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2010年8月16日月曜日

16日・和歌浦その2.「玉津島神社」

 いにしえ神亀元(724)年、聖武天皇が和歌浦に行幸された当時、紀ノ川の河口は、大きく和歌浦湾に注いでいて、(今の和歌川河口)現在の何倍ものスケールの干潟が広がっていました。
 いまでも和歌浦の北方に「鶴立島」という古くからの小字名が残っていて、山部赤人が”若の浦に 潮満ちれば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る”と詠んだのはこの鶴立島辺りではなかろうかと推測されます。そして潮が満ちると六つの玉のような小島が連なって海に浮かぶ、それが玉津島です。
 今それらの島は、妹背山、奠供山、鏡山、雲蓋山、妙見山、船頭山と呼ばれ、いまは妹背山だけを海上に残して陸地となっています。
 この“若の浦”は平安時代になると“和歌の浦”と呼ばれるようになり、和歌の歌枕の代表的な地として都人たちのロマンを掻き立ててきました。

 今回は「和歌」の神様と讃えられる「玉津島神社」を中心に紹介してゆきます。




祭神・稚日女尊,息長足姫尊,衣通姫尊,明光浦霊 和歌浦湾へそそぐ和歌川の河口部にある。

当初、稚日女尊のみを祀っていたが、後に、稚日女尊を尊崇する神功皇后(息長足姫尊)を合祀。さらに、衣通姫尊を合祀し、女神三神を祀る。

聖武天皇神亀元年、玉津島の行宮へ幸したおり、弱浦(わかのうら)という名を改めて、明光(あか)の浦とした時、衣通姫尊が示現して歌を詠んだ。

 
立ち帰り 又も此の世に跡たれん 名も面白き わかの浦浪  

以来、衣通姫尊が主祭神の位置になり、住吉、(柿本)人丸と並んで、和歌三神と呼ばれるようになった。

 衣通姫尊は、容姿が美しく、艶色が衣を通して光り輝いたほどの女性。『古事記」では第十九代允恭天皇の皇女軽大郎女(かるのおほいらつめ)の別名。『日本書紀』では允恭天皇の妃弟姫、また衣通郎女(そとほりのいらつめ)。皇后は姉の兄姫。姉皇后の嫉妬にあい身をかくす、とある。

いかにも女神を祀るお宮、といった風情がある。社殿後方は奠供山で、それほど高くない丘といったところ。
山頂からは和歌浦が見渡せる。






      

       (左・玉津島神社拝殿   右・本殿ー奠供山山麓)
 鳥居の右手の赤い塀は、小野小町の袖掛塀という。拝殿奥に神門があり、垣内に一段高く前庭がある。そこから階段上に本殿がある。


社殿後方は、奠供山。山頂からの眺めは良い。朝夕はきっと美しいに違いない。
 当社の南、海沿いの道路の曲り角に、鹽竃神社がある。鹽槌翁尊、製塩の法を伝えた。
由緒 もともと玉津島神社の祓い所であった。神社としては実にあたらしく、1917年である。
窟の中に祠があり、安産の神。


玉津島神社由緒略記
 社傳によれば神代以前の創立にして天照大神の御妹稚日女尊を祀り後此の大神をいたく尊崇せる神功皇后を併せ祀り其の後光孝天皇の御脳を平癒せしめられし衣通姫を御勅命により合祀せらる。
小松天皇の勅願所として知られ又住吉神社人丸神社とともに和歌三神として朝野の尊敬殊に厚く後西天皇以下八代の御製宸筆を奉献せられ古来京師より春秋二季官人の差遣ありて祭祀を巖修あらせらる参拝人各々福録寿楽を願ふとしてかなはざるなしと言ひ伝へらる大神なり
衣通姫神詠
 たちかへり またも此の世に 跡たれむ
   名もおもしろき 和歌の浦波

-境内案内板-


神亀元年 甲子冬十月五日、紀伊国に幸しし時に
山部宿祢赤人の作る歌一首

やすみしし わご大王の 常宮と 仕へまつれる 雑賀野ゆ
背向に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白浪騒き
潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然ぞ貫き 玉津島山

(巻六-九一七)

返歌二首

沖つ島 荒磯の玉藻 潮干狩満ち い隠りゆかば 思ほえむかも

(巻六-九一八)
わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

(巻六-九一九)

和歌浦にある船頭山、妙見山、霊蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山は、もと小島で、当時それらはみな、玉津島山と呼ばれていた。今は、その一つ、妹背山だけが、もとどおり島のまま残っている。

-境内万葉歌碑説明-
 このたびは、万葉のふるさと玉津島神社へようこそご参拝いただきました。
 当社は「神つ世」から鎮リます古社で、三柱の女神様をお祀りし、なかでも衣通姫尊様は「和歌の神様」として古くから敬われ親しまれております。(全国八万社中「和歌三神」の一つ)
 春日造りのご本殿は漆塗り最高の總蝋色仕上げで、屋外社寺建築としては他に比類をみない絢爛たる貴責な文化財であります。
 神社背後の奠供山は聖武天皇様ゆかりの聖地で、頂上からは万葉の御代歌枕の池として称賛された玉津島・和歌の浦のすばらしい景観を今も展望することができます。
 なお、神様のご加護によりあなた様のご旅行のご安全と今後のご健勝を心からお祈り申し上げております。

万葉のふるさと
 和歌三神 諸願成就  玉津島神社-『御参拝のしおり』-

      (玉津島神社境内に保存されている天然記念物「根上がり松」)

4 件のコメント:

  1. しげやんさん こんばんは。
    お盆はご家族が揃われて、にぎやかにお過ごしだったのでしょうか。
    私は昨日帰ってきました。
    自然の入り江が形は変わってきたとはいえ、1000年以上も続いているということ自体すごいことなのでしょう。
    1000年も経てば、海になるか地面になるかしてもおかしくないですものね。

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  2. しげやん^^こんにちは~^^
    地元に住んでいながら玉津島神社には行った事がありません!
    まだまだ行っていないところがありますね^-^
    しげやんお盆が終わり今日は訓練に行ってますか?
    まだまだ暑い日が続きますがお体には気をつけてくださいね!

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  3. megさん
    京都も暑かったでしょうが、東京も暑いですね!
    子供家族はお盆は嫁の里で厄介になります。
    和歌山の実家へは、年末年始、ゴールデンウイーク、それと
    10月頃とです。
    かつて片男波海岸を開発するに付け景観論争が起こり裁判に
    なりましたが、原告敗訴で終わりました。
    今回の名勝指定で旧跡の復旧等新たな景観保全が起こって
    くることかと思われます。

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  4. atitiさん
    そうです。今日も一汗かいてきました。今月5回目です。
    運動をしたあと岩盤浴に入るとすぐに汗ビッショリです。
    気持ちの良い汗です。気分爽快です。
    本当に暑い日が続きますね!どこまで続くのでしょうか?
    いささかバテ気味ですが気を付けます。
    atitiさんもご自愛を・・・

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