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2013年5月21日火曜日

全国「鈴木姓・フォーラム&サミット」始まる!


 全国約200万人と云われる鈴木姓の「フォーラム&サミット」が21日始まった。


7年ぶり7回目といわれる今大会には自動車メーカーsuzukiの鈴木修会長自らが基調講演を行うなど、従来になく熱が入っている。

というのも全国鈴木姓の発祥の地である海南市藤白の「鈴木屋敷」が長らく無住で老朽化で、まさに朽ち果てようとしているのを、地元海南市や海南商工会議所がナンとしてでも復旧して、藤白神社とともに熊野への入口として観光面でも大いにPRしたい目論見があるからだ。

 商工会議所会頭の角谷さんが,自ら調査して執筆した鈴木関係の本を発刊、多いのこれPRに務めておられる。

「全国・鈴木さん歓迎飾り付け」

 
 

JR海南駅1Fコンコース&「かいぶつくん」歓迎飾り付け


JR海南駅の到着した鈴木さんご一行 

全国鈴木サミット会場受付


第7回 全国鈴木サミット&鈴木フォーラム

全国の鈴木さん いらっしゃい!”連れいこら!紀州藤白「鈴木屋敷」へ!

5月21日~22日 和歌山県海南市

全国の鈴木姓のルーツとされるのが、紀州 藤白の鈴木家です。
「第7回全国鈴木サミット&鈴木フォーラム」を和歌山県海南市で開催します。

全国の鈴木さん!是非、お集まりください。
初日に式典、パネルディスカッションのサミット、 2日目のフォーラムではスズキ自動車の鈴木修会長による講演を予定しています。
鈴木さん 以外の参加も大歓迎です。

主催:藤白鈴木会・紀州藤白鈴木屋敷を育てる会
会場:海南市保険福祉センター
参加申込・問合せ:事務局 TEL 073-482-1123

・「藤白鈴木会」アドレス:http://www.iris.dti.ne.jp/~min30-3/magoichi/fujisiro.htm


詳しくは、第7回 全国鈴木サミット&鈴木フォーラム

鈴木家 家紋
鈴木家家紋

保健福祉センター地図



 


紀州藤白 鈴木屋敷

すずき「鈴木」のルーツ 鈴木屋敷

  藤白神社の敷地内には、平安時代に熊野から藤代の地に移り住み、約122代続いたと言われる鈴木氏の屋敷跡があります。

 ここを拠点に全国3,300あると言われる熊野神社を建立し、熊野信仰を広めました。神武天皇東征の時、鈴木家の祖先が天皇に稲を献じたので「穂積」という姓を頂いたが、この地では稲を積み重ねたものを「すずき」と言ったことから「鈴木」になったと言われています。

 また、熊野権現の神木ナギ枝に鈴を付けて、神武天皇一行を案内したことに由来するという説も。ちなみに、衣川で源義経と討ち死にした家来の鈴木三郎重家と、亀井六郎重清兄弟も藤白地区の出身。義経がこの地を訪れた時の義経弓立松や曲水泉式庭園も有名です。

 和歌山の戦国武将であり、鉄砲集団・雑賀衆の頭領である雑賀孫市も本名は鈴木です。境内には家系図や古文書などを披露しています。


しくは、紀州藤白 鈴木屋敷


鈴木屋敷地図
Google地図で見る


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海南「全国鈴木サミット」「鈴木フォーラム」開幕(初日・21日の様子)         

wbs和歌山放送報道より:http://wbs.co.jp/news/?p=22909

  日本で2番目に多いおよそ200万人あまりを誇る「鈴木」姓のルーツとされる海南市で、きょう(21日)とあす(22日)の2日間、全国の「鈴木さん」およそ100人が一堂に会する、「全国鈴木サミット」と「鈴木フォーラム」が開かれています。

  これは、鈴木姓のルーツとされる鈴木屋敷をはじめ、周辺の世界遺産・熊野古道や藤白坂(ふじしろざか)といった歴史的資産をもっと活用しようと、海南市の藤白鈴木会(ふじしろ・すずきかい)と、紀州藤白「鈴木屋敷を育てる会」が主催したものです。

  

 今回で7回目となる「全国鈴木サミット」は、きょう(21日)午後1時から海南市保健福祉センターで開かれ、藤白の鈴木家の分家で、秋田県羽後町(うごまち)にある国の重要文化財・鈴木家屋敷第46代当主・鈴木杢之助(もくのすけ)重廣(しげひろ)さんや、藤白鈴木会の会長で、加賀一向一揆(いっこういっき)に加勢した鈴木出羽守(すずき・でわのかみ)の後裔(こうえい)・鈴木勲(いさお)さんら、全国各地の「鈴木さん」およそ100人が参加し、海南市の神出政巳(じんで・まさみ)市長が歓迎の言葉を述べました。

  続いて行われたパネルディスカッションでは、静岡県の「浜松鈴木さん楽会(がっかい)」会長・鈴木建也(けんや)さんや、石川県白山(はくさん)市・鳥越(とりごえ)鈴木会の奥清隆(おく・きよたか)さん、和歌山大学経済学部教授の鈴木裕範(ひろのり)さんら7人のパネリストが「鈴木姓ルーツの文化や鈴木姓の連携」をテーマに意見を交換しました。

 

鈴木屋敷の保全を訴える鈴木杢之助重廣さん(中央・5月21日・海南市保健福祉センターにて)

  この中で、秋田県の鈴木家屋敷第46代当主・鈴木杢之助重廣さんは「鈴木屋敷の荒廃ぶりを初めて目の当たりにして悲しい気持ちになった。どうか保全のための寄付に多くの協力をお願いしたい」と参加者に訴えました。

   あすは午後1時から、海南市保健福祉センターで「鈴木フォーラム」が開かれ、自動車メーカー・スズキ株式会社の会長兼社長・鈴木修(すずき・おさむ)さんが「スズキの海外進出」と題して基調講演を行います。

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熊野信仰と熊野権護符 

                          「熊野那智大社」護符
「熊野本宮大社」護符
GOOUNACHI.JPG
GOOUHONGUU.JPG
                    「熊野速玉大社(新宮)」護符
KUMANOGOOUHU.JPG 

「熊野三山」・全国「熊野神社」と「熊野信仰」とは ?

   熊野神社は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことである。

  熊野詣での盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまったことにより、全国に熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立した。

  この全国へ布教を担ったのは、海南市藤白にある鈴木屋敷を布教の拠点として熊野権現の護符を配り,布教に努めた。 

  熊野三山の祭神たる熊野権現は、その主祭神である熊野三所権現だけでなく、十二所権現をも含んでいる。熊野三山の祭神を勧請するといった場合、三所権現のいずれかひとつの神ないし三神の全て、または十二所権現の全てないし若宮のみを勧請する場合や、九十九王子の中でも重要な五体王子を勧請するものもあり、それら全てを含めて熊野神社とした場合、その数は三千余に達するという。 

 有史以前からの自然信仰の聖地であった熊野(紀伊国牟呂郡)に成立した熊野三山は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における皇族・貴紳の参詣によって、信仰と制度の上での確立をみた。

   しかし、中世熊野詣を担った都・京からの参詣者は、後鳥羽上皇をはじめとする京都の皇族・貴族と上皇陣営に加勢した熊野別当家が承久の乱において没落したことによって、院の参詣は実質的に終焉し、貴族による参詣も13世紀過ぎまでのことであった。 

   かわって、承久の乱以後の鎌倉時代には新たな参詣者層として地方の武士が登場し、15世紀ごろには一般民衆が最盛期を迎えた。

  室町時代から戦国時代にかけて熊野山領の荘園からの収入が減退したことが熊野先達・御師の発達を促し、熊野先達の活動が全国に及んだことで熊野信仰の伝播はいっそう促進された。     

                                               以上

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