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2010年12月17日金曜日

18日・生きるーその力の源は?ーある漆芸作家に学ぶ!

 このところ「熊野」シリーズが続いているので、小休止をかねて幕間に借り物ですが「心に響く、心をうたれる」のお話をご披露しましょう。 
 2,3日前、新聞を眺めていたら、こんな記事が眼に入った。
ある漆芸作家だが50歳で突然脳出血で倒れ身体が麻痺、言葉もロレツが廻らなくなり、一ヶ月は意識がモウロウとした状態が続いた。が、意識回復後不屈の精神力で懸命にリハビリに励み、医師も驚く回復ぶり、仕事を再開するまでこぎ着けた。

 この話は去る2日に紹介したガンで余命1年を宣告された「折り紙作家」が祈りを込めて作り上げた折り紙の「個展」を開催した話と相通じる何かがある。

 そこで作家は、病気になる前の自分の作品と、病気後の作品とを手にとって見比べると、何と不自由になった病気後の作品の方が「味わいが深まった」という。
はたして、作品にどういう魂が吹きこまれたのだろうか?
 その漆芸作家は名を池ノ上曙山(しょざん)さん(51歳)という。去る16日から22日まで地元和歌山の近鉄百貨店で「池ノ上曙山展ー曙山と弟子たち」を開催中。では、「不屈 根来塗師」と題したある新聞の記事から引用させていただいた。

     ♢         ♢
               病気前の作品と病後の作品を見比べる池ノ上さん」
  紀州根来寺「根来塗」は1300年代から豊臣秀吉の紀州根来攻めによる兵火に罹って灰燼に帰した天正13年(1585)まで一山内での需要に応じ、膨大な数の漆器が生産されました。
 しかもその一部は一山内にとどまらず各地に出荷され、その遺品は江戸時代になってからも「幻の朱漆器」として大いに喧伝されました。学術的には根来塗と言えるのは、根来寺山内で作られ、根来寺の関与のある塗り物とされています。


 根来の遺品に魅せられ、根来塗権威者 河田貞氏(文化庁文化保護審議専門委員)に師事。研究と制作活動に精励する。平成12年12月12日覚鑁上人の命日に「許」を頂戴し、初代根来寺塗師として秀吉の根来攻め以来途絶した根来寺関与の根来塗を復興。現在根来寺山内にある岩出市民俗資料館内根来塗工房において、幻と言われた根来寺関与の根来塗を制作。
 また、同寺山内において生産される漆器産地名を「根来寺根来塗」と命名しました。

 伝統、物造りというのはいくら完成されたものでもその時代に添って変化し、その時代に合った最高の物を造り上げるものと私は考えております。

 

『不屈 根来塗師』
◎池ノ上さん、
 岩出市の根来寺が発祥の漆器「根来塗」の復興に取り組んできた塗師の池ノ上曙山(しょざん)さん(51、本名・池上英明さん)が、昨年11月に脳出血で倒れ、一時は半身がまひ状態だったことを取材に明かした。懸命のリハビリで回復し、復帰後初の展覧会が16日から和歌山市で始まった。


和歌山で展覧会開幕 
 根来寺の僧侶らが日用の食器として使った根来塗。1585(天正13)年の豊臣秀吉による根来攻めで職人が各地に散り、生産は途絶えた。池ノ上さんは20年ほど前から制作を始め、2000年には根来寺から根来塗師として認められた。今は5人の弟子を雇っている。その技を学んできた人の数は延べ約800人に上る。

 池ノ上さんが脳出血で倒れたのは昨年11月7日。出先で長いすに座って会話をしていた時、突如ろれつが回らなくなり、外に出ようとした瞬間に倒れた。一緒にいた弟子たちに抱き抱えられ、そのまま近くの病院に担ぎ込まれた。  1カ月ほど意識がもうろうとした状態が続いた。意識がはっきりしてきた頃には体半分が全く動かなくなっていた。医師からは「もう元通りにはならない」と言われた。

 塗師にとって「命」ともいうべき手が動かなくなった池ノ上さんだが、「反対の手は使えるし、塗ろうと思えば足でも塗れる」と前向きに考えたという。
 1カ月間は机に広げた手の指1本を反らすことも難しかった。ゴムのボールなどを使って体の関節ひとつひとつを意識したリハビリが続いた。リハビリを指導したボバース記念病院(大阪市城東区)で池ノ上さんを担当した作業療法士の一人、鈴木三央部長(51)は「とにかく集中力がすごかった」とふり返る。 
 順調に回復した池ノ上さんは、今春には塗師としての制作を再開した。手や体の感覚も完全に取り戻し、むしろ、以前作ったものを見て「あれ、こんなんやったかな? 今の方が全然いい」と感じるほどだという。
 長年の愛好者からは「味が出た」という評価も聞いた。
  今月8日にはリハビリを指導してくれた病院に感謝の気持ちを込めて、復帰後に作った作品「黒根来椀(くろねごろわん)」を贈呈した。復帰した当初はあまり病気のことを話さなかったが、「同じ病気になった人に少しでも希望を与えたい」と、今後は自分の経験を積極的に語っていきたいと思っている。  
「技術が作品を作るんじゃない。作りたいという気持ちが作品を作るんだ
」と池ノ上さん。塗りだけでなく、力のいる木彫りの作業もできるようになった。
 まだ発病前に比べると疲れやすいと言いながら、早朝から深夜までぶっ通しで制作に打ち込むこともあるという。来年には東京での展覧会も予定している。

       (池ノ上曙山と弟子たちの作漆展・16~22日)   
 復帰後初の展覧会「池ノ上曙山展―曙山と弟子たち」は22日まで、和歌山市友田町5丁目の近鉄百貨店和歌山店5階で。「黒根来」を中心に池ノ上さんと5人の弟子の作品計約800点を展示・販売している。池ノ上さん自身も毎日会場を訪れる。

 この記事を読んでいて、私自身がかつて見たある「パネル」のことを思い出した。それは自宅からほど近くにあるリハビリ専門病院だが、玄関脇に「失った身体の機能にいつまでもこだわっていないで、残された機能を精一杯使って頑張ろう」という意味の言葉が掲げられていた。まさしくリハビリティションの真髄を付いた言葉なんだろう。
 この方の場合もこれを地でいき、精神性がさらに向上を遂げたことが作品に現れたのだろう。そう思う・・・!

半身まひ克服・「深まる味」作風変化













(週明けから再び「熊野」シリーズに戻ります つづいてご覧ください!)

2 件のコメント:

  1. すごい方ですね。
    技術は永年の蓄積で体にしみこんでいて、ご病気になったことで、よけいな力が入らなくなってよりよい作品になったんでしょうね。
    ドガも視力が衰えてからのほうが、いい作品ができるようになったようです♪

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  2. megさん
    この方は年齢的にはまだ若いのですが、「根来塗」への
    打ち込みようは尋常ではないようです。
    話が替わりますがお相撲の世界でも若くして最高位の横綱
    に登りつめるお相撲がおります。これは相撲道でいう「心
    ・技・体」を極めたからでしょう。一人例外がおりますが
    例の朝青龍関ですが、かれは「心」が伴っていなかった。
    相撲協会が興行的に横綱昇進させたのでしょう。
    いまの白鵬関は日本人関取より日本人的です。
    この池ノ上さんも年若くして道をモノにしたのでしょうか!

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