで優勝してからしか、知らなかったのですが、彼の経歴を見ると小学校1年生で、見事小学生の部で優勝していることからすれば、それだけに才能・感性だはないかと想像します。
    それに性格が純粋です。全盲というハンデーは凄く大きいですが、彼はピアノは友達といっています。演奏スタイルもピアニストによってさまざまですが、かれが鍵盤にむかう時さも愛おしそうに鍵盤となでるように演奏します。

    わたしも、彼がまだまだ砂が水を浸み込むように、精進・努力をして大成してほしいです。
    クライバーン・コンクールの優勝者は確か3年間国外で演奏する義務があるんじゃないかと思うんですが・・・!   

    返信削除
  5. こんばんは♪
    お招きにより、参上いたしました。ブログ再開おめでとうございます。
    ヴァン・クライバーンは、亡父が買ってくれたLPで「皇帝」を弾いていたのを聴きました。わたしのクラシック初体験でした。そのみずみずしい演奏はいまだ記憶に残って
    います。しかし、クライバーン氏は、その後健康を害し、体制とは至らなかったようです。現在はこのコンクールのときしか公共の場に出られていないようですね。
    辻井さんは、この優勝により、初めて「盲目の」という形容詞が取れ、一人のピアニストとして認められたように感じています。それだけ険しい道のりを彼が歩いてきたということだと思います。これからも研鑽に励み、良いピアニストに育っていって欲しいものです。
    ちなみに、彼のマネジメントは、コンサートイマジンが行なっています。また、ときどき彼の介添え役として出場するマネージャーさんは、一昨年はハイドシェックのマネージャーさんでした。

    返信削除
  6. RE:   EYASUKOさん
     いらっしゃいませ!お待ち申し上げておりました。
    その後の体調の方はいかがですか?

    わたしがクラシックに熱中して聴いていた頃はピアニストでいえば、ケンプぐらいまでです。アシュケナージはN響の指揮者をしていたこともあり、かれの演奏の録音も聴きました。かれも演奏中に指揮棒で怪我をするというアクシデントがありましたが・・・
    クライバーン氏はオッシャル通りのようですね!

    辻井伸行君、全盲という大きなハンデーを乗り越えてこの年齢でこの水準まで達したというのは、才能+努力の賜物+親の教育と思います。

    人間的にも非常の純粋なだけに、砂が水を吸い込むようにまだまだ成長してくれるでしょう!
    クライバーンコンクールの優勝者は国外で演奏する機会が多く与えられるように聞いてますが・・・
    イマジンそのようですね!彼が優勝したときの調べたらそのようでした。

    EYASUKOさんには、今後ともお越しをお待ち申し上げておりますので、ちょこちょこお立ち寄りお願いします。
                   BY しげやん0710

    返信削除