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2014年8月5日火曜日

20年前の夏の想い出 和歌山マリーナシティー「世界リゾート博」開催!


いまから20年前の平成6(1994)年7月、和歌浦湾の南に人工島「和歌山マリーナシティー」が誕生、オープンし、猛暑の中の72日間に観客298万人を集めたあの賑わいが20年を経た今日でも明確に憶えています。
このブログでは2013年7月海南は埋め立ての町として3回シリーズで掲載しましたが、20年前の和歌山マリーナシティーで開催された「世界リゾート博」の光景がニュース和歌山で掲載されましたので、ここに転載させて頂きます。なお、2013.07.24のこのブログの記事ももう一度ご覧下さるようお願いします。

2013年7月24日水曜日


(幕間)海南は埋め立ての町・人工島「和歌山マリーナシティー」造成(その3.)

   和歌浦のホテル・旅館街がが衰退してゆく中で近場でレジャー・リゾートを楽しめる観光場所があればとの要望を叶えるよう誕生したのが、和歌山県と民間の松下興産(株)が事業主体となり、県が認可できる最大の埋め立て面積50ha以下に抑えた人工島「和歌山マリーナシティー」が、海南市の臨海工業地区の西の和歌浦湾の南部に造成されました。  こうして誕生した「和歌山マリーナシティー」は和歌山市と海南市境の延長線から見れば、半分が和歌山市、残り半分が海南市となるように思われましたが、どういう訳か全部が和歌山市のなり、わたしの住所である和歌山市毛見(琴ノ浦)1400番台の地番の延長である1500番台の地番となりました。 わが家から直線距離にして約800mにあるマリーナシティーは打上花火や黒潮温泉・黒潮市場等、結構楽しんでいます!


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 「ニュース和歌山が伝えた半世紀㉘1994年(平成6年) 世界リゾート博開幕
猛暑の72日間 298万人熱く

                        
 

世界リゾート博開幕

 国際海洋リゾート基地・和歌山マリーナシティを会場に、7月16日に開幕する「世界リゾート博」。72日間にわたって繰り広げられる体験型の博覧会は、人と自然がひとつになれる〝リゾート〟ならではの魅力がいっぱい。多彩な個性派パビリオンでユニーク&感動体験、マリンスポーツ体験や世界の味にふれてみたり、国際色豊かなイベント、エンターテイメントも楽しみだ。
 (1994年7月7日号より)

目標の2倍近い約300万人が詰めかけた(和歌山県提供)


メーンテーマは「21世紀のリゾート体験」。人工島まるごとを会場としたビッグイベント「世界リゾート博」は、多彩なパビリオンや充実した夜間イベント、海に囲まれたロケーションなどが受け、県内外からの客でにぎわいを見せた。猛暑と言われた夏、最終的には当初目標の150万人を大きく超える298万人が詰めかけた。

21組がサモア式結婚式
 「世界リゾート博、ごゆっくりお楽しみください。それではレディー・ゴー!」。7月16日、ゲート前を埋め尽くす入場客を前に、海南市の舩橋泉さん(45)は約130人いた協会コンパニオンの中から、初日のMCを任された。「あの時に話した1分間ほどの内容は20年経った今も覚えていますね」。72日間の暑い夏が幕を開けた。
 主催は県や和歌山市、海南市などで構成する世界リゾート博協会。会場には約30のパビリオンが並んだ。3Dはじめ、当時の最新技術を駆使した映像のほか、人工雪で造ったゲレンデ、県内5つの温泉を楽しめる「紀の国温泉館」と多種多様な内容で出迎えた。

世界リゾート博協会発行『世界リゾート博公式記録』より
21組がサモア式結婚式

異色だったのは「南太平洋ビレッジ(西サモア)」。ラグーン(砂洲などで外海と遮断されてできた湖沼)の周りに伝統的な円形の家屋が並び、現地から招いた40人が生活する様子をそのまま披露した。「牧師や警官も現地の方で、砂浜の砂や建物の材料を現地から取り寄せるなど、本物にこだわりました」と担当だった鈴木利典さん(53)。火起こしやカヌー体験で来場者とふれあったほか、会期中に21組が現地式の結婚式を挙げた。夕暮れ以降に行うファイヤーダンス(写真右)も好評で、鈴木さんは「ショーの前に場所取りする人が日に日に増えたのを覚えています」。

夜間イベントで夕涼み
 来場者は順調に伸び、目標としていた150万人は8月30日に達成。9月に入っても勢いは止まらなかった。リ博協会事務所の壁には毎日の来場者数をグラフにして貼っていたが、協会事務局長だった若林弘澄さん(81)は「壁では間に合わず、天井まで紙を伸ばした日も何日かありました」。9月10日には期間中最多となる9万6666人が押し寄せた。
 来場者の24%は午後4時以降の入場者だった。夜に実施した花火や海上エレクトリカルパレードなどが人気を呼んだ。若林さんは「あの夏は暑さが厳しかったが、夕涼みにちょうど良かった。台風に見舞われることなく、強い雨も記憶している限り1回で天候に恵まれました」。
 途中、会期延長論も聞かれるほど惜しまれる中、最終9月25日、閉会式を迎えた。ペンライトを振るコンパニオンたちの目には涙があふれていた。
 最後となる298万1199人目の客を見送った後、若林さんは会場内のベンチにおもむろに横になった。夜空を眺めていると涙が流れた。「大きな事故なく終えられた。それが現場責任者として何よりでした」。あの大イベントから20年。「和歌山をPRできたし、もてなしの心で果たせた。リゾート博が99年の南紀熊野体験博、あるいは世界に向けて発信するという意味で、熊野古道の世界遺産登録にもつながっていったのではないでしょうか」。熱い夏の記憶は今も鮮明だ。
◇   ◇ 
「ニュース和歌山が伝えた半世紀」は毎週土曜号掲載です。
ニュース和歌山2014年8月2日号掲載

2 件のコメント:

  1. 残暑お見舞い申し上げます。ご無沙汰ばかりで、すみません。
    このたびの台風はいかがでしたか?被害がないとよいと思っております。
    先日、マレーシアにロングステイしていた友人がこちらに一時帰国して、大津に仮住まいしていますため、会いに言ってきました。5年ぶりくらいの関西で、様変わりしているところが多く、驚いています。
    ご報告はいずれ、拙ブログにていたしますね。
    暑さの折、御身ご大切にお過ごしくださいませ。

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    1. EYASUKOさま
      8.10の台風以降バテてしまいました。
      台風の被害こそなかったのですが、わが家は海辺にあり、
      台風の進路・規模・満潮時刻・豪雨の程度等多くのことが
      組み合わされます。進行速度が遅く一年でも最も潮が高い
      大潮の時期に当たっていましたので、真夜中にTVと自宅の
      周りの浸水状況等頻繁に見回りました。
      満潮の時刻に台風の豪雨が予想ほど豪雨でなかったので
      床下浸水を免れました。紙一重といった救われ方でした。
      当日10日にはお盆関係の準備を前倒しで行うよう予定して
      いましたが、段取りが狂ってしまい、置き土産が夏ばてです。
      広島の被災からみればありがたいことですが、漱石風にいえば
      住みよい処があれば引っ越したくなる心境です。
      そうですか?久方ぶりに関西に来られたとは、体調のほうも
      軽快されたのですね!ブログはぜひ読ませて頂きます。
      お互い、御身大切に・・・!大変遅くなりお許し下さい

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