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2010年11月17日水曜日

17日・子規の句「柿食えば・・・」と日本一「吊り柿の里」大忙し!

 秋を代表する果物といえば「柿」、「柿」といえば子規の「柿食えば・・・」の句が浮かんでくる
     ”柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”  正岡子規

 上の句は誰もが知る子規の代表句であるが、昨年12月2日NHK『歴史秘話ヒストリア』第25回『友よ 泣かずに笑へー 正岡子規 闘病を支えた絆ー』で夏目漱石との真の友情、そして『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句が生まれたエピソードについてタイトル通りまことに秘話めいたはなしを聞いた。

 話がながくなるが、まず始めに子規のこの句の誕生のエピソードを紹介し、つづいて本題である晩秋の風物詩とも云える「吊し柿」生産日本一を誇る地元和歌山県かつらぎ町四郷の「吊し柿」風景、万葉の郷として知られる「かつらぎ町」の万葉歌、高野山の地主神という「丹生都姫神社」白洲正子「かくれ里」に出てくる「天野の郷」「西行庵」等地元「かつらぎ町」の名所、旧跡を引き続き訪ねる旅にご案内したいと思う。

 はじめに「歴史秘話ヒストリア」では、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」誕生の舞台裏というエピソードが展開された。

◎ 放送の骨子(抜粋)「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」










 実はこの句には大きな謎が隠されている。子規は一体、どんな状況下でこの句を生み出したのだろうか。
当時の気象記録や子規の随筆などの資料から、名句誕生の舞台裏を探る。



 そこには、知られざる美少女の面影があった。
法隆寺ではなく東大寺南大門近くの旅館「對山樓角貞」で着想されたのではないか?、ということである。

 松山で共同生活していた夏目金之助(漱石)から旅費の援助も受けて、1895(明治28)年10月下旬、東京へ戻る途中、脊椎カリエスの症状が始まっていながら、子規は念願の奈良を訪れる。旅館では、

「大仏の 足もとに寝る 夜寒かな」
「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」
「長き夜や初夜の鐘つく東大寺」を詠んでいる。

 奈良の旅館では、ほんに可愛い女中がやって来て、子規の大好きな富有柿を剥(む)いてくれた。

 その時の様子を子規は、随筆の中で回想している。
「下女は直径二尺五寸もありそうな大丼鉢に山の如く柿を盛りて来た。此女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分のない様にできてをる。
 生れは何処かと聞くと、月ヶ瀬の者だといふので余は梅の精霊でもあるまいかと思ふた。やがて柿はむけた。余は其を食ふてゐると彼女は更に他の柿をむいてゐる。柿も旨い、場所もいい。
 余はうっとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音がひとつ聞こえた。
 彼女は初夜が鳴るといふて尚柿をむき続けてゐる。余には此初夜といふのが非常に珍しく面白かったのである。
 あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ。そして女は障子を開けて外を見せた。」・・・

 美味しい美味しい柿。しかも可愛い娘が次々と剥いてくれる。冴え渡った静けき晩秋の夜に、趣深く鐘の音が響いている。子規が東大寺から斑鳩の法隆寺に移動したのは、到着して四日目。時雨(しぐれ)が続いて底冷えがするようで、病身には堪(こた)える。

「いく秋を しぐれかけたり 法隆寺」

 一方、子規から学んだ夏目漱石の俳句に、「鐘撞(つ)けば 銀杏散るなり 建長寺」があり、この句の方が先に詠まれている。

このことより、番組はざっと次のように推測している。

旅費を援助してくれて、美味しい柿も沢山食べ、鐘の音の趣にも触れた。念願の奈良の旅を無事に終えた。
世話になった漱石が、良い句を詠むようになったのは喜ばしい。厚い友情に応え、返歌や連句の如くに詠もう。

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」、記録によればこのとき10月26日天気は小雨。
東大寺の初夜の鐘の音を、法隆寺の鐘の音に置き換えたのだろう。その方が晴天の秋色濃き法隆寺の方が絵になるからだろうか。
 序に云えばこの奈良の旅館「對山樓角貞」はなくなり、「天平倶楽部」に姿を替えている。
そこの看板(銅板)に、こんな説明書きがあった。
タイトルは「子規の庭」だ。
 この地は江戸末期から明治、大正にかけ奈良を代表する老舗旅館「對山楼・角定」のあった所で、政府要人や学者、文人など明治の各界を代表する著名人が数多く宿泊しました。中でも俳人正岡子規は、明治28年10月26日から4日間滞在、この近辺を散策し、多くの句を残した。
 




 というわけで、「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」という子規直筆の句碑(高さ1.8m×幅1.2m)が建てられたのだ。
 なお「對山楼・角定」は「たいざんろう・かどさだ」と読む。もと「角定」という旅館に、山岡鉄舟が「對山楼」と命名したそうだ。伊藤博文、山県有朋、滝廉太郎、岡倉天心、フェノロサなど、多くの名士が泊まった名旅館だ。

有名な「柿食えば…」の句も、この旅館で食べた柿と、聞こえてきた東大寺の鐘の音がヒントになっているという。

 そして子規が法隆寺の茶店で柿を食いながら詠んだことに置き換わった句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑は法隆寺の池の畔に佇んでいる。そして10月26日は奈良県では「柿の日」となっている。

◎日本一「吊し柿」の郷ー和歌山・かつらぎ町四郷ー(予告)ー 
 串柿の里・かつらぎ町 四郷(広口・滝・東谷・平)地区は、400年前から串柿の特産地として長い歴史と伝統を育んできた。
 串柿は1本の細い竹串に10個の干し柿をさしたもので、三種の神器の一つである剣に見立てている串柿の10個は「夫婦ニコニコ(2個・2個)仲睦(6つ)まじく」を意味し、新春を寿ぐ祈りが込められている。 
 11月初旬、家族総出で皮をむき、柿をすだれ状に組み立てる作業が続く。家々の軒先や長い柿屋(干場)に吊るしている様子は、錦秋の自然景観と調和し、あかね色の串柿は玉のれんのようで、晩秋の風物詩として、訪れる人々を楽しませる。
11月23日には四郷小学校をメイン会場に「吊し柿まつり」が開催される。



   (つづく)

2 件のコメント:

  1. しげやん^^こんばんは~
    ここの吊るし柿は有名ですね^^
    柿も沢山吊るしていると綺麗なものですね!
    お正月の串柿は旨く語呂合わせしていますよね~^^

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  2. atitiさん
    ここの串柿は全国生産の80%を占めるそうで、この周辺
    では四季折々の果物が楽しめる「フルーツ王国」です。
    吊し柿が「玉すだれ」状に沢山並んだ風景はアタリがあかね
    色に染まり壮観です。串柿まつりは23日にあるそうです。
    串柿はお正月の飾り物になくてはならないものですね!

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