(旧)和歌浦名所案内は、今回が最後になります。今回は「妹背山」を中心に、そこにある史跡と360年ほど前、松尾芭蕉が和歌浦、紀三井寺を訪れたときに詠んだ句碑を紹介します。
妹背山
妹背山は、周囲250mの小島だがかつては相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だったそうです。
(妹背山の東側からの遠景)
玉津島神社のすぐ東隣にある三断橋(約50m)を渡ると、万葉集に出てくる”妹背山”があります。
この”妹背山”は、和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山のなかで唯一小島として残っている山で、昔の面影が色濃く残っていて当時を偲ばれる場所です。この”妹背山”には、初代紀州藩主徳川頼宣が造った多宝塔や観海閣があります。
三断橋
妹背山の西側には、砂岩製高蘭付きの三断橋が架けられている。県内最古の石橋で、妹背山を整備した慶安期に建造したもので、『紀伊國名所圖會』に、「こは杭州西湖の六橋のおもかげありて、風景真妙にして、壮観足らずということなし。」と記されている。西湖は、白楽天や蘇東坡の詩文に唱われ、由来、時として艶麗な美女に、あるいは神仙の境域にみたてられてきた中国有数の景勝地である。三断橋の欄干、板石、橋桁、橋脚などが、西湖を模したものといわれている。三断橋は、何度か補修されているが、橋の原型そのものは4世紀にわたって崩される事なく、今日まで継承されている。
観海閣
「観海閣」は、初代紀州藩主の徳川頼宣が承応元(1652)年に水上楼閣として建てたものだそうです。頼宣は、母の霊を多宝塔に拝んだ後、この”観海閣”から名草山にある紀三井寺を遥拝したと伝えられています。残念ながら昭和36(1961)年の第二室戸台風にて当時の木造の建物が倒壊したため、現在のようなコンクリート製の建物になりましたが、今も尚、”観海閣”から眺める名草山、片男波には素晴らしいものがあります。
海禅院多宝塔
妹背山に建つ総欅(けやき)造の二重塔は海禅寺多宝塔で、承応2(1653)年に建てた総欅造で高さ13mの上品なものです。観海閣の前の石段を登っていくと妹背山の中腹に”多宝塔”が姿を現します
紀州徳川藩初代藩主頼宣が母の養珠院をしのんで建てた。養珠院は家康の側室でお万の方と呼ばれ、頼宣と水戸藩初代藩主・頼房を生んだ。8代将軍・吉宗の曽祖母にもあたる。
日蓮宗に帰依していた養珠院は家康の三十三回忌供養のために、石に「南無妙法蓮華経」と書いた経石を多宝塔下の石室の納めた。
これに後水尾上皇をはじめ庶民ら多くの人が賛同して15万個もの経石が納められていた。この経石奉納の運動は今に続けられているという。
松尾芭蕉句碑 ”行春に わかの浦にて追付たり"
2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
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しげやん^^こんばんは~^^
返信削除いつも車なので・・・とめるところに困ってすぐ通り過ぎてしまいます^^
しげやんは行った事がありますか??
和歌浦には行っていないところが沢山ありますね^^
今日も朝から暑かったですね
あともう少しですから頑張って下さいね^^
atitiさん
返信削除しげやん、今ほど脚が不自由になったのは10年ぐらい前
からです。それまでは熊野古道を断片的に歩いたり近場の
旅行もしていました。
和歌浦は玉津島神社には駐車場がありますので妹背山まで
は数十メートルです。
この付近や片男波の万葉館にも数回行きました。
生まれ育った海南市の黒江の中言神社近くには黒牛潟を詠んだ柿本人麻呂の万葉集歌の石碑があり、子供の頃から親しんできました。
神社仏閣、史跡巡りはしげやんの趣味のうちの一つです。
この暑さ続きにはいささかグロッキー気味です。今年は残暑
が続き、秋が短く冬は寒いとか,atitiさんのいうラニーニ
ャ現象の影響でしょうか?