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2010年8月9日月曜日

9日・「和歌浦」国の名勝指定される!

 このブログを再開するに当たって、温故創新のテーマに沿って温故の例に「和歌浦」の国の名勝指定を、創新に「たまミュージアム貴志駅」の桧皮葺改築を採り上げ、4日の新駅完成披露をさきに紹介しましたが、この間去る5日に「和歌浦」の国の名勝指定が官報で公布され正式に決定しました。

       (今回の国名称指定「和歌浦」区域)
 「和歌浦」は広義には(旧)「和歌浦」「新和歌浦」と「奥和歌浦」ともいわれる「雑賀崎」の3地区からなり、狭義には旧「和歌浦」地区を指しますが、今回国の名勝指定を受けたのは旧「和歌浦」地区のうち、上に図示した約90ヘクタールで、和歌山県は指定範囲をさらに拡大すべく2,3次と広義の和歌浦地区全体に及ぼす構想のもとで取り組もうという姿勢をもっています。
     (広義の「和歌浦・片男波」地域全体画像)
 今回の国の名勝指定を機に和歌山市内の観光名所が点から線に、線から面になるよう、官学民が一体となって折角保有する観光資源が脚光を浴びれるように輝かせて欲しいものだと思います。

 ついては聖武天皇の行幸や万葉集歌にも詠われた万葉の故地である(旧)「和歌浦」の歴史的観光ポイントについて、まず最初に「和歌浦」が国の名勝指定になったポイントを総括してお伝えし、つづいて個別的に観光ポイントを数回に分けて「和歌浦」を詠んだ「万葉集歌」を交えながら今昔の「和歌浦」をお伝えすることにしたいと思います。

    次回以降に順次紹介する観光ポイント=赤カッコ囲み

◎「和歌浦」国名勝指定正式決定(8月5日) 【 解 説 】
 紀ノ川の旧河道である和歌川の河口付近には、干潟・砂嘴、一群の島嶼及び元の島嶼である丘陵地などが展開し、『万葉集』の短歌の歌枕として詠われた和歌の浦の良好な風致景観を今に伝えている。

 古く和歌の浦の海岸は、旺盛な和歌川の流れが運ぶ砂の堆積により、干潟・砂嘴などが発達・成長の過程にあったことから、「弱浜」又は「若の浦」と呼ばれていた。
 しかし、神亀元年(724)に聖武天皇が行幸した際に「明光浦」と改められ、その荒廃防止とともに、干潟に浮かぶ玉津島の神及び明光浦の霊を奠祭するために守戸を置くこととされた。そのとき山部赤人が詠んだ「若の浦に 潮満ちくれば潟を無み 芦辺をさして 鶴鳴き渡る」の短歌は、殊に有名である。この短歌に端を発し、和歌の浦は都に住む多くの貴族にとって憧れの海の景勝地となり、和歌の歌枕として広く知られるようになった。
 
 さらに平安時代から中世にかけて、伽羅岩と呼ぶ岩崖と松の緑に彩られた奠供山(てんぐやま)・鏡山・妹背山など6つの島嶼から成る玉津島山の形姿は、周囲の砂嘴・干潟とともに、『慕帰絵詞』(第7巻)をはじめ名所絵などの多くの図像にも描かれた。
 
 近世においては、和歌山城主浅野氏や紀州藩徳川氏が霊地として整備するとともに、名所としても手厚く保護するようになった。
 特に、初代紀州藩主である徳川頼宣(1602~1671)は、父家康の慰霊のために権現山の山腹に東照宮を建立したのをはじめ、妹背山に三断橋(三つ橋)を架け、その山頂に母の追善供養のために海禅院多宝塔を建立した。三断橋は中国杭州の西湖堤を模して建造したとされ、石積で護岸した堤防の中ほどに3箇所の石造橋を設けた独特の意匠・構造を持つ。その後、西国三十三カ所巡礼や高野山参詣を通じて紀州に来訪した多くの庶民も、絵画に描かれた古来の海浜風景に惹かれて和歌の浦を訪れるようになった。
 『紀伊國名所圖会』など多くの地誌・案内記・紀行文を通じて、その魅力溢れる美しい風景・風物が紹介されたのをはじめ、和歌以外にも数多の漢詩・俳諧・狂歌などに詠われるようになった。
 
 三断橋と同じ頃に、妹背山東麓の水際において水上に張り出すように建造された観海閣は、高波の被害により再建と修築が繰り返されたが、妹背山に対する拝所としての機能を持ち続けるとともに、遥かな干潟の水面から対岸の紀三井寺や名草山の山並みへと続く絶妙なる山水の景を楽しむ水閣として、次第に巡礼人や庶民にも公開されるようになった。
 また、幕末には、第10代藩主治宝の命により、波浪被害のために移築された東照宮の御旅所へと延びる御成道に沿って、石造アーチ橋の意匠・構造を持つ石橋が架けられ、不老橋と名付けられた。近世に加わったこれらの諸施設は、和歌の浦の風致景観が類い希なるものであったが故に、それ以前にも増して海の霊地として重視されるようになったことを示している。

 さらに、近代以降は庶民の遊観のために公園として活用されるようになり、和歌の浦は日本を代表する海浜の景勝地として、その名を不動のものとした。
 
 今は周辺の陸化とともに丘陵と化した奠供山及び玉津島の頂から望むと、紀三井寺が建つ対岸の名草山を背景として、三断橋の先に多宝塔が建つ妹背山を擁し、片男波海岸の松原へと続く広大な干潟の風景が展開する。
 それは、潮の干満がもたらす海面の移ろいや松樹に彩られた砂浜・岩崖などを背景として、古代から近代にかけて長い時間の経過の下に加わった寺社の建造物群が点綴する海の名所及び霊地と呼ぶに相応しい風致景観である。その観賞上の価値は高く、名勝に指定して保護しようとするものである。

 なお、4日オープンした「たまミュージアム貴志駅」と「たま駅長」は今後とも話題になることが多いとおもわれるので、その折はトピックスとして随時紹介することにします。お含み下さい。


4 件のコメント:

  1. ネココロネ。2010年8月9日 22:01

    こんばんは!挨拶に来るのが遅れてしまいました、ごめんなさい(汗)

    先日教えて戴いた通り、無事に貴ブログを発見する事が出来ました。
    また見に来ますね!

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  2. しげやん^^おはようございます^^
    和歌浦もいいところですね^^和歌山に住みながら行っていないところも多いです^^「和歌浦」国名勝指定正式決定(8月5日)も良かったです^-^
    今日も朝から暑いですが頑張りましょう!

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  3. ネココロネさん
    ようこそいらっしゃいました。余り面白くもないブログ
    ですが、時々お越しになりコメントを頂ければありがたい
    です。今後ともよろしくお願いします。

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  4. atitiさん
    確か去年か一昨年かにatitiさん、片男波に行かれて万葉館
    前で写真を撮りブログにアップしたことありましたよね!
    しげやん、鮮明に覚えています。
    おかげさんで記憶力はまだ確かです。
    連日まだ暑いですね、しげやん夏バテまではいきませんが
    いささかバテ気味です。お盆は家でゆっくりです。
    atitiさんも疲れを残さないように!ご自愛下さい。

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