都合3回にわたって、全国的な人気ネコ、いや世界にその名を知られる「たま駅長」の新しい棲み家「たまステーション」建設の話題を提供しましたが、同じ和歌山出身で同じく世界的に名が知られる博物学者・南方熊楠が大の猫好きだったとは知らなんだ。
そこで、地元和歌山版(朝日新聞)で連載中の【南方熊楠の素顔】から「猫」と熊楠のエピソードを紹介することとしよう。
【魅力変幻◇南方熊楠の素顔】【1】猫(5月01日掲載)
南方熊楠の描いた猫のスケッチ=南方熊楠顕彰館提供
たま駅長(和歌山電鐵・貴志駅長)
◎行水させて「福」を呼ぶ
今、日本一有名な猫といえば、和歌山電鉄貴志駅の「たま駅長」だろう。
2007年1月の就任以来、りりしい制帽姿に人気沸騰。全国から訪れる観光客に囲まれて記念写真に納まり、海外メディアの取材を受けるまでに。みんなに福を招き続けている。
南方熊楠も、筋金入りの猫好きだった。
海外留学中は、米国・フロリダで雪の中で見つけた子猫を助けようとし、英国・ロンドンでは貧しさから布団を売り払い、代わりに猫を抱いて寝たという。
帰国して1904(明治37)年に移り住んだ田辺市でも、牛肉やマタタビを与えて優遇する一方、粘菌をナメクジから守る研究パートナーとしていたらしい。
1906年、40歳の熊楠は闘鶏神社宮司の四女、田村松枝と結婚するが、婚約後に丸々と太った灰猫を抱えて田村家を訪れる。目的は「猫に行水させて欲しい」という驚きの依頼だった。松枝たち姉妹が大騒ぎで猫を洗うと、灰猫は白黒はっきりしたぶち猫に変身。大喜びの熊楠は、その後も虎猫や三毛猫を連れてきては行水を頼んだという逸話が残る。
粘菌やキノコの美しい彩色図を描いた熊楠は、かわいらしい猫のスケッチも残している。
南方植物研究所を自宅に設立するために広く寄付を募った際、猫を描いて贈ったら多額の寄付がもらえたため、白黒のぶち猫は特に「福猫」として可愛がった。
1925年1月23日付の手紙には、囲炉裏端で布団をかぶり、丸くなっているぶち猫が描かれている。
添え書きには「寒のいり/猫もマントを/ほしげなり」。熊楠も一緒に丸くなっていたのだろうか。
熊楠が現代の福猫・たま駅長を見たら、何と言っただろうか。
南方熊楠顕彰館の中瀬喜陽(ひさはる)館長(77)は「人を食ったような存在感に、興味をそそられたでしょう。身近で観察したいと思ったんじゃないでしょうか」とほほえんだ。
◇ ◇
「知の巨人」と称される南方熊楠。植物・民俗学者として活躍し、自然保護にも尽力した。
その素顔も、知れば知るほどおもしろい。最近第20回「南方熊楠賞」が宗教学者・山折哲雄氏に贈呈されたばかりである。熊楠のことについては郷土出身の作家神坂次郎『縛られた巨人』に愛情をもって描かれている。関心のある方は是非に・・・
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◎南方熊楠(みなかた・くまぐす)(1867〈慶応3〉~1941〈昭和16〉年) 和歌山市生まれ。県立和歌山中学を卒業後、1884年に東京大学予備門に入学するも中退。20歳で海外留学に出発する。米英計13年余りの多くを独学して過ごし、1900年に帰国。04年から田辺市に居を定めた。在野の立場で粘菌研究や論文投稿を続けるとともに、自然保護や神社合祀(ごう・し)反対を訴える。75歳で死去。田辺市内の高山寺に埋葬される。(年齢は数え年)
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熊楠賞授賞式・山折哲雄さん講演に360人(5月10日)
真砂田辺市長(左)から賞状を受ける山折哲雄さん=田辺市の紀南文化会館
◎「熊楠の世界」、分析し解説
田辺市新屋敷町の紀南文化会館で8日にあった第20回南方熊楠賞(市、南方熊楠顕彰会主催)の授賞式。山折哲雄さん(78)の受賞記念講演には、県内外から約360人が詰めかけた。
山折さんは、日本の民俗学の巨人とされる柳田国男、折口信夫の2人と熊楠を比較した自らの経験について語った。
「柳田は眼前の不可思議な現象を合理的に解釈する『自然還元』の方法、折口は不可思議な現象をもう一つの不可思議の原型へと引き戻す『始原還元』の方法」と2人の方法論を説明。熊楠については「逸脱から逸脱への無限軌道を行く『カオス(混沌(こんとん))還元』にあった」との見方を示した。
熊楠が自らの植物研究所を設立する資金を集めるために1925年にしたためた長大な「履歴書」について触れ「家族、家系から日本の歴史、世界にまで話が及ぶ」などと熊楠が発散するカオスのエネルギーを語った。そして「ゴッホになると言って青森から出て、世界的な版画家になった棟方志功もカオス的芸術家だ。これからは棟方と熊楠を比較する楽しみが出来た」と締めくくった。
山折さんは、浄土真宗を布教するため父が赴任していた米サンフランシスコ生れ。岩手県花巻市などで育ち、東北大大学院を修了。国立歴史民俗博物館教授や国際日本文化研究センター所長などを務めた。
熊楠賞の選考委員会は、山折さんが「欧米の思想を十分にそしゃくし、きわめて広い視野から日本の民族文化について考察」していることが、熊楠の研究と通じると評価した。
2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
しげやん^-^おはようございます
返信削除南方熊楠さん出身の和歌山中学は現桐蔭高校ですね^^
この時代に海外に目を向け凄い人ですね!
熊楠さんネコ好きだったんですね^^
ところで水木しげるさんは寒さをしのぐ為に野良猫を抱いてしのいでいたとか???
今日は朝から天気いいですよ^^少し寒いですが・・・・・
RE: atitiさん
返信削除そうです、旧制和中と和高女が合体して新制になって桐蔭高
になりました。和中は明治12(1879)年創立といいますから、県下ではずば抜けて古い学校になります。
熊楠は一期生に当たります。熊楠は幼少の頃から記憶力抜群
で当時の百科事典のような本を暗記してそれを書き写すよう
なことをやるくらい凄い記憶力の持ち主だったようです。
また型にハメられた勉強は嫌いで、自分で図書館、博物館に
通いつめて勉強したといわれますから、生涯型にハメられる
ことは苦手だったと思われます。
しげやん、かつて神坂次郎「縛られた巨人ー南方熊楠ー」を
読みましたが、猫好きとは知りませんでした。
そこで熊楠と猫を調べたら、水木しげる「猫楠ー南方熊楠の
生涯ー」に行き当たりました。
水木しげるは妖怪マンガで知っていますが、水木しげると猫
との関係は知りませんでしたが、猫は化ける、化け猫がある
から猫も妖怪の一つでしょう。それに生まれ故郷の境港のは
妖怪シリーズのモデルが街のアチラコチラに飾られているそ
うですが、そのなかに猫娘もあるそうですね!
ところで、atitiさんも化けますか?油揚げ好きですか?
一度化けたところを見てみたい!
こんにちは♪
返信削除田植えの手伝いで筋肉痛のEYASUKOです。
「たま駅長」3連発をありがとうございました。
堪能させていただきました。
地域と一体になった町おこしの記念碑としてふさわしいものになりますよう、お祈りしています。
完成の暁には訪れてみたいにゃぁ。
RE: EYASUKOさん
返信削除当地は大方田植えは終わりましたが、4,5月の冷え込みが
災いしてのことでしょうか?自然の力にはとても太刀打ち
できませんが、自然を相手のお仕事も、ある意味興味があり
ます。
たまステーション、現在は棟上まで進行しました。完成まで
あと2.5ヶ月、途中大きなニュースがでれば都度お知らせ
します。アトしばらくお待ちください!