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2012年4月24日火曜日

和歌浦を訪ねて「妹背山」を見て廻る!


和歌浦を訪ねて「妹背山」を見てまわる!
鏡山から臨む「妹背山

妹背山「多宝塔」

歴史的名車・クラシックカーイベントの飛び込みがあったので、途中中断したが、和歌浦の案内を再開し、今回は万葉集にも詠まれ、紀州徳川藩とも所縁が深い「妹背山」「多宝塔」「観海閣」とこの度復元された「経文堂」等を紹介しよう

「妹背山」
玉津島神社のすぐ東隣にある三断橋を渡ると、万葉集に出てくる「妹背山」があります。
この「妹背山」は、和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山のなかで唯一小島として残っている山であり、当時の面影が偲ばれる場所です。
周囲僅かに260m、高さ15mの小山から成る
小島です。この「妹背山」はこれに加えて紀州徳川藩と深い繋がりで結ばれています。



古妹背山図
妹背山中腹に建つ総欅(けやき)造の二重塔は海禅寺多宝塔で、頼宣が母の養珠院をしのんで建てたもの。養珠院は家康の側室で「お万の方」と呼ばれ、頼宣と水戸藩初代藩主・頼房を生んだ。
8代将軍・吉宗の曽祖母にもあたる。
日蓮宗に帰依していた養珠院は家康の三十三回忌供養のために、石に「南無妙法蓮華経」と書いた経石を多宝塔下の石室の納めた。
これに後水尾上皇をはじめ庶民ら多くの人が賛同して15万個もの経石が納められていた(今は20万個ともいう)。

妹背山・三断橋・多宝塔・観海閣案内板

玉津島神社前の道路から妹背山に架かる石橋は三断橋と呼ばれ、県下では最古の石橋で中国の西湖の六橋を模して造られたと云われ、橋の表面に填められた青石は美しい景観を添えている
三断橋表面の石貼り
新たに設置された「妹背山と三断橋」案内板

妹背山多宝塔と観海閣(紀三井寺側から臨む)
観海閣(第二室戸台風で流出し今はコンクリート造り)

多宝塔(経文石を納めている)
経文石



観海閣に対面している紀三井寺や名草山が静かな海面に映る眺めに頼宣も満足したであろう。
また観海閣から和歌浦に沈む夕日、和歌浦の海の上に輝く月の眺めは、和歌浦ならではの風情と言える。
・経王堂(2011.08再建)
妹背山には、「南無妙法蓮華経」の題目を刻んだ題目碑が二つあります。
一つは海禅院多宝塔内、もう一つは三断橋を渡ってすぐ右手にあります。
二つ目の方は梵文題目碑と呼ばれています。「南無妙法蓮華経」の梵字(サンスクリット語)での読みを漢字で表し「嚢謨薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」と刻まれています。
江戸時代、徳川頼宣公により、海禅院多宝塔と同時期に建立されました。双石碑(二つの題目碑)を境内に安置すると、威光が倍に増して国家を安泰にするという教えがあります。

題目碑
題目碑を収めた経文堂


2011.8再興された「経文堂」
建立当時は梵文題目碑もお堂(経王堂)の中にありましたが、明治以降経王堂が失われ、題目碑は風雨にさらされることになりました。下部の風化が進んだので、経王堂の再建に向けて妹背山護持顕彰会が中心になり、市民に働きかけて実現しました。
平成23年(2011年)8月28日に完成、開眼式が行われました。

また、妹背山の海禅院の院主が主催する市民団体「妹背山護持顕彰会」があり、徳川期の旧館復興への篤い思い入れと、今に生きる地元和歌浦の文化発展に積極的な活動を展開しています。
その一つの例が上に揚げた「経王堂」が復興建築があり、眩い輝きを妹背山に灯しています。


遠く万葉の昔から多くの歌に詠まれ、多くの人に愛されてきた和歌の浦。
和歌山に生れ育ち、和歌山に暮らす人なら、誰もが一度は遊んだ思い出の場所、そして、和歌山を訪れる人には必ず感銘を与えずにはおかない場所、それが私たちの和歌の浦−。
妹背山(いもせやま)は、そんな和歌の浦の一角、玉津島神社の前に在る島山の名称です。
この妹背の地、和歌の浦の海には、遠く万葉の昔からの歌人の思い、数十万の石にそれぞれの願いを込めた、人々の思い、時代時代に埋れて逝った名も知れぬ人々の思い、そして、今、この時代を生きる私達の思いまでもが、刻み、刻まれているのです−。
「妹背ふたたび・・・」
    『妹背山護持顕彰会』 は                                                    http://imosefutatabi.net/
この言葉を胸に、
1.和歌浦妹背山の旧観(徳川期伽藍)復興
2.和歌浦妹背山の護持運営
3.和歌浦妹背山を基点とした文化交流、親睦和融
4.地元和歌浦、和歌山の文化発展に、一歩一歩着実に、そして地道に取り組んで参ります。
『妹背山護持顕彰会』 は、妹背山旧観復興・施設充実の為に、関係各所との折衝を続けつつ、和歌山の夏の終わりを告げる 「風物詩」 となりつつある 『精霊流し会』 をはじめ、会独自の 『セミナー』 など、各種文化活動等を通して、現在 (いま) を生きる人の 「いやしの場、なごみの場」 となる妹背山、また次代 (あす) を担う人の 「心の糧、はぐくみの場」 となる妹背山、地元和歌の浦・和歌山のシンボルとなる妹背山を目指し、護持顕彰に努めて参ります。
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「ニュース和歌山」2007.10.27号によれば
「徳川遺産」妹背山に想う
養珠院の願い 未来へ
妹背山・海禅院
                                          初代藩主徳川頼宣公の真心は!
多宝塔
和歌の浦に浮かぶ妹背山の海禅院多宝塔(写真)には紀州徳川初代藩主、頼宣の母の養珠院が庶民とともに人々の平和と幸福を祈った願いがこもる。この妹背山から和歌山の文化を発信しようと「妹背山護持顕彰会」は多宝塔内に埋められていた経石調査をふまえ、徳川期伽藍の復興を計画する。

戦後は和歌山市指定文化財となりながら注目を浴びてこなかった海禅院だが、同会の活動に伴い、文化財とし再評価が始まり、国の指定史跡となる可能性も出てきた。同会の松本惠昌会長は「和歌山を愛する心を育てる場として未来につなげたい」と意気込んでいる。
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海禅院は頼宣の母、養珠院(お万の方)が徳川家康の33回忌に際し法華経の題目「南無妙法蓮華経」を書写した経石を妹背山に納め小堂を建てたのが始まり。養珠院に賛同した後水尾上皇、庶民も経石を寄せて数は20万個に及んだ。
養珠院の没後、頼宣が多宝塔を建立し、拝殿・唐門など境内を整備した。江戸時代は養珠寺の末寺とし禄を得ていたが、幕府が滅び禄が絶え窮地に。明治に徳川侯爵家の意向で、紀州徳川家とゆかりの深い報恩寺(和歌山市吹上)が海禅院を管理下に置いた。
しかし、海禅院に檀家はなく、1967年に市指定文化財となったが、顧みられることが少なくなった。かつて石灯ろうの再建に尽力した画家の中尾安希さんは「妹背山は和歌浦で最も風光明媚な場所。にもかからわず、和歌山市民でも妹背山を知らない人が多いのは残念」と嘆く。
和歌浦の風景を描き続ける中尾安希画伯
2002年、報恩寺執事長・海禅院住職となった松本さんが「妹背山護持顕彰会」を設立、04年に養珠院が埋めた経石調査に乗り出した。旧伽藍復興に向け、海禅院本来の姿を調査で裏付けるの経石調査を担当した前県立博物館長で同会顧問の菅原正明さんは「調査で石箱に刻まれた銘文から、後水尾上皇のかかわりが裏付けられ、徳川家、天皇家、そして庶民がともに身分を超え供養していたことが事実として確認された。封建時代に身分に隔てなく法事を行ったのは日本史上でも希有なこと」。また碑文から家康だけでなく、戦で命を落とした国内のあらゆる人を供養する志があったと判明。

さらに経を石や土器など腐らないものに書いている点から、菅原さんは「思いを永遠に伝えようとした姿勢がある」と指摘するが目的で、ボランティアを募り、約15万個の経石を堀り出した。
「経文石」











 歴史的な再評価に留まらない。三断橋、和歌山城と同じ石積み、手すりなど建築面から価値が高いことも分かってきた。
今年9月には文化庁職員が妹背山を視察。県文化遺産課は妹背山の国指定史跡へのランクアップを視野に入れ、「今は調査を固めている
妹背山・海禅院 妹背山は玉津島神社前の島山で、万葉集にも名前が登場する。中腹には徳川頼宣が1653年に母の養珠院を弔うために建立した多宝塔がある。江戸期には唐門・拝殿、観海閣、三断橋があったが、現在は観海閣、三断橋が残る。多宝塔屋根の軒瓦に葵紋がみられる。
段階。内容が固まったうえで検討してゆきたい」と言う。 
追い風が吹くなか、同会は江戸期伽藍の復興へ向けスケジュールを組む。その一歩が三断橋を渡った所にある法華経を刻んだ碑を守る経王堂の再建だ。また、妹背山は日本で10番目に低い山であることから、登山証を発行し、ユニークな観光地とする構想もある。

夏の精霊流しなど妹背山で試みを行う松本会長は「妹背山の歴史の第1期が万葉期、第2期が徳川期なら、これからが第3期」と言う。「経石があるだけでなく、数百年前の石に経をつづった人の思いを想像できる感受性を育てることが大切。
伽藍復興に留まらず、いつか平成の経石奉納を行い、世界恒久の幸せを祈りたい。そして和歌山の名前のもとになった和歌浦の魅力を発信したい」。徳川期、庶民とともに平和を祈った養珠院心を未来につなぐことを心に誓う。 (以上「ニュース和歌山」2007/10/27号より)                 
妹背山近くの干潟での潮干狩り風景・背景は名草山

妹背山から片男波遠望
                                                (妹背山・おわり)

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