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2010年8月27日金曜日

27日・和歌浦の南・海南市(旧下津町)に遺る万葉集歌その3.

 最後に旧下津町に遺る万葉集歌を紹介します。
下津町は海南市の西南に当たり、平成15年平成の市町村合併により海南市と合併しました。
位置的には和歌浦湾の西南端にあり、天然の良港として利用され、近代は石油基地として一時栄えましたが、タンカーの大型化等によりいまは衰退してしまいました。
      
(クリックで拡大します)


1.大崎荒磯万葉歌碑





2.大崎万葉歌碑






3.粟島神社万葉歌碑





















4.立神社万葉歌碑





5.小畑万葉歌碑



   おわり



4 件のコメント:

  1. こんにちは♪
    毎日暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
    有間皇子でしたでしょうか?和歌山に落とされる途中で処刑されたのは?
    古くから保養地として、また流刑地として紀伊の国の名は知られていますが、この歌たちもそういった人々のつれづれや流され人の思いを読んだものかも知れませんね。

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  2. しげやん^^こんばんは~^^
    懐かしい名称が出てきています^^
    この碑が出来たのはまだ最近??
    atiti子供の頃にはこんな碑がなかったように思いますが・・・・ワハ
    今日も暑かったねwwwww

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  3. EYASUKOさん
    有馬皇子の墓と歌碑は25日にアップした中にありますが、
    彼は蘇我赤兄に騙され陥れられて無実の罪を着せられ、
    それを牟婁温湯(いまの白浜温泉)に行幸中の斎明天皇に
    自分を釈明するため牟婁温湯に連行されますが帰路海南の
    藤白でくびられ、658年19歳の若さで最後を遂げますが、
    いまでも藤白神社では11月11日の命日に「有馬皇子まつり」が催され、また創作ミュージカル劇で上演されたりしています。
    この悲劇の皇子を祀る気持ちが地元でも強く、根付いている
    感じがします。この藤白神社の宮司さんは「紀伊万葉の会」
    や「熊野古道の語り部」養成に長年尽力され熊野古道が
    世界遺産登録後は古道を訪ねる人が増えてきています。
    地元が万葉集にも詠まれた場所が沢山あることに重みを
    感じますし、ある意味誇りに思います。

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  4. atitiさん
    1から5の歌碑に白地に黒で書かれた説明板をクリック
    すれば拡大して見やすくなりますからお試し下さい。
    atitiさんが子供の頃とは◯十年(?)遡ればいいの?
    それぞれマチマチです。平成7年~16年まであります。
    旧海南市内も同じようにマチマチです。予算を確保して
    一斉にというのでなくて行政のやることよく分かりません。

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