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2011年2月27日日曜日

27日・もうすぐ3月・春を告げる東大寺「お水取り」と淡島神社の「流し雛」!

 ”冬来たりなば春遠からじ”といわれるが、瞬く間に二ヶ月が過ぎ去り、明後日からは、いよいよ「弥生」3月を迎える。

  1日からは「修二会」俗に「お水取り」で知られる奈良・東大寺の神事が始まる。 関西では東大寺の「お水取り」が終わると、本格的に春が到来するという。 まさに、「お水取り」行事は春告げ鳥の役であろう。
 
 そして、3日が女の節句「おひなさま」である。6日は「啓蟄(けいちつ)」土中に冬ごもりしていた虫どもが、春の陽気を感じて地上に這い出す日である。
 そうして、「別れの日」卒業式へと、確実に季節は進む。



ふきのとう










 ところで、 ”冬来たりなば春遠からじ”(意味・厳しい冬がくれば、春はすぐその隣、人生の厳しい冬もいつまでも続くわけではなく、希望に満ちた未来がすぐ後ろに控えている。)は、どこから来た言葉か、ご存じでしょうか?

 
 これは、イギリスの詩人シェリーの『西風の賦 (西風に寄せる歌) Ode to the west wind』の末句「If winter comes, can spring be far behind 」が語源由来。
「朝の来ない夜はない」の意味のことわざで、イギリスの17世紀のことわざ「夜明け前が一番暗い」や日本のことわざの「夜まさに明けなんとして益々暗し」にも通ずる所がある。


 われわれは、 諺の多くが中国の故事から来てるのではないかと思いがちだが、この例のようなことが沢山ある。
 
 最近では卒業式で歌われる『仰げば尊し♪』の原曲が19世紀米国で作られた「卒業の歌」だと分かった、とある。

卒業証書授与

 2011年1月26日付け朝日「天声人語」には次のようにある。曰く。

 カステラや金平糖など、和の空気をまとう渡来品は多い。童謡「ちょうちょう」の元歌はスペイン民謡、「むすんでひらいて」の作曲家はフランスの思想家ルソーだという▼『日本の唱歌』からみると、<こぎつねコンコン、山の中>の「こぎつね」はドイツ民謡だ。▼さて、「仰げば尊し」の原曲が、どうやら19世紀に米国で作られた「卒業の歌」だと分かった。日本では明治期、文部省で詞を合議して小学校唱歌に載せたというが、出自は「唱歌最大の謎」とされてきた。▼謎を解いたのは米英民謡に詳しい一橋大学名誉教授櫻井雅人さん(67)。欧米の古い教科書や賛美歌を探るうち、1871年に米国で出版された歌集に同じ旋律を見つけたという▼ただ、友との別れを惜しむ原詞には、歌の味わいを決める「わが師の恩」「身を立て、名をあげ」の句はない。日本版は、どうも、国家が期待する人間像を紛れこませたようだ。唱歌自体西欧文化を学ばせる国策だった▼だんだん歌われなくなったのは、この創作部分ゆえと聞く。門出の場で教師が恩を売り、立身出世を強いるのはマズイと。ごもっともだが、歌の故国が判明した今、これはアメリカンドリームの奨励と解釈し直したい。厳かな曲調といい、若者の背中をドンと押すには悪くない曲だ。とあった。
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 関西では、春を迎える行事としてあまりにも有名なのは、先に書いた奈良‥東大寺の修二会(通称「お水取り」)と
 
修二会に飾る「花拵え」
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 地元加太‥淡島神社の「流し雛」神事であろう。いずれもが春を告げる行事として、春の風物詩になっている。
 
 東大寺修二会については、古式に則って事前の準備が滞りなく進められており、一方加太淡島神社には、すでに全国から数万体のおひな様人形が集まって来ているそうだ。


社殿を埋めた雛達

「流し雛」神事
 それにしても、人間社会でおこっている人間同士の殺し合いは空恐ろしい。エジプトや西隣のリビアでおこっている内乱で、大量殺戮が平気で繰り返されているが、これらで死んだ人の死体はどうなっているのだろうか?「ひな人形」のように祀られることもなく、路傍にうち捨てられた侭なんだどうか、人と人同士の殺し合いだけは、なんとしてもなくなって欲しいと願う今日の日である。

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また2月1日から始まった初めての試みである「紀州海南ひなめぐり」も、3月3日でもって幕を閉じる。
 わたしも数回にわたって見に回ったが、日を追う毎に客足が伸びていった。
これが地元海南に春を呼び込むきっかけになって呉れればいいんだが・・・
 この度の成功を糧に、「街おこし」行事として是非来年も開催し、地域活性化に繫がって欲しいモノである。本格的な春を待ち望む今日の日である。

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