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2010年9月25日土曜日

25日・高校野球球史に残る名勝負「星稜(石川):「箕島」(和歌山)OBによる再試合!

きょうは「紀州と坂本龍馬」の話を横に置いて、「温故」のモデルとして31年前に阪神甲子園球場でくり広げられた高校野球の「球史に残る名勝負」星稜(石川):箕島(和歌山)のOBによる再試合をトピックスとしてお伝えします。

熱心な高校野球ファンならこの18回に及ぶ両校の死闘を鮮明に覚えておられる方が多いのでは・・・結果は箕島高が神がかり的な2本のホームランで勝利し、その年県立高校でははじめて春夏の連続優勝を遂げたことでも知られています。記事は箕島側(和歌山)の立場で描かれています。

さて、きのうは野球の世界では大リーグ「マリナーズ」イチロー選手が10年連続200本安打達成、大相撲は横綱「白鵬」が60連勝と歴代2位の偉業を更新中、一方高校野球の世界では23日、31年前「球史に残る名勝負」として今に語り継がれる星稜ー箕島高のOB戦が31年前と同じ甲子園球場で行われた。

 当時の両校選手は4時間弱にも及ぶ死闘をお互いにたたえ合い、以来両校の選手は友好のかたい絆で結ばれて現在に至っているが、今回憧れの甲子園球場で再試合が実現したもの。
 スポーツの世界の固く結ばれた友情は何にもまして美しいものだと、わたしも熱い想いがした。

 高校野球・星稜高(石川)―箕島高(和歌山)再戦「尾藤スマイル」31年後も変わらず・9月24日

 第61回全国高校野球選手権大会(1979年)3回戦で延長18回の熱戦を繰り広げ、「球史に残る名勝負」と語り継がれる星稜(石川)ー箕島(和歌山)戦。阪神甲子園球場を舞台に23日、31年ぶりに再び星稜と対戦した箕島OBたちは、13―17と敗れはしたが、笑顔とはつらつプレーで野球を楽しんだ。
 がんで闘病生活を送る当時監督の尾藤公(ただし)さん(67)も久しぶりのユニホーム姿でベンチに入り、おなじみの「尾藤スマイル」で選手たちを見守った。

 試合前のセレモニーでは、両チームの選手たちが、当時プラカードを持った市立西宮高校OG2人に続いて入場行進。両校の校歌を歌った。

 試合は、箕島は石井毅(本名・木村竹志)投手(49)、星稜は堅田外司昭(としあき)投手(48)の当時の両エースが先発。石井投手は1回、星稜打線を0点に抑えた。その裏の攻撃、箕島は打者一巡の攻撃で一気に9点先取。しかし、2回に3点、3回に1点を奪われるなど徐々に追い上げられ、4回には9点をとられて逆転された。箕島は最終回の7回裏に2点を返す粘りを見せたが、13―17で敗戦。31年ぶりの甲子園での再戦は星稜が雪辱を果たした。

 試合には、当時ベンチ入りできなかった選手も含め両チーム計約65人がプレー。7回にはマウンドに尾藤さんの長男強さんが立ち、当時星稜監督だった山下智茂さんの長男智将さんとの「2世対決」もあった。

 当時延長18回を1人で投げた石井さんは「ストライクが入るか不安だったが、先頭打者をうちとって楽しくなった。当時のことを思い出しながら投げた」と感慨深げ。あの試合で延長16回2死から同点となる本塁打を放った森川康弘さん(48)は「ここでまた試合ができるなんて。今日は最終回にヒットを打ててよかった」。主将だった上野山善久さん(49)は「当時の場面が思い出された。全員がグラウンドでプレーできてよかった」と話した。

 尾藤さんは、教え子からプレゼントされた、現役時代より小さめのユニホームを着て、車いすで球場に入った。ベンチからグラウンドに出ると、スタンドから大きな拍手が響いた。ユニホーム姿で試合で甲子園の土を踏むのは91年の第63回選抜大会以来といい、「来た。甲子園に来た」と感極まって涙を流した。

 試合が始まると、おなじみの「尾藤スマイル」で選手たちのプレーを見守った。体調を考慮して、1回終了後には球場をあとにした。「あいつら(選手たち)年をとっているのに一生懸命になるんですね。必死でボールを追い、走った」と笑顔で話した。

 延長18回を戦った箕島と星稜のOBによる試合が、31年ぶりにおこなわれた =23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
    試合後、記念写真におさまる両校のOBたち
    選手のプレーを見守る尾藤公さん
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試合実況再現(1979年8月16日:阪神甲子園球場)
先攻星稜、後攻箕島で試合開始。

イニング 両軍得点 内容
1回表 箕 0-0 星 先頭の加藤が安打で出て送るが後続が凡退で無得点。
1回裏 箕 0-0 星 二死から上野山の二塁打が出るが無得点。
2回表 箕 0-0 星 三者凡退。
2回裏 箕 0-0 星 三者凡退。
3回表 箕 0-0 星 三者凡退。
3回裏 箕 0-0 星 二死から嶋田が安打で出て盗塁で二塁まで進むが無得点。
4回表 箕 0-1 星 一死後、北安博が安打で出て、続く川井のヒットエンドランで一塁走者・北が三塁へ。川井も盗塁で二塁へ。堅田の適時打で星稜が1点を先制。後続は凡退。
4回裏 箕 1-1 星 先頭の上野山が安打で出塁。北野の送りバントが失敗するが、上野敬三のヒットエンドランで一塁走者・北野が三塁へ。森川の適時打で箕島が1-1の同点に追いつく。さらに遊撃ゴロの間に上野、森川が進塁し、四球で満塁とするが逆転はならず。
5回表 箕 1-1 星 三者凡退。
5回裏 箕 1-1 星 一死後、四球で出塁するも無得点。
6回表 箕 1-1 星 三者凡退。
6回裏 箕 1-1 星 先頭から連続四死球で走者を貯めるが、送りバント失敗、その後中堅手への飛球の間に二塁走者・森川がタッチアップで三塁へ、一塁走者・久保も盗塁で二塁に進むが無得点。
7回表 箕 1-1 星 一死後、音、山下の連打でつなぐが、二塁走者・音が牽制で刺され、一塁走者・山下は盗塁で二塁に進むが三塁への盗塁失敗で結局三人で攻撃を終える。
7回裏 箕 1-1 星 一番からの好打順も三者凡退。
8回表 箕 1-1 星 三者凡退。
8回裏 箕 1-1 星 三者凡退。
9回表 箕 1-1 星 二死から川井が安打で出塁するが盗塁失敗。
9回裏 箕 1-1 星 先頭が遊撃手の失策で出塁するが盗塁失敗。続く浦野が安打で出て投手ゴロの間に二塁に進むが無得点。
10回表 箕 1-1 星 二死から山下が安打で出塁するも無得点。
10回裏 箕 1-1 星 先頭の宮本が安打で出塁するも連続フライで二死、宮本の盗塁失敗で三者凡退。
11回表 箕 1-1 星 一死後加藤の安打、一死後北の安打も無得点。
11回裏 箕 1-1 星 三者凡退。
12回表 箕 1-2 星 一死後、音の安打と四球で走者を貯めると、続く石黒の二塁ゴロを二塁手・上野山がトンネル、その間に走者が還り星稜が勝ち越し。尚も一死一・三塁でスクイズを仕掛けるが失敗し三塁走者・山下がタッチアウト、打者・若狭徹も三振でチェンジ。
12回裏 箕 2-2 星 簡単に二死。続く嶋田は打席に入る前、尾藤公監督に「ホームランを打っていいですか」と言い、カウント1‐0から左翼ラッキーゾーンへの同点本塁打。箕島が土壇場で同点に追いつく。

13回表 箕 2-2 星 二死から北、川井の連打でつなぐが、続く堅田の打球を二塁手・上野山の好送球で無得点。
13回裏 箕 2-2 星 三者凡退。
14回表 箕 2-2 星 三者凡退。
14回裏 箕 2-2 星 先頭の森川が安打で出て送り、森川がディレイドスチールで三塁へ。絶好のサヨナラのチャンスとなったが、三塁手・若狭の隠し球で刺され無得点。
15回表 箕 2-2 星 先頭の若狭が安打で出塁するが、送りバント失敗と遊撃ゴロ併殺打で無得点。
15回裏 箕 2-2 星 先頭の石井が安打で出塁し、一死後犠打で二塁に進めるが無得点。
16回表 箕 2-3 星 一死後、死球と堅田の安打で走者を貯め、その後投手ゴロで一塁走者・堅田がアウトとなるが、山下の適時打で星稜が勝ち越し。
16回裏 箕 3-3 星 簡単に二死。続く森川が一塁手へのファウルフライを打ち上げ誰もが試合終了と思った瞬間、一塁手・加藤がファウルグラウンドにこの年から設置された人工芝につまずき転倒。命拾いした森川はカウント2‐1から左中間スタンドへ起死回生の
同点本塁打。

実況を担当していた朝日放送の植草貞夫アナウンサーはこの時、「甲子園球場に奇跡は生きています!」という名言を残した。
17回表 箕 3-3 星 三者凡退。
17回裏 箕 3-3 星 三者凡退。
18回表 箕 3-3 星 一死後川井、堅田の連打でつなぎ、その後も山下の安打で満塁とするが無得点。この時点で星稜の勝ちはなくなり、負けるか引き分けるかのどちらかになった。(ちなみに引き分け再試合は3試合日だった翌日の第1試合に組み込まれる予定だった。)
18回裏 箕 4x-3 星 先頭の辻内が四球で出塁し、一死後北野も四球で出塁。続く上野の適時打で二塁走者・辻内がヘッドスライディングで生還。箕島がサヨナラ勝ち。試合時間3時間50分、19時56分試合終了。

[審判](球)永野 (塁)小林・木嶋・達摩 (外)片岡・橋本

2 件のコメント:

  1. しげやん^^こんばんは~
    懐かしいですwwwwwatiti見ていました
    箕島と星陵戦スゴカッタですね
    あの時分は箕島強かったよね~

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  2. atitiさん
    わたしもこの試合を鮮明に記憶してます。12回裏の嶋田
    選手、16回裏の森川選手の同点本塁打にまさに「神憑り」
    的なものを感じました。ことに森川選手は一塁ハウルフライ
    を打ち上げ、万事休すと思った瞬間、星稜の一塁手が人工芝に足をとられて転び捕球できなかった直後に奇跡ともいえる
    同点本塁打で追いついたことには野球の世界はゲームセット
    になるまで何が起こるか分からない世界だと想いました。

    この石井ー嶋田のバッテリーは翌年に住金和歌山に入り住金野球団で活躍、2年後の社会人野球で住金が優勝するなど活躍し、その後石井は西武ライオンズ嶋田は阪神タイガースに入団しました。
    この時期わたしはUターンして住金関連会社に勤めていましたので、住金グランドで練習する石井ー嶋田のバッテリーの姿を覚えています。

    その後石井毅は奥さんの家に養子に入り木村竹志と改名して少年野球やご存じの紀州レンジャーズの監督としていまでも野球の打ち込んでいます。野球が本当に好きなんですね!

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