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2011年10月18日火曜日

復興と鎮魂の祈りをを込め熊野速玉大社「御船祭」開催さる!

 わたしのブログの視点は地元の「温故創新」を訪ね歩る記として、古くから残された伝統や歴史、それと伝統を踏まえた創造的なことを拾い上げて綴っているが、「温故」の代表的なモノを挙げれば何をさて置いても奈良・東大寺の修二会(通称・お水取り)を超えるものはない。東大寺の修二会は「不退の行法 」といわれ、752年(天平勝宝4年)はじめられて以来、現在まで一度も途絶えることなく今日まで伝えられている、東大寺がある限り続く「不退の行法」である。
「修二会」は1667年(寛文7年)に二月堂が火災で失われたときも三月堂で行われ、物資難から諸々の行事が中止せざるを得なかった太平洋戦争の戦中戦後も続けられた。2011年3月で1260年、1260回を数えた。

 今年は、東大寺お水取りの頃、3月11日未曾有の大震災と津波が東日本を襲った。東大寺のお水取りも「東北地方復興」の祈願が加わった。
ことに東北地方の海岸部は壊滅的な災害に見舞われた。これらの中で地域の伝統行事は自粛と被災地を元気付けるため敢えて無理を承知で行うとの二派に分かれ、賛否両論があるのはみなさんよくご存じの通りです。

 これと同じことが、規模は小さいが地元紀伊半島で発生した。台風12号がもたらした長時間にわたる、これまた超が付く豪雨、これによって山津波が多くの集落をのみ込み、また洪水となって家や人をのみ込んだ。これらによって「せき止め湖」という自然の脅威が残したダムで下流の住民は避難を強いられている。東北と同じようなことがわたしの住所から100km余り南で現実におこったのである。

熊野速玉大社
 世界遺産に登録された熊野三山・熊野古道も土砂で大きな被害を被った。
このなかで、新宮市にある「熊野速玉大社」も下に記すように被害が出た。
そこで本年の秋の例大祭を如何にするかという決断に迫られたのである(10月15日 本殿祭、神馬渡御式・10月16日 神御輿渡御式、御船祭)
結論は以下の報道にある通り・・・
熊野速玉大社で「御船祭」 復興と鎮魂の祈り込め・2011.10.16(「紀南新聞」より)

災害前の御旅所
被災した御旅所
熊野速玉大社(上野顯宮司)の例大祭神事は16日午後、神輿渡御(みこしとぎょ)と船渡御の御船祭(みふねまつり)が盛大に執り行われた。
 台風12号の大雨による洪水、土砂崩れで新宮市街地でも大きな被害を受けていて、今年の例大祭には鎮魂と安寧、復興への思いを掲げた。神輿渡御では、大きな被害があった地区を中心に威勢良く神輿が練り住民を元気づけた。御船祭は競漕を行わず隊列を組んで神霊を遷(うつ)した神幸船(しんこうせん)を御船島、御旅所(おたびしょ)へ導いた。

神輿渡御には若者ら約50人が参加。上野宮司が神輿に神霊を遷し、境内で一練りした後出発。神馬、神職に続いてまちへ出た神輿は「ワッショイ、ワッショイ」と大きな掛け声を掛けて約1時間半、上本町や大王地、谷王子などを巡った。主要な交差点で、担ぎ手が一層大きな声を上げながら神輿を揺らすと、見物人から拍手が起こっていた。

熊野川河原に神輿が到着した後、「御船祭」が幕開け。例年通り早船が出発後、船形に並び替え、諸手船(もろとぶね)や神幸船を先導する、古式にのっとった形で御船島を目指した。この後、1隻ずつ順に島に入り時計回りに3周した。一部の船には神輿から引き継いだ「祈 鎮魂安寧 復興成就」と「祈 天地正大 甦(よみがえ)る日本」ののぼりを掲げた。

熊野区の艫(とも)取りを務めた山口芳生さんは「艫取りが打ち合わせをして臨んだ。競漕ではなかったが、厳かに祭りができた」と感想を語った。

祭りを終えた上野宮司は「河原の整地や草履の奉納など、いろいろな地域の方の助けで無事、斎行することができて感謝している」と振り返り、「例大祭では初めて、式典の前に黙とうし参列者の皆さんとともに鎮魂を祈り、日本、熊野の復興を願った。15日の神事で神様をおよびした時、雷が鳴り、神さまが下った思いがした。早船にものぼりを掲げ、みんなで復興成就を祈る祭りができた」と話していた。
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文化庁職員による現場調査

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島を廻る従来の早船競漕


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災害を被った今年の御船巡り
 ・熊野速玉大社」HP.:http://kumanokaido.com/hayatama/
※本年度御船祭について・ この度の台風十二号により、熊野地方は甚大な被害を被りました。
熊野速玉大社では、鳥居、太鼓橋、駐車場、職舎が水没しましたが、幸いにも社殿はじめ各建物には 被害が及びませんでした。 しかし、「お旅所」はあとかたもなく流され、御船島も濁流により様相が大きく変わってしまいましたことは、洵に残念でなりません。  
 
両所とも古来から重要な神事の行なわれる場所であり、世界遺産コアゾーンにもなっておりますので、文化庁とも協議をすすめながら復元計画をすすめております。
熊野地域全体がこのような苦しい情況にありますが、この様な時にこそ皆様の協力のもとに、先人から受け継いできた例大祭を厳修し、御神威をいよいよ高め、熊野の復興と亡くなられた方々の鎮魂安寧の祈りを捧げる時であると思います。

検討の結果、十五日の本殿祭、神馬渡御式、及び十六日の神輿渡御式は予定通り行ないますが、諸事情を考慮して今年の御船祭では競漕を行なわず、本来の祭の趣旨に添って神様の御供として、島を廻る形で行うことになりました。
どうかご理解ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。どうか 是非皆様の御参拝を心よりお待ちしております。

熊野速玉大社宮司 上野 顯・熊野速玉大社 役員一同・御船祭出船区 役員
祈願・ 「黄泉(よみ)がえりの}が「蘇りの」熊野となりますように・・・!

4 件のコメント:

  1. 大変ななか、無事開催されたようでよかったです♪
    御船島も、ずいぶん被害を受けたんですね。
    お祭りに参加しても、見るだけでも、元気をいただけるでしょう。
    玉手箱のみかんの盃とかも、おもしろかったです!

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  2. それがしは中辺路から本宮にかけて被災地を見て参りましたが、今月始めでござったゆえまだ新宮への道は開通しておりませなんだ。
    諸行無常の世なれば、斯様な事態もまた致し方無し><
    されど人も自然も回復する事は出来ますれば、遠からぬ時期にまた勇壮なる祭も再開なされましょうぞ!

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  3. megさん
    玉手箱見られましたか?megさんに製作のヒントになるよう
    なものありましたか?
    熊野三山のなかで最も被害を受けたのは熊野那智大社です。
    社殿の半分が土砂で埋まっています。しかし、那智勝浦町
    のとって那智大社は観光のシンボルですから、観光業者が
    自分の所を後回しで、大社の土砂掻き出しにボランティア
    してます。地元でも別格扱いが覗えます。

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  4. モノノフ殿
    和歌山県も大変です。長い海岸線を抱えて津波対策、
    険しい熊野の奥深い山脈を抱えて豪雨による山津波に
    せきとめ湖、集落の孤立等、到底県政としても手が
    廻りかねますから、最後は自衛ということになるのでは?
    せめて、いざという場合のソフトだけでも徹底的にPRの
    必要大でしょう!

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