和歌山県を含む西日本各地の古事記(こじき)や古代ゆかりのスポット、温泉などをめぐるカードラリーが行われています。
これは、ネクスコ西日本が、高速道路の利用促進と観光地への訪問客の増加、それに、交流人口を増やすことを目的に、和歌山や奈良など10県とともに実施している「やまとごころ周遊記(しゅうゆうき)」です。
参加者は、来年(2014年)1月13日までの期間中に、スポットを巡ってカードを集め、カードに付いているシールを応募することで、各地の名産品などが抽選でプレゼントされるというものです。
「やまとごころカード」が設置されているのは、和歌山県下では、那智勝浦町の飛瀧(ひろう)神社と白浜町の崎(さき)の湯、和歌山市の紀州東照宮(とうしょうぐう)、高野町の高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)、それに、田辺市龍神村の道の駅龍神の5か所で、全域では45か所となっています。
すべて制覇はもちろんですが、いくつかを巡ることで応募できるようになっているほか、高速道路のサービスエリアなどで買い物をするともらえるスペシャルカードもあるということです。
ネクスコ西日本などでは、ゴールデンウィークや夏休み、年末年始などに、高速道路を使うなどして、西日本各地を旅する方は、ぜひ参加を、と呼びかけています。
(和歌山県内)
1.那智勝浦町:「飛瀧神社」
2.白浜町:「崎の湯」
3.和歌山市:「紀州・東照宮」
4.高野山:「総本山「金剛峯寺」
5.田辺市:「道の駅・龍神」
・「やまとごころ」とは、本居宣長が詠める歌
"敷島の やまとごころを 人問はば あさひに匂う 山桜花” が、つとに名高い!
そこで、「やまとごころ」とは・・・自民党・安倍政権になって「憲法改正」論が大きく叫ばれて
います。わたしは、戦前生まれで小学生の頃、戦争に突入し、国粋主義を叩き込まれ、戦後
は手のひらを返すが如く、同じ先生が民主主義に転換し、戦後の食料品始め日用品の不足
は云うに及ばず、新しく誕生した新しい教育制度改正により誕生した新制中学校には、先生
以外生徒には教科書とてないような授業を受けました。
また、B29による爆撃も経験しましたし、戦争の悲惨さは身をもって体験しました。戦争だけ
は、絶対避けるべきだと、今でも強く思っています。
しかし、自分自身日本人だと思っています。考え方も日本人タイプです。遊び心や侘び・寂び
も好きです。豪華なモノもですが、それ以上に素朴なモノ、やきものでいうなら、信楽・丹波・備
前・萩・唐津等のやきものが好みです。こう言えば大方わたしの性格や趣味が分かるでしょう
”やまとごころ”という言葉や、本居宣長の国学にも興味があります。というのは、彼は紀伊
徳川藩に仕えましたし、かれの子孫は紀伊徳川藩に仕え、同藩は独特の水準の高い文化水
準を長年保存し続けましたが、現在の和歌山県は扇風機の裏側で経済的にも恵まれず、文化
水準も高くはありません。昔の姿、いまいずこ、といった状態ですが、古代からの古い歴史の
積み重ねがあります。これらを発掘し、それらを土台にして創新を図る。それが、わたしの
ブログの「夢」でもあります。浅学非才の身にてハードルは高いですが、日々これ新たな気持
で、ものごとを観察し眺める。
これができるのが愉しみに一つでもあります。
以下、少々「やまとごころ」について、わたしが考えることを述べてみたいと思います。
ご相伴下さい!
「大和心」(やまとごころ;大和魂に同じ)とは、古来から日本人が持つ、心情的特性を表した言葉です。 広辞苑では、『日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情。』と記されています。同じ意味でありながら、「大和魂」と言えば、とかく戦争に明け暮れた時代を想像して、負の遺産と考える人も、少なくないようです。
確かに、「大和魂」を戦前の軍部が利用したのは、事実であったかもしれません。だからといって、誰が「大和魂」に罪をかぶせられるのでしょう。そこには、明らかな誤りがあります。 日本の古称「大和」「倭」が示すとおり、争いを好まず、優しく、和らいだ、平穏な暮らしを志向するのが、本来の日本人の姿です。 ただし、その安寧を破らんとする外敵が現れた場合には、勇猛に戦う心意気を秘めるという、別の側面を持つことに注目しなければなりません。 軍部は、まさにこの点を利用したわけです。いざというときには、決死の覚悟で応戦する「勇気」があればこそ、やさしく、やわらいだ心情が護られ、はじめて活きてくるのです。 戦後の日本人に欠けているものがあるとすれば、この「勇気」ではないでしょうか。
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「大和心」という言葉は、「大鏡」に登場しますから、平安時代には、すでに存在していたことになります。発祥時期については、詳しく調べたことがないので、わかりません。 有名になったのは、なんといっても、江戸後期の国文学者本居宣長(もとおりのりなが)が詠んだ、この三十一文字からでしょう。 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花 情景が目に浮かぶような、格調高い歌です。一瞬を光り輝いて、潔く散っていく、という「大和心」の心髄を見事に表現しています。
本居宣長を知ったのは、小学校高学年の頃です。「松阪の一夜」という修身書の一節でした。この歌はでてきませんが、若き宣長の会談相手、江戸の老学者賀茂真淵(かものまぶち)が、偉ぶらない態度で接している場面を、鮮明に憶えています。
「大和心」が「武士道」に結びついて、武家社会の規範形成に関与してきたのは、言うまでもありません。さらに、実は、庶民生活にも深く関わっています。「和歌」は、天皇から庶民まで、多くの人が詠んでいますし、「茶道」「華道」「書道」といった形の文化を生み出し、「美術」「音楽」などの芸術から、庭師や刀剣師、宮大工ら職人にいたるまで、多方面に影響を及ぼしてきました。共通して、その底流にあるものは、「もののあわれ」であり、「わび」「さび」の世界です。
そして、「武士道」の価値観と同じものです。明治の御代になって、西洋文明崇拝の風潮を憂慮された明治天皇は、「教育勅語」を発せられ、「大和心」のエッセンスともいうべき「人生の教科書」が、ここに誕生したのでした。 |
日本人なら、生まれながらにして、「大和心」は、遺伝子に組み込まれています。 このうち、「まごころ」「やさしさ」は、成長するにつれて、自然に、顕在化してくるはずです。もちろん、度合には、個人差があります。しかし、「勇気」は、安定した暮らしの中で、頭でっかちになればなるほど、逆に後退していきます。世の中の「恐怖」がわかってきて、自分の身が可愛くなる(保身する)からです。
「勇気」を得る方法は、教えられるものではなく、自分でつかむしかありません。まず、「恐怖」を克服することが先決です。この「恐怖」が、「勇気」を阻んでいるのです。 世の中には、さまざまな「恐怖」があります。怖いものの例えとして、「地震」「雷」「火事」「親父」とよく言われます。「親父」はともかく、いずれも不意に襲ってくるからです。だから、「備えあれば憂いなし」で、備えておけば、恐怖心は和らぎます。人間は「死」を最も怖れますが、みんなやがて死んでいくわけですし、時期が早いか遅いかの違いだけです。したがって、死ぬより怖いもの、あるいは大切なものがあるなら、そちらをより恐れます。子供に危害が及びそうなとき、母親が、わが身を投げ出して、助けようとするのは、そのよい例です。母性本能の側面もありますが、子供は生き甲斐であり、自分の命よりも大切なもの、だからです。子供より御身第一の、利己的な母親だったら、そんな危ない真似はできません。どちらが「人の道」に沿った生き方か、明らかでしょう。
「勇気」を手に入れるのは、意外に簡単です。誰からも教わらず、独力で、「自転車」「スキー」「スケート」「水泳」等が、できるようになった人がいたとすれば、もう半分コツをつかんだも同然です。うまく表現できませんが、「勇気」をつかむ瞬間も、これに近いと思います。自転車、スキー、スケート初心者は、ころびたくない、という思いが、まず先にたちます。水泳なら、溺れたくない、と考えます。そして、できるようになった瞬間、ころんでもいい、溺れてもいい、もしくは無心になっていませんでしたか。もうどうなってもいい、と開き直って「恐怖心」を克服できましたね。ころぶ、溺れることに対して、「勇気」を持ったからこそ、できるようになったのでした。
[義を見てせざるは勇無きなり]
(What I do not do to see justice is because I am timid)
意味
人として行うべき正しいこととわかっていながら、それを実行しないのは、 その人に勇気がないからだ、という教え。 |
解説
このことわざは、論語の中で、孔子が言っている言葉のようです。 義とは、「仁義礼智信」の「義」で、人として行うべき正しいこと のようです。正しいとわかっていることを避けて、実行しないのは、 その人に、おびえの心があるからだ、という意味のようです。 |
「勇気」は心に宿る問題です。自分でつかむしかありません。
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「論語」 |
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「やまざくらばな」 |
以上
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