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2010年12月13日月曜日

13日・歳末風景よもやま(その2)

 歳末風景を追って、光り輝くきらびやかな「光の祭典」をさきにアップしたが、順序から云えばやはり自然と迎春行事が優先になろうか 
 
 今回は県下での初冠雪、それに「卯」年を迎える熊野本宮大社から「〆縄」と「卯」年の絵馬の飾り付け風景をご覧にかけましょう。
 「雪」と聞けば、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や吉幾三の「雪国」の歌詞を思い出す。
「追いかけて 追いかけて 追いかけて 雪国 ♪」と、雪を追いかける気持ちはさらさらないが、これも冬が到来したことの風物詩。 
 「雪」と聞けば、わたしは何といってもサルヴァトール・アダモの「雪が降る」が大好きである。「♪・・・あなたはこない いくら呼んでも 白い雪がただ降るばかり
 白い雪がただ降るばかり ラ・ラ・ラ・ラ・・・ ♫」は冷たくて凍てつくなか、音もなくシンシンと雪が降るさびしさを切々と歌い上げたS/アダモにまさる歌はない。
それに、雪の世界はモノ・トーンがよく似合う。
 それでは、高野山と県下一高い護摩壇山の雪景色をどうぞ・・・

◎「初雪観測」・「雪 雪 雪」・12月10日

    激しく雪が舞う金剛峯寺前=9日午前9時40分ごろ、高野町
   
◎高野山や護摩壇山で初冠雪 冬型の気圧配置が強まった9日、県内でもこの冬初めて山間部で本格的な雪となった。高野町の橋本署高野幹部交番などによると、高野山では朝方から断続的に雪が降り、多かった昼ごろには2~3センチほど積もったという。

 和歌山地方気象台によると、高野山ではこの日、早朝よりも日中にかけて気温が下がり、午前10時31分に零下1度を記録。その後は零度を上回った。 
     

(初冠雪に見舞われた護摩壇山の山頂付近=9日午前9時40分頃) 

  一方、県道路保全課は午後6時から、高野龍神スカイライン(国道371号、延長42・7キロ)を積雪のため全面通行止めにした。
通行止めは10日午前7時までで、それ以降はチェーン規制とする予定。
 気象台によると、10日は冬型がゆるみ、天気はおおむね回復するという。
        ◇
 田辺市の護摩壇山(1372メートル)では初冠雪が確認された。市龍神行政局によると、昨年より1カ月以上、例年より2週間ほど遅いという。
 高野龍神スカイライン(国道371号)で護摩壇山の頂上を目指すと、標高千メートルを過ぎた辺りから木々が白くなり、頂上近くは山肌が真っ白。道路にも雪が残る。ごまさんスカイタワー駐車場では、県外から訪れたドライバーらも雪に驚いていた。
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◎「迎春準備」

「新調 大しめ縄と卯年の絵馬」/熊野本宮大社・12月11日

 田辺市の熊野本宮大社で10日、神門の大しめ縄のかけ替えがあった。
真新しいしめ縄は長さ約4.5メートル、直径約80センチ、重さ約250キロ。
 みなさんの胴回りと比べてみては、いかがです?
 午前9時ごろから神職ら約10人で「エイ、ヤアー」と声をかけながら、わらのにおいがする大しめ縄を神門の上まで引っ張りあげて固定した=写真。大しめ縄の左右にはヤタガラスのしめ縄(縦約1.6メートル、横約1メートル、重さ約15キロ)もかけられた。
 大しめ縄は三重県紀宝町の農業、榎本政子さん(77)と息子の宜史(たかし)さん(45)がつくったコシヒカリのわら約1200束を使い、約1カ月をかけて完成させた。


 この日は、えとの大絵馬も付け替えられ、大社はすっかり迎春準備が整った。九鬼家隆宮司は「来年はウサギのようにジャンプして大きな一歩を踏み出す年であってほしい」と話した。(「鬼」の字の上部の「 ’」がないもの。)

九鬼 家隆(クキ イエタカ)】1956年和歌山県生まれ。國學院大學文学部神道学科卒業、明治神宮に奉職、熊野本宮大社に転任し、2001年熊野本宮大社宮司に就任。現在神社本庁参与、和歌山県神社庁理事、和歌山県神社庁田辺市・西牟婁郡支部支部長、國學院大學評議委員、皇學館大学協議委員、世界遺産保全委員、世界宗教者連盟参与。

 「九鬼氏」の歴史は古く藤原北家の流れで、26代別当湛増のときに源平が相争うの世の中で「源氏」に就くか「平家」に就くか判断に迷うたとき赤・白二羽の鶏を闘わせ勝った方につくと決め白い方が勝ったので源氏に味方することに決した逸話が遺る。 
 地元田辺市の「闘鶏神社」での占いである。いまにこの故事が神社の名前として残されている。
また、有名な武蔵坊弁慶はこの別当湛増の子とする伝説がいまに遺る。 九鬼氏は藤原北家、熊野別当の末裔で紀伊国牟婁郡(現在の三重県尾鷲市)で起こり、志摩国鳥羽藩(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し秀吉の九州攻めや朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名である。守隆の死後、五男の久隆と三男の隆季との間に家督争いが起こり、水軍力を恐れた徳川家光はこの家督争いを理由に九鬼氏の石高5万6千石を分割、内陸の摂津三田と丹波綾部に移封させた。 
 これにより九鬼氏は鳥羽の地と水軍を失い、宗家を摂津三田に移し分家が丹波綾部藩で廃藩置県までの約240年間、三田藩・綾部藩を統治することになる。 
(前略)
・25代 教眞(きょうしん) 後白河天皇の御宇(ぎょう)、初めて熊野別当職に任ぜられ、紀州・牟婁(むろ)郡を賜わり、新宮に住す。六條判官為義(ためよし)の婿。
・26代 湛増(たんぞう) 法橋(ほうきょう)/田辺別当
・27代 湛快(たんかい) 本宮に住す
・28代 行忠(ぎょうちゅう) 法橋、後に法印/新宮別当
・29代 行遍(ぎょうへん) 法橋/新宮別当
・30代 行連(ぎょうれん) 法橋
・31代 行圓(ぎょうえん) 法橋
・32代 行實(ぎょうじつ)
・33代 湛恵(たんけい) 法印別当
・34代 道實(どうじつ) 法印別当/勅命により元冦を調伏す
・35代 道有(どうゆう) 四郎法眼別当
・36代 九鬼薬師丸隆真(りゅうしん) 後醍醐天皇より九鬼姓を賜わる/蔵人と称す
・37代 九鬼右馬允隆良(たかよし) 椿山(ちんざん)と号す/
・38代 九鬼山城守隆基(たかもと) 宗心(そうしん)と号す
・39代 九鬼大和守隆次(たかつぐ) 従五位下/初名・加茂五郎/
・40代 九鬼山城守泰隆(やすたか) 志摩・田城城主/従五位下/
・41代 九鬼宮内少輔定隆(さだたか) 従五位下/玄惣(げんそう)と号す/
・42代 九鬼宮内大輔淨隆(きよたか) 従五位下/浄明(じょうみょう)と号す/
・43代 九鬼彌五郎澄隆(すみたか) 名は彌五介/浄心(じょうしん)と号す/
・44代 九鬼大隅守嘉隆(よしたか) 鳥羽城主/従五位下/常安(じょうあん)と号す/ 嘉隆(くき よしたか)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名で、九鬼水軍を率いた水軍武将で、九鬼氏の第8代当主である。織田信長・豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、3万5000石の禄を得た。
 こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。慶長5年10月歿、享年59歳。のち九鬼氏は後継者を争う身内の争いで丹波綾部藩と摂津三田藩に分割された。
・45代 九鬼長門守守隆(もりたか) 従五位下/善光(ぜんこう)と号す/享年60歳
・46代 九鬼式部少輔隆季(たかすえ) 丹波綾部藩・初代藩主(以下おなじ)/従五位下/享年71歳
・47代 九鬼大隅守隆常(たかつね) 杉千代・市正・内匠/享年53歳
・48代 九鬼鍋三郎隆幸(たかゆき) 宮内/享年21歳
・49代 九鬼豊前守隆直(たかなお) 従五位下/初め政峯(まさみね)/豊前守・長門守/萬之助 式部/瑞翁(ずいおう)と号す/松平伊勢守信次の四男/享年66歳
・50代 九鬼河内守隆寛(たかのぶ) 従五位下/初め隆恢(たかひら)/河内守・備後守/辯之助/休翁(きゅうおう)と号す/建部丹後守政周の次男/享年85歳
・51代 九鬼主水正隆英(たかひで) 主水/隆直の次男/享年33歳
・52代 九鬼辯之助隆恭(たかゆき) 辯之助・左京/享年35歳
・53代 九鬼式部少輔隆貞(たかさだ) 従五位下/式部少輔・猶之助・帯刀/享年53歳
・54代 九鬼式部少輔隆晁(たかあきら) 従五位下/安三郎/早世/保科越前守正富の三男/享年18歳
・55代 九鬼大隈守隆祺(たかよし) 従五位下/銕吉(鉄吉)・定五郎/
・56代 九鬼式部少輔隆郷(たかさと) 従五位下/式部少輔・定五郎/享年29歳
・57代 九鬼出雲守隆度(たかのり) 従五位下/河内守/定五郎/享年54歳
・58代 九鬼大隈守隆都(たかひろ) 従五位下/維新後、正五位/仙之助・式部少輔/隆郷の次男/享年82歳
・59代 九鬼 寧隆(やすたか) 享年18歳
・60代 九鬼大隈守隆備(たかとも) 正五位/維新後、綾部知事・子爵/延之助/享年64
・61代 九鬼 隆治(たかはる) 従三位/歿後、正三位追贈/、皇道宣揚会を設立し、総裁となる/享年96
・62代 九鬼 宗隆(むねたか) 前・熊野本宮大社宮司/隆治の長男/享年90歳
・63代 九鬼 家隆(いえたか) 現・熊野本宮大社宮司/宗隆の長男、現在に至る。
 このように、宮司・九鬼氏は藤原北家、丹波綾部藩主の出自で熊野本宮大社とともに永い来歴を誇っている。
 なにしろ古い歴史や伝説に事欠かない紀州の地である。この項を終ります

(初冠雪の護摩壇山山頂付近=9日午前9時40分頃)

4 件のコメント:

  1. しげやんこんにちは~
    今日も朝から寒いですね
    もういくつ寝るとお正月♪♪♪
    一年って早いですね~
    家はしめ縄は飾りません^^この頃回りもしめ縄少なくなりましたね。昔は車にもしめ縄飾っていましたが今はありません
    時代は変わっていますね^^
    段々昔からの行事が少なくなっていくのは寂しい限りです^^

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  2. atitiさん
    今日は雨模様で自宅で年賀状の宛名書きで過ごしました。
    全部刷り上がりました。
    わが家でも昔に比べるとお正月の迎え方は段々簡単になって
    きつつあります。それでも〆縄や鏡餅にお飾りはやってます。
    正月用のオセチは若いものが余り食べないので、自然恰好だけ
    になってきています。

    伝統行事や風習段々寂れてゆくのはさびしい想いがします。
    藤白神社の「獅子舞」なんか是非とも残してほしいですね。
    伝統文化を保存する会があちらこちらで立ち上がり、これらを
    残そうとしているのを見ると応援したいです。
    身近では「黒江の街並み」保存があります。湯浅は熱心ですよ!

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  3. ばっちゃん。2010年12月14日 11:35

    しげやんさん

    遊びに来たよ!!
    しかし
    ゆっくり読みたくなる
    恐ろしい場所なので

    またあとできます。

    本当にごめんね。
    時間作ってこないと
    ここに書いてあることは
    流し読みじゃ
    もったいないもの!

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  4. ばっちゃんさん
    これからおゾロおゾロしい熊野のおハナシが続きますから、
    覚悟を決めてお越し下さい。
    怖いもの見たさは昔からの誰もがもつ野次馬根性ですから・・・
    人一杯好奇心が強くて関心が深い”ばっちゃん”さまへ・・・!

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