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2011年11月21日月曜日

「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規に遺された秘話

 秋を代表する果物といえば「柿」、「柿」といえば子規の「柿食えば・・・」の句が浮かんでくる。
     ”柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”  正岡子規

 上の句は誰もが知る子規の代表句であるが、2009年12月2日NHK『歴史秘話ヒストリア』第25回『友よ 泣かずに笑へー 正岡子規 闘病を支えた絆ー』で夏目漱石との真の友情、そして『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句が生まれたエピソードについてタイトル通りまことに秘話めいたはなしを聞いた。
 
 12月に入るとNHKでは毎日曜日の夜、司馬遼太郎原作『坂の上の雲』第3部が放映される。いよいよクライマックスで今から期待しているが、このドラマの第1部で正岡子規と夏目漱石の交遊が描かれていたが、子規の影響からか漱石も俳句を詠んだ。相当な数の句を遺している。
 子規の『柿喰えば・・・』の句は、子規と漱石の真の友情を物語るなかの一コマとして生まれたそうである。

 はじめに「歴史秘話ヒストリア」では、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」誕生の舞台裏というエピソードが展開された。
◎ 放送の骨子(抜粋)「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 











 実はこの句には大きな謎が隠されている。
子規は一体、どんな状況下でこの句を生み出したのだろうか。

当時の気象記録や子規の随筆などの資料から、名句誕生の舞台裏を探る。


 そこには、知られざる美少女の面影があった。

法隆寺ではなく東大寺南大門近くの旅館「對山樓角貞」で着想されたのではないか?、ということである。

 松山で共同生活していた夏目金之助(漱石)から旅費の援助も受けて、1895(明治28)年10月下旬、東京へ戻る途中、脊椎カリエスの症状が始まっていながら、子規は念願の奈良を訪れる。旅館では、


「大仏の 足もとに寝る 夜寒かな」
「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」
「長き夜や初夜の鐘つく東大寺」 を詠んでいる。


 奈良の旅館では、ほんに可愛い女中がやって来て、子規の大好きな富有柿を剥(む)いてくれた。
 その時の様子を子規は、随筆の中で回想している。
「下女は直径二尺五寸もありそうな大丼鉢に山の如く柿を盛りて来た。此女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分のない様にできてをる。
 生れは何処かと聞くと、月ヶ瀬の者だといふので余は梅の精霊でもあるまいかと思ふた。やがて柿はむけた。余は其を食ふてゐると彼女は更に他の柿をむいてゐる。柿も旨い、場所もいい。
 余はうっとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音がひとつ聞こえた。

 彼女は初夜が鳴るといふて尚柿をむき続けてゐる。余には此初夜といふのが非常に珍しく面白かったのである。

 あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ。そして女は障子を開けて外を見せた。」・・・
 美味しい美味しい柿。しかも可愛い娘が次々と剥いてくれる。冴え渡った静けき晩秋の夜に、趣深く鐘の音が響いている。子規が東大寺から斑鳩の法隆寺に移動したのは、到着して四日目。時雨(しぐれ)が続いて底冷えがするようで、病身には堪(こた)える。


「いく秋を しぐれかけたり 法隆寺」


 一方、子規から学んだ夏目漱石の俳句に、「鐘撞(つ)けば 銀杏散るなり 建長」があり、この句の方が先に詠まれている。

このことより、番組はざっと次のように推測している。

 旅費を援助してくれて、美味しい柿も沢山食べ、鐘の音の趣にも触れた。念願の奈良の旅を無事に終えた。

世話になった漱石が、良い句を詠むようになったのは喜ばしい。厚い友情に応え、返歌や連句の如くに詠もう。


「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」、記録によればこのとき10月26日天気は小雨。


  東大寺の初夜の鐘の音を、法隆寺の鐘の音に置き換えたのだろう。その方が晴天の秋色濃き法隆寺の方が絵になるからだろうか。
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 序に云えばこの奈良の旅館「對山樓角貞」はなくなり、「天平倶楽部」に姿を替えている。
そこの看板(銅板)に、こんな説明書きがあった。
タイトルは「子規の庭」だ。
子規の庭
 この地は江戸末期から明治、大正にかけ奈良を代表する老舗旅館「對山楼・角定」のあった所で、政府要人や学者、文人など明治の各界を代表する著名人が数多く宿泊しました。中でも俳人正岡子規は、明治28年10月26日から4日間滞在、この近辺を散策し、多くの句を残した。


子規の句碑
 













 というわけで、「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」という子規直筆の句碑(高さ1.8m×幅1.2m)が建てられたのだ。
 なお「對山楼・角定」は「たいざんろう・かどさだ」と読む。もと「角定」という旅館に、山岡鉄舟が「對山楼」と命名したそうだ。伊藤博文、山県有朋、滝廉太郎、岡倉天心、フェノロサなど、多くの名士が泊まった名旅館だ。

 有名な「柿食えば…」の句も、この旅館で食べた柿と、聞こえてきた東大寺の鐘の音がヒントになっているという。

 そして子規が法隆寺の茶店で柿を食いながら詠んだことに置き換わった句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑は法隆寺の池の畔に佇んでいる。そして10月26日は奈良県では「柿の日」となっている。
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 「柿」の話は、このあと地元和歌山は「つるし柿」日本一の郷・かつらぎ町四郷の里へ続きます。        (予告)

かつらぎ町「吊し柿」の里

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