ブログ アーカイブ

2014年4月15日火曜日

上善は水の如し・『老子』

NHK大河ドラマは『黒田官兵衛』であり、のち如水を称したが、中国は老子の言葉に「上善如水」あり、新潟には日本酒にブランドに「上善如水」(白滝酒造)がある。

また、われわれには鎌倉時代の鴨長明の、ゆく川の流れはたえずしてで始まる「方丈記」の書き出は、誰しもが多感な青年時代に味わった「わが国の無常観」の極みであろうと思う。

そこで、今回はこの「水」についての考察を試みた次第である。



「方丈記」

 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。・・・

 
 
(鴨長明)
鴨 長明(かも の ちょうめい、(1155年~1216年)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。従五位下。菊大夫とも号した。
    
 
 

 

 

上善如水

上善は水の如し    『老子』
「上善」とは、最も理想的な生き方です。
そういう生き方をしたいと願うならば、 水のあり方に学べというものです。
「水」には学ぶことができる三つの特徴があります。

一つは、その柔軟な性質です。四角な器に入れれば、四角な形になり、丸い器に入れれば、丸くなります。 器に逆らうことなく形を変える柔軟さです。

二つ目には、低いところに身をおくのは誰でも嫌なものですが、 水は人の嫌がる低いところに流れていきます。 謙虚な姿で、自分の能力や地位を誇示しようとしません。

三つ目は、内なる大いなるエネルギーを秘めていて、 緩やかな流れは、人の心を癒す力を持っていますし、また速い流れは、硬い岩をも砕く力強い力も持っています。

このように、水は「柔軟」「謙虚」「秘めたるエネルギー」の三つの特徴をもっています。
人もこのような特徴を身につけることができれば、理想の生き方に近づけるといえます

0 件のコメント:

コメントを投稿