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2014年4月6日日曜日

ネットサーフィンで発見!紀州忍者で『正忍記』の著者名取三十郎正澄の墓石(恵運寺)

時間があれば、「暇つぶし」にネットサーフィンして興味あるものに出くわすことがある。

今日は和歌山市のHPから「観光案内」していたら、わたしの家の本寺である「恵運寺」のことがトップに掲げられているではないか!この寺は禅宗の曹洞宗で甲州武田藩の軍師山本勘助の流をくみ、一昨年5月には紀州徳川藩に仕え、日本三大忍術伝書『 『正忍記(しょうにんき)』を記した名取三十郎正澄の墓石が外部の研究者からの問い合わせにより、300年の睡りから覚め、一躍有名になるなど、まさに忍者がごとき出来事で大きな話題になるなど、それが和歌山市の観光案内にも反映されてのことだったのでしょう!

なお、同寺の山本寿法住職が名取三十郎正澄『正任記』を読み解く会を発足されるなど、紀州忍者を介して紀州をPRされるなど精力的な取り組みをされておられることを追記しておきます。

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寺社・名所旧跡(市内中心部)

恵運寺(えいうんじ)[徳川ゆかりの地]


恵運寺



 
 
 
 
 


紀州藩初代藩主徳川頼宣が紀州に入封した際、家臣で参州室(牟呂)城城主であった山本図書正春も随従しました。
 正春は、顕祖と武功の誉れ高き長昌公のために禅寺一宇を建立し、長昌院と号しました。正春がかねてより帰依していた天厳玄達大和尚も頼宣公の命により入紀し開山者となりました。
 後に天子様の宝祚の長久、頼宣公の広厳無窮と天下泰平長昌を祈念するため寺号を広厳寺とし、長昌院広厳禅寺、さらに寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っています。
  

 
 平成24年には、日本三大忍術伝書の一つ『正忍記(しょうにんき)』を記した紀州藩の軍学者・名取三十郎正澄(なとりさんじゅうろうまさずみ)(1708没)の墓石が同寺で見つかり、翌年「紀州忍者の墓石発見」と大きな話題になりました。


海外では、伊賀の服部半蔵と並び忍者の代名詞とされる名取三十郎正澄は、甲州武田家に仕えた祖父、名取與市之丞正俊を流祖とする軍学流派「名取流」中興の祖。藩主徳川頼宣公の軍学指南役として仕えました。
  
 『正忍記』は『萬川集海』『忍秘伝』に並ぶ三大忍術伝書として名高く、日本でも多くの研究書が出されている他、英語やドイツ語、フランス語などに翻訳され、世界中で愛読されているようです。今回の墓石発見も、『正忍記』の英語版翻訳者の指摘で同寺が調べ判明したそうです。
■住所:和歌山市吹上3丁目1番66号
■お問い合わせ: 073-424-7633
■公式HP:
http://eiunji.com/


 

 
 
  

 


 
 

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