ブログ アーカイブ

2013年8月22日木曜日

「将たる者は下の者にテゲ(大概)にいっておく」(その.2)

 お盆をはさんで、このブログを小休止した関係もあり、話の続き具合の流が代わって仕舞ったが、同じ半藤一利氏の著作に「指揮官と参謀」というのがある。「将と参謀」の関係は2009年NHK大河ドラマの主人公「直江兼続」の参謀哲学が有名で、このことを童門冬二氏が「参謀力ー直江兼続の知略-」を出版されているが、半藤一利氏のこの著書も組織の「将と参謀」のあり方を示す著作として同様に興味深い。

 前回は半藤一利「昭和史・戦前・戦後編」を掲げたが、今回は組織の「将と参謀」との役割分担を学んで見たいと思う次第である。というのも自民党安倍政権のこの役目がどういう姿で、われわれ国民の前に姿を現すかが極めて興味深いからである。

 大きくは国家という組織や小さい組織でも、組織という名が付けばリーダーがおり、その下にメンバーが存在する。そして、組織に属し部下ができれば、マネジメント能力やリーダーシップが問われ始める。同じく半藤一利氏が著した「指揮官と参謀」はこの役割分担を指摘し興味深い。

 その中身は洋の東西や組織の風土等により異なるが、わが日本型組織の原型を辿るのは甚だ興味深い。また、旧日本軍の「統帥」は、江戸期以来の武家の伝統を引き継ぐ面もあり、日本型組織の原型を想起させて興味深い。
 
  旧日本軍の「統帥」の要諦は、「指揮官は大方針を示し実務は有能な部下に任せる。指揮官は君徳を積みその威望で部下を心服させる」ということに尽きる。
リーダーシップを「統御」と「指揮」に分けると、「統御」に力点が置かれているのが特徴だ。さきの第2次世界大戦に突き進んだ軍の思考過程を知りたくて読んだ著作の一冊。

「将たる者は下の者にテゲ(大概)にいっておく」

『指揮官と参謀-コンビの研究』
『指揮官と参謀-コンビの研究』

   これは、「将たる者は下の者にテゲ(大概)にいっておく」との旧藩時代からの伝統を持つ「薩摩型将帥」の在り方で、日露戦争の満州軍総司令官大山巌を典型とした。

 大山は己を虚しくし、長州出身の英才児玉源太郎にその才幹を遺憾なく発揮させ、奉天会戦までの陸戦を勝利に導いた。これ以来、この「大山・児玉」のコンビ・スタイルが、旧軍の組織運営上のロールモデルであったことは人口に膾炙して久しい。
  
 その時代を下った不肖の息子が悪名高い「幕僚統帥」であり、無謀を勇敢と履き違えた参謀とその認容を「統御」と曲解する将軍連に焦点を当て昭和初期の旧軍を批判する書物は多い。

 これに同調し批判することは容易いが、当時の切所の意思決定を見ると、その人間関係や力学は現在とさして変わらないことに気が付かされる。
 


  今回紹介する『指揮官と参謀-コンビの研究』(半藤一利、文春文庫)は、満州事変以降の十五年戦争を題材に、旧軍における上司・部下等のコンビが果たした役割に着目した組織論だ。

 特定の場面では歴史を動かし、別場面では無力になる人間模様には、組織における個人の重みや限界を改めて考えさせられる。

登場人物は、我々の身の回りにいるごく普通の人間

   一例を挙げると、満州事変の石原莞爾。智謀に優れていても、組織内の根回しは苦手。満州事変勃発時、関東軍出動に首を縦に振らない軍司令官に「もうやめた」とすぐにさじを投げる。そのままなら満州国はなかったかもしれないが、粘り強さと胆力に富む板垣征四郎が石原の上司。

夜中3時までかけた粘り腰で司令官を説得してしまう。「智謀」の石原が注目されがちだが、抜群の実行力を持つ「胆力」の板垣なしでは絵に描いた餅に終わっていただろう。満州事変は、まさに両者の合作であった。
  
 その石原も、己を恃み過ぎる傲岸不遜振りが災いし、真面目な能吏タイプの東条英機に嫌われ閑職に回されると、組織内では無力化した。頭は抜群に切れるが組織内の調和には無頓着で、秩序を重んじる上司に嫌われて不遇をかこつ。包容力ある上司の下でないと力が発揮できないタイプ。我々の周りにもいそうではないか。
 
 他方、板垣は、大将に昇り陸相を務めるなど栄進したが、「大山」的な己を虚しくすることに長けていた反面、無謀な部下の言うがままに動くロボットと化し、戦後はA級戦犯として絞首刑となった。うるさいことを言わず仕えやすいが、部下に恵まれない場合は、「統御」に力点を置き、自らの理念・方針で「指揮」することに乏しい「薩摩型将帥」の悪しき面が現れ、事態の悪化を拱手傍観し責任だけを負わされかねないタイプだ。
  
 他の例も、舞台は歴史の一場面だが、登場人物は、我々の身の回りにいるごく普通の人間だ。組織における個人・コンビの役割に思いを馳せながら、自分や身近な人をその身に置き換えて、その状況下でどのように振る舞えるのかを考えて読んでみるのも面白いと思う。

上記のことに関連して、このブログでは7/18政治家と役人の使い方ー政党は具体的方向を示せ!のなかで名古屋の100m道路建設にまつわる話で具体例を採り上げたのを参考に!


 

2013年8月20日火曜日

桜島の大噴火を富士山に置き換えるとどうなるの?

 昨日は京都府福知山市の花火会場での爆発事故と鹿児島の桜島大噴火をブログアップしたとき、これが富士山の場合だったらどのようになるのだろうか?とカキコしたが、その答えがたまたまJ-CASTのニュースとして掲載されていたのでお借りしてきた。

それによると・・・

桜島の火山灰で九州新幹線車内「灰まみれ」 火事と勘違い?非常ブザーが押される・8/19      

 鹿児島市・桜島の昭和火口で起きた爆発的噴火は、噴煙が5000メートルにまで達した。大量の火山灰の影響で市内は暗くなり、各所で灰が積もっている。
   交通機関も影響を受けた。インターネット上で話題になったのが、九州新幹線。車内が「灰まみれ」となり乗客を困らせた。                               
 

    
 

・車内放送では「火山灰なので心配ない」

桜島噴火でも九州新幹線はほとんど遅れなかった
桜島噴火でも九州新幹線はほとんど遅れなかった
   桜島で噴火が起きたのは2013年8月18日。鹿児島地方気象台の発表では、時刻は16時31分で、昭和火口の活動が再開した2006年6月以降5000メートルの噴煙を観測したのは初めてだという。市上空から撮影したニュース映像を見ると、大気は噴煙の影響でよどんでおり、地面は文字通り灰色だ。積もった灰は住民へのとんだ「置き土産」となり、猛暑のなか清掃作業に追われた。
   
 噴火から2時間ほど後、JR鹿児島中央駅に近づいた九州新幹線の乗客がツイッターに写真を投稿した。「車内が灰まみれ」なのだという。一見したところ「空気が真っ白」というほどではないが、奥のドア付近は少々視界が悪そうだ。投稿者は「空気が悪い」とつぶやき、また到着前に非常ブザーが押されたそうで「火事と勘違いした?」といぶかっていた。別の人物は、車掌が火災でないことを強調するためか、「火山灰なので心配ない」という車内放送が流れ「初めて聞いた」と報告していた。
   
 外から新幹線「さくら」の運行中の様子を撮った写真も投稿された。まるで列車が煙をあげているようだ。どうも線路に積もった火山灰を巻き上げながら走行しているとみられる。
   
 ただ新幹線は、非常ブザーによる数分間の停止以外はダイヤの大きな乱れはなく、その後も平常運転が続いている。車両には「火山灰対策」が施されているようで、例えば「さくら」の場合「車輪とモーターをつなぐギアボックスは水も浸入できないほど密封性を高めた」(日本経済新聞電子版2011年2月26日)。だが空気中を漂う灰が車内に入ってくるのまでは、避けられなかった。
   
 2002年の内閣府の報告書によると、降灰による鉄道の運行不能は1985年、JRと鹿児島市電で発生した例があるという。電車の車輪とレールの間に灰が5ミリ程度はさまると、電流が流れず電車が動かなくなる。一方、2012年に鹿児島市交通局に電話ヒアリングしたところ、2011年に鹿児島と宮崎の県境にある霧島山・新燃岳が噴火した際や、2012年の桜島噴火では運行停止がなかったとの回答だった。

富士山の場合で「宝永噴火」並みで都心は2~10センチの火山灰

   専門家によると今回の桜島の噴火は、ただちに大規模な噴火につながるものではないという。鉄道にもあまり影響が出なかったのは幸いだ。もし首都圏で同様の事態になったらどうだろう。
   仮に富士山が噴火したら――。確かに桜島と比べて頻繁に噴煙をあげているわけではないが、気象庁が「常時監視が必要」とする47火山のひとつに指定されている。内閣府「広域的な火山防災対策に係る検討会」は2012年、富士山が大規模噴火した際に想定される降灰による被害のシナリオをまとめている。
   
 シミュレーションでは1707年の「宝永噴火」と同程度の爆発が起きる設定で、「総噴出量約7億立方メートルの火山灰が16日間降り続く」とした。2011年の新燃岳噴火の総噴出量が0.2億立法メートル、2000年の三宅島噴火でも0.16億立法メートルだったので、その規模の大きさが分かる。この場合、東京都心部には2~10センチの火山灰が積もる可能性があるという。神奈川県横浜市の西部から静岡県の熱海、三島付近までは10~30センチに達する予想だ。この一帯は東海道新幹線が東西を貫いている。鹿児島市交通局が、5ミリの降灰で運行不能の陥ると指摘したことを考えると、これほど大量の火山灰が堆積すれば新幹線も走行を続けられるとは思えない。
   
 もっともこれほど大きな噴火による降灰なら、鉄道だけに限らずあらゆる交通機関が打撃を受けるのは明らかだ。だが仮にずっと規模が小さかったとしても、首都圏に影響が及べばそれが全国に波及するだろう。内閣府「広域的な火山防災対策に係る検討会」が2013年5月16日にまとめた提言の中では、「大規模降灰の知見が不足(高度に発達した都市の被災経験がない)」と指摘されており、交通機関を含む社会システムに及ぼす降灰の影響と対策の調査研究を進めるよう促している。
 

富士山、ひび入れば噴火? 巨大地震引き金に 産総研が分析・2013.7.16

冠雪した富士山頂と宝永火口(中央付近)=2009年10月(産業技術総合研究所提供)
冠雪した富士山頂と宝永火口(中央付近)=2009年10月
(産業技術総合研究所提供)
 世界文化遺産の富士山は、巨大地震の強い力で内部にひびが入ると、そこから爆発的な噴火を起こしかねない状態だとする分析結果を、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などのチームがまとめたことが16日、分かった。
 

  直近の噴火は関東地方にも大量の灰を降らせた1707年の宝永噴火。チームは現在の富士山が、この噴火の直前と似た状況だと推定。約300年間マグマがたまり続けているとし、警戒を呼び掛けている。
 
 
  富士山の地下には、マグマが通った後に冷えて固まってできた硬い岩脈が多数走っている。たまったマグマやガスが密閉された風船のような状態といい、地震による地殻変動で岩脈に隙間ができると、一気に噴出する恐れもあるという。
 

  富士山はできてから約10万年で、国内の火山の中では比較的若い。山頂や山腹などから噴火を繰り返しており、「噴火のデパート」と呼ぶ専門家もいる。

 

2013年8月19日月曜日

京都府福知山の人災爆発事故と、鹿児島桜島の大噴火!

 15日夜、京都府福知山市の花火大会開催直前に発生したベビーカステラ店が起こしたガソリン爆発事故は明らかに火気取り扱い手順を軽視したため、起こった大きな人災事故であるが、この時期全国各地で予定されていた「花火大会」や「夏のイベント」の火気取り扱いや万一時の避難のあり方に警鐘を鳴らすことになった。

と、思ったら18日16時31分頃、鹿児島の桜島が大規模噴火 し、観測史上最も高い5千メートルの噴煙を吹き上げた画像がNHK総合の19時のニュースで報道された。5千メートルの高さというと一寸想像し難いが、6日広島、9日長崎に原爆投下日だっただけに、そのときの「キノコ雲」の様子、それと世界遺産登録された夏山登山真っ盛りの「富士山」が仮に突然噴火したら、どうなるのだろうか、と、一瞬思った。今日のことでした。
 
 

「ガソリン缶開けたら引火」 京都・福知山花火事故で目撃者

午後7時6分、事故前の現場=京都府福知山市、読者提供
写真・図版
午後7時30分、「ボーン」という音の後、炎が上がった=読者提供
写真・図版
午後7時31分、爆発音の1分後には屋台が激しく燃え、骨組みが見えた=読者提供
写真・図版
午後7時35分、2回目の「ボーン」という爆発音の後、一度収まりかけた炎が再び上がった=読者提供
写真・図版
午後7時36分、放水後、炎が弱まる=読者提供

 
 京都府福知山市の花火大会会場で15日夜に起きた爆発事故で、近くにいた目撃者が府警に、「男性が発電機にガソリンを入れるため、携行缶を開けた際に引火した」と証言していることが、捜査関係者の話でわかった。男性は最初に発火したベビーカステラの屋台の30代の店主で、1カ月半~2カ月のやけどを負っており、府警は回復を待って業務上過失致傷容疑で事情を聴く。
 府警は市消防本部と16日朝、現場の由良川河川敷で実況見分を始めた。焼けた屋台は3店舗並び、端のベビーカステラの屋台が最も激しく燃えているという。
 捜査関係者によると、男性が約20リットル入り携行缶から照明用の発電機にガソリンを移し替えようと、ふたを開けた途端、気化したガソリンに屋台の調理器具の炎が引火。さらに近くにあったガスボンベ1個に燃え移ったらしい。ガスボンベは、つなぎ目の部分のみが激しく燃えていたという。
 捜査関係者によると、本来は携行缶の減圧用のねじを緩め、内部の圧力を下げてから給油口を開ける必要があるが、それを怠り、内部のガソリンが霧状に噴出したとみられるという。
 16日午前に会見した市消防本部予防課の和田吉人課長は「火が横に広がっていた様子からガスではありえない。ガソリンなどの液体系だろう。発電機の燃料タンクを開けて燃料補給したときに引火したという話もあるが、可能性としては考えられる」と話した。
 爆発は、午後7時半予定の花火の打ち上げ開始直前に起きた。屋台の周りは見物客であふれていた。
 府警は、現場が、河川敷への進入路に近い、花火がよく見える狭い場所で人が密集していたため、被害が拡大したとみている。 府警や市消防本部によると、負傷者は3~85歳の59人(男性29人、女性30人)。全身やけどなどで京都府京丹波町の少年(10)が重体、同町の女性(44)(この女性は17日死亡した)と綾部市の少年(13)が特に症状が重く、他に16人が重傷という。 
 
 
 

桜島で大規模噴火 観測史上最も高い5千メートルの噴煙!…火砕流も・8月18日(日) 

画像:噴火した桜島の昭和火口から高く上がる噴煙(18日午後)
噴火した桜島の昭和火口から高く上がる噴煙(18日午後)

 


 18日午後4時31分、鹿児島市・桜島(1117メートル)の昭和火口で大規模な爆発的噴火があり、噴煙が火口から約5000メートルまで上昇した。
 鹿児島地方気象台によると、昭和火口からの噴煙の高さは1955年の観測開始以来、最も高い。
 同気象台によると、直径50センチ以上の噴石が3合目(昭和火口から1300〜1800メートルの距離)まで飛び、小規模な火砕流が南東方向に1キロ程度確認された。
 噴煙は風に流され、鹿児島市中心部では大量の火山灰が降った。午後5時頃には上空が暗くなり、車はライトを点灯させ、市民は傘をさしたり、ハンカチを口に当てたりするなどしていた。
 気象庁は今のところ、これ以上の大規模噴火に発展する予兆は見られないとしている。
 桜島の南岳山頂火口では、2000年10月7日に噴煙5000メートル以上の噴火が起きている。


 
写真・図版
黒い噴煙が空高く立ち上る桜島=18日午後4時37分、鹿児島市東谷山1丁目、
写真・図版
黒い噴煙が空高く立ち上る桜島=18日午後4時36分、鹿児島市東谷山1丁目、
写真・図版
黒い噴煙が空高く立ち上る桜島=18日午後4時36分、鹿児島市東谷山1丁目、
写真・図版
降灰が続く鹿児島市の繁華街・天文館。通行人は傘をさしたりハンカチを顔に当てたりしながら
交差点を渡っていた=18日午後5時44分、鹿児島市
 

2013年8月18日日曜日

これぞ「アゲマン」・プロ野球楽天田中将大投手の偉業を支える妻でタレントの里田まいさん!

 16日のプロ野球の試合で、楽天の田中将大投手が西武相手に勝利投手となり、プロ野球新記録を達成した。その陰にはマー君(田中将大投手の愛称)を陰で支える妻であるタレントの里田まいさんの「内助の功」のことが大きく伝えられていたが16日に、さらに1勝加え、新記録達成となったので、若干ニュース性にかけるが妻でありタレントでもある里田まいさんのことも同時にお伝 えして、喜びを分かち合おうと思う。

 

神様、仏様、田中様…「稲尾超え」恩師ら祝福:08月17日 
プロ野球新記録の21連勝を達成した楽天・田中投手(16日、西武ドームで)

神様、仏様、田中様…「稲尾超え」恩師ら祝福  マー君が“鉄腕(かつて西鉄ライオンズの鉄腕投手の異名をもつ稲生和久)”を超えた――。

 プロ野球・楽天の田中将大投手(24)が16日の西武戦で21連勝を達成し、「鉄腕」と呼ばれた稲尾和久(西鉄)、松田清(巨人)両投手が半世紀以上も前に作ったプロ野球記録を塗り替えた。

 前人未到の快挙に、稲尾投手の家族や、高校時代の恩師らからは祝福の声が上がった。

 試合後のヒーローインタビューで、田中投手は「(内容は)まあまあですね。すごくいい緊張感の中で試合ができて幸せ」と控えめに喜びを表現。楽天・星野仙一監督は「実力を出すためのコンディションを、これだけ長い間、きっちりと整えているやつは見たことがない」とたたえた。
 
 
 昨年8月26日からシーズンをまたぎ、27試合の登板で達成した21連勝。すべて先発で、1週間に1回の登板ペースを守り、先発投手の役目を確実に果たしてきた。これに対し、1957年の稲尾投手は7月18日から10月1日まで31試合で先発、リリーフとフル回転しての20連勝。現在のように投手の分業制が確立しておらず、完投した翌日に救援で投げることも珍しくない時代だった。
 
 
 稲尾さんは2007年に70歳で死去した。長女の庄野多香子さん(51)(東京都)によると、稲尾さんは生前、甲子園で活躍する高校時代の田中投手を見て、「すごいな。大物になるぞ」と笑顔を浮かべていたという。
 庄野さんは「父は若い世代の成長を願っていました。『記録を破ってくれてありがとう』と天国で喜んでいると思います。11月の七回忌で墓前に報告したい」と話していた。
 

・現在の「あげマン」のトップにプロ野球球団・楽天の田中将大投手の開幕16連勝を陰で支えた妻でありタレントの里田まいが大きな話題を呼んでいる。

里田まいのブログが話題 夫の偉業を支えた秘訣が明らかに!・2013年08月12日
   
 里田まいのブログが話題 夫の偉業を支えた秘訣が明らかに
 
ブログが話題沸騰中の里田まい
 
【里田まい、豪華手料理の写真を見る】

9日、夫の楽天・田中将大投手が開幕16連勝のプロ野球新記録を達成したことを受け、フジテレビ「Mr.サンデー」(11日放送)と同局「とくダネ!」(12日放送)が、田中の偉業の裏側に里田の支えがあるとし、彼女がブログで紹介している手料理を特集した。

8月10日付のブログでは、夕食の写真とメニューを公開。この日のメニューは、チンジャオロースをメインに、大根とツナの煮物、鶏胸肉と新玉ねぎのポン酢和え、野菜とお豆のサラダ、蓮根きんぴら、梅干し、玄米+白米、アサリのお味噌汁といった豪華な内容。

里田はプロスポーツ選手向けの食事管理に精通したスペシャリスト「ジュニア・アスリートフードマイスター」の資格を持ち、栄養バランスやカロリー計算はもちろん、栄養の吸収などといった面からもメニューを考案。その“内助の功”に、ファンからは感心のコメントが殺到した。

さらに12日付のブログでは、自身の手料理がテレビで特集されたことを受け、「昨日と今朝、私テレビ出ててビックリした(笑)皆さんからのコメント見て『へ!?』ってなって番組見て『へ!?!?』ってなって(笑)」と驚きの様子。また「色んな感想がありますが、あまり気にせずこれからもマイペースな感じで行くべさ」と心境を綴った。

ファンからは「たくさん努力されたんですね!熱心に勉強もされて、その情熱は本当に素晴らしいと思います」、「野球選手の奥さまとして、とっても素敵だなぁと思いました!」、「良妻、内助の功。マー君は、幸せですね」など、良妻っぷりを称賛するコメントが多数寄せられている。(モデルプレス)
 
そこで夫を支え、自分では決して表にしゃしゃり出ず、「男に自信を与えられる女性」、夫を支え続ける「あげマン」と云われる女性に共通する条件を探ってみたら、次のカキコに出会ったので、早速拝借したので、みなさんとも共有したいと思い、以下に紹介することとした。
 

・これぞアゲマン!「男に自信を与えられる女性」の共通点3つ!

これぞアゲマン!「男に自信を与えられる女性」の共通点3つ
 
歴史に残る大事を達成した男たちの影には、いつも男を支える妻たちがいます。後ろから男を支え続けた女たち、男を上げられる女たち……そんな彼女たちの共通点は“男に自信を与えられる女性”だと言うことです。
そんな女性になれたら、女性冥利につきますよね。そこで今回はウェブサイト『写真で解説 男目線から見る女子ファッション』管理人のハルさんに、“男に自信を与えられる女の特徴”を教えていただきました!

1:褒め上手
「男に限りませんが、人は褒められると図に乗ります(笑)。男は基本的に見栄っ張りなので、自分の彼女や奥さんに褒められるとスペック以上に頑張ってしまうものです。男をおだてて上手に褒めることのできる女性は、男に自信を与える事ができます」
『Menjoy!』の「男は褒めて使うべし!”男を動かす効果的な褒め方”はコレ」記事でもお伝えしたように、やっぱり男は褒めて伸ばせということですね。いつでも男性の長所を見つけられるように普段から練習をしておくといいでしょう。

2:受け取り上手
「“受け取り”とは、なにかの好意を受けた時のリアクションのこと。男は女性が思っている以上に認知欲求が高いです。
つまり“俺ってすごい?”って常に認めてほしいものなのです。プレゼントをもらったり、助けてもらったりした時には、少しオーバーリアクションで喜んであげると、男の自尊心を満足させるので、男に自信を与えることができます」
こうやって聞くと、男性は本当に子どもっぽいなぁと感じずにはいられません。上手にキレイに受け止めてあげられれば、男性のモチベーションもあがります。ここは女性の力の見せ所ですよ。

3:頼り上手
「頼り上手とは男性に頼り切ることではありません。人間誰しも得手不得手があるもの。男性が得意とする分野では、もし自分でできることでも、男性に上手に頼ってしまった方が男性を持ち上げられます。
その分、男性が苦手とする分野ではできるだけ積極的に助けてあげましょう。決して男性にSOSを出させないように、“苦手だろうな?”と思う分野では助けてあげること。こういう女性はとても魅力的であり、男性の自尊心も満たされるので自信に繋がります」
頼りにするというと甘えん坊の女性なイメージがありますが、男性が困っていないかチェックしつつ、男性の得意な分野と不得意な分野で行動を変えることが必要です。
こういうことが自然とできる女性は、男性に自信を与えます。そういう女性を男性は決して手放しません。男性を成功させるも挫折させるも結局は女性の手綱なのかもしれませんね。

以上、“男に自信を与えられる女の特徴”を3つお伝えしましたが、いかがでしたか? ぜひあなたも、パートナーの男性を成功に導くような、“男を上げる女性”を目指してみてはいかがでしょう?

”男を尻の下に敷くばかりがノウじゃない!女上位では限界がある”  "草食性男子を肉食系男子にするのも女性の役目” 

2013年8月17日土曜日

「化石:モササウルス展示」 県立自然博物館にぎわう!

 2日前の15日のお盆の日であるが、東隣の県立自然博物館の駐車場には駐車場ガイドマンが3名汗だくで入出車の整理に大童。いつにも増して来館者が多いのでは、と感じたが、16日のM新聞を眺めると・・・

「化石:モササウルス展示 県立自然博物館にぎわう−−海南 /和歌山」:」 毎日新聞 08月16日 地方版

 有田川町内の発掘調査で見つかった海生爬虫(はちゅう)類・モササウルスの化石の常設展示が県立自然博物館(海南市船尾)で始まり、連日夏休みの子どもたちでにぎわっている。
 モササウルスは6600万〜9800万年前の海中に生息し、恐竜とほぼ同時期に絶滅したとされる。化石は同町の鳥屋城山で2006年にあった調査で後ろ脚などを発見、10〜11年の2次調査で前脚なども見つかった。体長は約6メートルと推定され、2度の調査で全体の半分が見つかった。このうち右前脚(長さ約80センチ、最大幅約25センチ)の化石を展示している。


 
15日は年間最多レベルの約1700人の来館者があった。同市船尾の市立黒江小5年、YH君(11)は中学教員の父Kさん(45)と訪れ、「化石が大好きなので面白い」と見入っていた。
 問い合わせは同館(073・483・1777)。

 わたしに家は、同館の駐車場のすぐ西側にあり、同館の館長さんはじめ学芸課長さん、学芸員さんとは、みなさん仲良くお付き合いさせて貰っているが、同館の入館者数は月平均約1万人を少し上回る程度、年間を通して観察していると児童のお休みの期間には家族づれの来館者が目立つ。それにしてもこの15日の来館者数は瞬間来館日としては月間約4万4千人(月26日開館として)を上回る。

 この種の施設としては子供に人気も手伝って、県立の施設ではダントツの1位。しかし、多くの来館者に来て貰えるためには、全館員が知恵をしぼってグッドアイデア企画と演出が必要だそうだ。
多数の来館者を集めるには、それなりに知恵と汗をしぼった努力がいると云うこと。

 同館もかつては10万台の入場者数が6割ぐらいまで減少した経緯があるが、入場者をどのようにして増やすか館内の各課がお互いに連携して「知恵を出し、汗をしぼった」涙ぐましい努力の裏話がある。それを聞いたときにはお役所の一機関が「そこまでも・・・」と感じた。

 民間会社では課題に寄っては社内横断的にプロジェクトチームを結成し、問題解決に当たることはよくあるが、お役所ではあまり聞いた験しはない。この裏話は後日ぜひ紹介したく考えているが、いずれにせよ今日の来館者数にまでアップしたうらには涙ぐましい知恵と汗と涙の物語が秘められているのである。何ごとも棚からぼた餅には期待せぬように・・・!それなりの努力が求められるということ!
 

モササウルスの前肢 常設展示へ


モササウルスの前肢の化石


モササウルスの復元画
 有田川町の鳥屋城山で発見されたモササウルス類の化石は、その後の発掘調査とクリーニング作業によって、その全容が明らかになりつつあります。これまでに全体の50%以上が保存されているなど、世界的レベルで貴重な化石であることがわかってきました。
 今年2~3月には、特別展「発見!モササウルス」を開催し展示を行いましたが、このたび一部の化石を常設展示いたします。
 化石のクリーニング作業は現在も進行中なので、展示するのは前肢の化石のみとなりますが、長さ80cmを超えるその化石は迫力があり存在感十分です。
 
展示場所第2展示室 地学コーナー
新しい展示物有田川町鳥屋城山から発見されたモササウルスの前肢
展示開始日2013年8月7日(水)
 
備考このモササウルスの化石は平成18年、有田川町の鳥屋城山のおよそ7500万年前の白亜紀後期の地層から発見されました。その後、自然博物館が本格的な発掘を行い、下顎、前肢、後肢、脊椎骨など多くのパーツが見つかりました。

2013年8月16日金曜日

「クイズ面白ゼミナール」鈴木健二教授(元NHK名物アナウンサー)、25年ぶり復活!

「クイズ面白ゼミナール」鈴木健二教授、25年ぶり復活!

元NHK名物アナウンサー・鈴木健二氏のことを記憶している人はどのくらい居られるのだろうか?

鈴木 健二(すずき けんじ、1929年1月23日 -)は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ、平成10年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。兄は映画監督の鈴木清順氏。

写真・図版
 
「名誉教授」として番組を進行する鈴木健二氏

 歴史は繰り返すというが、NHKの大人気番組「クイズ面白ゼミナール」が25年ぶりに復活した。当時、「教授」として司会進行を務めた元アナウンサーの鈴木健二(84)が「名誉教授」として再登場。先月、記者会見を開き、当時の思い出や抱負を語った。
 

 「テレビ界のシーラカンスが再び出てくる。私自身びっくりです」
1981年から88年まで放送された番組の最高視聴率は40%を超えた。当時、メモなしですべての数字を覚え「驚異の記憶力」と話題になった。「スタッフが細かい所まで調べている。小数点まで確実に言うことで、熱意を伝えたかった」
 

 7月に放送された復活版1回目のテーマは「日本人とスマホ」。収録前は、電器店の店員に説明を受けにいったり、全社のパンフレットを見比べたり。「36年勤務して、準備に一番時間をかけた番組ですから」
 

 今は日本中の伝承芸能の復興に努めている。「口は回らないが目は回る。耳は遠いのにトイレは近い。遠近法で生きています」と言いつつ、番組を通して「知らない世界に遭遇できた」と笑みをこぼした。2回目は17日午後8時から、BSプレミアムで放送される。

 25年ぶりの復活だとか、番組の内容は現在の最先端をゆく内容だが、わたしのブログ『温故知新』にも通じる。鈴木健二氏の「古きを訪ね、新しきを知る」姿勢に注目したい!

2013年8月12日月曜日

猛暑の和歌山、人気動物王国の動物たちのナウ!

 立秋を過ぎても、なおウナギ登りに上がり続ける温度計、11日14時現在田辺市で39.4度、和歌山市38.2度と今年の最高気温を記録しました。まだまだ上がり続けるでしょうか?

 この暑さのなか、世界的にも名高い「たま駅長」はじめアドベンチュァーワールドの「パンダ」達 は、どう過ごしているのでしょうか?これらの近況を追ってみました!

 可愛がられる動物はいいなぁ~!このように優遇されて、至れり尽くせり!
人間さまはどんなに暑くなっても、すべてが自己解決しか方法はない!!!

和歌山・貴志駅に新たな「猫」 たま駅長と見つめ合う!・8/9


 和歌山電鉄貴志川線の貴志駅(紀の川市貴志川町)で8日、社長代理を務める三毛猫たま駅長の駅長室前に、もう一匹の「三毛猫」が登場した。はしごを登って駅長室をのぞくような格好で、たま駅長と部下のニタマが、新たな仲間を迎えた。
 同電鉄によると、「三毛猫」は、ぬいぐるみに見えるが、その正体はあくまで「謎」。体長は約55センチで後ろ姿はニタマに良く似ている。今後は駅の一員として休日なしで働き、高齢のたま駅長が寝ている時も「不動の姿勢」を保つ。ただし駅の営業時間外は姿を消すという。

 お披露目に当たって、小嶋光信社長に抱かれたたま駅長はしばらく「三毛猫」を見つめていたが、すぐ駅長室に戻った。ニタマは警戒心を示して時々「シャー」と威嚇していたが、こちらもしばらくすると横でウトウト。小嶋社長は「三毛猫と見つめ合うたま、ドキドキするニタマの姿を楽しんで欲しい」と話した。(asahi)

紀の川市貴志川町神戸の貴志川線貴志駅構内に、駅長室をのぞき込む三毛猫のオブジェを設置し、除幕式を行った。
 

 オブジェは三毛猫のぬいぐるみが、はしごに取り付けられた手作り。約1カ月で完成した。高さ92cm、幅15cm、ぬいぐるみの大きさは55cm。
高齢のたま社長代理は寝ていることが増えたため、利用者に喜んでもらう企画として、小嶋社長が3年前から構想していた。
 

 式典には小嶋社長の他、たま社長代理らが出席し、オブジェの除幕が行われた。小嶋社長は「謎の三毛猫の正体は何か? 楽しんでもらえれば」と話していた。(わかやま新報)
 
謎の「三毛猫」を見つめる、たま駅長(左)とニタマ(右)=紀の川市、ナゾの三毛猫の正体は「オブジェ登場」!
 
 
        ◆               ◆               ◆

1歳になる子パンダ「優浜(ゆうひん)」誕生会 和歌山の行楽地、観光客で活気・ 8/10

 
氷のケーキをプレゼントされた優浜
 
写真・図版
 
誕生日ケーキよりも遊びに夢中の「優浜(ユウヒン)」(手前)。
母親の「良浜(ラウヒン)」(奥)が代わりにぺろり=白浜町堅田
 
写真・図版
帰省や行楽客などの車で混雑する阪和自動車道下り線=有田川町

 

 お盆休みと週末が重なった10日、県内でも帰省や行楽のラッシュが始まった。鉄道や高速道路は混み合い、各地のレジャー施設は観光客でにぎわった。
 白浜町の観光施設「アドベンチャーワイルド」では、昨年8月10日に生まれたジャイアント・パンダの赤ちゃん「優浜(ユウヒン)」の1歳の誕生会が催され、約300人の観光客らが祝った。
また、11日午後4時50分からは、満3歳になる双子の「海浜(カイヒン)」「陽浜(ヨウヒン)」の誕生会もおこなわれる。
 一方、和歌山市毛見のテーマパーク「ポルトヨーロッパ」では家族連れらが遊具に乗ったり、大道芸を見たりして楽しんだ。奈良県から家族4人で訪れた病院勤務の30代の男性は「お盆もまとまった休みはない」といい、「家族は出掛けたがるけれど、夏は道路も混むので、あとの休みはどこも行かずに休みたい」と話していた。 これが暑い夏の人間さまの「本音」でしょう!
-------------------------------------------------------------------------------------------------
(納涼)
そこで少しでも涼しくと工夫されたのが海南市の「夢・風鈴まつり」や和歌山市四季の郷公園の「竹灯夜」地元特産の竹で拵えた竹灯籠の明かりで地元の里山の公園「四季の郷」が浮かび上がるという試み、装う姿も浴衣掛けとはわが国特有の優雅な夕涼みではなかろうか!

海南「夢・風鈴まつり」8/1~15日

 
 
 

夏の夜、里山にゆらめく光 和歌山で「竹燈夜」・8/11


写真・図版

         会場に並べられた竹灯籠を楽しむ市民ら=和歌山市の四季の郷公園

 

 竹灯籠(とうろう)の明かりで里山の公園を照らす「竹燈夜(たけとうや)in四季の郷」が10日、和歌山市明王寺の四季の郷公園で開かれた。
 地元のまちおこしに取り組む「山東まちづくり会」が催した。地元で取れる竹で作った灯籠や子どもたちが絵を描いたコップなど、約2万個の明かりが散策道や広場、水辺に並べられ、親子連れらが上弦の月の下、灯籠の中で揺れるろうそくの明かりで浮かぶ夏の夜景を楽しんでいた。 

(8月13日~15日は、「お盆」にてブログはお休みさせて頂きます!

2013年8月11日日曜日

地元・海南市のお盆前後の各イベントの紹介!

もうすぐお盆を迎えますが、お盆を挟んでイベントがつづきます!

NHK放送和歌山「かいなん夢風鈴まつり」
「かいなん夢風鈴まつり」NHK放送されました。


 






 










・8月9日(金)
NHK和歌山放送局「あすのWA!」夕方6時10分~7:00
[内容] かいなん夢風鈴まつり(中継)
-----------------------------------------------------------------------

・8月10日(土)
NHK大阪放送局「ウィークエンド関西
朝7時30分~8:00(総合)
[内容] 「漆の風鈴で涼を体感!~和歌山県海南市~」(中継)
    ・風流!漆器の町のオリジナル風鈴
    ・涼やかな音色が大人気
「夢・風鈴まつり」(8月1日~15日)は、残り5日間。
 

・8月13日「ふるさと海南まつり」15:00~21:00・JR海南駅前広場他  

                 



 ・8月14日「下駄市」黒江川端通り・18:00~22:00

  「ゆかた姿コンテスト」併催




 
 
 
 

・8月15日第8回「きみの夏祭り」・紀美野町・20:30~21:00

和歌山県・海草郡紀美野町

    幻想的な1500発の花火が夜空を彩る!
和歌山県紀美野町の夏祭りの夜を飾る花火大会。幻想的な1500発の花火を間近で見られる上に、音が山々に反響し、迫力を増す。見どころはスターマインや尺花園だ。また、盆踊りやステージイベントなどの催しも行われるほか、50以上の夜店も出店予定で、祭りに華を添える。

第8回きみの夏祭り
 

開催情報
 
開催日時
2013年8/15(木)
20:30〜21:00
荒天の場合
小雨決行(荒天時は2013年8/16日(金)に延期)
開催場所
木の温もり広場
  

 打ち上げ数:1500発
昨年の人出:1万5000人
打ち上げ場所
打ち上げ場所を地図で確認
駐車場
○ 600台 無料、臨時、4か所
問い合わせ先
073-489-3260 第8回きみの夏祭り実行委員会(紀美野町商工会内)
有料席:なし
 
 

・8月16日「下津ふるさとまつり」18:00~21:00・下津小学校運動場  

 
  
 

 
 
 

2013年8月10日土曜日

わたしにとっての「終戦記念日」とその前後の学校教育(その.1)

わたしのとっての「終戦記念日」とその前後の学校教育


 
 まもなく68回目の終戦記念日(8月15日)を迎えようとしている。戦後生まれが人口の7割を占める現在、「憲法改正」「軍備増強」等右傾化路線に舵を切りつつある内閣をみていて、この著書から学ぶべきことが多いのに気がついた。改めて「将」たる度量とは何なのかを問いたい。

 まづ始めに、わたしがこの本を読もうとした経緯から始めたいと思う。
  わたしの青少年時代は、思想が180度転換した時代に育った。軍事色強いなか、小学校に入学する前年の昭和15年は「皇紀2600年」の大祝賀行事があり、翌年小学校が国民学校に改称され、校門を入るとすぐに「奉安殿」という立派な建物があり、中には「天皇・皇后両陛下のご真影と教育勅語」が収納されていたように聞く。この前を通るときには最敬礼してから通らねばならない。

 月1回校長先生の訓話があり、このときは掲げられたご真影に最敬礼し、読み上げられた教育勅語を頭を垂れて拝聴する。もちろん教育勅語や歴代天皇の御名は暗記することが必修。子供ながら「皇国史観」にどっぷり漬けられた教育で、男子教員はごく少数で、殆どが女の先生、それが男性の先生の代わりを務めるのだから、生徒を殴るや蹴るのは日常茶飯事、素手で殴るには自分の手が痛いから、革靴のウラ殴る。体罰にバケツに水を一杯張ったのを両手に持たされ廊下に直立不動の姿勢で直立させられる。
 

 やがて食料難で校庭が畑になり、授業が近くの山に落ち葉集めが代わりになった。そうこうしているうちに学校の教室が特攻隊の部隊の宿舎になった。
"撃ちてし止まん””欲しがりません、勝つまでは”、”1億総玉砕”が、その当時の言葉であった。

 戦争の進行に伴い、敵国からの空襲が増え、言論統制が敷かれているため、報道される発表は「大本営発表」のみで、不都合な情報はシャットアウト、こうして昭和20年に入ると爆撃が日本全国に及び、7月9日はついに和歌山大空襲、8月6日には広島に原爆が投下され、9日には長崎にも原爆投下、この間隙をついてソ連が日本との不可侵条約を一方的に破棄して参戦、わずか1週間ばかりの参戦で武器を持たない日本を蹂躙。満州国から多数の人々をシベリア抑留し、零下◯十度という中で強制労働を強いられた。不条理な参戦で戦勝国入りしたソビエトに「勝てば官軍、負ければ賊軍」の想いを強くした。

 そして昭和天皇の決断によって8月15日正午「終戦の勅の玉音放送」で、無条件降伏を受け入れた。まもなく68回目の終戦記念日を迎えようとしているなか、わたしは目下「昭和史」を再読中、以前にも読んだが、現在の自民党・安倍政権下における政治の方向性を見いだそうと、安倍首相の祖父に当たる「安保闘争」を武力で押さえ込んだ岸信介内閣がおこなったことを、自分の目でもう一度再確認しようと思い立ったからに他ならない。
 父親の安倍晋太郎元外相が多忙のなか、祖父である岸信介の薫育のもとで育てられた安倍晋三首相には、祖父岸信介がなし得なかった課題を孫に託す”三つ子の魂百まで”を色濃く感じ取るからである。
云うまでもなく岸信介は満州国次長であり、東条英機内閣の商工大臣として軍事政権に名を連ね、A級戦犯に指名(のち解除)されたその人である。弾圧はお手のものである。
 
このようにして敗戦を受け入れた日本は学校教育方針も180度の大転換、「皇国史観」が「デモクラシー」へとなった次第である。同じ先生の教えることが、昨日までにことは偽りで、これからがデモクラシーの正しい教育というんだから、教える立場の先生は、教えられる立場の生徒にしても大混乱だったに違いないが、この辺のことはあまり記憶が確かではない。
 新しい教育に使う教科書とてなく、わずかに先生が一冊だけ所持するだけ、しばらくは元々学んでいた教科書の不都合な部分を墨で塗りつぶすことから始まった。そうすると教科書は殆ど真っ黒けで使い物にならない。そういう学年を一年余り送ると、今度は新制教育制度が誕生した。新制中学校までが義務教育になり、これに対応する校舎や教科書・教具の類いも揃わない中で授業が進められた。



戦前編(1926~1945)
戦後編(1945~1980)
 
 
 言うなれば通学はしたが、満足がゆく授業は受けられず終い。何もかもが不自由な新制中学を経て新制高校から大学へと・・・そういう次第でわたしの中には大事な次期に大事な教育が受けられなかった想いが強く、、これが自分で学習しようとの意識を抱く要因となったと思います。
そして読んだのが半藤一利「昭和史」(戦前編・戦後編)「幕末史」である。    (つづく)