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2010年2月5日金曜日

5日- 落ちた偶像「朝青龍」と相撲協会!その2


























 


ここにきて、「しげやん」から相当厳しい辛口コメントです!「相撲道」が本来の姿に立ち返ってもらえるべく苦言を呈します!


大相撲の横綱「朝菁龍」引退事件に思う―協会・親方も同罪か?―


■相撲協会が今直ぐ執るべき処置は、ただ一つ「朝青龍」の即刻厳重処分でした!
 (1)相撲協会の曖昧な対応 

前回書いてきたように、横綱「朝菁龍」の今までの協会の忠告を無視した傲慢な態度に対して、これに対し日本相撲協会は、なにかと言うと朝青龍に「反省を促す」とか「成長を期待する」程度のコメントを発表しただけで、注意するでも無く全く生ぬるかった。と言うよりも日本の国技たる「相撲」が外国人力士にナメられて居るという状況の本質が見えて無いかったようです。

 はっきり言って従来の相撲協会の朝菁龍の対応はとても理解に苦しみました。 一方、前横綱審議委員会の「厳罰処分も有り得る」の発言ですが、当然然るべきだったと思います。

 ここにきて相撲協会もようやく重い腰を上げ、朝青龍の今回の冬場所中(10年1月場所)の泥酔暴行事件の処分に向かいました。従来から相撲協会の封建的で封鎖的な態度に、日本の国中から批判・非難の声が高まり協会の改革そのものが求められ、対応を迫られるということも背景にあったのでしょう。
 
(2)相撲協会は何故朝青龍を処分出来なかったのか?
 
 相撲協会が何故毅然とした態度が取れないのか?、これはもう明白です。貴乃花引退後、横綱は武蔵丸(=ハワイ出身の外国人力士)1人だったのを、人気回復の為モンゴル出身の朝青龍を横綱に昇格させざるを得なかった、という協会側の”事情”と、その武蔵丸が既に引退したなかで、1人だけの横綱・朝青龍を下ろせない、という場所の”事情”とが重なって居るからでしょう。それを今日まで引きずってきました。


 のちには「白鵬」が横綱に昇進し二人横綱が誕生はしたのですが、長い間朝菁龍を甘えさせてきました。

そんな協会側の弱腰に成らざるを得ない状態を”肌で感じている”からこそ、朝青龍は「協会はオレを下ろせる訳無い」とタカを括り、”怖いもの無し”で増長して仕舞ったのでしょう。しかし、ここで看過すると「悪しき前例」を作る事に成る、ということをもう一度関係者に熟考して貰いたいです。 

 (3) 相撲協会の課題

 協会および部屋の親方衆は事態の本質を把握し、これを今後改善して行かねばなりません、時間が掛かる作業ですが。では本質は何か、それは日本に於ける「相撲」の持つ意味、についての力士への教育が疎かにされて来たことです。マスメディアの大衆迎合路線に合わせ、「相撲」を単なるスポーツに堕落させた -これは日本の祭を単なるイベントに堕落させたのと同期しています。

 ■相撲関係者が今後時間を掛けて取り組むべき課題 

(1)相撲協会と部屋の親方衆に対する課題 - 力士の教育と視聴者啓蒙
 
 野見宿禰(ノミノスクネ)や当麻蹶速(タイマノケハヤ)の故事を持ち出す迄も無く、相撲には「五穀豊穣に感謝し神に武芸を奉納する」という、日本固有の伝統を持つ神聖な儀式・祭(=祭儀性)の側面が有り)、そこに体現されるのはまさに大和魂です。だから数多くの日本の伝統的武芸の中で唯一「国技」と呼ばれるということを、日本人・外国人の区別無く力士を目指す若い人に教育して行く必要が有ります。

 江戸時代迄は大関が最高位で、あの雷電も大関でした。横綱とは地鎮祭で神域に張る注連縄(しめなわ)の意味を有して居ます。皆さんも神社の鳥居や神木や或いは山上の磐座(イワクラ)と呼ばれる大きな岩に注連縄(シメナワ)が張って在るのをご覧になったことがあると思います。注連縄を張った内側は神聖な空間で、注連縄は俗界との結界を示して居るのです。


 そして注連縄の周りに「塩」を撒いて清めるのです。土俵はまさに注連縄であり土俵の内側の神聖性を表して居るのだということ、胴体に注連縄を巻いた「横綱」という存在は単に強いだけの存在では無い、ということがこれでお解りでしょう。
 
 また、力士が土俵に上がって塵手水を切るのは何故か?、いきなり取り組まないで何回も「見合い」をするのは何故か?、「見合い」の度に何故塩を撒くのか?、土俵入りは何の為に行うのか?
 
 相撲には単に勝負に勝つ以外の種々の「型」や「決まり」(=約束事)や「仕来たり」(=慣例)が存在し、それらが総合され一つの様式を成していることがお解り戴けると思います。力士の肥満体もその様式の一つと考えられ、相撲は様式の競技なのです。協会及び部屋の親方衆は日本の「国技」である「日本の相撲の歴史と仕来たり」をもっと大切にし、力士に教育し更にテレビ中継などを通して一般視聴者にも啓蒙して行く必要が有ります。

 (2)日本人力士に対する苦言・注文 

 上で朝青龍が”怖いもの無し”で増長して仕舞ったと述べましたが、増長させたのには日本人力士の不甲斐無さが有ります。私は相撲は日本の国技故に常に日本人が横綱を張るべきなどとはいいません。そこは実力の世界ですが、今回の不祥事のウラには大関という地位で微温湯(ぬるまゆ)に浸かって”チンタラ”“チンタラ”やっている日本人の”万年大関”陣の不甲斐なさの影響があると見ています。

 何故微温湯(ぬるまゆ)かと言うと、大関の地位は2場所連続負け越しせぬ限り安泰だからです。日本人大関陣がしっかりして精神的な部分で示しを着けていたら、こんな不祥事は起こらなかったでしょう。   

 私は日本人の”万年大関”陣に猛省を促し心を入れ替えて精進することを強く望みます、彼等は元々「力」は有るんですから。

 ■相撲は「心技体」 - もう一度「心」を取り戻せ!
 
 相撲は昔から「心技体」と言われ、この三拍子揃った力士を理想とし、中でも取り分け信義とか公正さとか感謝とか、「心」の修練に一番の重点を置いて来ました。だから「心技体」と言う様に「心」が最初に挙げられて居る訳で、「心を以て技と体力を制御する」意の表れです。 

 この「心」の部分を戦後のマスコミが世論を煽り”精神主義”とか”非科学的”と決め付けて削ぎ落としてしまいました。又、親方制度や徒弟制度を”古い”とか”閉鎖的”とか批判し、果ては土俵に女性を上げないのは女性差別だとか?

 その結果、部屋の親方は「技」以外のことについては注意しなく成り、稽古も”科学的”な「技」「体」のみに主眼が置かれ、畢竟それならば体力に勝る”外人助っ人”を力士にした方が手っ取り早い、という事に成ったのがこれ迄の流れではないでしょうか。
 
 私が今回の事件で想い起こすのは、精神性が伴わない、ただ強いだけの”幼稚な”ヤツである朝青龍に対しても私は、国技である「相撲道」たる「道」の教育・指導を受けずに「心」が欠落した横綱になった朝菁龍よりも、そのように育てた親方と見て見ぬ振りをし続けてきた相撲協会の責任が問われてしかるべきだと思います。

 ■結び - 全ては近代以降、特に戦後の教育に起因ー 

 戦後わが国の教育界やマスコミに誘導された世論は、こうした日本固有の伝統を全て”古い”とか”閉鎖的”という単純な発想で有らゆる分野で「自分たちの拠って立つアイデンティティー」を悉く否定して来ました。これは多くの批評家が指摘する様に、日本人が自らの立脚点を失った時、何処へ行ったら良いのでしょうか?、流れに身を任すしか無いのです!
 
 この様に考えを整理して来ると、今回の不祥事もその根っこの部分は単に大相撲界だけの問題では無く、私は日本人の「心の空洞化」という一つの現象のなかで、国技である大相撲界という環境のなかで起こるべくして起こった、ということがお解り戴けるでしょう。それ故に「たかが相撲」だけの問題ではないのです。

 われわれ日本人には、「茶道」「華道」「書道」「柔道」「相撲道」のように、高い精神性が備わった「道」(「技」=技術、「法」=形式・方法といった方法論ではなくて、より崇高な精神性が伴う)という、古くからの崇高な精神性が備わっていました。今や、もう一度この「道」なる精神性・倫理性に立ち返るべきときではないでしょうか?
 
 相撲界も、現在の日本を覆っている「自己喪失の流れ」に呑み込まれ、「心の教育」を怠って来た結果として、相撲の精神は空洞化し、”唯強ければ良い”という単なる格闘技スポーツに堕落した結果が、今回の朝青龍の不祥事なのです。先ず相撲協会がこの点を認識しない限り相撲の復興は有りません。

 横綱は力量だけでなく、品格抜群とされるからこそ横綱とされる建前であり、これは横綱昇進条件ともなっています。

横綱の品格基準は日本相撲協会によると、
• 一、 相撲に精進する気迫
• 二、 地位に対する責任感
• 三、 社会に対する責任感
• 四、 常識ある生活態度
• 五、 その他横綱として求められる事項
である。

 しかし、これらを基準として横綱の品格を判断しても、多数者の見解として「品格抜群」といえるか疑問を持たれる横綱は少なくない。今回の「朝菁龍」もこのうちの一人である。


朝青龍引退は「当然」が約8割…スポーツ報知緊急アンケートの結果は!

 横綱・朝青龍が4日に現役引退を表明したことを受け、スポーツ報知は同日午後4時頃からwebサイトで約3時間、緊急アンケートを行った。泥酔暴行問題から引退に至った朝青龍の判断について、58%が「妥当」、21%が「甘すぎる」と回答。引退を当然と受け止めた人が79%と多数を占めた。

 有効回答数は2302件。甘すぎると答えた50代男性は「相撲の品格を重んじるなら引退ではなく解雇とすべき。一般企業では懲戒解雇が当たり前の事件」と意見。

 一方、厳し過ぎると答えた40代男性は「品格だけで相撲は取れない。平成を代表する力士であっただけに、このような終わり方は残念」と感想を寄せた。

今回はゴルフの石川遼選手のことも、同時に取り上げようと考えていましたが、「相撲道」にもの申すことが、思いの他ながくなりましたので、次回にまわさせていただきます。                 以上
        

5日・競技の世界、落ちた偶像「朝青龍」と「夢」を「目標」にまで高めたゴルフの石川遼選手!










引退を決めた横綱「朝菁龍」関












米国での練習風景・石川遼選手

             




      

                 09年5月、叙々苑カップで歌手の五木ひろし右)にアドバイス                 する石川(中央)。左は芹沢名人


きょは競技者として両極の大相撲横綱「朝菁龍」とゴルフ選手「石川遼」選手について! 

<横綱・朝青龍関>引退…実績抜群だったが、本来の横綱像とかけ離れた存在だった!
 
 相撲で歴代3位の優勝25回を果たしたモンゴル出身の横綱朝青龍(本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ)(29)(高砂部屋)が4日、現役を引退した。
  同日午後、日本相撲協会に引退届を提出し、受理された。1月の初場所中に都内で泥酔した上、男性の顔を殴ってけがをさせた問題を巡り、相撲協会は同日午前から断続的に理事会を開き、処分内容について協議。朝青龍と師匠の高砂親方(元大関朝潮)は理事会で説明した後、世間を騒がせたことなどの責任を取る形で引退を申し出た。
 
 記者会見に臨んだ朝青龍は「けじめをつけるのは僕しかいない。運命じゃないかと思う」などと心境を明かした。
 相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(横審=鶴田卓彦委員長)も同日午後、全会一致で史上初の引退勧告を決議した。横綱の引退は、2003年九州場所の武蔵丸以来。横綱の品格を問われての引退勧告を前に、自ら辞任を申し出た。
 
 相撲(すもう)は日本古来の神事や祭りである。神様に奉納するという一種の神事の意味をもつ。土俵は神聖なものとされ、女性が土俵の上がることさえ今でも禁じられている(穢れの思想)。同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。相撲取りには「心・技・体」が求められ、選ばれた者によって大相撲という興行が行われている。

「朝菁龍」については「技」「体」は申し分なかったが、従来から、とかく「心」については問題視されてきた。このことに就いては、あとに記す。
朝青龍は日本国籍を取得しておらず、相撲協会に残ることはできない。引退後については「何も考えていない。ちょっと休みたい」と語った。
 
 朝青龍は高知・明徳義塾高校への相撲留学後、1999年初場所で初土俵。2003年初場所後に、モンゴル出身で初の横綱に昇進。05年の絶頂期には、年間6場所制覇。大鵬を抜く史上初の7連覇も達成し、今年初場所には北の湖を超える25回目の優勝を果たしたばかりだった。

 相撲では抜群のセンスが光った朝青龍関だったが、品格が問われる本来の横綱像とはかけ離れた存在だった。
 
 2003年初場所後、横綱に昇進したが、横綱審議委員会では「品格に課題があるので、一層の精進を」と注文がついた。先月25日に5期10年の任期を終えた内館牧子さん(脚本家)は、当時から朝青龍関の言動に疑いの目を向けてきた。 しかし、実績は申し分なかった。04年初場所初日から35連勝、05年には7連覇と年間完全制覇の金字塔を打ち立てた。07年、同じモンゴル出身の白鵬関が横綱に昇進するまで4年間、一人横綱を務めた。インタビューではジョークで周囲の笑いを誘う機転のきくところを見せ、寡黙な日本人横綱のイメージを大きく変え、ファンの心をとらえた。

 だが、力量とは対照的に常に品格問題がつきまとった。07年名古屋場所後には地方巡業を休場してモンゴルに無断帰国し、サッカーに興じていたことが発覚して問題となり、相撲協会から2場所の出場停止処分を受けた。

 ◇朝青龍を巡る主なトラブル◇
 
03年5月・夏場所9日目の旭鷲山戦で軍配を不服として土俵を指さしたり、土俵上で肩が触れた旭鷲山をにらみ、さがりを振り回す
  7月・名古屋場所5日目の旭鷲山戦でマゲをつかんで横綱史上初の反則負け。ひじが当たり、旭鷲山の乗用車のドアミラーを壊す
04年3月・春場所後の横綱審議委員会で内館牧子委員(脚本家)から左手での手刀に苦言を呈される
   7月・泥酔して高砂部屋(東京都墨田区)の玄関ドアガラスを破損する
06年5月・夏場所中にモンゴル巡業開催を求める署名活動を行い、北の湖理事長から厳重注意を受ける
07年7月・夏巡業休場中にモンゴルでサッカーをしたことが発覚。翌月に2場所出場停止と減俸30%4カ月の処分を受け、「解離性障害」と診断されてモンゴルへ帰国する。師匠の高砂親方(元大関・朝潮)も減俸30%4カ月。
08年5月・夏場所千秋楽で白鵬との取組後、土俵上でにらみ合い。両横綱が北の湖理事長から厳重注意を受ける
09年1月・初場所の白鵬との優勝決定戦を制して、土俵上でガッツポーズ。高砂親方が武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)に呼び出され、厳重注意を受ける
   5月・夏場所取組編成会議当日に白鵬らモンゴル出身力士たちとゴルフに興じる。両横綱と師匠が武蔵川理事長から厳重注意を受ける
   9月・秋場所の優勝決定戦を制して、再び土俵上でガッツポーズ。場所後の横綱審議委員会で高砂親方が異例の謝罪を行う
10年1月・場所中に泥酔暴行問題が発覚。場所後に師匠とともに武蔵川理事長から厳重注意を受ける。理事会で再調査と報告を求められる

ゴルフ・石川遼選手「夢」を「目標」に!日々精進、確実な成長中! 

  ”遼くん初の冠番組!まずはアノ2人とラウンド&対談”!!

 ゴルフの石川遼選手は1月29日渡米、<ノーザン・トラスト・オープン 日◇リビエラ・カントリークラブ(7,298ヤード・パー71) カリフォルニア州にあるリビエラ・カントリークラブで4日(木)から開催される、米国男子ツアー「ノーザン・トラスト・オープン」。 月曜、火曜の練習に加え、この日のプロアマで18ホールを回った石川は「今年は良い準備が出来ました」と自信に満ちたコメント。「1番ティで頭が真っ白になった」という昨年からの成長を実感している様子だ。セッティングに5番ウッドを入れるか2番アイアンを入れるかは天候、コンディションに応じて決めるとのことだが、これでほぼすべての準備は整った。
 
 しかし、自信を深めても過信はしていない。「実力的にはまだまだ。一番の目標は予選突破をすることです」日本の賞金王も米国では若手プロの一人。最後まで攻めの姿勢を貫いて難コース攻略を目指すのみだ。初日石川はチャーリー・ホフマン(米国)、ボーン・テイラー(米国)と同組で8時29分にスタート10番ホールからスタートする。

 米国の3試合を経て4月開催の「マスターズ・ゴルフ・トーナメント」に自らの力で出場の権利を勝ち取り、昨年予選落ちした試合でまずは予選通過を目指す。小さい頃の「夢」を自らの力で「目標」にした。本人は、いたって真面目で純真、それでいて極めてアグレッシブで目標をもって常にそれに向かって挑戦する姿勢にある種の清らかささえ覚える。砂が水をいくらでも吸い込むように、逞しく確実な成長中である。それに礼儀正しく人柄がいい!朝菁龍とは好対照である。どうか、驕ることなく溺れることなくみんなの期待の星・石川遼君、どうか世界の“石川遼君”に成長してほしいものだ!

 これらを見て、遼君人気にあやかって18歳の彼がTV番組の主役のホスト役に起用された。前代未聞のニュースであるが、ここに紹介しよう!

 男子ゴルフの石川遼(18=パナソニック)がホスト役を務める冠番組が、放映されることになった。4月から毎週日曜日にテレビ東京系で1年間の長期にわたり放送されるもので、制作はスポニチクリエイツ。毎月、各界の著名人をゲストに招いてラウンドとトークを行い、ゴルフの魅力を全国のお茶の間に届けることになる。

 石川が18歳にして早くも自身の番組を持つことが決まった。ゴルファーとしては過去にはジャンボ尾崎や岡本綾子らが十分なキャリアを積んでからレッスン番組のメーンに起用されたことはあったが、10代にしてホスト役を務めるのは異例。ゴルフで規格外の存在と進化を見せる昨季の賞金王が、映像を通じて新たな挑戦をすることになった。

 番組はテレビ東京系で4月から毎週日曜夜11時30分から30分間、1年間の予定で放映される。内容は毎月、各界一流の著名人2人をゲストに招いて、ラウンドと対談を行うもの。また、視聴者向けのワンポイントレッスンなどのコーナーもあるという。4月はタレントのビートたけしと所ジョージをゲストに迎えることが決定。お笑いで頂点を極めただけでなくマルチな才能を見せる2人を、石川がラウンド中にどのようにもてなし、対談ではいかに面白い話題を引き出すのか注目を集めそうだ。また、5月には石川同様、10代から第一線で活躍し続ける中央競馬の武豊騎手をゲストに招くことも決まっている。

 石川にとってはツアーの合間を縫っての番組作りとなるが、今回、発案したという父・勝美氏(53)は「ゴルフは社交の場。さまざまな世界で活躍した方々とラウンドしながら、いろいろなことが吸収できる。人間的にも成長できる機会になる」と石川自身の人生の糧になることを期待。また、「遼を見たいという人だけでなく、各界の方々を見たいと思って番組を見る人もいるはず。ゴルフファンの拡大になればうれしいですね」とゴルファーの底辺拡大につながることも願った。

 番組の企画を聞いた石川も「いいね。ぜひやりたい」と趣旨に賛同したという。プレーでゴルフ界を引っ張ってきた18歳が、今度は自身のキャラクターも前面に出して、ゴルフ界のさらなる発展に一役買う。

石川遼選手、米国第1戦速報!

川遼、3アンダーで好発進…米ツアー初戦・ 02月05日

ノーザントラスト・オープン初日、

 【パシフィックパリセーズ(米カリフォルニア州)=萱津節】米男子ゴルフツアーのノーザントラストオープンは4日、米カリフォルニア州パシフィックパリセーズのリビエラCC(パー71)で第1ラウンドが行われ、今季米ツアー初戦に臨んだ石川遼は5バーディー、2ボギーの68で回り、3アンダーで好発進した。

 日没サスペンデッドで3人が競技を終えられず暫定順位ながら、9位の好位置につけた。7アンダーのダスティン・ジョンソンが暫定首位。

 10番スタートの石川は、12番パー4で初バーディー。後半5番パー4のバーディーで5アンダーまでスコアを伸ばしたが、終盤の6番と8番でボギーをたたいた。

 前週優勝争いを演じた今田竜二は2オーバーの暫定102位。丸山茂樹は3オーバーの暫定115位と出遅れた。

次回も続いて、落ちた偶像「朝菁龍」と「夢」を「目標」にまで高めた「石川遼選手」を書きます。
                                以上

2010年2月3日水曜日

3.4日合併・「節分・立春」にこと寄せて!


         
              ♪春が来た 春が来た どこに来た。
                   山に来た 里に来た、♪
                     野にも来た。






「節分」 ・「立春」にこと寄せて・・・!

 節分とは、季節の移り変わる時を意味します。しかし、今では冬から春への変わり目、立春の前日、その年越しの夜をさす言葉になりました。
節分の翌日は立春なので、どこか明るい気分が漂います。

 歌舞伎の『三人吉三巴白浪』(さんにんきちざともえのしらなみ/作・河竹黙阿弥)の大川端の場のお嬢吉三のセリフ「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よく浮か浮かと、浮れ鳥の只一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から縁起がいいわえ~!」ではありませんが、もうここには冬の気配はなく、春の気分が横溢しています。七五調のこのセリフを口にすると、誰もが気分は春になるから不思議です。

 さて、節分の翌日は立春。
新暦のお正月ではなく、この日に「立春大吉」と書いて年賀状を送る人がいます。『立春大吉』とは、立春の日に、禅家で門口に貼る札の文句です。その年賀状は、どこか春の匂いがしていい感じです。
二十四節季の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされます。

 春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を”Spring”とします。これに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心として、その中間に各季節の区切りとして、四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけました。ここに中国暦法の大きな特徴があるといわれています。

■ 節分の由来って何?

 2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。

■ なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?

 一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?
陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。

「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。わが国で有名な「鬼退治」のお話は桃太郎がよく知られていますが、のちほど述べるとして、まずは、「鬼門」からお話ししましょう。

 では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。

 五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。

■ 節分行事、巻き寿司を食べるのは?

 節分の日、「巻き寿司のまるかぶり」が節分のイベントととして世間に浸透してきたのは、大阪が発祥の地といわれており、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った行事をマスコミが取り上げ、全国の食品メーカーがそれに便乗して全国に広まったそうです。
太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる事により、1年間良い事あるそうです。
巻き寿司を使うのは理由は、「福を巻き込む」からで、また、まるごと食べるのは、「縁を切らないために包丁を入れない」という事です。
また、恵方とは陰陽道で、その年の干支に基づいてめでたいと定められた方角の事を表します。

『鬼の雑学』・・・わが国に広く伝わる「鬼退治」のお話を掲げてみましょう!

○「桃太郎」の鬼退治の「鬼」(岡山・桃太郎は鬼を倒すために、非常に強力な象徴を率いて攻めていきました。まず桃太郎自身が「桃」から生まれていますが、桃は中国古代より悪霊邪気を祓う聖なる植物とされていました。そして、連れているお供が犬・猿・雉ですが、これは十二支でいうと、申・酉・戌と対応しており、これは方位に直すと、ちょうど西の方位をカバーしています。西は五行では金に相当し、金気はいわば剣であり、鬼を倒すのに力強い存在なのです。

○「酒呑童子」(京都・酒呑童子はほかの多くの鬼たちと一緒に大江山に住んでいました。

 都では鬼による被害が大きいため、鬼退治をすることになり、その任務に源頼光が任命されました。頼光は配下の四天王と呼ばれる渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武、および友人の藤原保昌(後世では彼の名前は消えてしまった)、および彼らの家来数名を連れ、大江山に向かいました。(坂田金時は「足柄山の金太郎」として有名。渡辺綱は一条戻橋や羅城門(羅生門)でも鬼に遭遇しています。)

○茨木童子(京都・ある時、渡辺綱が夕暮れ時に一条戻り橋を通りかかりますと、呼び止めるものいました。見ると肌の白い20歳くらいの美女でした。この美女が鬼に化けたのです。

○羅城門(羅生門)の鬼(京都・羅城門とは、京の都の南端(現在の東寺の近く)にあった門ですが、平安時代初期の頃から、いろいろ怪異談があったようで、ここで鬼に遭遇した人も多数あったようです。茨木童子の所でも書いたように、羅城門で渡辺綱が鬼に遭遇した話があります。

○安達ケ原の鬼女(福島・安達ヶ原(あだちがはら)に鬼女の伝説が伝わっています。この鬼女はこの地の一つ家に住んでいて、訪ねてきた旅人を取って食っていました。この物語は「黒塚」の名前でも知られています。能でもこの鬼女が演じられています。

○紅葉狩りの鬼女(長野・「紅葉狩り」能や歌舞伎で知られる「紅葉狩」の主人公・紅葉に関する伝説があります。信州の山奥に強力な盗賊の一味がいるということを聞き都では、平維茂にその討伐が命じられました。維茂は精鋭250騎を連れて戸隠におもむき、紅葉の館を攻めようとしますが、いったんは紅葉の妖術で天変地異が起き、退散します。しかし、維茂が北向観音に17日間参籠して、観音様より降魔の剣を授かると、その剣の法力で紅葉の妖術は破られ、紅葉は維茂に討たれてしまいました。紅葉の命日は10月25日と伝えられます。享年33であったとのことです。

  
「節分」を詠んだ句  
 春や来し 年や行きけん 小晦日     松尾芭蕉
 節分の 何げなき雪 ふりにけり     久保田万太郎
 年のうちの 春やたしかな 水の音    (加賀)千代女
 節分や 肩すぼめ行く 行脚僧       幸田露伴
 節分や、相撲取りも 裃にて       司馬遼太郎

 このうち、幸田露伴が詠んだという句は異質です。節分の鬼を払う修正会(しゅうしょうえ)によって、「鬼は外 福は内」と豆を投げられ、鬼を追い払うところに居合わせた行脚僧の破目を、どこかおかしみを誘いながら詠んでいる句です。永井荷風は、早くから露伴を敬愛していたことで知られています。露伴の葬儀のときに、荷風は門外にたたずんで、静かに弔意を表したエピソードは有名です。
露伴の娘の幸田文は、随筆家、後に小説も書きました。その子である玉も随筆家で、またその子である奈緒はエッセイストとして知られます。私は,露伴はあまり読んだことがありませんが、娘の文の随筆が好きで本も所蔵しています。
                 以上

2010年2月1日月曜日

2日・「ツクシ誰の子スギナの子、ツクシの坊やがカオ出した!」



土の中からカオを出したツクシとテントウムシ(小豆島で)











「小豆島でツクシが顔を出す!」2010年02月01日

 大寒が過ぎ節分前の一年でも最も寒さきびしい時期にも関わらず、この処3月上旬を思わせる陽気に誘われたのか、春の訪れを待ちきれないかのように、小豆島土庄町の畝木地区で、ツクシが土の中から顔を出し始めている。通常、3月ごろに本格的に生え出すが、島の南側で日光がよく当たる場所では1月末から2月上旬にかけて顔を出し始めるものもあるという。地元の人は「ツクシが出始めるのはこれから気温が上がる兆し。春が近づいていますね」と話していた。また、ツクシに止まっているテントウムシも最近では珍しい。眼を凝らしてよ~くご覧ください!!!
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”つくし誰の子、スギナの子”という童謡があるが、

日当たりのよい土手や野原に生えるツクシ。ニョキニョキと伸びるその姿はとてもユニークです。でも、このツクシ、よく観察してみると、花も葉も見あたりませんね。一体、どうやってツクシは増えていくのでしょう。3億年も前から生き続けるふしぎな植物、ツクシにスポットを当ててみます。

ツクシとスギナの“親子な関係”

冬が終わると、春を待ちこがれていたように、茶色くて、ユーモラスなツクシがスクスクとのびてきます。では、ツクシって一体どんな植物? そのかぎは、ツクシが枯れ始める頃に同じ所に生えてくる「スギナ」にあります。このスギナとツクシの関係を調べるために、地面の下をそっと掘ってみましょう。すると、まったく違う植物に見えるスギナとツクシが地下でしっかりとつながっているのがわかります。スギナには花がありません。その花のような役割をしているのがツクシなのです。

ツクシの筆先のふしぎな秘密

ツクシを漢字で書くと「土筆」。その“筆先”にあたるのが、ツクシの頭の部分です。若いツクシの頭は、6角形の小さなタイルを貼りつけたような姿をしています。そして、ツクシの成長にしたがって、そのタイルの間にすきまができ、たくさんの小さなかさを広げたような形に変わっていきます。それぞれのかさの下にはふくろがあり、ここから、緑色の粉が飛び出すのです。これが胞子(ほうし)。花の代わりに子孫を増やす大切な役割をするのです。

2月1日・「二月(如月・きさらぎ)という月は・・・」


作家の司馬遼太郎さんの命日「菜の花忌」(2月12日)を前に、東大阪市下小阪3丁目の司馬遼太郎記念館が29日、菜の花で彩られた。地元のボランティアらが苗から育てた花で、司馬さんの書斎前の庭などに約200個のプランターや鉢が並べられ、館内も約1千本の切り花で飾られた。1996年に亡くなった司馬さんは庭に置いた鉢代わりの土管に菜の花を植え、執筆の合間に目を休めていた。















          遼君に「春」を! 米ツアーに出発する遼君!
   
1月もまたたく間に過ぎ去り、ことしもはや2月を迎えた。2月のことを旧暦では「如月(きさらぎ)」というが、この字はどうしても「キサラギ」とは読めない。「衣更着」とこじつけて、さらに重ね着をする一段の寒さをいうのだともいわれるが、中国で二月の異称を如月といい、これがそのままわが国でも用いられたそうだ。

2月3日は「節分」4日が「立春」と続く。これらは全て「旧暦」での呼称であり、現在のように立春の前の節分が特にありがたがられる理由であるが、旧暦の時代では「立春正月」などといい、一年の始まりを立春付近に求めたことから、その前日は年の最後の日(大晦日)という意味合いを持ったと考えられます。    

このように年を分ける「節分」ということで他の3つの節分(立夏、立秋、立冬の前日)より重要な位置を占めたのではないでしょうか?
「立春」というと「新しい年」(新春・迎春・初春等と同じく)を迎えるという意味になり、ちなみに今年の旧正月は2月14日(今年の聖バレンタインデイも14日)なので、大かた、立春は旧正月の元旦とは近い。
二十四節気の呼称はすべて旧暦での呼び名なので、新暦(太陽暦)とは、約一月ぐらい早い季節の到来を呼ぶことになる。

みなさん、よくご存じの『早春賦』という小学校唱歌があって、そこでは、

「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯(うぐいす)歌は思えど 時にあらずと声も立てず、時にあらずと声も立てず・・♪」とあり、

谷の「鶯」は寒くって寒くって、まださえずる時期じゃぁない!時期じゃぁない!と唄っているのを見ると、やはり寒さが一段と厳しくなることを言っているんだろう。
夜の闇でも「夜明け」の直前が最も暗いといわれているから、このことからも二月が一番寒いといわれるのも理解できよう。さすれば、「春の到来」が間もなくということを同時に意味している。誰にも待たれる春である。

『春よ来い 早く来い  あるきはじめた みいちゃんが
    赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている
♪』

という童謡も同じ心境を歌ったものであろう。

もう一つ、2月3日は「フミの日」、季節の風物などを描き、短い言葉を添えた絵手紙。日本絵手紙協会は、絵手紙の「ふみ」と読む語呂合わせで2月3日を「絵手紙の日」に制定した。会員に呼び掛けてこの日、総数30万通の絵手紙をポストに投かんする。
前置きはこの位にして、二月の季語を掲げますので、「季語」で一足はやい「春の到来」を味わってみて下さい。

季題【季語】紹介 【2月の季題(季語)一例】

ニ月(時候でいえば早春に相当する。旧暦を用いる地方ではこの月が正月)

春(立春(2月4日)から立夏(5月6日)の前日をいうが月の場合2,3,4月を春とする)

立春、寒明、初春、早春、春浅し、睦月、旧正月、二月礼者、ニの替、絵踏、初午、針供養、

                                                    奈良の山焼、 雪解、雪しろ、雪崩、残雪、雪間、凍解、氷解、薄氷、沍返る(いてかえる)、

冴返る、春寒、余寒、 春の風邪、春時雨、猫の恋、白魚、公魚(わかさぎ)、鰔(さより)、野焼く、

焼野、山焼く、末黒の芒(すすき) 麦踏、木の実植う、猫柳、片栗の花、雛菊、春菊、

菠薐草(ほうれんそう)、蕗の薹(ふきのとう)、水菜、 海苔、獺の祭、

鳴雪忌(2月20日、内藤鳴雪翁の忌日)、梅、梅見、盆梅、紅梅、黄梅、鶯(うぐいす)、下萌、

いぬふぐり、菜種御供、磯竈、若布(わかめ)、バレンタイン、義仲忌、実朝忌、比良八講


2月は季語が少ないですが俳句の上では春がやってきました。
大雪が降ったばかりですが、早春のさわやかで暖かくなるような句を作ってみてはいかがでしょうか。
名詞には季語となっているものが沢山あります。季寄せや歳時記で調べてみるのが良いと思います。

「俳句」を弐句
元禄俳壇の中心として活躍した人物、其角(松尾芭蕉門、蕉門十哲の第一の門弟)が団十郎のために詠んだ句に、
   「今ここに 団十郎や 鬼は外」
    「我雪と おもへば軽し 傘のうえ
」があり、
俳人と役者の関係が深かった一つのエピソードとなっています。

ついでに、二月の花歴をあげておきます。
    「梅」・「椿」・「水仙」                   
「マーガレット」「梅」「フリージア」

遼君に米国での春を! 遼君、米ツアーに出発「夢から目標へ!」1月29日

男子ゴルフの石川遼(18)が29日、米ツアーのノーザントラスト・オープン(2月4日開幕、カリフォルニア州)など3試合に出場するため、渡米した。2年連続の米ツアー参戦。「昨季は夢だったが、目標となった。結果を求めて縮こまるのではなく、昨季やってきたことを信じてやりたい」と抱負を語った。4月には、昨年予選落ちしたメジャーのマスターズ・トーナメントが控える。「昨年、マスターズは『赤点』だったが、赤点はクリア(及第)したい。準備するのではなく、1試合1試合、1打1打に集中したい」と力強く語った。目標に向かって継続的な努力が実り、遼君に米国の春が来ることを祈りたい!   以上


次回は3日「節分・立春」によせて・・・