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2013年7月6日土曜日

7月7日は「七夕まつり!」地元の話題アレコレ!


が月 日
節 句内 容
1月 7日(月)じんじつ
人日の節句
正月7日の朝は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種類の春の草をいれたかゆを食べる。この七草粥の行事は、813年に嵯峨天皇に若菜の御膳を奉ったのが始まりといわれ、宮中の行事としていたのが、江戸時代に公式の節句として定められた。
3月 3日(日)じょうし
上巳の節句
桃の節句。農家では、3月はいよいよ本格的な農作業の始まる季節である。それで物忌みやみそぎの行事を行い、3日の夕方、人形(形代)に汚れを移して川に流した。この祓い人形と雛遊びが混同されて、室町時代には上巳の節句に雛遊びの人形を飾るようになった。
5月 5日(日)たんご
端午の節句
5月の最初の午の日、つまり端午の節句の原型は、もともと農村での女子のお祭りだったが、宮廷でそれが中国の端午の行事と融合した。奈良時代の朝廷では5月5日に中国風の端午の宴会が催されていた。昭和26年5月に「児童憲章」が定められ、5月5日は「子供の日」として、子供の人格を尊重するとともに、子供の幸福を図ることを趣旨とした祝日となった。
7月 7日(日)しちせき
七夕の節句
昔から日本にあった民間の「棚機女(たなばたつめ)」伝説と、日ごろは天の川を隔てて相対している牽牛星と織女星が年に1度だけ会えるという中国の古い伝説が結びついて年中行事となったもので、691年の持統天皇の頃からすでに行われていたらしい
9月 9日(月)ちょうよう
重陽の節句
菊の節句。中国の陰陽五行思想では奇数のことを陽数といい、特に九月九日は九という陽数が重なる(重陽)めでたい日として重んじた。この日には主に長寿を願う祓い事が催され、菊の花が邪気を払い長寿に効くと信じられていたので、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだ。明治以降は急速にすたれ、現在では菊の品評会を開く程度になった。
 
 古代から中国では、奇数=陽数とされ、それがかななる日を「好い日」とされてきた。それが
上の表示の如くにであるが、その中でも最も好い数字である9が重なる「重陽の日」が消え去
ろうとしている。これも時代の流れなのだろうか?流れに逆らう(アゲンスト)ことは難しい。

「たま駅長」と一緒に、お星様にお願い!園児らが「七夕飾り」  和歌山!!!

写真・図版
 
 

                                たま駅長と笹の飾り付けをした園児ら=紀の川市貴志川町神戸

和歌山電鉄貴志川線で5日、貴志駅(紀の川市貴志川町神戸)などに七夕の笹(ささ)を飾る催しが始まった。同駅の飾り付けには同市貴志川町長山のながやま保育園の園児40人が参加し、三毛猫「たま駅長」が見守る中、願い事を書いた短冊や折り紙の吹き流しなどを笹につるした。

 同駅に設置された笹は3本。園児らは「パパみたいに強くなりたい」「好き嫌いがなくなりますように」などと書いた短冊を、駅員らに手伝ってもらいながら丁寧に結びつけた。たまの願いは何よりも「安全第一運行」などを願う、たま駅長の短冊も飾られている。

 北原貴美ちゃん(5)は「たまちゃんと飾り付けできてうれしい。ママみたいになれるようにお願いした」と笑顔を見せた。七夕の笹は貴志駅のほか、和歌山駅9番ホームと伊太祈曽駅の2駅にも置かれ、無料の短冊600枚を用意している。

・地元・海南市の「七夕かざり」あれこれ!!!

説明を追加
「海南・一番街商店街」の七夕飾り
 
(クリックで拡大します)・ 「黒江の七夕」
 

 

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