・夏のオリンピックがある年は閏年(オリンピックイヤー)、そう思っている方は多いのでは?
しかしグレゴリウス暦の閏年の決め方は
1.西暦年が4で割り切れる年は閏年とする。
2.西暦年が4で割り切れる年でも、100で割り切れる年は閏年としない。
3.西暦年が4で割り切れ、100でも割り切れる年でも400で割り切れる年は閏年とする。
となっています。なんかややこしい計算ですが、これは地球が太陽の周りを一周するのにかかる日数が実は365日ではなく365.2422日だからなのです。
1年で0.2422日の誤差なので、4年で0.9688日の誤差がでます。この誤差を補正するため、4年に1回だけ1年を閏年の366日とします。
それでも-0.0312日(年平均-0.0078日)の誤差がでます。-0.0078日の誤差は400年で-3.12日の誤差になるため、400年の間に3回だけ閏年でない平年を作ることにします。
これが閏年の計算根拠です。それでも-0.12日(年平均-0.0003日)の誤差がでてしまいます。この誤差が西暦4882年(1582年施行+3300年後)には1日の誤差になりますが、この1日の誤差については、49世紀までに人類がなんとかするのでしょう。
・ところで、どうして2月に閏年の1日を加えるのでしょう。また、なぜ2月は28日(閏年は29日)までしかないのでしょう?
これは歴史をローマ時代までさかのぼることになります。当時の暦は3月から始まり2月で終わるという風になっていました。
英語やフランス語を学んだ方のなかには、1~8月までの呼び方と9~12月の呼称に違和感を覚えた方が大勢おられるのでは? と思います。かくなるわたしもその一人なのです。
これには、以下に説明する訳があるのです。ときの権力者の力は絶対の証しが残っているのです。
この名残で9月は英語でSeptember10月はOctorberと言いますね。septは7、octoは8を意味します。音楽のオクターブ(8度)と同じ語源です。9月は7番目の月、10月は8番目の月となるのです。現在の形の暦を定めたのはローマ帝国のジュリアス・シーザーで彼は奇数月を31日偶数月を30日と定めました。しかし、ここで2月を30日にすると1年が366日となるため、閏年は2月を30日とするが平年は29日とすることにしました。つまり、1年の最後の月で調整したのです。
参考までに英語やフランス語で月を表す意味をもう少し追求しておきます。
ガイウス・ユリウス・カエサル(ユリウス・シーザー)はローマ内戦で逃れたグナエウス・ポンペイウスを追ってエジプトに遠征し、クレオパトラ7世と協調して勝利を収めた。この際、彼はソシゲネスから暦を学びローマに持ち帰った。これを基礎に紀元前47年に制定された、一年を太陽暦365日(閏366日)とし、新年を冬至に近いJanuarius の初日からとした暦がユリウス暦である。1か月は30日または31日が交互になるよう定め、超過分はヌマ暦で最終月だったFebruarius(2月)を29日(閏年は30日)と少なくして調整した。この際、元老院はシーザーを称え「第5の月」(Quintilis) の呼称を「ユリウス」 (Julius)へ改訂する決議をした。
その後、ローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥスは支配下の元老院を操作して、誕生月であった「第6の月」 (Sextilis) を自らの名 (Augustus) に改称させた。この際、Julius より日数が少ないことを嫌って Februarius から1日を移して31日とし、以後の各月を30日と31日が交互に来るよう変更を施した。このような流れから、7月と8月に31日が続く状態、「8」の接頭辞OCTを持つ月が10月という風に意味が2か月ずれた4つの月、そして2月の日数が少なく閏の調整に使われるという現在に通じるそれぞれの「月」が定まった。
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(おわり)