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2014年5月28日水曜日

城下町の風景Ⅱー⑦河岸の松と石屋さん・時鳥松

ニュース和歌山とは、「城下町の風景」Ⅱの転載を一括的に掲載のお許しを得ています。

⑦の河岸の松と石屋さん・時鳥松(ほととぎすまつ)が掲載されましたので、ここに転載します。

 

 
         
画=西村中和、彩色=芝田浩子

河岸の松と石屋さん⑦時鳥松(ほととぎすまつ)

 和歌川に架かる大橋東詰の北側には時鳥松という、青々と枝葉が茂る実に見事な松がありました。左の絵には川沿いの道や屋形船から、その松を眺める人々が画かれています。
 時鳥松の由来を述べると、新通に黒岩道碩(どうせき)という医者がいました。その妻は井口屋という商人の娘で、彼女の祖母も大橋東詰の商家の出でした。その家を閉めたとき、彼女の祖母は河岸に松を植えたそうです。彼女の大伯父は、この松にホトトギスがしばしば鳴くのを見て時鳥松と名付けました。
 その人も祖母の実家も井口屋もなくなりましたが、3人の娘が残りました。その一人、道碩の妻は跡取りがなく絶えた家のことを夢にみて、夢で聴いた和歌を都の姉に伝えました。それを都の高貴な人たちが知るところとなり、和歌や漢詩を詠んで彼女に送りました。その数は10や20ではなかったそうです。絵図をみると、時鳥松は柵で囲われ、札が立てられています。おそらく、この松の由来が記されているのでしょう。
 石屋の店先には、たくさんの原石や燈籠などが置かれています。石工たちは、帆掛舟のように布を張り日陰で石を加工しています。道端はまるで作業場のようです。石屋は船による運搬に便利な川沿いに店を構えました。そういえば、最近まで和歌山市立博物館の裏の市堀川沿いに石材置場があったのを思い出しました。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)

◇     ◇
 江戸時代の地誌書「紀伊国名所図会」の絵に色をつけ、当時の暮らしを解説する『城下町の風景』の第2弾。次回は6月11日号に掲載します。
ニュース和歌山2014年5月28日号掲載

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