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2010年11月22日月曜日

22日・「いい夫婦の日」に因んで「紀ノ川・万葉の里」から・・・

 きょうは11月22日「いい夫婦の日」、加えて平成22年11月22日とくれば、「夫婦(22)(そろって)いい(11)夫婦(22)」と目出度さも倍増、暦のイタズラか人生で二度とは訪れない最も「佳き日」なのであろう!

             「紀州雛」
 そこで今回は、かつらぎ町の真ん中を東西に流れる「紀の川」の万葉に詠まれた名勝「妹(いも)山」「背(せ)の山」を中心にして、かつらぎ町を詠んだ万葉集歌を紹介しよう。

 妹背とは言うまでもなく「夫婦」のことである。妹山、背山を詠んだ句はきょうの「いい夫婦」に日にはピッタだろうから、またこの辺りには妹背姓を名乗る家が多い。おそらく「妹山」「背山」から採ったのだろう。 

【万葉の道 万葉の里】
 

 紀の川の悠久の流れに沿って、紀伊の国を往来した万葉人が郷愁と憧れを胸に多くの歌を残した南海道の絶景。
万葉集にも多く詠まれた水墨画のように美しい船岡山や妹山・背山は、歌枕の地として変わりない風景をとどめています。
いくとせ花そえる歌碑に、遙かいにしえの人々が旅の道すがら歌を詠んだ情緒が伝わってきます。……

 万葉集には、かつらぎ町の「背の山・妹の山(妹背の山)」が15首も詠まれています。
これは万葉集では茨城県の筑波山の25首に次いで2番目に多い歌数です。

 万葉時代をはじめ古代には、女性からみて愛しい人(夫・恋人)を「背(せ)」、男性からは「妹(いも)」と呼びました。遠くふるさとに愛する人を残し、その人を恋しく思いながらの異国での旅の途中、仲良く並んでいる妹背の山を見て「羨ましいことよ」と歌っています。

 今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められました。
  兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)は二つの峰がなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)といわれています。
 また、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てています。
  いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・「二上山」を思い出させ郷愁に駆られました。
「妹背の山」を詠んだ歌碑

”妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるがともしさ”


【船岡山】
 紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだことでも知られている。
 昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない。
昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられました。
この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな川風と森林浴を楽しめる。船岡山に万葉歌碑が建てられています。
また映画「紀ノ川」のロケ地としても有名です。




 ”背の山に 直に向へる 妹の山 事許せやも 打橋渡す”




【万葉歌碑】(()内は歌意) 

 数多く詠まれた万葉の歌。その中でもここ妹山・背山を歌枕として詠んだ句は15首にものぼります。
寄り添うようにやさしい山姿に、都に残してきた愛しい人への想いがふくらんだのせしょうか。
 ここにご紹介する歌や解釈は和歌山県が発行した「紀伊万葉ガイドブック」監修 村瀬憲夫(近畿大学文芸学部教授)を引用させていただいております。 

1. これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀路にありといふ 名に負ふ背の ( 巻1-35 阿閉皇女)
(紀州路にあるとしてかねて大和で私が心ひかれていた背の山。これこそまさしくその名にそむかぬ背の山よ。)
【句碑は背ノ山にあります。】

2. 真木の葉の しなふ勢能山 しのはずて 我が越え行けば 木の葉知りけむ (巻3-291小田事)
(真木の葉がよく茂りたわむ背の山を、私はゆっくり賛美することもできずに越えてゆくが、木の葉は私のこの気持ちを分かってくれたであろう。)

3. 妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるがともしさ ( 巻7-1208)
(妻への恋心に苦しみつつ山路を越えて行くと、背の山が妹の山と一緒にいて恋い苦しんでいないのが羨ましいことよ。)

【句碑は道の駅「紀ノ川万葉の里」にあります。】

4. たくひれの かけまく欲しき 妹の名を この勢能山に かけばいかにあらむ(巻3-285 丹比真人笠麿)
(口に出して呼びたい「妹」の名を、この背という名の山にかけて口にしてはどうだろう(背の山に代えて妹山といったらどうだろう)

5. 宜しなへ 我が背の君が 負ひ来にし この背の山を 妹とは呼ばじ (巻3-286 春日蔵首老)
(結構なことにもわが背の君同様「背」という名を持つこの山を今さら妹山とは呼びますまい。)

6. 勢能山に 黄葉常敷く 神岡の 山の黄葉は 今日か散るらむ (巻9-1676)
(旅路の背の山に紅葉が絶えず散り続けている。大和の神岡の山の紅葉は今日散っているだろうか。)












7. 紀伊路にこそ 妹山ありといへ 玉くしげ 二上山も 我こそありけれ  (巻7-1098)
(紀の国に妹山があるというが、二上山だって妹山があったことだ。)

8. 妹があたり 今そ我が行く 目のみだに 我に見えこそ 言問はずとも (巻7-1211)
(妹山を通り、妹のあたりを今こそ私は通っているのだ。せめて幻の中にだけでもわが妹(妻)は見えてほしい。ことばはなくとも。)

9. 後れ居て 恋ひつつあらずは 紀伊の国の 妹背の山に あらましものを (巻4-544 笠朝臣金村)
(後に残って恋い苦しんでいないで、あなたの歩いていく紀の国の妹背の山でありたいものを。)

10.背の山に 直に向へる 妹の山 事許せやも 打橋渡す (巻7-1193)
(背の山に真向かいの妹の山は、背の山のいう事をきいたのか、妹の山には打橋を渡していることよ。)

11.麻衣 着ればなつかし 紀伊の国の 妹背の山に 麻蒔く我妹 (巻7-1195 藤原 卿)
(麻の衣を着ると懐かしく思い出される。紀の国の妹背の山に麻をまくいとしい子よ。)

12.人ならば 母が最愛子そ あさもよし 紀の川の辺の 妹と背の山 (巻7-1209)
(もし人間だったら母の最愛の子であろう。紀の川沿いの妹山と背の山よ。)

13.我妹子に 我が恋ひ行けば ともしくも 並び居るかも 妹と背の山 (巻7-1210)
(いとしい妻を恋いつつ旅を行くと、うらやましいことに並んでいるよ。妹の山と背の山は。)

14.大汝 少御神の 作らしし 妹背の山を 見らくしよしも ( 巻7-1247 柿本人麻呂歌集)
(大汝(大国主)と少御神(少彦名)に神々がお作りになった妹背の山は見るとりっぱなことよ。)

15.紀の国の 浜によるといふ・・(長歌・下図参照クリックで拡大)






  いずれもその歌心にふさわしく、妹背山を望みながら遠い万葉のむかしをしのぶことができます。
 悠然と流れる紀の川を眺望できる場所にある「道の駅」が、平成7年、古代の「萩原の駅跡」近くに設けられました。
 施設内の軽食喫茶「まほろば」では、かつらぎ町の景勝地である、船岡山や妹背山を一望しながらしばし憩いのひとときを過ごし、「農産物直売所」で地元産の新鮮な野菜・果物など土産物が楽しめます。
 また、「歴史街道 iセンター」は、来訪される方々のオアシスとして地域の歴史・文化を映像とパネルで紹介し、より楽しい旅の情報を提供しています。













 
 最近、紀の川の河川敷に「紀の川万葉の里公園」が新設され、家族連れや友達グループの利用客が増えています。道の駅「紀の川万葉の里」・紀の川万葉の里公園ともども古代の万葉人を偲んで散策下さい。   
 お土産には、土地の名産「あんぽ柿」と「柿の葉寿司」をお忘れなく・・・ 









つづく)つぎは「かくれ里」かつらぎ町天野の里。 


2010年11月20日土曜日

20日・日本一「串し柿まつり」ーかつらぎ町四郷ー

『四郷串柿まつり』ー和歌山・かつらぎ町ー
 かつらぎ町四郷地区は大阪府と和歌山県を区分する和泉山脈の南斜面の中腹、標高約300メートルの山間地にある「日本一の串柿の里」です。
 有名な「華岡青洲の里」から北東に約5km入った山あいにあります。
 地区住民は昭和46年より国道480号府県間トンネルの早期貫通を切望し、その運動の一環として、何か「村おこし」イベントをしようという話になり、住民一丸となってできることを考えた結果、地区の特産品である串柿をメインとしたまつりを行うことになりました…これが串柿まつりのきっかけです。
いまでは「串し柿」日本一の里として、立派に「町おこし」に役立っています。

 昨年で21回目を迎え近年ではまつりの知名度も上がり、県内外から約5000人の来訪者がある一大イベントとなりましたが、串柿まつりを支えるパワーとなっているのは、地域の住民の方々の協力があったのは言うまでもありません。他地域からまつりに訪れる人々や離れて暮らしている家族や親戚が戻ってきたりと、普段はのんびり静かな山間地域が多くの人で賑わいを見せます。

写真は昨年の串柿まつりです。
「400年の歴史を誇る日本一の串柿の里の村おこし」



















串柿まつりは、四郷小学校がメイン会場となり当日さまざまなイベントプログラムが実施されます。
ふるさと産品の即売会をはじめ、串柿作りの体験・実演、








なかでも約80名で巻く、ジャンボ巻寿司のイベントは、毎回好評を得ています。









開催日 平成22年11月23日(火・祝)
時間 午前9時から午後3時
場所 四郷地区(主会場 四郷小学校)
  <内容 >
四郷小学校を主会場に行われる恒例のまつり。「串柿つくり」の実演、「ふれあい餅つき大会」「ふるさと産品」の販売をはじめ、「四郷千両太鼓」が披露されるほかフォトコンテストも実施される。

 つぎは「かつらぎの万葉の里」から・・・(つづく)

2010年11月19日金曜日

19日・晩秋の風景、日本一「串柿の里」和歌山・かつらぎ町

かつらぎ町のシンボルマーク
「かきおうじ」

 「かつらぎ町」は和歌山県の北東部に位置し、北に和泉山脈、南に紀伊山地を仰ぎ、町の中心部を東西に流れる紀の川の中流域に位置しています。
 古代より飛鳥、平城京より多くの貴人、大宮人が紀の川を往来し、かつらぎ町の西端にある「妹山」「背山」や「船岡山」を詠んだ万葉の歌が数多く遺され、また高野山の地主神といわれる「丹生都姫神社」を始め白洲正子が「かくれ里」で採り上げた「天野の里」や「西行庵」など見所がいっぱいです。
「万葉の里」は別項でお話しすることにして、今回はいまが真っ盛りにある「串し柿」の里、四郷の風景と次回は今回で22回目を迎える「串し柿まつり」(11月23日開催)の昨年度スナップを掲載の予定です。

「吊し柿の里」四郷は、このブログで10月13日紹介した紀の川市名手にある世界的医聖「華岡青洲の里」から北東に約5km入った山間部にあり、いまの時期「串し柿」があたかも「玉すだれ」状に天日干しされている風景は壮観であり、山あいの景色とも相まって晩秋の風情を楽しめる鄙びた里です。

(柿の豆知識)
 柿の年間出荷量は全国で約213,400トン(2008年)。主な産地は和歌山県(23%)や奈良県(13%)、福岡県(9%)などです。上位3県で全体の45%を占めます。
 地元和歌山県の北東に位置する「高野山」をはさんで奈良県西吉野から和歌山県は高野山の西・九度山町・かつらぎ町にかけて柿の生産日本一を誇っています。

 柿の品種数は 大まかには2種類に分けることができます。「甘柿」と「渋柿」です。それらが年々品種改良され今では1000種類を超えるまでになりました。

 今回のテーマである日本一の「串し柿」の里、「かつらぎ町四郷」では12月中旬以降の出荷に向けて「串し柿」の生産が最も繁忙な時期を迎え、家族総動員で柿の皮を剥きまさに「ネコの手を借りたい」状況です。







「串し柿」は天日干し、雨がかからないようにビニール屋根を被せ、日にちの経過とともに吊し柿の色が淡い朱色から濃い赤茶色に変色し、水分が少なくなり甘味が増してゆきます。吊し柿の朱色の濃淡の変化の具合を確かめつつ画像をご覧下さい。





































《秋の風物詩:四郷の里の串柿の珠すだれ》
(見頃は11月始めから11月20日頃)

 かつらぎ町四郷の「串柿」は全国生産の80%を占めると云われ、約125万串作られています。
 12月中旬頃から主に京阪神地区に出荷され、鏡餅(鏡)とみかん(珠)に串柿(剣)を三種の神器に見立て、関西のお正月を飾る縁起物として400年以上前から生産されています。
 10個ずつ串刺しにされた串柿には「いつもにこにこ(2個,2個)仲睦(6つ)まじく共に白髪の生えるまで」との願いが込められており、毎年11月上旬には天日乾燥のため、青空をバックに幾重もの「柿すだれ」が四郷の里一面に広がる風景はまさに壮観、絶景です。
 
 次回は「四郷・串し柿まつり」風景  (つづく)

2010年11月17日水曜日

17日・子規の句「柿食えば・・・」と日本一「吊り柿の里」大忙し!

 秋を代表する果物といえば「柿」、「柿」といえば子規の「柿食えば・・・」の句が浮かんでくる
     ”柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”  正岡子規

 上の句は誰もが知る子規の代表句であるが、昨年12月2日NHK『歴史秘話ヒストリア』第25回『友よ 泣かずに笑へー 正岡子規 闘病を支えた絆ー』で夏目漱石との真の友情、そして『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句が生まれたエピソードについてタイトル通りまことに秘話めいたはなしを聞いた。

 話がながくなるが、まず始めに子規のこの句の誕生のエピソードを紹介し、つづいて本題である晩秋の風物詩とも云える「吊し柿」生産日本一を誇る地元和歌山県かつらぎ町四郷の「吊し柿」風景、万葉の郷として知られる「かつらぎ町」の万葉歌、高野山の地主神という「丹生都姫神社」白洲正子「かくれ里」に出てくる「天野の郷」「西行庵」等地元「かつらぎ町」の名所、旧跡を引き続き訪ねる旅にご案内したいと思う。

 はじめに「歴史秘話ヒストリア」では、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」誕生の舞台裏というエピソードが展開された。

◎ 放送の骨子(抜粋)「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」










 実はこの句には大きな謎が隠されている。子規は一体、どんな状況下でこの句を生み出したのだろうか。
当時の気象記録や子規の随筆などの資料から、名句誕生の舞台裏を探る。



 そこには、知られざる美少女の面影があった。
法隆寺ではなく東大寺南大門近くの旅館「對山樓角貞」で着想されたのではないか?、ということである。

 松山で共同生活していた夏目金之助(漱石)から旅費の援助も受けて、1895(明治28)年10月下旬、東京へ戻る途中、脊椎カリエスの症状が始まっていながら、子規は念願の奈良を訪れる。旅館では、

「大仏の 足もとに寝る 夜寒かな」
「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」
「長き夜や初夜の鐘つく東大寺」を詠んでいる。

 奈良の旅館では、ほんに可愛い女中がやって来て、子規の大好きな富有柿を剥(む)いてくれた。

 その時の様子を子規は、随筆の中で回想している。
「下女は直径二尺五寸もありそうな大丼鉢に山の如く柿を盛りて来た。此女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分のない様にできてをる。
 生れは何処かと聞くと、月ヶ瀬の者だといふので余は梅の精霊でもあるまいかと思ふた。やがて柿はむけた。余は其を食ふてゐると彼女は更に他の柿をむいてゐる。柿も旨い、場所もいい。
 余はうっとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音がひとつ聞こえた。
 彼女は初夜が鳴るといふて尚柿をむき続けてゐる。余には此初夜といふのが非常に珍しく面白かったのである。
 あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ。そして女は障子を開けて外を見せた。」・・・

 美味しい美味しい柿。しかも可愛い娘が次々と剥いてくれる。冴え渡った静けき晩秋の夜に、趣深く鐘の音が響いている。子規が東大寺から斑鳩の法隆寺に移動したのは、到着して四日目。時雨(しぐれ)が続いて底冷えがするようで、病身には堪(こた)える。

「いく秋を しぐれかけたり 法隆寺」

 一方、子規から学んだ夏目漱石の俳句に、「鐘撞(つ)けば 銀杏散るなり 建長寺」があり、この句の方が先に詠まれている。

このことより、番組はざっと次のように推測している。

旅費を援助してくれて、美味しい柿も沢山食べ、鐘の音の趣にも触れた。念願の奈良の旅を無事に終えた。
世話になった漱石が、良い句を詠むようになったのは喜ばしい。厚い友情に応え、返歌や連句の如くに詠もう。

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」、記録によればこのとき10月26日天気は小雨。
東大寺の初夜の鐘の音を、法隆寺の鐘の音に置き換えたのだろう。その方が晴天の秋色濃き法隆寺の方が絵になるからだろうか。
 序に云えばこの奈良の旅館「對山樓角貞」はなくなり、「天平倶楽部」に姿を替えている。
そこの看板(銅板)に、こんな説明書きがあった。
タイトルは「子規の庭」だ。
 この地は江戸末期から明治、大正にかけ奈良を代表する老舗旅館「對山楼・角定」のあった所で、政府要人や学者、文人など明治の各界を代表する著名人が数多く宿泊しました。中でも俳人正岡子規は、明治28年10月26日から4日間滞在、この近辺を散策し、多くの句を残した。
 




 というわけで、「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」という子規直筆の句碑(高さ1.8m×幅1.2m)が建てられたのだ。
 なお「對山楼・角定」は「たいざんろう・かどさだ」と読む。もと「角定」という旅館に、山岡鉄舟が「對山楼」と命名したそうだ。伊藤博文、山県有朋、滝廉太郎、岡倉天心、フェノロサなど、多くの名士が泊まった名旅館だ。

有名な「柿食えば…」の句も、この旅館で食べた柿と、聞こえてきた東大寺の鐘の音がヒントになっているという。

 そして子規が法隆寺の茶店で柿を食いながら詠んだことに置き換わった句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑は法隆寺の池の畔に佇んでいる。そして10月26日は奈良県では「柿の日」となっている。

◎日本一「吊し柿」の郷ー和歌山・かつらぎ町四郷ー(予告)ー 
 串柿の里・かつらぎ町 四郷(広口・滝・東谷・平)地区は、400年前から串柿の特産地として長い歴史と伝統を育んできた。
 串柿は1本の細い竹串に10個の干し柿をさしたもので、三種の神器の一つである剣に見立てている串柿の10個は「夫婦ニコニコ(2個・2個)仲睦(6つ)まじく」を意味し、新春を寿ぐ祈りが込められている。 
 11月初旬、家族総出で皮をむき、柿をすだれ状に組み立てる作業が続く。家々の軒先や長い柿屋(干場)に吊るしている様子は、錦秋の自然景観と調和し、あかね色の串柿は玉のれんのようで、晩秋の風物詩として、訪れる人々を楽しませる。
11月23日には四郷小学校をメイン会場に「吊し柿まつり」が開催される。



   (つづく)