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2010年1月31日日曜日

31日・幕間「春を告げる話題」二話

                   芝焼きで浮かび上がる炎=串本町 潮岬 1.30


                 梅の花を楽しむ来園者(みなべ町の南部梅林で)1.30



2010年1月27日水曜日

28日・「成功」のウラ側、「失敗」からものごとを観る!


(オプション)
 いままで、「成功」するためにはという見方から、ものごとを考えてそれを説明してきたが、今度は反対にうら側の「失敗」する側から観察してみよう。
 そうすると、自分の初めから「できっこない」と考え諦めてしまう悪い性格や否定的あるいは消極的な態度(ネガティブ思考)がよく見えてくる。

 今回はビジネスマンによく読まれているビジネス書からの紹介になるが、この書物に書かれている「7つの悪習慣」を、自分に照らして考えてみるとき自分の欠陥なり悪い思考や悪習慣が見えてくる。

(失敗・否定面の名言)
 否定面にとらわれる人間に限って、
   失敗の理由を一所懸命数え上げたがる” 
 
          盛田昭夫(ソニー創業者)
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 7つの習慣を理解するには、7つの悪習慣を考えるとわかりやすい。
ー成功するには原則があったー 7つの悪習慣―

第一の悪習慣:人のせいにする 
自分の問題を会社や上司、親や友人、国、政治のせいにしてしまう。
自分はいつも犠牲者で、自分のことに責任など持てない。
誰かに怒鳴られたら怒鳴り返す。
やりたいようにやる。
これらは、第一の悪習慣「人のせいにする」に該当する。
結果を他人のせいにせず、主体性を発揮して生きることが大切です。

第二の悪習慣:目的を持たないで始める
計画を立てないし、目標も持っていない。
今さえ楽しければそれでいい。
先のことは分からないし、考えても仕方ない。
これらは、第二の悪習慣「目的を持たないで始める」に該当する。

第三の悪習慣:一番大切なことを後回しにする
いつもダラダラしている。
家に帰ればまずテレビを見るかネットサーフィンをして、それから何をするかを考える。
面倒なことは常に後回し。
大切なことに取りかかるのはいつも直前になってしまう。
これらは、第三の悪習慣「一番大切なことを後回しにする」に該当する。
プライオリティー(優先順位)をつけて、重要事項から優先処理してゆく必要がある。

第四の悪習慣:勝ち負けという考え方にこだわる
人生は競争だと思っている。
他人に負けるなんて許せない。
負けるぐらいなら、先に負かす。
負けそうになったら、一緒に引きずり下ろす。

第五の悪習慣:まず自分が話し、それから聞くふりをする
言いたいことは言わなければ損だと考える。
必ず先に主張する。
人の話は面倒だからあまり聞かない。
上司の話は聞いたふりだけしてすぐに忘れてしまう。
自分にとっていい話なら真面目に聞く。

第六の悪習慣:頼れるのは自分だけ
しょせん自分は人とは違うのだから、うまくやれるはずがない。
妥協するくらいなら、一人でやった方がましだと思っている。
自分の世界に行きたいし、出来るだけ周りとは関わり合いたくない。
これらのことは、第六の悪習慣「頼れるのは自分だけ」に該当する。

第七の悪習慣:自分をすり減らすのはいやだ
忙しすぎて、体を鍛えたり、勉強したりする時間がない。
そもそも、勉強も運動も面倒くさい。

 如何でしたか? 分かっちゃいるけど、直らない 自分の性格やクセを直すってことは、直すことがいかに難しいかが、よく分かるんですけどねぇ~!
 もし自分の性格・考え方をチェックしてみようという方は、□に印を入れてみてください!

 
 このBLOGは再開以来駆け足で此処までやってきました。ついては29-31日は小休止し、2月1日から再開予定です。ご了承願います!


この『7つの習慣』は、1月30日、朝日新聞「be on Saterday」の「beランキング」「読んでお得なビジネス本」の3位のランクされ、自己啓発本の代表格との解説がありました。ご参考まで

2010年1月25日月曜日

27日・「習うより慣れろ!」-ゴルフ・石川遼選手の英会話のレッスンー





 おまけ(オプション)に世界に羽ばたこうとしている若武者、ゴルフの石川遼選手の「継続的な努力」の一つである「英会話レッスン」のやり方について、ラーニング会社の宣伝がましいが、最後に書いておこう!

 今は、日本人選手が世界中で大活躍している時代、アメリカ大リーグのイチロー選手、松井秀喜選手始め多くの大リーガー達、それにサッカーの選手もヨーロッパで活躍している。これらの選手たちはみな英語が楽に話せるということ、チームの仲間や相手チームの選手たちとも自在にコミュニケーションをはかれる語学力は外国で活躍するには、必須の条件であろう。
 
 昔から”習うよりも慣れろ!”という諺がある。無理をして覚え込むよりも、ごく自然に耳から頭に入ってくるやり方は、もっとも楽な方法であろう。日本の国におっても外国遠征で、出かける機会が多い選手たちにしても同じこと、例えばゴルフの石川遼選手は、これからは日本よりも外国で試合に臨む機会がもっと増えてきそう、それを考えてか石川選手は時間さえあれば、英会話のラーニングをイヤーフォンで聞いている。国外にでれば英語で堂々とスピーチをやる風景も中継されている。

 こういう次第で、楽して習うやり方が大流行だ!ばっちゃんさん、中国語をどういう風に習われているんですか?またの機会に聞かせてください。しげやんところは、孫が二人とも英会話をここ4.5年続けて習ってます。しげやんも○十の手習い、と行きたいところですが、やる機会がないままです。

〓〓  世界で活躍するスポーツ選手の共通点 〓〓
。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。

 日本が誇るスポーツ選手たちの共通点、それは英語が話せるということ。水泳やフィギュアスケートの選手などもアメリカのメディアからのインタビューに英語でしっかりと答えている様子が、アメリカのスポーツチャンネルで放映されていた。

 隣に外国人選手がいて、もし話しかけられたとき、相手の言っていることが「聞ける」のと「聞けない」のとでは、考える以上に競技にも影響してしまうものなのだ。せっかく実力があっても「言葉の壁」のためにその実力を100%発揮できないのは、本末転倒だ。

 1年と少し前から石川遼くんは聞き流すだけの英語『○ピー○ラーニング』をもっぱら移動中や空いた時間に聞いていたという。それが、ここにきてその効果がしっかりと現れているのは、プロ転向直後の遼くんと今の遼くんのインタビューを見ても分かるだろう。

関係者が言う。

「私が感心したのは、話せるということもですが聞けているという事実です。
子どもたちとの会話もそうですが、聞けるということが落ち着いた対応を可能にしていたと思います。○ピー○ラーニングのカリキュラムが上達の効果をもたらしました。なるほどと思ってもらえる解説が加わることで、いい形で定着していくのではないでしょうか。話すことは、極端に言えば言葉を繰り返したり、重ねたり、ジェスチャーで通用すると考えています。一番大事なことは、聞くことです。しかも聞く場合はネイティブスピーカー(母国語を話す者をいう)の英語が聞けなければなりません」。

遼くんが物怖じせず、世界の舞台に立てるのには、やはり英語の「聞く力」がしっかりと備わってきているからなのだ。

とても自然な英語のキャッチボールができている遼くん。ゴルフも英語もますます上を目指してがんばってほしい。

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 英語を話すためには「聞くこと」が出来るのが一番の近道
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 英語を話したいと思うと、まず自分からドンドン話したいと思ってしまいがちだが、相手が言っていることが分からなければ「コミュニケーション」は成り立たない。そう、聞くことが大切なのだ!ネイティブ(母国語)の話す英語が理解できるようになり、ネイティブの会話に自然に入っていくには…?

1.まず、英語を思いっきり聞いて英語の音に慣れる
2.歌やCMフレーズを何度も聞いていると思わず口ずさんでしまうのと同じ
  ように、英語を聞き流していれば英語のフレーズが口から出てくるよう
  になる
3.そうなると、自分からも積極的に英語を口に出してみたくなる
4.英語を話す環境を自分からつくりたくなる

この4ステップが英語を最も自然な形で、しかも最も早く習得できる方法だ!
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世界を目指す石川遼くんが選んだ英語は、聞き流すだけの『○ピー○ラーニング』だった

 プロゴルファーになり、初めての海外ツアーに挑戦した石川遼くん。2戦目となるハワイでのパールオープン(パールCC)では、前日の2月7日に、日本人選手の中からはただ一人、共同記者会見に登場しました。外国人記者からの「アメリカツアーでの目標は? 好きな選手は?」などの英語の質問に対し、同席した通訳を介せず、堂々と英語で答えていました。 プロゴルファーとはいえまだ高校生の石川遼くん。実は、今回のオーストラリアとハワイへの遠征前に、英語対策として聞いていたのが『○ピー○ラーニング』だったのです。

得意科目は英語という遼くん、もっと英語をしゃべれるようになりたいという理由は、「海外で友だちを増やすため」だといいます。 今回の記者会見でも、そんな気持ちは外国人記者に充分伝わったようで、記者会見が終わった後も、海外メディアから質問が続き、翌日には地元の新聞にも取り上げられました。 とても忙しい石川遼くんでも、聞き流すだけでいい『○ピー○ラーニング』だから、毎日英語を続けられます。今度はぜひとも、海外ツアーで優勝して、プレスインタビューで遼くんの英語スピーチを聞いてみたいですね。 ゴルフの腕前はかなわなくても、英会話ならあなたも遼くんのように、海外で友だちがつくれるようになるはずです。

 このようにわれわれ人間が社会生活をおくるためには、相手とのコミュニケーション能力が大事です。この相手と十分に意思疎通ができるということは、とりもなおさず相手を理解することに繋がります。
このラーニングは「ながら族」ですが、並行して物事ができる、考えてみればいい方法じゃありませんか?

26日・「会社の寿命」は何年?-会社と人財ー







  「会社の寿命」は何年? 30年、10年、5年?


 昔から『十年一昔』といった四字熟語があるが、この目まぐるしく変化する世の中にあって、『会社の寿命』は、はたして何年?

 いまから二十数年前、わたしがまだ現役で働いていたころ、ビジネス雑誌『日経ビジネス』が『会社の寿命は?』という特集号(1983.9)を組んで『会社の寿命は30年』とし、当時評判になった。
 わたしも、このビジネス誌を購読していたので、よく覚えている。それから16年を経た1999年10月には同じ『日経ビジネス』が、今度は『会社の寿命は10年』とし、16年の間に寿命が1/3になってしまった。ところが、ごく最近ではこれが、3ー5年というではないか!

 世界的にIT事業の発達で情報が瞬時にして全世界中を駆け巡り、世界中がまたたく間に同じ影響を被ったことは、世界同時不況を経験したわれわれにはよくご理解のことであろう。

【日経ビジネス】(1983年9月19日号より)
 日経ビジネスが生んだ時代のキーワード、「会社の寿命は30年」。1980年代半ば、「企業は永遠か」「診断 会社の寿命」の2つの特集を通して企業の栄枯盛衰を分かつ法則を分析した。時代が大きく動く今、あらためて盛者必衰の理を考える時だ。

    * * *
 日本経済百年の、驚異の発展、成長を推進してきたものは企業のバイタリティー。明治以来、産業構造の激しい変化の中で、時代を代表する有力企業の顔ぶれは目まぐるしく移り変わったが、没落していく企業がある一方、それらに代わって、たくましい企業家精神を受け継いだ新興企業群が台頭した。
 
 本誌調査が明らかにした企業の寿命――1企業が繁栄を謳歌できる期間――は、平均わずか30年。経営者が企業家精神を失う時、企業は、たちまち衰亡の途を転落し始める。私利私欲に走らずに、企業家としての情熱を持ち続け、透徹した眼で先を見通して、ハラのすわった決断のできる経営者だけが、企業を成長させ、その生命を永らえさせることができるのだ。

 今、日本は“峠の時代”。失われた企業家精神をとり戻し、ニッポン病を克服して、未来への新たな飛躍を実現するために、われわれは今、先人たちの栄枯盛衰の歴史に残された教訓を率直に受けとめねばならない状況からも経験済みであろう。それでは、その時々のトピックスからちょっと摘んできてみよう。

 それが16年を経た1999年10月4日号では、7ー10年というではないか!
日経ビジネスが生んだ時代のキーワード、「会社の寿命は30年」。1980年代半ば、「企業は永遠か」「診断 会社の寿命」の2つの特集を通して企業の栄枯盛衰を分かつ法則を分析した。時代が大きく動く今、あらためて盛者必衰の理を考える時だ。

    * * *

 長引く不況の中、企業の多くがもがき苦しんでいる。低迷状況から復活するにはどうしたらいいのか。復活の条件を探る上で大事なポイントは、会社の寿命が短くなっている点だ。
 1983年、当誌は「会社の寿命(企業が繁栄を謳歌できる期間)は30年」と唱えた。しかし、その後時代の変化はめざましい。グローバル化、ネットワーク化が進み、世界を舞台にした激烈な競争時代に入った。もはや企業の寿命(盛期)は30年どころか、10年は確実に切ったと見られる。

 83年の前回は、総資産や売上高といった規模の大きさをベースに寿命を算出した。本特集では、時価総額というマーケットからの評価尺度をもとに会社の寿命を調べ、日本企業で約7年、米国企業で約5年という結果を得た。
 
 こうした短寿命時代に、企業はどう復活を遂げ、企業を存続させていくのか。今回、バブル崩壊直後の低迷期から見事に復活を遂げた復活企業のランキングを算出した。具体的には、バブル崩壊直後の時価総額に対する現在の時価総額の比率(%)を計算し、大きい順に並べた。例えば、復活度1位になった半導体製造装置メーカー、東京精密は、実に時価総額が16倍以上増えた。
 
 復活するためのキーワードは、環境変化に対する適応能力。そのための仕組みを持っている企業は復活が早い。東京精密をはじめとする復活企業は、経営者と社員が日々危機意識を持ち、リスクを恐れない。変化に対して素早く柔軟に対処するため、同業他社を後目に企業価値を高めている。今回、こうした復活企業を通して、不死鳥(フェニックス)のごとく蘇る経営の神髄に迫る(以下略)。
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それが、ごく最近では3年というではないか!
会社の寿命は3年だそうで

  『会社の寿命3年時代の生き方 』(2009.4.16)

 会社の寿命はもう3年と持たなくなってきたそうな。つい2年ほど前に、この著者の本で「会社の寿命10年時代の生き方」なるものを読んでかなり刺激を受けたのですが、たかだか2年の間に世の中の環境は激変したようで。

いや、激変したのではなくもともと兆候はあったけど顕在化してなかっただけなのでしょうね。
1990年代前半から、廃業率が開業率を上回っており、いまや廃業率は6.5%(開業率は6.4%)。
会社の寿命はもしかしたら3年持てばいいほうなのかも、なんて気すらしてきます。

 サブプライムローン崩壊に端を発した世界恐慌にあおりを受け日本経済はもはやズタズタ。
お家芸ともいえる製造業のうち、モジュール(組み立て)型の家電業界は東アジアの勢力に模倣を繰り返され、低コスト競争に引きずり込まれています。

 インテグラル(集積)型の自動車産業も多段階流通構造によるコストの積みあがりに加え他の交通インフラの発達や生活者の価値観の変化に伴う自動車離れにより売り上げを大きく落としています。

 もしこの状態を何とか乗り切って景気を回復しても、その前に大きく立ちはだかるのが少子高齢化。いずれわれわれも年をとるわけですが、退職する頃には若者が激減しており、高齢者の年金をとてもまかなえるだけの労働市場があるとは考えにくい。

 こんな時代を生き抜くためには、まずは会社に依存しないという考えをしっかりと持つことかと。
会社はいつなくなってもおかしくない。
そのときに路頭に迷わずに生き抜いていける力をつけるために自分自身を鍛えないといけないですね。

 これからの人の生き方としては、『会社人間』ではなく、継続的な自己啓発により自己の能力を高める努力・創造的な考え方ができる能力を高めてゆく必要が大です。このことが、ひいては会社発展の原動力にもなりますし、企業としても生き残りを賭けて創造力のある社員の採用、養成に力を注ぐと思われます。

 また、会社に技術の蓄積や技術力の向上を真剣に目指すならば、社員の雇用問題にも、もっと踏み込んで考えて然るべきだと思います。コストだけが勝負なら中国や東南アジアの国々には到底太刀打ちでjきません。 会社の生き残りは「お客のニーズにマッチした商品開発」「創造的な商品開発」等々環境の変化に即対応できる会社に生まれ変わることに尽きると思います。

 いまの会社の決算書では、社員の質の評価は全然見られません。バランスシート(貸借対照表)では、会社の財産、債務は数字で表示されますが、社員の質はどこにも現れません。しかし、会社に付加価値や環境変化に対応する能力をもたらすのはみな社員の力・能力によろもので、いままで「人材」とあたかも物と一緒の扱いから、わたしはこれを「人財」と会社にとって社員の能力こそ大きな財産だ、と考えて教育・養成すべきだと考え、行ってきました。これから先は、この考え方がもっと大きく真剣に取り組まれることを願って、止みません。
 
『温故知新』『温故創新』から始まったこの章は、ひとまずこれにて幕を閉じます。ありがとうございました!

25日・「成功者」と二代目、三代目経営者について!




     



 


 
 パナソニック電器・大坪文雄社長(上)と三洋電機・佐野精一郎社長(下)


人が本当に「幸せ」だったと言えるのは、その臨終のときに自分の一生を振り返って「自分は幸せだった」と思う時ではないでしょうか?冒頭からこんな譬えですみません。

 この世の中で「成功者」といわれる人には、つぎの3つのパターンがあるように思いますが、なかにはこの3つとも成功させた偉大な方もおられるでしょうが、おおよそ次のようである。
1.お金(財産)をのこす
2.事業をのこす
3.人(人材ではなく人財)をのこす

『成功』『幸福』の名言

 成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る。
黒雲のうしろには、太陽が輝いている。
  越後 正一(元伊藤忠商事社長)『経済人の名言・上』 

 朝を幸せ、夜を不幸になぞらえると、明暗、順逆の環境が人生であり、そこに生き甲斐も幸福も光芒を放つ。苦難は幸福の前奏曲だと思えば、苦しみに耐える力も湧くだろう
  郷司浩平(元日本生産性本部会長)

 この世のなか、「二代目」「三代目」といわれる後継者には、せっかく親が築き上げた財産・事業をものの見事に潰してしまうことが如何に多いことか?
 これにはお金に苦労、経営の舵を右にするか左に切るかの苦難の経験が乏しいことが挙げられよう。何事も試行錯誤のうえで最後に成功を勝ち取るわけで、これは「雪山登山」によく似ている。冬場の雪山で吹雪にあい視界がほとんど効かないときには、一直線に登るよりも右や左に4~5mの範囲で進んでみて安全を確かめながら頂上を目指すという方法がとられる。ジグザグなコースとりである。まさに商売や経営とはこのようなものではなかろうか。失敗の経験ということも大きな財産になり得る。

 この点、二代目、三代目には「帝王学」を学び、厳しく鍛えられてこなければ、こういう経験も身につかないだろうし、回りも「ボンボン」「跡取り」でお上手をいう輩や取り巻きが実に多い。
 この点何百年と立派に続いている老舗には「家訓」なるものが遺されていて、何代目であってもそれを守ることを求められている。

 お金も文字通り湯水のように使えば、またたく間になくなろうし、賭けごとに手を出せば、これまた瞬時に消え失せるだろう。“悪銭身に付かず”とは、よくいったものである。

「なぜ、2代目、3代目はダメなのか」という話を続けましょう。
 もちろん世襲の2代目、3代目・・・経営者でも、きちんと企業経営をしている経営者もおられます。 ただ、ダメな場合の方が多いのではないでしょうか。

 私は、それは根本的には「お金の苦労をしていないからだ」と思います。
経営とお金は切っても切れない関係です。 そして創業期に苦労するのは、お金です。
 創業者は、その時期にお金のありがたさ、お金の怖さ等を自ずと身に沁みて実感することになります。まず最初にそれを乗り越えて来たからこそ、創業者のお金との向き合い方は形成されると思います。
 
 創業者と後継経営者の大きな違いは、そこから始まります。
また2代目、3代目ともなると、豊かな生活の中で、温室で育って来ますので、創業者のように、一時の貧乏を辛抱しても耐えるというようなことが出来ません。
 
 経営の使命は、企業の存続ですから、創業期から経営者は後継経営者の育成を始めねばなりません。その時に、最も大事なことは経営者も含め、実は家族の生活レベルを決して上げないということなのかも知れません。
 
 それでは経営者としての楽しみがないではないかと思われるかも知れません。
しかし、昔はいざ知らず、今は時代が変わりました。
明らかに自分達がお金持ちになることを目的とした経営はお客様や社員の共感を得ることが出来ません。
 そしてお金持ちになることを目的としている内に、一番大事な企業経営が手段になり、本末転倒になり、会社が倒産してしまった事例は挙げればきりがありません。
 
 そのようなことが世襲経営者がダメな理由であり、そのことで会社が倒産してしまう理由ではないでしょうか。

 わたしは、学校を卒業して関西系の大手電機メーカーS電機に入社しました。わたしが入社した頃は会社も伸び盛りでアイデアに富んだ商品を売り出し、それが人気で業績もぐんぐん伸びてゆきました。世界で最初の噴流式洗濯機や外箱が木製ではなくプラスチック製のラジオでした。しかしこの会社は同族経営で会社を創業した三兄弟が順番に社長をつとめ、そのあとは創業者の社長の長男が大株主でもあり二代目社長を継ぎました。しかし、優秀な人材でも社長と見解を異にする人は遠ざけられ、徐々に業績が低迷してゆきました。わたしは、三番目社長をつとめた三兄弟の末の弟が当時、専務取締役営業本部長だったときに私が担当した大きな営業取引に反対されて、喧嘩して身を引いて退職帰郷し、S金属工業系の会社に再就職しましたが、新入社から10年間の勤務をしました。その間、最先端の業界だっただけにマーケッティング初め新しい知識を学んだことが今でも役に立っています。
 
 退職を機に、その後は傍観者の立場になった訳ですが、それから三十数年を経て、世界的会社から業績低迷会社になるなか、後継の二代目社長が息子に三代目社長を継がし、その直後に会社の決算が数期にわたって不正がでてきて、修正をすれば資本不足に陥る可能性があり、外資系を含めて金融三社から増資を仰ぎ、二代目、三代目は退陣、新しい経営陣により目下再建を図っています。

 まもなくパナソニック電機の子会社になる予定で、ここまでいえば社名はおのずから分かることと思います。これなんかは、まさに自己の一族の利益のために世界的企業といわれた会社を危機に陥れ、関連会社を含めて数十万人の社員や株主それに取引先、顧客に多大の迷惑をかけた大きな責任をとわれてしかるべきだと思います。
 この点、パナソニック電機グループは、かの有名な松下幸之助氏のあとは、一時二代目を娘婿が社長を継ぎましたが、それもしばらくで世襲制をとることなく真に社長にふさわしい人を社長に据えるのと、前のS電機とは大違いです。
 会社は大きくなればなるほど、社会の公器です、社会的責任がますます大きくなります。この点からいってもS電機の二代目、三代目は話になりません。

 このようにいままで掲げてきた「継続的な努力」が如何に大切かを再認識することになったと思います。
つぎは、事業ということで会社の寿命についてに進みたいと思います。

2010年1月22日金曜日

24日・心に響く詩「Yes, You  Can!」♪

 
暦のうえではあと10日後に「節分」を控えるこの時期に、古都奈良では春を呼ぶ若草山の山焼きが行われた。これに先立って「平城京遷都1300年祭」を祝って例年の3倍の花火が打ち上げられた。古都奈良に春を呼ぶ風物詩のうちの一つである。


      炎が広がる若草山。手前は平城宮跡で復元整備中の大極殿=奈良市で2010年1月23日

【奈良・若草山】春を呼ぶ山焼き 古都の夜空を焦がす!
 古都・奈良に春を呼ぶ若草山(奈良市)の山焼きが、23日夜にあった。東大寺や興福寺の周辺などふもとの奈良公園一帯で、約18万人が古都の夜空を焦がす炎に見入った。 山焼きの点火に先立ち、午後6時から花火の打ち上げ。今年は1日に開幕した平城遷都1300年祭を記念して約600発に増やし、全国花火競技大会の受賞作などが鮮やかに冬の夜空を彩った。その後、草地に一斉に点火し、約1時間かけて約33ヘクタールをゆっくりと焼いた。

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最近、インターネットのネット・サーフィンしていたら、ここに掲げる心に響く詩「Yes, You Can!」に出会いました。みなさんに勇気と励ましを与える「詩」だと思い、ここに引用させてもらいました。

「Yas, You  Can!」♪


できると思う心のどこかに
無理かもしれないと思う心があると
 つぎからつぎに無理がでてくる

負けるかもしれないと思う心があると
 そこであなたは負ける

もうダメかなと思う心があると
 そこからあなたはダメになる

失敗しそうだなと思う心があると
 あなたは確かに失敗する

成功している人を見なさい
最後まで成功を願い続けた人だけが
 成功しているではないか

すべては「あなたの心」が決めるのだ

もしあなたがそうしたいなら
 あなたはその通りのことができる

さあー出発だ

強い人が必ず勝つとは限らない
すばしっこい人が勝つとは限らない
頭の良い人が必ず勝つとは限らない

Yes, You Can

「わたしはできる」そう信じている人が
結局は勝つのだ

 
あなたが自分自身に誠実に話すとき
そこには過去や未来は関係なく、
真実が永遠に輝く。

偽りの自分でなく
本当の自分に誠実に話す、
それだけが本当の正しさ。

あなたは自分の中に預言者が住んでいるのを知っている。
あなたの予言者を閉じ込めないで。
それは絶対に避けてほしい。

ある願いがあなたの中に生れたとき
同時にあなたの中に
それを実現させる力があることに気づく。

それこそがあなたの預言者。

あなたはできる、
そしてあなたの預言者はできるということを知っている。

でもその実現させる力の芽はまだ柔らかい。
その柔らかな芽を鋼に変えるのも
恐れや不安でしぼませるのもあなた。

あなたの予言者を閉じ込めないで。
柔らかな芽を育てて欲しい。

今、あなたに伝えたい。
あなたが出会うことのすべてはあなた自身が招き寄せたもの。

その発展の方向を決めるのは
神でもなく、他人でもなく、他の誰でもなく、
あなた自身。


23日.「勘とか閃き」、ついでに「女の勘」について!




     赤い矢印で示している黄色の部位が「脳梁」

『勘』と『閃き』の関係について,いろいろ考えましたが結局こういうことではないでしょうか? それに、ついでに「女の勘」の考察から「男女の脳の構造の相違」について!

 「勘」といえば直感力や動物的に本能的に働く感性とでもいおうか、「閃き」もこれと同じように今まで積んできた経験から瞬間的にパッと感じる無意識に働く動物的な勘とでもいおうか、以下もう少し考えてみよう。

物事をとことんまで突き詰めていると、勘の当たりが良くなるような気がします。
 ― 小柴 昌俊 ―  (ノーベル物理学者)

 勘とは、物事を直感的に感じ取る能力です。 直観的に感じるというと、偶然の産物だと思われがちです。

 しかし、勘というものは、洞察力ですから、繰り返された過去の経験によって構築された洞察力によって培われるものです。
 ですから、何事も、とことん突き止めたことに対して、勘のあたりが良くなるものなのです。したがって、人のなかには「敏感な人」「鈍感な人」がおります。この違いは上にある「物事をとことん突き詰めているか、どうか?」にかかってきます。

「職人の勘」というのもあります。これも大工だったら大工の仕事をとことん突き詰めてやっているうちに、長年の経験によって定規を用いなくとも、ぴったりの寸法に収まる仕事ができるのです。

『勘』については、勘がよい、悪いに始まって、上にあげた「職人の勘」「勝負勘」や「女性の勘」等いろいろ言われますが、今回はこのうち「勝負勘」と「女性の勘」について書こうと思います。

 わたしのBLOGの常連さんはほとんど女性方ですので、コメントを沢山書き込んでください。では「勝負勘」から・・・

 岡部元中央競馬騎手の著作「勝負勘」から名言といわれる「勝負勘を得る手がかりは努力と経験であり、勝利を獲得するポイントは、その瞬間に選択しなければばならない」という一言です。

 勝負勘=押し引き又はここぞの決断と言えなくはないだろう。

 麻雀は勝負事であるから、「勝負勘」が無いと勝てないのは自明の理。
ここで注目したいのは、勝負勘の素養が「努力と経験」で培うものということ。

 努力は、とにかく麻雀が上手くなろうと、色々な事を絶えず貪欲に吸収しよういう姿勢であり、経験は、正に自分の理想の型を、無いかもしれない、或いは何時得られるかをわからない型を何時も求めつつ実践するものではないだろうか!

 かの有名なエジソンは「99%の汗と1%のひらめき」という名言を残しました。
それは論理と感情の関係にも似ています。言うなれば、99%の論理力と1%の直観力です。アイデアマンと呼ばれている人達も、おそらく最初は1%の発想から出発するのです。
 
 ただ、言いっぱなしではダメで、それを実現して初めて意味があるのです。状況によっては50%の論理力と50%の直観力でもいいのです。いずれにしても、私が言いたいのは、論理と直観の両方がなければいけないということ、そして、アイデアやプランを実行するときには強い論理力が必要だということです。

 1%のひらめきを実現するには、99%の論理力が必要になるのです。逆に言えば、ヒット商品のアイデアの基となる1%の「ひらめき」を生むためには、99%の「論理力」という土壌がなければならないのです。

「ひらめき」と聴くと、あるとき偶然生まれる、空から降ってくる天からの啓示?的な?…そんなもののような感じを受けてしまいがち。しかし、実のところはそうではないのではないか?と。もしかしたらひらめき、直感とは「必然」なのではないか、との思いがある。

 スポーツだってそうでしょう。右か左か。ある究極の選択を迫られた瞬間に、頭は右だと分かっている…しかし身体が「左だ!」と言っている…そういうことに出くわす瞬間があるそうだ。しかもそれは一流であればあるほど、だ。一流である自分の「経験」から導き出される、論理を超越したモノ…。動物的な勘。これこそがひらめきの正体なのではないだろうか。

 一見、こいつは非論理的だ。しかしてそれは非・論理的でありながら、実は最も論理的なのである。心理っぽく言えば、意識の処理を超えた、無意識の処理の賜物、だろうか。

 99%の経験の集積が、1%のひらめきと直観を生むのだ。そのひらめきを起こしたくば、一日一日の修練こそが大切であり、陽の当たらない陰での努力が必須になる。

 話が変わりますが、みなさんよくご存じの女の人には「おんなの勘」というものが備わっていて、これがまた鋭いのですね~!どうしてこうも当たるのか?と思われるぐらいよくあたります。

 女性って、なんで勘が鋭いんかなぁ…とふと思ったので、とりあえず調べてみたのです。
調べてみれば、勘っていうのは特殊な能力でもなんでもなくて、実は脳の一部の器官が、「勘」に関わっているんですね。そこでちょっと脇にそれますが、男と女の「脳」の違いを調べたのです。そこにはこうありました。

 当たり前の話ですが、男と女は違います。体の造りが違うのもさることながら、その考え方も違います。まあ、中には男らしい女の方もいますし、女らしい男の方もいますが。

 何が男らしくて何が女らしいのかは個人的な意見が分かれるところでしょうが、違うことだけは確かですよね。考え方が違うということは、脳の何かが違うということは推測できますが、では具体的に男と女の脳の違いってどこにあるのでしょうか。
 
 男と女の脳の物理的な違い
 まず、見た目である程度それとわかる男の女の脳の物理的・機能的な違いから見ていきましょう。
大きさ・重さの違い基本的に、男の脳の方が大きく、重いです。
生まれたばかりの赤ん坊の時は男女差はほとんど見られませんが、成長するにつれて徐々に差が生まれ、大人になると男は1400~1500グラム程度、女は1200~1250グラム程度になります。

 ただし、あくまでも重さと大きさが違うだけなので、これをもって「男の方が女より賢い」というのは間違いです。脳の大きさ・重さと知能の高さの間に因果関係は全くありません。

 周期性の違い
 大人の女の人には、生理というものがあります。これに代表されるように、女の脳には周期性があり、さらに精神的にも周期性があるといわれています。これは、女の脳から発生するホルモンの分泌に周期性があるからです。
ちなみに、男性には女性のような周期性は存在していません。

 構造の違い
 人間の男女間の脳の構造の違いはいくつかありますが、代表的なのは右脳と左脳をつなぐ脳梁の形と大きさが違うところです。女性の方が丸みがかっていて、比率が大きいです。明確な違いがあるため、男と女の意識を決定付けているのはこれだと指摘する専門家も少なくありません。どうも「女の勘」がこれに関係しているようです。

 男と女の脳の思考に関わる違い
 物理的な違いは今見てきましたが、では、内部の仕組みから見ると男と女の脳はどう違うのでしょうか。

 空間認識の違い
 ある調査によると、男と女にある建物の設計図を見せたところ、男性の場合はある決まった場所が集中的に働いているのに対し、女性の脳が働いている場所はこれといって決まっていなかったそうです。このことから、男性は空間把握がうまくできるが女性は余りうまくできないといわれています。
女の人は理論的に物事を考えることが余り得意ではないのでしょうか。もしかしたら、理系方面に女性が少ないのもそれが理由なのかもしれません。
ただ、女性でも理系が得意な人はいますから、ここは個人差が出る部分でもありますね。

 言語力の違い
 よく、「口げんかじゃ女性には勝てない」とか「女性はよくしゃべる」とか「女性は感情的になりやすい」とか言われていますが、こういう現象を脳の働きという観点から見ると、非常に面白いことがわかります。
先ほど、女は右脳と左脳をつなぐ脳梁が男のものよりも大きいという話をしましたが、これにより、会話をする時に女性は脳全体を使って話をしていることがわかっています。逆に、男性はほとんど言語中枢がある左脳だけを使って会話をしています。男性は理論立てて必要事項を話そうとするのに対し、女性は無駄な話も会話の中に入ってきます。ですから、余計な会話が多くなりがちな女性はよくしゃべるといわれるわけですね。

 また、女性が感情的になりやすいのは、会話しているときに言語中枢以外のところも使っているので全ての情報が混在し、理論立ててまとまった話ができなくなる傾向があるからだと言われています。
男性の場合は、会話するときに使う部分、理論を組み立てるときに使う部分、感情的になる部分というのが脳の中で区分けされているので会話中などは感情的になりにくいとのこと。従って、異性と口げんかしたときに大体女性に男性が言い負かされてしまうのは、男が必要事項をまとめようとし、感情的になりにくいからだというわけです。

 ただし、女性でも常に冷静な方もいますし、男性でも感情丸出しな人もいるわけですから、あくまでも傾向であって万人に通用することではありません

「勘」を司っている器官は、うえにも出てきましたが脳梁(のうりょう)と呼ばれるものです。これは、右脳と左脳を繋げている器官なんです。
男性と女性とではこの脳梁の大きさが異なり、男性より女性のほうが大きいです。

 脳梁が大きければ大きいほど、右脳と左脳の情報交換が活発に行われるので、女性のほうが過去の経過とか未来の予想を算出するのに適しているといえます。
医学の側から見た「女性の勘が鋭い理由」って、こういうことだったんですね。

 記憶力とかも関係するんだろうけど、それらも調べれば「エストロゲンという物質うんぬん」っていう難しい話になるし、これは女性特有の女性ホルモンの一種です。ところで、中高年になって、これら女性ホルモンが切れたり、切れかかった女性はどう変化してゆくのか、よ~く観察、観察!
どうして、女性には自己防衛のために本能的に動物の勘に似た感覚があるのでしょうか?

 “弱きもの、汝の名はおんな也 ” ではなくって”若き草食系男子也”!この世の未来はどうなるの?

 「創造力」「想像力」の説明は、ひとまずこれにて終わります。つぎは、何を書こうかなぁ~、しばらく考えて次へ進みます。

2010年1月20日水曜日

22日・「創造力」の開発と発揮について!



    「経営哲学を説く稲盛和夫氏とその著書(下)


 はじめに「創造力」という言葉が、どうやって創造されたのかについて説明しましよう。「創造力」ということばがなかったころ、詳しくは、明治維新前のことであるが、外国語からの 翻訳語、たとえば、フィジックスは「物理学」と訳され、マセマティクスは「数学」と訳された。 外国から文明を輸入、いいかえれば、模倣したのである。 模倣の対義語として、「新しいものを生み出すこと」という意味の漢字で創造力(そうぞうりょく)は、一般に過去に存在しない、新たなもの、アイディアを初めて作り出す、考え出す能力をさします。

 現在では一般に考えられているように無から作り出すのではなく、既知のものの組み合わせで作り出すものと考えられています。そのため、「応用力」との線引きが難しい面も否定できない。

 あらためて、「創造」と「応用」の定義の違いに触れてみると、創造力とは、新しいものを初めて作り出す能力のことであり、応用力とは、原理・知識・技術を実際的なことがらにあてはめて活用することである。

 そこで、「創造力」ということをより理解するために、「創造力」についての名言を幾つか掲げてみます。そのほうがより分かりやすいと思いますから・・・

 最近の国内におけるビッグニュースは民主党・小沢幹事長の政治資金疑惑と日本航空の経営の行方でした。それが19日日本航空が破綻し、会社更生法適用を申請した、とあります。負債は2.3兆円、この背景には長年にわたる「政官業」もたれ合いのツケが回り、「日の丸」の旗を背負った日航が、20人の役員全員が辞任し、あとを「京都セラミックス」名誉会長稲森和夫氏(77)を代表取締役会長に招き新役員の選任を進め、再建を目指す。 

 倒産の原因は政官業のもたれ合いによる「責任者不在」の構造があった。長年の自民党政権下で地方空港を造り続け、完成すると航空会社に就航を迫った。全国97の空港と新幹線、高速道路が旅客を奪い合い、初めから採算が取れない航路に就航や高速道路料金の大幅割引、日航の会社への不信感等があるなかで抜本的な経営の見直しをすることなく体質改善をしないままズルズルと引き延ばしをする体質についに終止符が打たれた。

 日航は新しい経営陣のもと、どのような再生をとげるのか、それは見ものであろう。その陣頭指揮を執るのが先に挙げた京セラ稲森和夫名誉会長、その人であるが、若くしてベンチュアー企業「京都セラミックス」を創業、氏一代にして世界的な企業に育て挙げた力量を買われての起用であろうし、民主党とも親密な間柄にある。

 そこで、「創造力」についての名言の最初は”日本航空の再建を託された「時の人」稲森和夫氏の名言から始めよう!氏は運輸業界にはずぶの素人というが、こと経営の在り方についてはどの業界にも共通項があるので、専門分野は下に専門のプロを起用すればよい。これらに人を如何にまとめられるか焦点になろう。そこで
氏の人となりや考え方が幾分かでも理解できようというもの・・・!日航再建への舵とりや如何に!

(稲盛和夫氏の「創造力」の名言)
“創造的な仕事とは、高度な技術を開発するということばかりではない。今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫をこらし、改良、改善を積み上げていくことである。一人ひとりが自分の持ち場で、もっと能率の上がる方法はないか、昨日の欠点をどうしたら直せるか、考える習慣をつけることだ”。

【稲盛和夫、いなもり・かずお、日本の実業家、京セラ・第二電電(現KDDI)・携帯電話会社エーユーなどの会社を立ち上げ軌道に乗せる。鹿児島出身。鹿児島大学工学部卒。技術者でありながら会計に明るく、堅実な事業展開を行う。事業だけにとどまらず盛和塾という私塾を非営利に主催、若手経営者の育成を行っている。京セラの会計についての著書「実学」がベストセラーになる。

稲盛和夫の言葉
“人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力 ”
能力とは、才能や知能といった「先天的な資質」を表し、熱意とは、情熱や努力する心といった「後天的な努力」を表す。考え方とは、哲学や思想、倫理観といった生きる姿勢、それらをすべて包含した「人格」を表す。本人によると、最も大事なものが考え方であり、能力と熱意は0点から100点までの点数があるのに対し、考え方はマイナス100点からプラス100点までが存在する、とされている。

“動機善なりや、私心なかりしか”
DDIを設立し、電気通信事業へ参入するにあたって、自身の動機に利己的な心、「私心」がないかと、半年間にわたり自問したときの言葉。

“楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する ”
物事を行うときに取るべき態度を表した言葉。構想を練る段階では、そのアイデアの可能性を引き出せるように楽観的になるのがよい。具体的な計画を立てる段階では、あらゆるリスクを想定し、慎重かつ細心の注意を払って厳密にプランを練るのがよい。実行する段階では、思い切って行動するのがよい。

“自燃性の人間、可燃性の人間、不燃性の人間 ”
ここでいう燃性とは、物事に対する熱意や情熱を表す。自燃性の人間とは、自分から率先して物事に取り組み、エネルギーを周囲に分け与える人を指す。可燃性の人間とは、自燃性の人や、既に燃え上がっている可燃性の人の影響を受けて燃え上がる人を指す。不燃性の人間とは、周囲からエネルギーを与えられても燃え上がらず、むしろ周りの人から熱意や情熱を奪う人を指す。

  稲盛経営12ヶ条               .
 1.事業の目的・意義を明確にする
 2.具体的な目標を立てる
 3.強烈な願望を心に抱く
 4.誰にも負けない努力をする
 5.売り上げを最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
 6.値決めは経営
 7.経営は強い意志で決まる
 8.燃える闘魂
 9.勇気をもって事にあたる
10.常創造的な仕事をする
11.思いやりの心で誠実に
12.常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
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“私の頭の中には「創造力」というバッテリーが詰まっているわけではない。苦しまぎれの思いつきなのだ”

【本田宗一郎】(ほんだ そういちろう、1906年11月17日 - 1991年8月5日)は、日本の実業家、技術者。本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。戦後日本を代表する技術者・起業家として世界的に知られている。正三位勲一等旭日大綬章、米国自動車殿堂入り
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“創造力を身につけるために、五感をフルに使うことが必要なんですね ”            
【田崎真也】田崎 真也(たさき しんや、1958年3月21日 - )ソムリエ、料理評論家
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“すぐれた科学者は一芸に秀でた人間というよりも、むしろあらゆる視野を兼ね備えた教養人です”           科学者・ノーベル賞受賞、江崎玲於奈
この名言に続いて、下記の言葉が続く。
“この幅広く、多角的な視点を持つということは、創造性の創造力になるかもしれません”
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創造的な企業は、必ずビジョンを持っている          土光敏夫(エンジニア、実業家、財界人、第4代経団連会長)
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「勘」の力 松下幸之助

「勘」というと一般的になんとなく曖昧なもののように思われるけど、
習練を積み重ねたところから生まれる「勘」というものは
科学も及ばない正確性、的確性をもっている。

そこに人間の習練の尊さというものがある。
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「Imagination is more important than knowledge!」
“想像力(=創造力)は、知識よりも重要である”       アインシュタイン

創造力×想像力の2つの力、創造力とは、現在存在しないものを新たに創りだす力のこと、想像力とは、今までの自分の知識を基に描く力のこと、2つの力が必要です。
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”人間に理性と創造力が与えられているのは自分に与えられたものを増やすためである。しかし、人間は今日まで破壊するばかりで創造したためしがない“
          作家・詩人、チェーホフ
                以上

2010年1月19日火曜日

20日・「創造力」を高めるための「現状否定」について!


 これまで「温故知新」に始まり「温故創新」から「努力」、「創造力」「記憶力」と展開してきたが、きょうは改善・創造を生み出すのは「現状に疑いをもったり、現状を否定」する姿勢から生み出されることについて、わが国の政治の世界に目を向けてお話を進めたい。              
 
最近の世界的に注目される大きな変化は、昨年1月「CHANGE]を掲げて登場した黒人初の米国オバマ大統領の誕生による米国の政策の単独行動主義から協調主義への大転換であり、わが国においても長年の自民党政権から民主党への政権交代であり、そこには大きな政策転換がうかがえる。     
 
すなわち、「コンクリートから人へ・・・」というキャッチフレーズのもと、「コンクリート」(ハコモノ・ハード)から「人」(ソフト)へと政策の舵を大きく切り、政治を変えようとしている。
 
たまたま、いまは民主党・小沢幹事長の政治資金不正献金事件で政局が大きく揺らいでいる。これを皮肉を込めて、「ゼネコンから小沢へ・・・」といわれ、疑惑の解消をもとめ、民主党の信頼が大きく損なわれて、大幅な支持率低下としてはね返り、今後の政局の行方が注目の的となっている今日である。        

この民主党への政権交代に伴って予算の編成も「事業仕分け」という手法が導入され、昨年11月はこの「事業仕分け」の行方が大いに注目された。こらなんかも、政権交代にもとずく「予算編成」の在り方の変化であり、手段の変化であろう。
 
このように国の政権交代や組織のトップが交代することに伴い、おのずから方針が変わり、この変わった方針を受けて、達成のためのやり方にも大きな変化がでてくるのは当然のことであろう。
 
この変化に対応してわれわれ自身の対応の仕方も変わらざるを得ないし、それよりも起こりうる変化を予想してそれを先取りした形でわれわれ自身が打つ手を編み出さなければならない。それには柔軟な思考で変化にマッチングさせなければならない運命にある。これが、生き残りの条件になろう。

 ただ、第一回目の「事業仕分け」のテレビ中継を観ていての感想であるが、初めに結論ありきで多分にパーフォーマンスで、質問する側もそのことを果たしてどれだけ理解し、受けて回答する側も説明の言葉を尽くせたのか、予算審議がオープンにされることには総論賛成、各論についてはまだまだ研究の余地大というのが偽らざる思いで、考え方によっては中国の「文化大革命」的な感じがしないでもない。
 
そこで、この「事業仕分け」について、最近とみに名前が売れている経済評論家・勝間和代氏の登場願い、今回の新しいやり方についてコメントをもらってみよう!                        
(「勝間和代氏の事業仕分けに対するコメント」)

今回は、私たち市民がもっと幅広く政策評価にかかわり、事業仕分けのような意見表明を草の根活動で行うことを提案したいと思います。

 ここ数週間、事業仕分けの話題がニュースをにぎわせてきました。これまで限られた専門家が密室で決めてきたさまざまな予算配分について、本当にその予算が必要なのかどうか、専門家以外の人が、専門家に対して、素朴な疑問をぶつけ、行政の意味を問い直すものでした。事業仕分けの意義は「専門家以外の人がチェックする」「プロセスを密室から公開にする」の二つにあったと考えています。
 
もちろん、現在の事業仕分けのやり方がパーフェクトなわけではありません。例えば、仕分け対象の事業の選び方に恣意(しい)性がなかったのかどうか、本当に必要な予算も削減されているのではないかという懸念はあります。現に私自身も子育て関連のNPO(非営利組織)を支援する基金が事業仕分けでいくつかなくなったことを憂い、早急にそれを補う基金を創設するよう、鳩山由紀夫首相に向けた要請書を提出したくらいです。

 しかし、そうやって懸念を表明する私でも、技術面やプロセスに改善の余地があるにせよ、理念としての事業仕分け活動には強く賛同しています。なぜなら政府の説明責任を高める結果につながり、市民と政策関係者が一体となって、本当に自分たちに必要かどうかを査定する仕組みが構築されつつあるためです。
 
そして、この流れを加速させるべく、草の根の事業仕分け活動を行うことを提案したいと思います。自分自身の身近な問題について、どういう予算が必要で、どういう予算が不要かの意見を表明し続けるということです。
 例えば、私は「ムギ畑」という働く母親のインターネット・コミュニティーを作り、「ムギ畑」の声を集めて出版したり、関係者に意見書を提出したりというような活動をしてきました。その中で子どもに対する直接給付の倍増と保育園の待機児童の解消を訴えてきました。

 このような活動は、事業仕分けを適用すると、より効果的になると考えます。政府だけでなく、自治体でも、市民一人一人の目線から判断すると、子育てに回されるべき予算が、むだな事業に費やされていることが分かるかもしれないからです。

 これまで予算の使い道は、行政に委ねてしまっていた面があることは否定できません。その結果、市民の目の届かないところで予算配分が決められ、むだが放置されてきた恐れがあります。限られた財源で予算を効率的に使うには、市民が参加して、むだを洗い出すことが不可欠です。

 草の根の事業仕分け活動は、より身近なところではブログ、ツイッターなども利用できるでしょう。最初は一人の小さな書き込みやつぶやきだったとしても、点であった活動が線や面のように広がる可能性があります。個人ではできないことも、多くの人数が賛同すればするほど政治を動かす力になります。

 ぜひ、身近な関心事項について、草の根事業仕分け活動を行ってみることをお勧めします。(経済評論家)

2010年1月16日土曜日

17日・ 「創造力」と『記憶力」その2.  疑いをもたない秀才よりも、成績が悪くとも疑いをもった方がよい!.







塩野七生 「演題:21世紀にどう入っていくか」から

今日は17日、多大の犠牲を出した阪神大震災から15年、国外ではハイチの大地震で死亡者数が20万人にも達するとか、政治の世界では政権与党の民主党小沢幹事長の献金問題で大激震が走っている。はたしてこの行方はいかなることになるのだろうか、国民挙げて注目の的である。

 昨日に続いて今日は作家塩野七生氏のお話をうかがうことにしましょう

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 塩野 七生(しおの ななみ、1937年7月7日 - )は、日本の小説家。女性。 「七生」の名は、7月7日の「生まれ」であることに由来する。作家としては『ローマ人の物語』全15巻は好評で多くのファンをもつ。氏の語り口は、女性にしては本質を見極め、歯に衣を着せぬ辛辣な表現がファンをひきつけている。
 受賞・1970年 毎日出版文化賞・82年 サントリー学芸賞『海の都の物語』・83年 菊池寛賞
 1993年 新潮学芸賞『ローマ人の物語Ⅰローマは一日にしてならず』
  99年 司馬遼太郎賞・2000年 イタリア共和国功労勲章(グランデ・ウッフィチャーレ章)
 2005年 紫綬褒章・07年 文化功労者

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来歴・人物
 東京都生まれ。東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。父親は、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。日比谷高校時代は庄司薫、古井由吉らが同級生だった。1963年からイタリアへ遊学し、1968年に帰国すると執筆を開始。雑誌『中央公論』掲載の『ルネサンスの女たち』で作家デビューを果す。1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。又同年から再びイタリアへ移り住む。ローマ名誉市民を経て、イタリア人医師と結婚(後に離婚した)。一子あり。イタリア永住権を得ており、現在もイタリアの首都・ローマに在住。舞台をイタリア中心に限定し、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆し続ける。チェーザレ・ボルジアやネロのような血統と魅力と能力に恵まれた男性権力者、特にユリウス・カエサルの熱烈な崇拝者で、政治家としての理想像はカエサルであると公言している(反面、カエサルを「寝取った」クレオパトラや、チェーザレとの関係が噂されたルクレツィア・ボルジアのような「恋敵」への評価はかなり辛辣である)。執筆活動はイタリアで行っている。また、現在の政治家として英国のトニー・ブレア前首相を高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている。ブレアは後年、イラク戦争参戦で激しい攻撃を受けるが、一方で反対勢力に対し最も言葉を尽くしてその大義を説いていたのもブレアである。
1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年第15巻『ローマ世界の終焉』にて完結した。『ローマ人の物語』は現在でも文庫版で刊行を続けており、多数のファンを獲得している。現在も『文藝春秋』でエッセイを担当しており、歯に衣着せぬ論評が好評を博している
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疑いを持たない秀才よりも成績が悪くても疑いを持ったほうがいい!
 
私の出た高等学校は東京都立の日比谷高校です。今は知りませんが、私がいた頃の日比谷高校には、日本中の秀才が集っていたんです。私は秀才ではありませんでしたけれど。中にはノーベル賞を受賞した利根川進さんもいました。
 
それで、そういう秀才たちが今どういうところに就いているのかというと、大企業の大変いいところか、それとも官庁のずっといいところにいる人が非常に多い。そして、最近は不祥事なんかが起きると、しばしば名を連ねています。

 そういう中にいて、少女時代の私は成績が悪かったものですから、どうして彼らは成績がいいんだろうと考えたんです。彼らがみんな記憶力がいいという事実は、やはり認めざるを得ませんでした。 でも、記憶力というのは、今やコンピュータなどがあるわけですから、もう絶対に必要な能力だとは言えません。
 そして、次にわかったのは、そういう成績のいい人たちは、みんな、先生の話に疑いを持たない人たちだということでした。疑いを持たないから、先生の話がすうっと耳に入ってくるわけでしょう。

 ところが私を始めとする成績の悪い生徒は先生が言った一言がびゅっと頭の中にくると、その刺激で連想につながって、すっかりほかのことを考えてしまうんです。そのため、その後の先生の話は一切頭に入ってこないようになってしまう。ですから、当時は、疑いをもたないことが秀才になる一つの要因だ、なんて思っていたくらいです。

 しかし、そうではないんですね。やはり疑いを持ったほうがいいんです。何にでも疑いを持つということは、後々まで役立つことだなと、今はつくづく思っています。たとえ、学校の成績がよくなくても、疑いを持ったほうがいいということですね。

16歳の頃にはまったことに今もはまったままでいる

 はっきり言うと、先生の話に刺激を受けてほかのことを連想することは、決して欠点ではないのです。そういう刺激を受けた途端にそれに反応するというのは、好奇心が強いという証拠なのです。この好奇心だけは、私はやはり人並みにあったような気がします。
 
16歳の頃、ある本を読んで、それでたちまち私は地中海世界にはまってしまいました。もうその年にはギリシャ語とラテン語をはじめました。当時はどこにも教えてくれるところがなかったので、独学で始めたんです。
 
大学でも、ギリシャ語とラテン語を学びたいと思いました。それを教えている先生が東京大学にいらっしゃるので、私は東京大学を受けました。そうしたら、ものの見事に落ちちゃいました。
 
当時の日比谷高校では、最初の3分の1はそのままストレートに東大へ行き、次の3分の1は一浪して東大へ行くという学校だったのです。一浪するぐらいは何でもなかったのですけど、私の場合は「どうも一浪してもは入れないなあ」と見極めをつけてざるを得なかったわけです。
 
東大でギリシャ語を教えているという先生は、呉茂一という方でした。東大を諦めざるをえなかった私はどうしたかというと、その先生がほかに何処かの大学に出張講義をしておられるのだろうかと探したんです。そうしたら学習院大学でも教えていらした。で、学習院大学なら入れるだろうと思って受けまして、先生の指導を受けることができたんです。
 
考えてみれば、私は16歳の頃にはまっちゃったことに、今もまだ、はまったままでいるんですね。それがよかったか、悪かったかは別として。

 しかし、本当を言うと、私の高校時代は孤独でした。ギリシャ、ローマなんていっても、同級生の誰一人として関心を持つ人がいなかったからです。誰にも理解してもらえなかったんですから。あの当時を思い出すと高校時代の同期会にはあまり行きたくない気もするのです。
好奇心が文明というものを生み出した
 
好奇心を働かせることで他者から受けた刺激をもとにして何か新しいものを創造するという現象は、文明の発祥にしばしばつながります。

 一つの例が地中海です。なぜあそこで三大宗教のうちの二つまでが生まれ、哲学が生まれ、民主主義体制までふくめたすべての政体が生まれたのか。それは、舟で行き来する程度の交通手段しかなかった時代にとって、ちょうどいい大きさだったからだと思うんです。異分子がぶつかり合うのにちょうどいい広さだった。

 だからギリシャでも、ギリシャ文明の最初はアテネから始まってはいません。現在ではトルコになりますが、小アジアの西岸地帯のイオニア地方というところから始まりました。
 あの一帯には良港が沢山ありまして、オリエントのものとオチデント(西洋のこと)各地方からの物産が集ってきたんです。

 そうやって商品が運ばれてくるということは、人間が運ばれてくるということでもあります。人と物の往来が激しいということは、別の考えも入ってくるということです。
 
そういうところには刺激があります。刺激を受けそれに反応することによって、始めて新しいものが生まれるのです。新しい物が生まれるというのは、つまり、いろいろの刺激というものを好奇心でフォローして、それを自分の中で耕すことによって成されるからでしょう。

 それは、例えば、饅頭一つ作るのでも違ってくるのです。小豆の代わりにクリームを入れてみたらどうだろうかというように。そういう小さいことにまで、何か違った要素が入ってくるのです。
そうして、新しいものが作られていくわけです。この意味でも、好奇心というのは大切なんです。

2010年1月15日金曜日

16日・「創造力」と『記憶力」、「東大」:「日大」!


         東京大学・安田講堂


         日本大学本部ビル

         境野勝悟氏とその著作











 今日16日と明日17日は全国で大学入試センター試験、また明日は阪神大震災から15年を迎える。各報道陣も特集番組を組み、その後の様子を報道するだろう。ごく最近ハイチの大震災で十万人を超える人が犠牲になり、救出、援助がままならぬよう報じられているが、いつ、同じようなことがわが身かと思うと他人事とは思えない恐怖である。 

ところで、先日来「温故知新」から「温故創新」の時代へと、ということでお話を進めてきました。が、そこでは「努力」することばかりが強調され、「創造力」や「記憶力」その他のことには、余り触れられずにきました。しかし、「努力だけでは全てが成就しません。また、いつもBLOGにお訪ね下さる方から「勘」とか「閃き」についてのご質問も頂戴しました。

「努力」の名言の中に、発明王エジソンは1パーセントのヒラメキがなければ、99パーセントの「努力」は無駄である、といっています。これらアイデアを生み出す能力、ヒラメキがどうしたら得られるのか?かくいうわたし自身「創造的」能力にはあまり自信がなく、「創」に憧れをもつものの一人です。

 大分前のことになりますが、ある方のBLOGで、「記憶力(暗記力)」と「創造力」とを面白い対比で表現されているのを見たことがあります。そのときは大変興味を覚え、いまでも少しは覚えております。そこで、そのお方の記事から少しく、引用させて頂くと次のようにあります。

 この方の意見は次の二氏の講演、境野勝悟氏「東大型か日大型か?」と塩野七生氏「21世紀にどう入ってゆくか?」から二氏の見解を集約されたものです。

 はじめに、境野勝悟氏「東大型か日大型か?」からその要約です。

 ここでいう東大:日大は1969(昭和44)年、全学連の全共闘が占拠する東大・安田講堂の占拠を封鎖解除や、日大でも全共闘の封鎖が解除されるなど、学園紛争が終焉にむかった。安田講堂に篭城する全共闘のメンバーからコンクリート片や火炎瓶が警察めがけて投げ落とされるのを、TVを通じて闘争のすさまじさを目の当たりにした記憶があるが、この全共闘の東大:日大ではなく、入学・学生・卒業生としての両校の対比である。

境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の哲学者、東洋思想研究家、作家。神奈川県横浜市出身。1955年、早稲田大学教育学部卒業(国語国文学)。同年より、私立栄光学園にて国語科教員として教鞭を執る。1973年、同校を退職。その後、駒澤大学大学院博士後期課程満期退学。現在、神奈川県大磯町にて「道塾慶陽館」を主宰。また、全国各地にて講演会を開催している。

・・・近年、受験競争が激化して全教科の試験成績が平均して良くないと東大には入学できなくなってしまった。そして、教員生活をつづけているうちに、○○学園から毎年、東大にストレートで入っていく生徒の特徴、記憶力の権化のような生徒の特異性に疑問を抱くようになった。
 私は教育の理念は「努力」、勉強は努力だ!といってきた。そして、確かに努力して勉強すれば、5段階評価で、1の人は努力すると2に上がる。2の人は3に、3の人は4になる。
 ところが、4の人は努力してもやはり4で、5にはなれない。記憶力抜群の連中が5を独占しまっている。4の人が5に登ってもすぐ落ちてしまう。4の人は努力の人、5の人は生まれつきの人なのだ。
 本当にこれでいいのか。記憶力の権化だけが東大に入っていく今の教育はどこか間違っているのではないか。そう考えて、「長所だけの人間がいるはずがない。記憶力の権化のような生徒にも短所、能力欠点があるはずだ」と観察を続けて、東大型生徒の欠点を明らかにすることができた。
人間が持っている脳力について

   2大基本能力   
記憶力 =(受動能力)
創造力 =(能動能力) -- 自発性
記憶力 + 創造力 = 10
 
 それは、○○学園の観察からわかったことで、『誰でも持っている2大基本能力、すなわち、記憶力と創造力には「たして10」という性質がある』ということ。したがって、記憶力の権化のような生徒は記憶力が10だから創造力は0、創造力をもっていない。だから、教えられたことしか記憶できないし、新しいことを工夫することができない。そして、この記憶力抜群の生徒の特徴は笑わない、笑えないということである。
 
世の中に出ると、教えられないことを自分で考えて処理していかなければならない。教えられたことしか考えられない、正解のあることしかできない人間では、生きている問題の処理ができる筈がない。

 記憶力型の人間は、「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば並の人」ということわざ、そのものなのだ。
大抵の人は記憶力と創造力をバランス良く持っている。だから、社会で仕事ができる。社会に出て、本当に活躍している人、組織のトップに立って成功している人は記憶力型ではなくて創造力型の人間なのだ。

 今、世の中で、営業の場で活躍しているのは日大型といわれる人。営業活動は相手の気持ちを受け取れなければ成立しないものだ。どんなスポーツでも、相手の気持ちを考えられなければ、自分だけがどんなに頑張っても絶対に勝てない。相手の気持ちなど誰も教えられない、相手本人が教えてくれることなどまずありえない。相手の気持ちは自分で読む必要があるのだ。そんな場に置かれる営業活動だから、相手の気持ちを考えられるスポーツ選手が社会で活躍できるのだ。

 ところで、創造力10の人間に記憶力がないわけではない。創造力型人間の記憶力には、大きな特徴がある。それは「記憶力の志向性」ということで、自分が興味を持ったものはさっと覚える、興味を持たないものは全然覚えない。

 この創造力型人間は中学時代に、何かを夢中になってやるようになる。夢中になってやると、中には二十歳になる頃には大人の中にはいっても一流といわれる力をつけるものもでてくる。昔のエリートといわれる人はこういう人たちだった。一芸に秀でた人、抜群だった人がエリートとなったのだ。

 記憶力型の人間は、「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば並の人」ということわざ、そのものなのだ。ある○○会社で聞いた話。昔は「今年の東大出はあれとあれだ」ということは、「何かあったら奴に聞け!」という意味だった。最近では「今年の東大出はあれとあれだ!」ということは、「何かあっても奴に聞いても無駄だ!」という意味に変ってしまった。今、わが社で、金の卵だと言われている学生は「日大運動部の卒業生」なのだ。

 人間は長所がそのまま短所になる。短所はそのまま長所になる。小中学校時代に長所だった「真面目で、新しい物にも関心を持たず、理解力と記憶力がいい」、だから成績が良かった人は30才までにつぶれてしまう。とても経営者として成功するはずがない。

 自分の興味のあることしか勉強をしようとしない人、創造力型の人は他人の細かい異議には目を貸さず自分のやりたいことを強力に押し進めることができるので、大きな仕事をやり遂げることができるのだ。
 こうした創造力型の人が30代になっても花が開かない条件が一つだけある。それは青少年時代に、「お前はダメだ」といわれ、「俺はダメだ」と劣等感、コンプレックスを持ってしまった創造力型の人は30代になっても花は開かないのだ。・・・

 次回は、塩野七生氏「21世紀を迎えるにあたって」のエッセンスを掲載予定です。

2010年1月13日水曜日

14日・「努力」についての名言の続き!


















    
  有名な「努力」の名言(続き)

 先日に続いて「努力」について有名な名言を20ばかり載せます。「努力」『努力』ばかりで「努力」という言葉に聞きあきた!ごモットも!ご尤も!子供に「勉強せよ!勉強せよ!」とばかり、怒鳴る親みたい!そうです。

しかしながら、一つだけ云っときます。これらのなかで、もし自分に合う名言があれば、それ一つでいいから、絶えず意識しましょう!

 わたしは、一番最後にあるチャーリー・チャップリンの言葉にあるように、はじめから背伸びをしすぎて全てをギブアップしたうちの一人です「燃え尽き症候群」から、ようやく独りで立ち上がりココにおります。
     
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「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は人生を何だと思うか」と反問したい。努力して創造していく間こそ人生なのである。    
              ・ 宗教家•御木徳近

私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。        
     文学者・ノーベル賞受賞•(仏)モーリアック

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。               
              ・剣豪・宮本武蔵

初心わするるべからず                            
                 ・宮本武蔵

努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!
             •出典:はじめの一歩

ボクシングにラッキーパンチはない!! 結果的に偶然当たったパンチにせよ、それは練習で何百何千と振った拳だ。 その拳は生きているのだ                 
             •出典:はじめの一歩

一生懸命努力すればするほど、運は味方する。             
(The harder you work, the luckier you get.)
       ・元ゴルフの世界的プレーヤー・
          ・ゲーリー・プレーヤー

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る             
            ・作家・詩人・ 井上靖

毎日少しずつ。それがなかなかできね~んだなあ           
           ・詩人・書家・相田みつを

柔道の基本は受身 受身とはころぶ練習 まける練習 人の前でぶざまに恥をさらす稽古、受身が身につけば達人 まけることの尊さがわかるから              
                 ・相田みつを

毎日少しずつ。それがなかなかできねんだなあ                   
                 ・相田みつを

しあわせはいつも自分のこころがきめる                     
                 ・相田みつを

努力に勝る天才無し        ◎作者不詳
                                                                
•どんな芸術家でも最初は素人だった。      
 ・(米)哲学者・思想家・作家・詩人・エッセイスト
        ラルフ・ワルド・エマーソン

明日からがんばるんじゃない。 今日をがんばり始めた者にのみ明日がくるんだよ!
            ・漫画家・福本伸行

努力できるということも実力のうち
            ・歌人・ 俵 万智
                           
努力している限り、人は迷うものである       
   ドイツ・文学者・詩人
     ・ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ

今日に成果は、過去の努力の結果であり、未来はこれからの努力で決まる 
      ・実業家・京セラ会長 稲盛和夫

努力は嘘をつかない                                                      ・野球評論家・元野球選手・桑田真澄

僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果がでなかった。 でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思ってません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです      
  ・アメリカ大リーグ・野球選手・イチロー              
                                       
『ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道    
                ・イチロー

最初から多くのことを成し遂げようと、極端な努力をすると、たちまちのうちに、全てを放棄することになります。     
    ・映画・喜劇俳優・映画監督、
         ・チャーリー・チャップリン

以上年の初めの「温故知新」「温故創新」から始まったお話も「継続的な努力」で締めくくることになり、これで第一章を閉じます。次は趣向をかえてお役に立てるようなことを続けてゆきたいと思います。暫らく時間をお与え下さい。
                     以上

2010年1月12日火曜日

12日・「ウサギとカメ」の寓話とエジソンの名言について!














 小学生の頃「もしもし亀よ亀さんよ、世界のうちでおまえほど歩みののろいものはない、どうしてそんなにのろいのか」♪♪という歌をうたいました。そこからまた歌は続くのです。「な-んとおっしゃるウサギさん。そんならおまえとかけくらべ向こうのお山の麓までどちらが先にかけつくか」♪という展開になります。この勝負の結末は、ウサギが途中で昼寝をしたために追い越されて亀の勝ちになります。
 
 兎と亀が競争するこの物語は、ウサギの立場で言えば油断大敵。亀の立場に立てば、足の遅い亀でも一生懸命努力精進すればウサギにも勝てる。人間あきらめずに頑張ればできる! 為せば成る。ということでしょう。  
 
 この物語はイソップ寓話やJ・ド・ラ・フォンテーヌガ書いた寓話詩にも収められています。「いくらウサギが俊足であっても、継続した努力を怠れば、鈍足でも努力を怠らなかったカメに追い抜かれる」という例え話として多く用いられ、明治時代の初等科の国語の教科書には油断大敵というタイトルで掲載されていました。このように、我が国だけでなく世界的なお話なんです。

 子供のころは、このお話をそのまま素直に受け取っていましたが、よく考えるといくつかの問題点が見えてくるのです。実際問題として「ウサギ」と「カメ」が競争することがあり得るのか?
われわれ人間同士の競技では「相撲」を除いて、大方はハンディーやクラスを付けたやり方で競います。例えば、レスリング・重量挙げ・柔道など体重別にクラス分けをして競技をします。また、ゴルフ競技ではプロを除いてアマチュア競技ではハンディーを付けて競技します。

 ただし、われわれの一般社会に出てみると、世界的な大企業も中小零細企業も同じ土俵で戦わなくてはなりません。そこで生き残ってゆくためには、お客のニーズを見据えた商品開発、「先手必勝」といわれるように創造的な商品開発など大は大、小は小なりにほかには真似ができないオンリーワンの会社にならなければ生き残りが難しいでしょう。いつも地に足がついたうえにクリエイティブな商品開発が求められます。また、商品の寿命も年を追って短くなってきていますので、時間的と経済的制約のなかで競わなくてはなりません。コストの問題もあります。

 このように、今の世で求められているのは「お客のニーズにピッタリの商品」「業界に先駆けた創造的な商品」ということになりそうです。世界全体が大不況のなかでも中国だけは経済成長を遂げ、GDPはわが国を追い抜いて米国についで第二位、自動車販売では大きく米国を抜いて世界一位、世界の製造工場の感さえあります。

 このように、日本でも中国と同じ品物を作っていたのでは、材料・加工賃は中国と同じか安くなければ対抗できません。そこには創造的な商品開発や生産工程の合理化により、「差別化」といわれるほかの商品との違いを明確にしたものを生み出してゆくしかありません。中国を上回る効率化と付加価値化しかありません。生産コストの低下を求めて世界中が労賃の安いところにまだまだ流れることでしょう。

 先日から「温故創新」ということを書いてきましたが、このように「創造」+「継続的であくなき努力」が求められている世の中です。中国も今は成長をとげていますが、やがては「一人っ子政策」により人口が減少ししぼんでゆくと思いますが、日本のほうが先に「少子高齢化」が進行するのではないでしょうか?
現在の世界の国々の人口とそれを構成する年齢層のグラフをみ、経済・技術のレベル等を勘案するとき、どこの国が繁栄しどこの国が衰退するなど世界の国々の将来の姿がほぼ浮かんできます。

 これら、難しいことは専門家にお任せし、「創」「創造」と同様大切な「継続的であくなき努力」「努力」ということに関連してあと一言付け加えるならば、世に「秀才」「俊才」といわれる人は物事に取り組むに当たって、困難な問題に直面すると、これは難しい!と諦めが早い。これに対して「凡才」「鈍才」は時間を惜しまず粘り強く取り組み、最後はものにするということがあります。

 では「努力」するということについて、1300以上もの発明をした偉大なアメリカの発明王といわれたトーマス・エジソのン名言を次に挙げておきます。エジソンの代表的な発明には、白熱電球、電話機、蓄音器、トースターなどがあり、エジソンがいなければ人類の科学的な進歩は約100年は遅れていただろうとされています。

トーマス・エジソンの努力に関する名言集

 なぜ成功しない人がいるかというと、それは考える努力をしないからだ。最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。

ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているにすぎない。

 ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。

決して時計を見るな。これは若い人に覚えてもらいたいことだ。

1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である。

 首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。

 完璧だと思っても、もう一押しすれば、おまけが手に入る。人生における失敗者の多くは、諦めた時にどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちである

発明するためには、豊な想像力とゴミの山が必要だ。
 
 私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
                                     以上

2010年1月10日日曜日

11日・「ショパンイヤー」にはばたくピアニスト・辻井伸行さん!






 前回まで「温故創新」や「創新」のためにそれに適った「努力」を惜しまず続けることを書いてきたが、偶然のことに昨夜21時読売テレビで【天才じゃぁなくとも夢をつかめる10の法則!】と題して、昨日UPの石川遼選手、今回の全盲のピアニスト・辻井伸行さんについては子供の才能を見出しそれを伸ばす方法、それに坂本龍馬については人生逆転の方法について2時間のスペシャル番組で放映されたので、ご覧になった方もおられるのでは、と思いますが、如何でしたか?

 今日は昨日の石川遼選手に続いて、昨年アメリカの第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝した全盲のピアニスト・ 辻井伸行さんのインタービュー記事を紹介することにしましょう!みなさんはここから何を受け取るでしょうか?

 そこには生まれながらにしての才能に加えて創造+努力の跡が窺がえる。また、今年はまさに「ショパン・イヤー」、辻井さんは3月にCD発売を目指して目下録音中と聞くが、世界中の有名ピアニストがこぞって競演となること間違いない!頑張れ!辻井伸行さん!

「初恋の人に曲を!」ショパン・イヤーにはばたくピアニスト・辻井伸行さん!
 「ピアノは友だちのような存在ですね」。昨年6月、米テキサス州で行われた第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初めて優勝したピアニスト、辻井伸行さん(21)。その彗星(すいせい)のようなデビューは、日本のクラッシック界の話題を一気にさらった。「ショパンイヤー」である今年3月に出すアルバムに込める思いや、自らが目指す音楽的境地を意欲的に語った。


 ――音楽に最初に触れたきっかけは
 辻井 1歳ぐらいのころなんですが、母がロシアのピアニスト、ブーニン演奏のショパン「英雄ポロネーズ」のCDをかけていていて、それに合わせて毎日、足をバタバタさせていたそうです。聞きすぎてCDに傷が付いてしまって、他の方が演奏した同じ曲のCDを買い直したんですが、反応しなくなった。それで母が試しにもう一度ブーニンのCDを買ってきたら、反応したそうなんです。「この子は演奏家を聞き分ける力があるんだな」と思った母から、おもちゃのピアノを買ってもらって、母が口ずさむジングルベルの歌に合わせて弾いていたみたいですね。でも記憶は全然残っていません。div>

 ――その後、7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で1位になったのが初の表彰でした
 辻井 まさか小学1年生で優勝するとは思わなかったもので、名前が呼ばれたときは、「えーもうウソー」と、思わず叫んでしまって。本当にうれしくて、ピアノをまた頑張ろうという気になりましたねdiv>

 ――当時は毎日ピアノを何時間ぐらい練習していたのですか
 井 今はコンサート前などは1日8時間ぐらいは練習していますが、小さいころは(練習時間自体は)少ない方で、練習以外でピアノに触れて、作曲とかして遊んでいましたね


 ――子供のころから、ずっとピアノが共にあったんですね
 辻井 そうですね。今でも「辻井さんにとって、ピアノはどんなものですか」と聞かれると、「ピアノは友だちみたいな存在です」っていつも言っているんです。本当にそれはずっと、小さいころから変わらないですね。ピアノを嫌いだと思ったことは一度もありません


 ――毎日、ピアノに向かう時間はどういう心境でしょうか
 辻井 弾くことはすごく好きなんで、どんなに大変なときでも練習は楽しいなと思って、うれしい気持ちで座ってますね。自然な感じです


 ――バン・クライバーンコンクールで優勝したときはどうでしたか
 辻井 お客さんたちがアメリカ人で、盛り上がっている様子でした。一次予選は通りたいという気持ちがあったんで、すごく緊張しました。でもだんだん舞台が進むにつれてリラックスして、最後は何も考えず、ただ無心でお客さんに感動していただけるような演奏をしようと思って、それだけを考えて弾きましたね


 ――ロシアのピアニスト、エフゲニー・キーシンを尊敬していると聞きました
 辻井 彼の弱音の美しさに特にひかれますね。生で聞くと、すごく美しいなと思います。他の方ではもう亡くなってしまっているんですがルービンシュタイン(ポーランド、1887年~1982年)とか、リパッティ(ルーマニア、1917年~50年)とかが好きですね」

 ――近づきたい、目標にしたいというピアニストは
 辻井 人の演奏を聴くということはすごく大事なんですが、自分の音楽を作ることも大事です。少しは影響されることもあると思いますが、いまは自分の音楽を作ることを重点的に考えています。自分の、辻井伸行にしか出せない音を作っていきたいなと思います

 ――今年は生誕200周年を記念したショパンイヤーです
 辻井 ショパンは19歳ぐらいで素晴らしいコンツェルトを書いていて、自分もこんな曲を書いて「初恋の人」に贈りたいなっていつも思って弾いていますね。ピアニストにとってはあこがれの作曲家です

 ――3月にショパンの曲を収録したアルバムを出されますが、ファンへのメッセージなど
 辻井 今月、ベルリンでレコーディングを行います。ショパンには有名な曲が多いし、ご存じの曲もたくさんあると思います。今年はショパンイヤーなので、もっとショパンに親しんでもらえればうれしいなと思います 

――昨年6月のバン・クライバーンコンクールの優勝以降、多忙な日々ですが、気分転換などは
 辻井 今は忙しくてなかなかできないんですが、水泳が好きで、リゾートでは1日中泳いでいます。あとスキーや山登りのほか、カラオケなんかも。演歌が好きで、氷川きよしさんや、石川さゆりさんとか。演歌以外では(井上陽水さんの)「少年時代」なんかも歌いますね

 ――今後の目標などは
 辻井 いろいろ挑戦してみたいことはありますが、世界中で演奏できる機会が多くなったので、もっともっとたくさんの人に名前を知ってもらって、僕の音楽を聴いてもらえればと思います。将来的にはベートーベンだったら辻井のベートーベンを聞きたいとか、そういうふうに言われるぐらい1人の作曲家を掘り下げていきたいですね

 ――ご両親には
 辻井 早く独り立ちして、両親を安心させてあげたいですね。本当にここまでサポートしてくれて感謝しています。あとは自立して、いいパートナーを見つけていきたいと思う。
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 フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Szopen, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。彼の作品は小品が多く、殊に女性のファンが多い。ショパンは39年という短い生涯のなかで「愛の遍歴」を重ねており、女流作家ジョルジュ・サンドと9年に及ぶ恋は、あまりにも有名でこの間に名曲を数多く遺している。

 今年の2010年はショパン生誕200年に当たる記念すべき年―「ショパンイヤー」である。これを記念して数多くの有名なピアニストのCDが覇を競って発売されることだろう。

「ノクターン」、「別れの曲」、「幻想即興曲」など、数々のピアノの名曲を生み出し、今なお多くの音楽ファンの心を捉えて離さない”ピアノの詩人”ショパン。その偉大な作曲家がこの世に生を受けてから、来年2010年で200年を迎えます。その記念すべき”ショパン・イヤー”の華やかなスタートとして、ショパン決定盤とも言えるショパン・コンピ『永遠のショパン』が㈱EMIミュージック・ジャパンよりリリースされました。

 誰もが耳にしたことがあるショパンの名曲が、アルゲリッチやポリーニ、ブーニンなど、ショパンコンクールの優勝者・入賞者たちを含む、EMI クラシックスならではの世界的超一流ピアニストたちの演奏で、CD2枚組全34曲2,000円というスペシャル・プライスでリリース!ブックレットには、ブーニン、そして、ショパンの生涯を描いた小説『葬送』の作者で芥川賞作家の平野啓一郎氏のコメントの他、ショパンの生涯についての分かりやすい解説を掲載しています。
また、「ショパン生誕200周年記念特設サイト」もスタート。アルバム『永遠のショパン』の全曲ストリーミングをはじめ、様々な企画が満載です。
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ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
•ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(The Van Cliburn International Piano Competition)は、アメリカで開催される国際的なピアノコンクール
来歴
•チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、ヴァン・クライバーンを祝して1962年より原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース。
• 設立当時、世界最高額の優勝賞金1万ドルを提供することでチャイコフスキー国際コンクールに負けない国際コンクールを目指した。フォートワースは富裕層が多数住んでいる都市で高額な資金提供が可能であった。当時ピアノ教師だったランクフォード夫人が運営していたが、その後石油資産の相続人マーサ・ハイダー夫人に代わり、ハイダー夫人はダラスとフォートワースの上流社会をまとめて多数のスポンサーを獲得、このコンクールを破格の規模にまで大きくして商業主義のスタイルをコンクール運営に持ち込んだ。その後、運営は指揮者アルトゥール・ロジンスキの息子、リチャード・ロジンスキが引き継いでいる。

•優勝者には現在優勝賞金2万ドルの他にコンサート契約が多数含まれている。そのため優勝者は優勝後に多数のコンサートを続けていくうちに消耗させられて演奏家として大成しない、とまで言われた。(注:これは日本語の某書に典拠を見出すことが出来るが、クライバーン国際のコンテスタント全員が大成していないわけではない。ツアー圏に日本が含まれなかった年度のせいか?)その唯一の例外はラドゥ・ルプーで、彼は優勝後にコンサートを全てキャンセルして再び勉強のためモスクワに戻った。近年、この膨大なコンサートは以前に比べて数を減らされてはいるが、依然として優勝後3年間のツアー契約がついている。

•2009年は、辻井伸行が日本人として初めてヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、日本での話題を呼んだ。この年度は特にレヴェルの高い激戦であり、「下手だから落ちるわけではない」とクライバーン本人が異例の釈明を行っている。
備考

•他の大きな国際コンクールとの相違点は、コンクールのための課題曲をアメリカ人から公募し作曲コンクールを併設していること、それと「練習曲を選ぶ必要がない点」である。かつては大量の課題曲をこなす必要があると恐れられていたが、この点については回を追って改善されている。

•にもかかわらず、練習曲の全曲(例えばショパン)でプログラミングを構成するコンテスタントもお  り、加えて難易度の高いプログラミングを好むヴィルトゥオーゾ志向のコンテスタントが他の国際コン クールに比べて多い。
•                                           以上