江戸時代から続く紀州東照宮の例祭、和歌祭(※)。

5月14日(日)に開かれる今年、演目の一つ、唐人(とうじん)が約350年ぶりに復活する。外国人をイメージした衣装をまとう行列で、和歌山大学紀州経済史文化史研究所の吉村旭輝特任准教授がよみがえらせた。当日は和大の留学生が着用。吉村さんは「祭本来の姿に一歩近づく。芸能を継承しつつ地域と交流を深め、新たな風を吹き込みたい」と話している。
 
 面被(めんかぶり)、母衣(ほろ)、雑賀踊など約60の芸を披露して和歌浦一帯を練り歩く和歌祭。戦前まで和歌浦で開かれ、戦後は商工祭に組み込まれ和歌山城周辺で開催、2000年に和歌浦へ戻った。会場の移転や芸を継ぐ人の職業の多様化が影響し、廃れた芸もあるが、地元住民や歴史研究家の努力で10年に唐船の御船歌、12年に餅搗踊(もちつきおどり)の囃子が復活した。


屏風絵、文献から装束考証 和大留学生も衣装デザイン

 祭初期にあった唐人は、当時珍しかった外国人を模した仮装行列で、1665年に藩が出した祭の縮小令以降途絶えていた。吉村さんが、面被や舞姫に毎年参加する留学生に「江戸時代の日本人が外国人をどう捉えていたのかを体験してもらおう」と復活を模索した。
 再現の参考になったのは屏風絵。江戸時代初期の和歌浦図屏風(同研究所所蔵)や和歌御祭礼図屏風(和歌山市道場町の海善寺所蔵)に南蛮風の衣装を着た人々が描かれている。「唐人は三重の津と鈴鹿、岡山の牛窓に残っていて、いずれも朝鮮通信使のような服装。鎖国前に始まった和歌祭は西洋風で、他にない特徴です」と吉村さん。
 昨年、留学生向けの授業で唐人を扱い、屏風絵や文献から装束考証を進めてきた。再現した衣装5着のうち、1着は和歌浦図屏風、3着は和歌御祭礼図屏風の絵がモデル。海善寺の田村歓彰住職は「檀家さんに見てもらっていた屏風がまさか復興に役立つとは。不安定な世界情勢の中、少しでも国際理解につながれば」と望む。南蛮風の衣装は鮮やかな朱や緑、青が映える上着に、筒が太く、すそが細いズボン。和柄の生地やはかまなど身近なものを利用した点も踏まえて再現した。
 最後の1着はオーストラリア出身の和大留学生、クリング・ジョナサンさんが独自に考案。縦長の帽子とマントが特徴で、ジョナサンさんは「史料に残る衣装に近づけようと考え、帽子と襟にこだわりました」と語る。4月17日には留学生が衣装を着て大学内で披露。カザフスタンから来たトモさんは「子どものころから好きな日本で祭に参加できてうれしい。地元の人とふれあい、母国と日本の交流につなげたい」と抱負を語った。
 唐人は唐船の前を歩く予定。和歌浦在住で唐舩御船歌連中の山下仁さんは「唐人は絵で見たことはありました。どんなものか分からなかったので復興はありがたい」と喜び、吉村さんは「授業で毎年続けたい」と継承に意欲をみせている。
 祭は午前11時半、東照宮でスタート。衣装は和歌山市栄谷の和大にある同研究所で5月26日(金)まで公開。午前10時半〜午後4時。土日祝休み。同研究所(073・457・7891)。
※和歌祭…徳川家康の霊をまつる紀州東照宮を中心に、初代藩主・徳川頼宣が1622年に始めた祭。神輿おろしなど神事をはじめ、町人らが様々な芸を披露し、かつて日本三大祭の一つに数えられた。
写真上=和歌御祭礼図屏風から再現した衣装(中央3人)、同下=和歌御祭礼図屏風の唐人
(ニュース和歌山より。2017年4月20日更新)