※「ニュース和歌山」・2013.05. 25 号
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日本三大忍術伝書のひとつ『正忍記』を記した紀州藩士で軍学者の名取三十郎正澄(?〜1708)の墓石が和歌山市吹上の恵運寺(えいうんじ)で見つかった。 同書の英語版翻訳者の指摘で同寺が調べ判明した。海外では、伊賀の服部半蔵と並び忍者の代名詞とされる三十郎を知ってもらおうと同寺は墓石に案内板を設置、地域の歴史的資源として発信する。 山本寿法副住職は「地元では知られていない紀州の忍者。多くの人に知って欲しい」と話している。 恵運寺 海外からも反響 三十郎は、甲州武田家に仕えた名取與市之丞(よいちのじょう)正俊を祖とする軍学名取流の“中興の祖”と位置づけられる。 父の彌次右衛門正豊が徳川頼宣に従い、紀州藩入り。三十郎は、先祖伝来の甲州流軍法と楠流軍学を学び、軍学指南役として頼宣に仕えた。 名取流は、明治維新の兵制改革で途絶えるまで藩で受け継がれた。 三十郎は兵器の図鑑『建櫜説略』(けんこうせつりゃく)はじめ、『兵家常談』など多数の軍学書を残した。『正忍記』は、伊賀、甲賀の忍術集『萬川集海』(ばんせんしゅうかい)、伊賀の『忍秘伝』と並ぶ日本三大忍術伝書のひとつ。現代語訳だけでなく、英語や仏語にも翻訳されている。 墓石が判明したのは昨年6月。『正忍記』の英語版を出版したイギリス人の研究者、アントニー・クミンズさんに協力する翻訳者の女性から同寺に電話があった。 同寺のブログで「名取家」の文字を目にし、「名取三十郎が眠っていないか」と問い合わせてきた。 山本副住職が調べたところ、過去帳に「名取三十郎」との俗名があり、「一水先生也」と三十郎のペンネームが記され、墓の存在が判明。墓石を探すと、供養塔の中から位牌とともに見つかった。 「供養塔内は本来は寺の関係者のもののみなのに不思議。雨風による風化を免れているんです。忍術でもかけたのかも」と山本副住職は笑う。 クミンズさんも同寺を訪れ、取材した。インターネットで伝えると、アメリカやフランス、ドイツなどから「和歌山の人に三十郎を知って欲しい」と記した20通の手紙が同寺に届いた。知名度と業績を実感し、同寺は墓石に案内板を設けることにした。 今月(5月)5日には関係者が集まり、墓の開眼供養を行った。名取家の血を引く和歌山市の日根裕子さんは「士族の子だと母から厳しくしつけられましたが、祖先のことは詳しく知りませんでした。名取家は戦災で焼け、跡取りは絶えており、今回のことは驚き。弟も改めて祖先のことを学びたいと話しています」と喜ぶ。 『正忍記』には「人の目をくらますにはカエルの卵を焼いたものを相手の顔にかける」など具体的な忍術や、「世間に紛れ、人の小娘と親しくなれば娘の縁で仕事もはかどるが、女に心を許してはならない」など心得も。 「人は何かを話させようとすると隠す。他のことを話し徐々に核心を引き出すもの」と人間心理をふまえた交渉術もある。クミンズさんは「『正忍記』は芯の通った精神論に貫かれ、三大忍術伝書の中で最も優れている」と高く評価しており、同寺は近い将来、読む会を催し魅力を探る考えだ。 和歌山市立博物館総括学芸員の太田宏一さんは「紀州藩は経済、文化レベルが高く、武術の技術も高かった。砲術や弓術は目立っていたが、軍学は埋もれていたので見直されるのは意味がある」とし、「寺町には藩士や武術家の墓が埋もれている。今回、調査し明らかにしたのは成果」と話す。 山本副住職は「『正忍記』は現代人が読んでも興味深い。三十郎がもっと知られ、紀州忍者が新たな観光資源になれば。名取家について何か知る人がいれば情報も寄せて欲しい」と望んでいる。 写真=開眼供養された墓石前で英訳書を手にする山本副住職 | |||||||
※ニュース和歌山2013年5月25日号掲載
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(わが家・尾﨑家と曹洞宗・大宝山「恵運寺(えいうんじ)の関係について!)
わが尾﨑家と恵運寺は、斬っても切れない密接な関係にあります。というのは、わが家は、中世以降「万年寺」という紀州日方村、浄土宗・永正寺末庵を保有していたが、その後退転し寺号は永正寺に預けていた。
その後、治左衛門久豊のときに小倉庄金谷村金谷家所持の明智庵と観音堂を買い受け、それを寛保三(1743)年に、神田村万年寺跡に引き建て、翌年寺号を至聖山久豊寺として、一族の菩提寺とした。これを期に、わが家は永正寺を離れて久豊寺の檀家となった。さらにその後延享二(1745)年、久豊寺を曹洞宗に宗旨替えし、また何時の頃からか和歌山の恵運寺が本寺となり、弘化四(1847)年には恵運寺が兼帯住職を勤め、明治十八(1885)年頃には荒廃が激しくなったため、本寺である恵運寺に 合併、廃寺とした。 その後、昭和三十八(1963)年旧地に久豊寺が再建・建立され、尾﨑家の菩提寺として現在に至っている。このように恵運寺とは斬っても切れない関係にある。
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大きな宝の山にある恵みを運ぶお寺和歌山市の曹洞宗寺院です。紀州忍者「名取三十郎正澄」墓石開眼先日5月5日に、紀州忍者「名取三十郎正澄」の墓石開眼供養を行いました。 その模様が、各紙に掲載されましたのでご案内致します。 各新聞社のネット記事へリンクしています。 わかやま新報http://www.wakayamashimpo.co.jp/2013/05/20130507_24660.html 産経新聞http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130509/wlf13050909420005-n1.htm ニュース和歌山http://www.nwn.jp/framec/20130525/1/1.html 紀州忍者「名取三十郎正澄」は、残念ながら日本では地元和歌山市民でさえも知らず、わずかな専門家のみが知り得る隠れた偉人なのですが、 海外では「Ninja」という言葉と共に知れ渡っている非常に有名な忍者です。 「Ninja」とは誰か?という問いに、「Hattori」と「Natori」という答えが返ってくるぐらいだということです。 今回のこの発見も、イギリス在住の日本軍学研究家アントニー・クミンズ氏と翻訳家の南快枝氏の功績によりなり得たものです。 日本ではあまり知られていない名取三十郎ですが、彼の書いた「正忍記」は「日本三大忍術伝書」として並び称されるほどの名著であり、古来より正当な忍術書として伝えられてきました。 また、正忍記のみならず、その著作物からは大変優れた人間性、観察眼、そして哲学にも通じる精神性が感じられます。 現代社会を生き抜く智慧のようなものも盛り込まれていると感じています。 私もまだまだ入り口を垣間見た程度なのですが、本当におもしろい書物を残してくれてますので、少しずつでも読み解いていきその魅力を伝えられればと思っています。 「正忍記を読む会」を考えています。 もし、参加ご希望の方や興味のある方がいらっしゃれば、当寺までご連絡をお願い致します。 ※お願い 名取家や名取三十郎のことについて研究されている方や、名取流の縁の方、または何か些細なことでもご存知の方は、当時までご一報くださいませ。 正忍記 上巻より 「水鳥の教え」 水戦要法より
以上
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2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
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2013年5月29日水曜日
”紀州藩軍学者で忍者”名取三十郎、墓石を発見(恵運寺)!
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どんぶらこっこ、
返信削除おはようございます。
堤防高いでーす。
徘徊しまーす。
波の墓場、波塚でございます。
http://namizukakohira.hatenadiary.jp/
名前をクリックしてもらうと
移動できるように
してありますけれど。
住所不定では
怪しいですから。
忍術はさっぱり詳しくないですが
名古屋では忍術を教えれる人に
バイト募集の広告が出ていました。
そこでは
最後の忍者(末裔)が来て
教えてくれるという
キャッチコピーが
ついていました。
今から募集するのは
アシスタントでしょうか。
兵法などの記録も
眼をひきます。
名取三十郎って
とても強そうな名前で
役者だれにしようかなって
考えました。(勝手なもの)
どんぶらこっこ、どんぶらこ!
返信削除佐渡はいよいか?、住みよいか?
え~!佐渡へ~行こうか♪
ちょっくら一寸隣の酒屋へ
酒買いによくような訳にはゆかぬ~よ!
佐渡は四十九里、浪のうえ♪
忍術には、ご存じ「水遁の術」が御座るによって、
佐渡へゆくのはたやすく御座るが、お訪ねすれば
ご馳走の一つでもデルのでしょうかのう?
”行きがけの駄賃”がついて回るによって、
よ~く考えたうえにせねばなるまいのう!