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2011年2月28日月曜日

28日・天下の奇祭・岡山西大寺「裸祭り」の熱気!

 天下の奇祭といわれる岡山は西大寺の「裸祭り」が、極寒の19日夜勇壮に執り行われた。
 明3月1日からは、天平勝宝4(752)年以来「不退の行法」として今年で1260回を迎える奈良・東大寺の「修二会(お水取り)」が、12日「お水取り」行法でクライマックスを迎え、14日まで行われるが、2月の締めくくりとして今日は開催日から少し日が経ったが岡山は西大寺の天下の奇祭と云われる「裸祭り」。
 極寒をモノともせずに若者がぶつかり合う、すさまじい熱気が凄いエネルギーとして感じられよう。


 この話を聞いて、50年近く前のことを想い出した。というのも、同じ職場の部下が岡山西大寺の出身で、「裸祭り」のことを、「熱っぽく」語ったのを想い出したからだ。時期は極寒の2月半ばでというのに、裸に冷たい水をブッかけられても湯気が出そうな語り口だったからだ。それはさて置き、つぎに進もう。



 
 では、簡単に「会陽」(えよう)即ち裸祭り」は、天下の奇祭として広く知られているが、ごく簡単にその歴史から始めたい。


 その歴史は遠く奈良時代に始まり、奈良・東大寺とも深い関わりをもつ。
明日からの奈良・東大寺「修二会」を前に、先に開催された西大寺「裸祭り」を紹介することにした次第である。
 
 東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていた。
 
 永正7年(1510)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。
 
 「会陽(えよう)」の行事は3週間前の事始め式に始まる。
まず宝木(しんぎ)の素材を受け取りに行く宝木取り、翌日は一対の宝木の形を作り上げる宝木削り、14日前からいよいよ本尊千手観世音の宝前を荘厳して修正会が開白され、山主以下10余名の僧侶により厳修され、国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽を毎日祈り続ける。


「宝木を削る道具を磨く棟梁」
祝い主のもと1年間祀られる宝木当日は早朝より遠近の各地から数万の信者が押し寄せ市内を埋める。夜のふけるにつれ裸のワッショワッショの掛け声が聞こえだし、合図の太鼓と共にその数を増し本堂に溢れ、どよめきは古には四国まで聞こえたと伝えられている。
「会陽の様子」
 14日間の修正会も結願となり、御福窓より裸の大集団に向かって院主が万人渇仰の宝木を投下すると、俄然筆舌に尽くし難い争奪戦が展開され、境内を西に東に裸の渦となってもみ合う様は勇壮無比である。その御福(ごふく)にあやかろうと3万人の参拝者が境内を埋め尽くす。
 「男の祭り」とされる西大寺会陽だが、女性の姿もある。午後7時ごろ、白衣をまとった一団が西大寺境内の垢離取場(こりとりば)に姿を見せる。
 つかの間の静寂に冷水に入り大願成就を念じ、水垢離をする。また祭りの開始を告げる「会陽太鼓」の打ち手は全て女性である。心の炎を燃やして男たちを鼓舞する「炎祷」と「龍神」の2曲を交互に演奏。これから始まる男たちの裸祭りに祈りを捧げる。


「会陽太鼓は女性によって」
演奏される ◆牛玉(ごおう)と牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)◆ 牛玉(ごおう)とは仏教世界の中で宝珠(ほうじゅ)を意味し、世の中の万物を生みだす物である。牛玉の語源、字体は諸説あるが、語源で一般的なのは牛の胆のう中に生じた結石を牛黄(ごおう)と呼び、これを溶いて墨書するところから牛王(ごおう)と書き示した。
 他説に牛の体から出てきた毛の固まりの事を示したり、密教の僧侶により仏舎利32粒、香木など9種の材料によって作られた丸の固まりを能作生珠(のうさしょうじゅ)と言うがこれをそう呼ぶ事もある。
 また、字体が牛王では無く、牛玉と書き示されている事は未だにはっきりした事は分かっていない。
 万物を生みだす霊験あらたかな「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札をめぐって現在の裸祭りとなったが、今でも牛玉札と呼ばれるこの札は当山で最も重要なお札であり、これを宝木に巻き付けて投下している。
 牛玉所殿(ごおうしょでん)には、この牛玉が神格化され、五大明王を牛玉所大権現とし、ご本尊として祀っている。
 また、牛玉所大権現は裸の守護神であり、裸祭りの参加者はここでご加護を授かった後、本堂大床で宝木投下を待つ。
     ◇           ◇
「裸・裸・裸 宝木(しんぎ)奪い合う奇祭、岡山「西大寺会陽(えよう)」2月20日  (実況)
「西大寺・会陽会場」
「宝木」を獲ろうと必死でもみ合う若者達
 裸の群れの雄たけびが、今年も西大寺の街を包み込んだ。「天下の奇祭」と呼ばれる西大寺会陽(さいだいじえよう)が19日夜、岡山市東区西大寺中3丁目の西大寺観音院で催され、「福男」を目指す男たちが2本の宝木(しんぎ)を追い求めた。


 午後10時、9千人の裸と、3万人の見物客がひしめきあう境内の照明が一斉に落とされた。


 「ウオー」。暗闇になった本堂前の大床で、裸の群れの頭上に、まず、5本ずつ束ねた100組の串牛玉(くしご)が降り注ぐ。続いて、白い牛玉紙(ごおうし)に包まれた二本一対の宝木を、坪井全広住職が御福窓から投下。争奪戦の渦からは、熱気で湯気が舞い上がった。


 室町時代に始まったとされる会陽は、今年501周年。祭りを取り仕切る西大寺会陽奉賛会、県警、地元消防団らが警備にあたり、投下前のもみ合いで体調を悪くしたり、負傷したりした裸を、次々と救護所に運び込んでいた。


 夕方には、小学生対象の少年はだか祭りもあった。玉野市立荘内小6年の林海里(かいり)君と、岡山市立西大寺小6年の石井宏樹君が、2本しかない宝筒を手にし、「福男児」となった。

「宝木」を獲ろうともみ合う少年達
 
「宝木」を獲得した林君と石井君
 少年はだか祭りで「福男児」に輝いた林海里(かいり)君(左)と石井宏樹君=岡山市東区の西大寺観音院




 林君は、2005年の会陽で福男に輝いた林大輔さんの長男。常連の林グループに所属する父らと、数年前から争奪戦の練習を積んでいるといい、「(自信は)ありました」と話した。石井君は「みんなにのしかかられて大変だったけど、粘り強く頑張った」と振り返った。

女性の水垢離
  流石に女性は全裸やふんどし裸になる訳には行かず、このような姿で水垢離した。祭りの無事を祈って、冷水で体を清める女性の参加者ら=岡山市東区の西大寺観音院。

 明日はいよいよ3月に入り、多彩な行事が続きわれわれを愉しませて呉れます。
スプリング ハズ カム、スプリングのように躍動する春わ迎えたいものです。                                                    (おわり)

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