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2011年2月12日土曜日

12日・「ひな巡り」イベントにこと寄せて「五節句」の由来について!

「ひな」巡りに寄せて、『五節句』の行事についての雑学の紹介!
【五節句(ごせっく)】
・五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことで、暦の中で奇数の重なる日を取り出して(奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われたことから)、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まりました。
 
 この中国の暦法と、日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり「節句」といわれるようになったそうです。

・五節句には、1月1日(元旦)は特別の日に位置づけられ、、3月3日(上巳の日=桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕さん)、9月9日(重陽節)があり、なかでも奇数を尊ぶ中国で最高の数字は9で、9月9日は9が重なる最高の日に位置づけをされています。
 このように奇数の重なる日が選ばれていますが、こののおこりは陰陽道から来たのでしょうか? それとも、旧暦でいう農耕の種蒔や収穫等の農作作業とも関係が深いのでしょうか? 
「五節句」の制度は明治6年に廃止されましたが、今での年中行事の一環として定着しています。


「日本文化いろは事典」では、五節句の意味と日本で執り行われる行事について紹介されています。
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◎【節句の話・五節句(五節供)】とは
 節句はもとは「節供」と書き、江戸時代は年に年間に5日が公式に法制化された式日(現在の祝日みたいなもの)でした。
 この5日を「五節供」と言い、現在も重要な年中行事となっています。

 以下に五節句の日付と内容について、まとめてみましたのでご覧ください。

「五節句と行事・由来 節句 日付 別名 主な行事・由来など」

・「元旦」(がんたん)正月1日=1年の中でも特別に日に当たる。新年を寿ぐ

・「人日(じんじつ)」 正月七日 七草の節句 中国の古い習俗に由来する。
 この日、七草粥を食べ邪気をはらう風習がある。七草を刻む際、鳥追い歌(これを七草囃しという)を歌う習俗もある。

・上巳の節句(じょうし) 三月三日 桃の節句・雛祭り・重三
「雪洞=ぼんぼり」


      
「夫婦雛」
「菜の花桃の花」
餅の節句 元は三月の最初の「巳の日」。古くは河で禊ぎをし汚れを祓い、また身代わりに人形に汚れを移して河や海に流した。
 江戸時代以降は、「雛祭り」として庶民にも定着し、女子の節句とされた。
・端午の節句(たんご) 五月五日 菖蒲の節句 元は五月の最初の「午の日」。  
「端午の節句・武者人形」
 
古くはこの日薬草摘みを行い、摘んだ蓬や菖蒲を門口に飾った。菖蒲(ショウブ)の語が「尚武」に通じるとして武士の台頭に従い、庶民にも浸透し立身出世を願い幟や兜飾りを行うようになった。男子の節句。武者人形を飾る。



・七夕の節供(しちせき) 七月七日 笹の節句
 たなばた 中国から伝わった牽牛星と織女星の星祭り伝説が元。日本では古来からあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説との類似性から七夕の日として定着。女子が裁縫や手芸、書道の上達を願う行事も各地に残る。

・重陽の節句(ちょうよう) 九月九日 菊の節句
 「重九易」で陽数の極である「九」が重なることから目出度い日とされた。

「菊の花」

 
 この日は菊の花を飾り、丘などに登って邪気をはらい長寿を祈る風習が中国にあり、これが日本に伝わったもの。
 宮中では「観菊の宴」を開き長寿祝う節句の中でもっとも公的な性格が強いもの。民間にはさほど定着していない。「菊の花」を浮かべた杯でお酒を飲みこの日を祝う。
 
 五節句は現在でも(姿はかわっても)各地で祝われる節目の行事。時代がかわっても奥ゆかしいこれらの日に意味を認識しなおし大切に残してゆきたいものです。
 
 五節句の日付を見ると、人日以外は月と日の数が同じ、それも奇数。これは五節句の発祥の地、中国で奇数は「陽数」でこれが月日の形で重なる日は目出度い日という考えがあったためのようです。
・「節句と労働」
 上巳の節句から重陽の節句までの期間というのは、ほぼ農作業の期間に一致します。五節句の日は昔から農村の共同体みんなが休む日となっていたようですから、当時の厳しい農作業に従事する者に節目節目で休息と娯楽を提供すると言うような効用もあったと考えられます。
 でも2月に1度というのは辛いですね。週休2日が定着した現在では考えられないことでしたが、私が小さい子供の時代には商家では月の1日、15日と月2日の休みが普通でした。
 
 この度2月1日から開催された「紀州海南ひな巡り」イベントは、大変な賑わいを見せ、まだまだ3分1を経過したところですが、きのうからの3連休の翌14日は「バレンタインデー」わが国の行事や祝い事に混じって、「バレンタインデー」や「クリスマスイブ」等、外国の風習がイイトコどりで若者の間に定着化してきているのは如何なものでしょうか?

 わたしは商売熱心な業者が創りだしたショーかイベントとしか感じないのは、頭が古く固いからでしょうか?
 
 それと、もう一つ不思議なのは3月3日「上巳の節句=桃の節句、雛祭」の雛は遠からず流される運命にあるのです。
 これは、他の節句の行事には見られない行事ですが、雛は大きくは「ひとがたなのです。
 したがって「お雛さな人形」に身代わりになってもらい、代わりに「厄」を一手に引き受けて所詮流される運命にあるとすれば、悲しいと言おうか寂しい思いがしないでもありません。

 
 昔から女性は「厄が深きもの、不浄なもの、穢れたもの」という認識がそうさせているのでしょうか?バレンタインデーが済み、月が代わって3月入りすると3日が「ひな祭り=桃の節供」6日が「啓蟄」寒い冬を地中で過ごした虫どもが地上に這い出してくる日、すなわち、いよいよ春ということです。
 われわれ関西人にとって奈良・東大寺「修二会=お水取り」とともに待たれる春まで、あと半月、1日、1日と近づく春を期待を込めて待つことにしましょう!
 「政治の世界」には当分「春」が来そうもないには、まことに残念ではありますが・・・「紀州海南ひな巡り」の事寄せて春の雑感でした。


「五節句」
・「人日(じんじつのせっく)の節句」・同義語:若菜摘み・七草粥
「人日」とは五節句の1番目の節句で、陰暦1月7日のことをいいます。お正月最後のこの日は、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願います。
・「七草の力!!」
 旬の生き生きした植物である七草を粥にして食べれば、自然界から新たな生命力をもらえ、無病息災で長生きができるとされていました。
 かつては、前日に野山で菜を摘み、年棚(歳神を祭った棚)の前で七草囃子(ななくさばやし)を唄いながらすりこ木でたたいたそうです。

 こうすることで、七草の力をさらに引き出すことができると考えられてました。

 このように丁寧に細かく刻まれた七草粥は、正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、ビタミンを補う効果もあります。
若菜摘みから始まった風習
 日本には古くから年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘む、「若菜摘み」という風習がありました。

 また「若菜摘み」とは関係なく、平安時代には、中国の年中行事である「人日」(人を殺さない日)に作られる「七種菜羹〔ななしゅさいのかん〕(7種類の菜が入った吸い物)」の影響を受けて、7種類の穀物で使った塩味の利いた「七種粥」が食べられようになったそうです。
 その後、「七種粥」は「若菜摘み」と結びつき、7種類の若菜を入れた「七草粥」になったと考えられます。
 江戸時代には幕府が公式行事として「人日」を祝日にしたことで、「七草粥」を食べる風習が一般の人々にも定着していったようです。

 ここで思い浮かべるのは、「万葉集」の冒頭近くで詠われた、かの有名な額田王と大海人皇子(のちの天武天皇)の間に交わされた相聞歌でありましょうか?
 これも野の草を摘む野草刈での歌であろう!
―天皇の蒲生野に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
 ”茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる”
―皇太子の答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇
 ”紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも”
―紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。

 詞にあるとおり、これは天智天皇が群臣とともに蒲生野に狩をした時に、額田王と皇太子大海人皇子(天武天皇)との間に交わされた相聞歌である。
 恐らくは、皇子のほうから先にモーションを仕掛けたのであろう。
 額田王が、こんなところで袖などお振りになると、野守にみとがめられますよと、たしなめると、皇子のほうでは「紫のにほへる妹」を恋わずにはいられないといって返す。
 このやりとりが、狩の野を背景にした切ない恋のかけひきを感じさせる。
 男と女の関係は、古代からこのような風であったのであろうか?
まことに、おおらかななかにも雅な男女の恋の駆け引きが感じられる秀歌であろう!

(雑学・「人形=ひとがた)」・大阪「住吉大社」にヒトガタ

大阪「住吉大社」の「ひとがた」

 人形とは、読んで字のごとく「ひとがた」、「人」を象った人間の身代わりなのです。いまでも京都は「賀茂神社」を流れる小川には「人」を象ったごく簡単な形をした「ひとがた」を流す神事が執り行われています。
 
 地元加太「淡島神社」には不用になった「雛飾り」が年間数万体も寄せられ、3月3日には神事が執り行われたのち、加太の海に運ばれ、白木の小舟に乗せられた雛たちは静かに春の海に流されてゆきます

 ”春の海 ひねもすのたり のたりかな”

加太「淡島神社」流し雛神事
  (全国に知られた地元加太「粟島神社」の春の風物詩です。(雛を載せた船は、環境問題もあり、後ほどそっと回収され焼却されます)。

2 件のコメント:

  1. ネココロネ。2011年2月12日 22:05

    お久しぶりですー。そもそも「五節句」という括りを知らなかったゆとり世代です…恥ずかしい。勉強になります。

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  2. ネココロネさん
    お久しゅうございます。お言葉通りお訪ね頂きありがとう。
    われわれともすれば、昔のコトワザや風習忘れがちになって
    しまっています。
    古くから残っているもにには、今の時代でもそれなりの価値
    があるので、遺されていると思います。
    わたしのブログの趣旨は「温故創新」です。古きを訪ね、

    踏まえながらその上にたって「創新」新しいものを創りだしてゆく。そういう意味を込めてブログを綴っています。
    独りよがりのブログですが、時々おたずね下さい。

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