2010年1月から綴ってきたブログをマイナーチェンジしました。09年にはアメリカで初の黒人大統領オバマが誕生し「CHANGE]という言葉が流行語となりましたし、わが国でも政権交替が行われました。 このブログでは歴史ある地元紀州の「温故」と「知新」に倣って、さらに一歩踏み込んだ「創新」を視点として「温故創新」を採り上げて参りましたが、「街おこし」に熱心に取り組まれておられる方々とも連携しながら、さらなる充実を図ってゆきたく、タイトルも[徒然なるままに地元の『温故創新』を訪ねある記]と、より視点を明らかにしました。 なにとぞ、従来にも増してご支援下さるようお願い申し上げます。
2017年4月30日日曜日
2017年4月26日水曜日
和歌祭 350年ぶり唐人行列(5/14)
和歌祭 350年ぶり唐人行列(唐人とは、当時には中国人はじめ外国人全般を指す言葉と解釈ください)!
江戸時代から続く紀州東照宮の例祭、和歌祭(※)。
5月14日(日)に開かれる今年、演目の一つ、唐人(とうじん)が約350年ぶりに復活する。外国人をイメージした衣装をまとう行列で、和歌山大学紀州経済史文化史研究所の吉村旭輝特任准教授がよみがえらせた。当日は和大の留学生が着用。吉村さんは「祭本来の姿に一歩近づく。芸能を継承しつつ地域と交流を深め、新たな風を吹き込みたい」と話している。
面被(めんかぶり)、母衣(ほろ)、雑賀踊など約60の芸を披露して和歌浦一帯を練り歩く和歌祭。戦前まで和歌浦で開かれ、戦後は商工祭に組み込まれ和歌山城周辺で開催、2000年に和歌浦へ戻った。会場の移転や芸を継ぐ人の職業の多様化が影響し、廃れた芸もあるが、地元住民や歴史研究家の努力で10年に唐船の御船歌、12年に餅搗踊(もちつきおどり)の囃子が復活した。
屏風絵、文献から装束考証 和大留学生も衣装デザイン
祭初期にあった唐人は、当時珍しかった外国人を模した仮装行列で、1665年に藩が出した祭の縮小令以降途絶えていた。吉村さんが、面被や舞姫に毎年参加する留学生に「江戸時代の日本人が外国人をどう捉えていたのかを体験してもらおう」と復活を模索した。再現の参考になったのは屏風絵。江戸時代初期の和歌浦図屏風(同研究所所蔵)や和歌御祭礼図屏風(和歌山市道場町の海善寺所蔵)に南蛮風の衣装を着た人々が描かれている。「唐人は三重の津と鈴鹿、岡山の牛窓に残っていて、いずれも朝鮮通信使のような服装。鎖国前に始まった和歌祭は西洋風で、他にない特徴です」と吉村さん。
昨年、留学生向けの授業で唐人を扱い、屏風絵や文献から装束考証を進めてきた。再現した衣装5着のうち、1着は和歌浦図屏風、3着は和歌御祭礼図屏風の絵がモデル。海善寺の田村歓彰住職は「檀家さんに見てもらっていた屏風がまさか復興に役立つとは。不安定な世界情勢の中、少しでも国際理解につながれば」と望む。南蛮風の衣装は鮮やかな朱や緑、青が映える上着に、筒が太く、すそが細いズボン。和柄の生地やはかまなど身近なものを利用した点も踏まえて再現した。
最後の1着はオーストラリア出身の和大留学生、クリング・ジョナサンさんが独自に考案。縦長の帽子とマントが特徴で、ジョナサンさんは「史料に残る衣装に近づけようと考え、帽子と襟にこだわりました」と語る。4月17日には留学生が衣装を着て大学内で披露。カザフスタンから来たトモさんは「子どものころから好きな日本で祭に参加できてうれしい。地元の人とふれあい、母国と日本の交流につなげたい」と抱負を語った。
唐人は唐船の前を歩く予定。和歌浦在住で唐舩御船歌連中の山下仁さんは「唐人は絵で見たことはありました。どんなものか分からなかったので復興はありがたい」と喜び、吉村さんは「授業で毎年続けたい」と継承に意欲をみせている。
祭は午前11時半、東照宮でスタート。衣装は和歌山市栄谷の和大にある同研究所で5月26日(金)まで公開。午前10時半〜午後4時。土日祝休み。同研究所(073・457・7891)。
※和歌祭…徳川家康の霊をまつる紀州東照宮を中心に、初代藩主・徳川頼宣が1622年に始めた祭。神輿おろしなど神事をはじめ、町人らが様々な芸を披露し、かつて日本三大祭の一つに数えられた。
写真上=和歌御祭礼図屏風から再現した衣装(中央3人)、同下=和歌御祭礼図屏風の唐人
(ニュース和歌山より。2017年4月20日更新)
2017年4月24日月曜日
La Festa Primavera 2017 総括記事
【大会レポート4日目・表彰式】2017年4月17日
熾烈な優勝争いを勝ち抜いた竹元夫妻が5連覇を達成
ここまで天気に恵まれていたラ フェスタ プリマベラ 2017も、最終日の午後からは高確率で雨の予報が出ていた。ゴールセレモニーまでは何とかもってくれないかと願いながら、京都を出発した。 京都を出ると滋賀を経由し、福井の熊川宿へ向かう。通常は計測タイムを非公開にして行うPC競技を、ここでは公開にして行い、ゴールラインを踏むと同時に結果を発表。多くの人たちが見守る中、エントラントたちは真剣な表情で競技に臨み、計測タイムが読み上げられると会場は大いに盛り上がった。設定タイムとの誤差がないジャストのタイムを出したチームには、惜しみない拍手が送られ、ひときわ大きな歓声が上がった。 熊川宿で公開PC競技を行ったあとは、日本海と三方五湖を望むレインボーラインへ。その後、滋賀へ戻り琵琶湖畔でランチタイム。ラ フェスタ プリマベラでは、昨年初めて日本海に面したコースが設定され、今年もまたこの景色に出会うことができた。4日間を通して地域ごとにまったく違った表情を見せる、日本の風景。海や山はこの季節ならではの色に染まり、その美しさが心に残る。 昼食後、予報通り雨が降り始め、彦根城に着く頃には本降りになっていた。彦根城でスタンプをもらうと、いよいよゴールを目指し再び京都へ向かう。雨が強くなってきたため、一休みする予定だった建仁寺では、スタンプをもらうとそのまま一気にゴールとなる岡崎公園へ。 平安神宮へと続く岡崎公園の新宮道には、雨にもかかわらず大勢の人たちがエントラントの到着を待っていた。会場に車が入ってくると、約1,100kmの道のりを完走した車とエントラントに温かい拍手が送られた。雨でびしょ濡れになりながらも、エントラントたちはみな達成感に満ちた表情でゴールゲートをくぐり、感想を求められるとほとんどが「楽しい4日間でした」と笑顔で口にした。その答えが、この4日間の旅のすべてだ。 その夜は、彬子女王殿下と門川京都市長をお迎えし、美味しいお酒と食事を楽しみながら、エントラントたちは思い思いに4日間を振り返った。そしていよいよ表彰式へ。今回は、初日から波乱があった。国内敵なしと思われる竹元夫妻が、若手の磯部・鶴巻チームに約580ポイントの差をつけられ1日目を2位の成績で終え、猛追を見せたものの2日目も順位は変わらず。また、イタリアのミッレミリアで2度優勝しているモッツィ・ビアッカチームもその実力を発揮し、最後まで誰が優勝してもおかしくない、目が離せない展開を見せた。 最終的に第3位となったのは、No.53の磯部・鶴巻チーム。若い2人が、ベテラン勢を凌ぐ好成績を収めた。第2位は、終始ご機嫌な走りを見せたNo.29のモッツィ・ビアッカチーム。そして、この熾烈な争いを見事勝ち抜き、僅差で優勝を果たしたのは、No.2の竹元夫妻だ。今回で5連覇を達成した彼らだが、決して楽な戦いだったわけではないということを、竹元夫人の目に溢れた涙が物語っていた。優勝スピーチで「4日間がんばってくれた妻と車に感謝しています」と述べた竹元氏は感慨深い表情を見せ、壇上の竹元夫妻には会場から惜しみない拍手が送られた。 今回、車輌にトラブルが出たエントラントが、リタイア後に別の車輌で残りのコースを走ることになったのだが、その車輌にもトラブルが出てしまい、さらに別の車輌で最後まで走るという出来事があった。それだけ、このラリーに参加するということはエントラントにとって意味のあることで、リタイアしても最後まで走りたいと思わせる4日間なのだと、改めて感じたエピソードだった。 こうして春の旅は終わり、エントラントたちは清々しい表情を見せながらも少し寂しそうに、また秋に会う約束を交わし、京都を後にした。 ラ・フェスタ プリマベラ 2017が開催された模様は、6月24日(土)の17時から、BSフジにて放送予定となっている。また、秋に開催されるラ・フェスタ ミッレミリア 2017は、10月13日から行われる予定だ。 (Historic Car Japan 岩本 美香) |
見事5連覇を果たした竹元夫妻には惜しみない拍手が送られた
京都・嵐山の竹林の小径を走る MG MGA
熊川宿で公開PC競技に挑む TOYOTA 2000 GT
雨に濡れながらも、みな笑顔で4日間を振り返った
ゴール会場には雨の中たくさんの人たちが駆けつけてくれた
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2017年4月19日水曜日
La Festa Primavera 2017 総合成績
[ Updated:17 Apr 19:31 ]
※N.C.:No Check/RIT:Retire
※トータルポイントの値はペナルティーを引いた合計の値です
※トータルポイントの値はペナルティーを引いた合計の値です
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