「ピンクリボン(Pink Ribbon)」とは、乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進すること、などを目的としてに行われる世界規模の啓発キャンペーン、もしくはそのシンボル。
日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は約20人に1人と言われており、また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱とされ、そのキャンペーンは年を増すごとに拡大しています。
いまから206年前、全世界で初めて全身麻酔による「乳がん手術」を成功させた世界的に医聖と称される医師が地元にいた。
奇しくもきょうが世界で初めて「通仙散」の全身麻酔でみごと乳がんの手術に成功した記念すべき日、その10日後が彼の生誕250年に当たる。有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」でその名を全国に知られた華岡青洲その人である。
彼の生誕の地である地元紀の川市を中心に記念行事が展開されている。
今回は「華岡青洲の生涯とその偉業」と「生誕250年記念」して少数発売された記念切手フレームを紹介しよう。
華岡 青洲(はなおか せいしゅう)宝暦10年(1760)~天保6年(1835)ー世界で初めて全身麻酔手術に成功した医聖ー
華岡青洲は、宝暦10年に紀ノ川中流域の紀の川市那賀町に生まれる。代々医者の家系であったため、父のもとで医学を学んだ。
天明2年(1782)から3年間京都に遊学し、寝食を忘れて古医方、オランダ医学系統の外科学や儒学を学ぶ。この遊学時代に麻酔剤「麻沸散」を使って開腹手術をした古代中国、三国時代の医師、華佗の存在を知り、青洲は日本の華佗になることを決意する。
当時切除により初期乳癌が治癒するという考え方は専門家の間にあったが、患部の切除手術には患者を無意識、無痛の状態にする必要があった。京都から帰郷した青洲は診療のかたわら麻酔剤の研究に努める。
長年にわたる研究過程で、この当時としては新しい「実験」という手法を繰り返し、動物実験の成功後、自らの大切な妻と母を被験者として実験をおこない、曼陀羅華(まんだらげ・通称チョウセンアサガオ)を主成分とする麻酔薬「通仙散」を完成させる。
※「通仙散」の成分配合
・蔓陀羅華(マンダラゲ・別称チョウセンアサガオ) 八分/・烏頭(トリカブト) 二分/・ビャクシ 二分/・当帰 二分 /・センキュウ 二分/南星炒 一分
(左・トリカブト 右・マンダラゲ)
なお、このエピソードについては、有吉佐和子により『華岡青洲の妻』として小説化、劇化され、よく知られているところである。
青洲は帰郷19年後の文化元年(1804)10月13日に、老婦人の全身麻酔による乳癌手術に成功する。アメリカ人医師モートンによるエーテル麻酔の成功に先立つこと40年余の快挙であった。このニュースは華岡流医学として全国に伝わり、1800人を超える医師達が青洲の門を叩いたといわれる。
文化10年(1813年)には紀州藩の「小普請医師格」に任用される。ただし青洲の願いによって、そのまま自宅で治療を続けてよいという「勝手勤」を許された。文政2年(1819年)、「小普請御医師」に昇進し、天保4年(1833年)には「奥医師格」となった。
現在、米シカゴ市にある国際外科学会の栄誉会館の日本室には青洲が、そして中国室には華佗が顕彰されている。また地元では青洲の生家であり、病院・医塾であった「春林軒」が移築・復元されるとともに、「青洲の里」として整備され、数多くの遺品を展示し、彼の業績を紹介している。
下は青洲の医療に対する考え方を示した言葉です
” 内外合一(ないがいごういつ)
活物窮理(かつぶつきゅうり)”
内外合一とは、「外科を行うには、内科、すなわち患者さんの全身状態を詳しく診察して、十分に把握した上で治療すべきである」という意味です。活物窮理とは、「治療の対象は生きた人間であり、それぞれが異なる特質を持っている。そのため、人を治療するのであれば、人体についての基本理論を熟知した上で、深く観察して患者自身やその病の特質を究めなければならない」という教えです。内外合一、活物窮理はわずか八文字の言葉であるが青洲の医療理念であり、人生哲学でもありました。
(左・「春林軒」主家 右・「春林軒」全景)
「青洲の里」アドレス・ http://seishu.sakura.ne.jp/
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華岡青洲生誕250年の記念切手販売 地元紀の川・岩出市で! 10月8日
「華岡青洲生誕250年」を記念する切手
今月23日は、世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した紀の川市出身の医師、華岡青洲の生誕250年の記念日。これにちなんで、青洲を題材にしたオリジナルフレーム切手が、紀の川市と隣の岩出市の郵便局で販売されている。
紀の川市と郵便局株式会社が制作。図柄は青洲の住居兼病院、医学校「春林軒」や青洲の肖像画、青洲が考案した手術器具「コロンメス・バヨネット型剪刀」「曼陀羅華」など10枚で、価格は1200円(税込み)。1200部が作成された。同市西野山の「青洲の里」でも販売されている。中村慎司市長は「切手発売をきっかけに多くの人に青洲の偉業を知ってもらいたい」と話している。
この他生誕250年記念行事として2日~31日まで「青洲の里」で特別展、23日の誕生日には記念シンポジューム、24日には「青洲まつり」が予定されている。
しげやん^^おはようございます^^
返信削除今やピンクリボン運動は盛んです!40代は乳がん年齢と言われるほど多いです!昔は全摘した乳房も温存が出来リンパも残せるようになってきました又手術で切開するのではなく腫瘍の大きさによってはラジオ波で照射出来る様にもなってきましたね
その時に必要なのが麻酔です。この花岡青洲は母と妻のお陰で麻酔を完成する事ができました
しかしそこには嫁姑の確執もあり母は子供の為に妻は夫の為にと・・・・・確か青洲の妹も乳がんで亡くなったかな?
でも最近でも麻酔による死者もあって以前UPした人も麻酔により目が覚めなくて天国に行ってしまいましたーー
この花岡青洲のお陰で手術も楽に出来るようになってどれだけ助かっている事か!
atitiさん
返信削除有吉佐和子の「華岡青洲とその妻」の小説とドラマしか知ら
ずに史実かどうか知りませんが、小説によると青洲の京都
遊学のお金を支援するためのちに妻になる加恵、青洲の妹
2人が機織りに励みお金を稼いだと云われています。妻の
加恵は青洲が京都遊学中に華岡家に嫁ぎ、青洲の帰郷を
待って祝言するのですが、妹2人は未婚のままで上の方の
妹於勝は乳がんに、下の妹小陸は血液のガンに冒され死亡
します。青洲が麻酔薬「通仙散」前のことです。
これらを助けられなかったことが麻酔薬発明により心血を
注ぐことに拍車をかけたのでしょう。
今だったらノーベル医学賞ものです。
しかし通仙散の実験で母親の於継には緩やかな効き目の薬、
嫁の加恵には普通の効き目の試薬を投じ、その結果加恵は
失明、母親はしばらくして眠りから醒める、有吉佐和子の
「華岡青洲の妻」は嫁姑の確執以上に青洲の妹たちまで
巻き込んだ当時の女性観が覗われ、女性の執念の凄みを
感じます。この機会にもう一度文庫本を読み返してみます。