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2013年5月3日金曜日

現在の「和歌祭」と「和歌祭大正九年・藩祖入国三百年祭」

 5月に入って最初に広義の和歌浦の景観と和歌浦漁港交流拠点施設「おっとっと広場」において、ゴールデンウィーク期間中の休日に「丼まつり」が開催されていることをアップしましたが、この12日(日)「和歌祭」が開催されます


ご存じの通り「和歌祭」は紀州・東照宮には徳川家の始祖・家康公と紀州藩始祖・頼宣公(南龍公)を お祀りしている訳ですが、その歴史を振り返れば、元和7年(1621年)に徳川家康の十男である紀州徳川藩祖・徳川頼宣により南海道の総鎮護として創建され、関西の日光とも称され、本殿は伝・左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵がある豪華な造りです。
東照宮からの景観

東照宮は、雑賀山に位置し、雑賀山は和歌浦湾の入江を眼下に納め、右手には天橋立のような片男波の砂嘴が延び、左手には北岸をみるまさに「扇の要」の位置にあります。西には天満宮が、東には玉津嶋神社が位置し、 元和5年紀州初代藩主として入国した徳川頼宣(1602~71)により、東照大権現を祀る東照社として建立されました。



頼宣の紀州入国とともに計画され、元和6年(1619)起工、元和7年(1620)に竣工・遷宮式が行われた。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。現在は頼宣公(南龍院)も合祀している。

東照宮の例祭は、元和8(1622)年に趣向を凝らした絢爛豪華な風流(ふりゅう)の祭りとして創始されているが、江戸時代には、国中第一の大祭であった。

諸国から多数の見物人がきたという。明治以降も「和歌祭り」と呼ばれて、大勢の観衆を集め、親しまれた。近年段々と往古に復した祭へと復興されてきつつある。

今回アップしたのもその現れの一つであり、その始まりは元和7(1621)年というのだから、390年余の歴史がある。したがって、2021年には400年祭を迎えることになるが、8年後にはこの時期を迎えるため、それまでに往古の祭に復元を目指した活動が高まるに相違ない。今回の企画もこれらの流れに沿っておこなわれたものであろう。

歴史は一年一年の積み重ねであるから、このながい流れに中で幾多の変遷があったろうにと思われるので、この際、12日のお祭り開催まで3回位にに亘って往古の「和歌祭の姿」を追ってみよう!

         ☆                 ☆                  ☆ 

・和歌山大学企画展「和歌祭大正九年(1920)・藩祖入国三百年祭」                                                                             (wbs和歌山放送4/19より)

 ことし(2013年)も5月12日に和歌山市で開かれる「和歌祭(わかまつり)」を前に、和歌山大学では、大正9年(1920年)の和歌祭を撮影した写真や、貴重な資料などを展示する企画展を行っています。


                             

    大正9年の和歌祭の写真(4月19日・和歌山大学にて)

これは、和歌山大学・紀州経済史文化史研究所が4年前から和歌祭の時期に開いているものです。今回は大正9年に、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣(とくがわ・よりのぶ)の入国300年を記念して開かれた和歌祭の模様を写した写真と、その準備費用を記録した特別会計簿や領収証が、初めて公開されています。

                             
        
                         見物客(上)や行列(下)の写真(4月19日・和歌山大学にて)
 
写真には、唐船(とうぶね)や母衣(ほろ)の行列のほか、見物客の模様も撮影されています。

                                  

                  大正8年の特別会計簿(4月19日・和歌山大学にて)
また特別会計簿や領収証には、紀州藩家老・三浦家の子孫で男爵(だんしゃく)の三浦英太郎(みうら・えいたろう)が当時3705円を寄付したことや、祭りの道具を作る職人の日当などが詳細に記録されています
                                
            「赤母衣」(4月19日・和歌山大学にて)
このほか、昭和42年(1967年)当時3歳から4歳だった男の子が初めて祭りに参加するのを祝って作られた「赤(あか)母衣(ほろ)」や、昭和10年(1935年)の和歌祭の行列などを撮影したフィルム映像、また大正4年(1915年)の徳川家康300回忌の和歌祭で、藩の軍船・御関船(おせきぶね)に掲げられた、葵(あおい)の御紋(ごもん)の旗なども展示されています。

                                  
           

吉村特任准教授(4月19日・和歌山大学にて)

監修する和歌山大学の吉村旭輝(よしむら・てるき)特任准教授は「観客は当時10万人を超えたとされ、資金面で運営に苦労したことが展示から読み取れる」と話しています。
この企画展は、来月(5月)17日まで、和歌山市栄谷(さかえだに)の和歌山大学・紀州経済史文化史研究所展示室で開かれています。入館料は無料です。
開館時間は平日の午前10時半から午後4時までで、土日と祝日は休館となります。
 
 
昭和10年の和歌祭のフィルム映像(4月19日・和歌山大学にて)


                                     御船歌、朗々練り歩き 5月12日の和歌祭をPR     
           御船歌、朗々練り歩き 来月12日の和歌祭をPR 和歌山
和歌祭の伝統芸能「御船歌」を歌いながらキャンパス内を練り歩く学生ら=和歌山大学
 

  江戸初期から伝わる紀州東照宮(和歌山市)の大祭「和歌祭」で歌い継がれる伝統芸能「御船歌(おふなうた)練り歩き」が17日、和歌山大学で披露され、キャンパスに朗々とした歌声が響いた。

 御船歌は船乗りの労働歌で、和歌浦の美しさをたたえている。昭和55年以降、途絶えていたが、和歌山大紀州経済史文化史研究所などの調査で音源が発見され、平成22年に約30年ぶりに復活した。

 練り歩きは、同研究所が開催する企画展の関連イベントとして企画。長法被姿の学生や卒業生ら7人が太鼓やのぼりを手に、御船歌を歌いながらゆっくりとキャンパス内を練り歩いた。参加した教育学部2年の大倉志織さん(20)は「和歌祭は和歌山のメジャーな祭り。もっと多くの人に参加してほしい」と話していた。学生らは来月12日に開催される和歌祭でも御船歌を披露する。
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・(近代における和歌祭)
1. 近代の和歌祭 (執筆 ・和歌山県立博物館主査学芸員 前田正明)
 今年も5月12(日)に、和歌山市の和歌浦周辺では、江戸幕府を開いた徳川家康を祭る紀州東照宮の祭礼・和歌祭が行われます。
 
 そこで、今回は徳川氏の支配が終わった明治以降、和歌祭がどのように受け継がれていったのか、近代の和歌祭の歴史を紹介します。というのも、江戸時代に行われた東照宮の祭礼が、今日まで続いているのは日光東照宮と紀州東照宮ぐらいで、意外と少ないようです。

 近代に入ると、明治政府は神仏分離の政策をとりました。紀州東照宮でも別当寺である雲蓋院や子院は廃寺に追い込まれたり、社領千石余が没収されたりして、経済的基盤が失われます。和歌祭も一時中断を余儀なくされますが、明治7年(1874)には有志によって再興されたといわれています。

 その後、明治18年(1885)に徳盛社、明治32年(1899)に明光会といった後援会が設立され、後援会の後押しによって、和歌祭は継続されました。その背景には、旧藩士の働きかけや地元和歌浦の人々の努力も大きかったようです。
 

 古くから景勝地として有名であった和歌浦は、明治の終わりごろ、改めて観光地として注目されました。大正9年(1920)に行われた藩祖御入国三百年祭では、和歌浦の観光開発に関心を寄せていた京阪電車と南海電車からの寄附があったようです。

  さらに、昭和9年(1934)に行われた和歌山城築城350年祭では、初めて和歌山城周辺で渡御行列が行われています。やがて、戦時体制が強まるようになり、昭和12年を最後に和歌祭は中断されることになりました。
 
 
 昭和23年(1948)に和歌祭が復活されると、渡御行列は商工祭の一環として行われます。そして、平成14年(2002)から商工祭から独立して、和歌祭は地元和歌浦で行われるようになりました。

 そして400年祭が数年後に迫った今日、今までにも増して往古の姿に復元しようとの努力が積み重ねられ、400年祭には創始の姿に復元された「和歌祭」として、われわれに見せて呉れるに相違ありませんが、そのためには、過去の記録等昔の姿を調べ挙げ、途絶えて終ったモノを復元する大変な精力的な努力と資金が求められています。おそらく「和歌祭保存会」が中心になることでしょうが、産・官・民の三者一体の共同体でしか成し遂げられないと思われます。和歌山大学による「和歌祭大正九年(1920)・藩祖入国三百年祭」もこうした考え方を踏まえた企画の一つと評価できましょう!
         
 写真1 和歌祭図(榎本遊谷筆、個人蔵)
大正9年(1920)藩祖御入国三百年祭で行われた渡御行列を描く。
写真2 御旅所に向かう渡御行列(和歌山県立博物館蔵)
大正15年(1926)に行われた和歌祭を撮影した和歌祭写真帖から。

 「和歌祭」の往古の姿を求めて、このテーマは12日の「和歌祭」当日まであと2~3回続きます
                                                                                                                                                                                           (つづく)

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