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2010年11月24日水曜日

24日・「かくれ里」の名に相応しい「天野の里」ーかつらぎ町ー

[天野の里]
は、和歌山県北東部のかつらぎ町南部にあり、道の駅「紀ノ川・万葉の里」から国道24号線を約800m東進し紀ノ川を渡り南へ車で15分、高野山の西ふもと標高約450mに位置しています。 
 四季折々のどかな田園風景が広がる天野盆地は『にほんの里100選』にも選ばれています。
1998(平成元年)年には、環境庁(現環境省)から『ふるさと生きものの里』に認定され、初夏、今なお清い流れを守る真国川では源氏ボタルの乱舞が見られ、豊かな自然に恵まれた地域です。

「日本の原風景」と謳われる地は多いですが、特に天野は四季折々の変化に富み、ことに春の新緑、秋のまばゆいばかりの稲穂の波は美しく、まさに桃源郷を想わせます。
                (クリックで拡大)


 







 かつて空海を高野山にみちびいたとされる真言密教の守り神「丹生都比売神社」が鎮座する天野の里は、開山後、高野の「かくれ里」と呼ばれてきました。








 高野山が女人禁制であったことから出家していつの日か逢えることを楽しみに、高野の麓、天野に移り住む人も多く、それにまつわる多くの史跡が点在します。 
 また、源平時代の史跡もあり、まさに歴史ロマンの里・信仰の里でもあります。

 白洲正子さんは、その著書『かくれ里』(1971年・新潮社)で、天野の里にある「生都比売神社」を訪ねる一節で、

・・・「雨の後とて、道は悪かった。それは覚悟の前なのだが、赤土なのですべりやすい。
せまい谷川にそって行くと、やがて「丹生都比売神社参道」と書いた道しるべがあり、そこから左に折れて急な坂道を登って行く。道はいよいよせまくなり、山は深くなって心細くなるばかりだが、引き返すことはできない。
 まだかまだかと思ううち、峠を二つばかり越えた所で下り坂となり、いきなり目の前が明るくなった。見渡す限り、まばゆいばかりの稲の波だ。
 こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところを いったのかも知れない。 周囲をあまり高くない美しい姿の山でかこまれ、その懐に抱かれた天野の村は眠っていた。 
「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」(中略)・・・その後に会った村の人々もみな暖かい心の持ち主で、出来ることなら私は、天野に隠居したいと思っているくらいである。やはり丹生都比売は、ご縁が深い神なのか。」と記しました。
 
 彼女がこの地を訪ねたのは40年も前のことだが、いまでも「天野の里」はあまり変わっていない。ただし、彼女が訪ねた道は、この地が世界遺産・『紀伊山地の霊場と参詣道』(高野山ブロック)に登録されるにつれて道がよくなり、訪れる客は増えたのは確かだが、いまも長閑な鄙びた里に替りがない日本の原風景なのである。  
(クリックで拡大)

 それでは、40年以上前,白洲正子氏が「天野の里」を訪ね歩きした「丹生都比売神」を主に、彼女が訪れた旅の再現としてその足跡を訪ね歩きたい。
 白洲正子ファン、「西行」ファンにとってはタマらない魅力的な旅となること請け合いであろう。
 今回は「天野の里」の紹介(総論)にとどめ、次回以降に白洲正子氏が訪ね歩いた史跡を訪ねる旅を画像入りで再現することにしよう。

8 件のコメント:

  1. しげやん^^こんにちは~
    かつらぎはとても田舎です!atitiの昔からの知人は
    かつらぎにお嫁に行ってお祝いに行った事があります
    白洲次郎さんがご主人の方ですね^^
    白洲と聞けばやはり・・・・^^
    今日は天気悪いね~^^

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  2. atitiさん
    そうです。白洲次郎さんの奥さんです。彼女は結婚前は姓を
    樺山といい、祖父は薩摩藩士から海軍大将、海軍大臣を務め伯爵、父は実業家で伯爵、米国に明るい人物で彼女も一時
    米国に留学した経験がありますが、薩摩志士で伯爵樺山家に生まれた自らの性質や、その出自を生涯を通じ強く意識した。ウイキペデアによると、幼少期より梅若流の能の舞台にあがり、能に造詣が深く、青山二郎や小林秀雄の薫陶を受け骨董を愛し、日本の美についての随筆を多く著す。
    梅原龍三郎や、晩年は元首相の細川護熙、河合隼雄や多田富雄などの理系学者との交友もあった。
    また名人といわれた能楽師・友枝喜久夫の仕舞の会を自宅で開き、演芸研究者渡辺保も参加していた。

    1980年代から90年代にかけ、古典美に興味を持つ女性たちを中心に、カリスマ的存在となり文庫再刊も含め多くの著作が刊行され、没後も人気は高く再編集・新版で著作が出され続けている。(1910-1998)

    しげやんも彼女の随筆が好きで著書を10冊ばかり、もって
    いますが、本の装丁にも凝り概して高価です。文庫本もあるので、こちらは安価で手に入ります。

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  3. 丹生都比売神社周辺は水銀がとれるところで、その神様ではないか?という説を読んだことがあります。いまだ生き続けている空海さんといい、高野山は興味深い地ですね~。

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  4. 玲少姐さん
    ご指摘のとおり「丹生」とは「丹」=赤い=水銀、「生」は
    生じる、つまり水銀の鉱脈が採れた土地には「丹生神社」が
    必ず祀られています。紀州と西吉野にかけて多いです。
    つぎに書く「丹生都比売神社」は全国にある「丹生」系神社
    の総本山で、空海が拓いた高野山の産土神であり、玲少姐さんのはきっと興味深い話だと思います。
    次回以降もぜひご覧下さい。お待ちします。

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  5. しげやん^^大変です
    atitiのブログ、トラブル発生!
    管理画面にならない「指定されたページが見つかりません」
    と出てしまいます。しげやんも以前そうでしたね!
    何にもしていないのに困るなぁ~!!

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  6. こんばんは。
    私もこの本昔読みました。
    丹生都比売神社ってどんなところかと思っていました。
    ご紹介いただけるとはうれしいです♪
    今日、カレンダー手に入れましたので、近いうちに送りますね。

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  7. megさん
    この「丹生都比売神社」は「丹生」を象徴する鮮やかな朱色
    で彩られ、鄙びた天野の里に輝きをもたらしています。
    古くから高野山の産土神として大事にされてきたのでしょう
    しかし、明治政府の神仏棄却や神社合祀令は中国における
    「文化大革命」に相当する誤った政治だったと思います。
    これによりわが国の伝統ある文化や建造物が破壊され、地元
    出身の南方熊楠がこれを理由に自然破壊に立ち向かったこと
    は有名です。その意味で環境問題の先駆者です。
    天野の里には平安、中世からの史跡が遺されていてこんな狭い処によくもこれだけの史跡が・・・と驚きます。
    megさんが好みの歌舞伎にも関係する話題も登場します。
    引き続きご覧下さい。興味を惹かれますから!

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  8. atitiさん
    今朝調べた結果スパムメール扱いで排除されていました。
    どうしてそうなったのか、わたしのもよく分かりません。
    PCのトラブルは余程の専門家でないと,いじくり回せば
    いよいよ悪くなってしまいます。しげやんはある程度メカ
    には強いほうなんですが・・・それでも分かりません。
    -------------
    ーatiti さんのコメント...
    しげやん^^大変です
    atitiのブログ、トラブル発生!
    管理画面にならない「指定されたページが見つかりません」
    と出てしまいます。しげやんも以前そうでしたね!
    何にもしていないのに困るなぁ~!!

    2010年11月25日11:22

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